完乗へのファイナルラン 


−  2008.9.26朝現在  未乗線区数 8本  残存距離 104.2km  −

▼ 第6回 近畿地方その2(2008.9.26)

 いよいよ残存距離は100km割れ目前。大詰めの気配が漂ってきた。未乗路線は近畿と九州にほぼ集中している。まずは近畿かなあと思っていたところに、チベットその他でお馴染みのひさめ氏から「0系に乗らないか」とお誘いがかかった。そういえば引退が間近である。うっかり忘れていた。

 周知の事ではあるが、0系は既に東海道新幹線からは撤退しており、現在は山陽新幹線内を1日数往復の「こだま」として細々と走っている。大阪と博多、まさにこれから行こうとしているエリアを直結しているではないか。飛びつかない理由は、どこにも無かった。

***

 9月26日(金)朝、のっけから寝坊して乗る予定だった相鉄線に逃げられる。新横浜へは横浜線の方が安いのだが、やむなくブルーライン(市営地下鉄)でショートカットしてみれば、当の横浜線は事故だか何かでベタ遅れである。結果的には地下鉄で正解だったようだ。

 8時09分発「のぞみ」61号は700系である。新幹線はこの形式が一番落ち着く。N700系の小窓と特大電光表示には今ひとつ馴染めない。かつては「不条理に高い『のぞみ』なんて乗れるかっ」と半ば意地で「ひかり」を愛用してきたものだが、転居で最寄り駅が小田原から新横浜に変わった事もあり、すっかり「のぞみ」に慣れてしまった。恐ろしいものである。

 生憎の曇り空で富士山は見えない。随分古くなってきたアクトタワーを横目に浜松を通過。ひさめ氏の住む町だが落ち合うのは日が暮れてからで、今日はほぼ単独行動である。一緒に乗りつぶしをした事もあるけれど、進捗するにつれ段々利害が一致しなくなってきた。止むを得ない所ではある。

 10時11分京都着。名古屋から滋賀県辺りまで土砂降りだった雨は、どうにか止みかかっている。が、JR京都線下りが大幅に遅れていたり、特急「まいづる」3号が「はしだて」を併結せずに発車を待っていたりと、どこか混乱した雰囲気である。乗り継いだ嵯峨野線の普通亀岡行に関しては、10時27分に定刻通り発車。この線にもとうとう221系が入るようになった。辺りは複線化工事の真っ最中である。
京都市交東西線
 2つ目の二条で下車、京都市交通局東西線に乗り換える。3年前にこの駅まで乗った時には、以西への延伸は間近と思われたのだが、開通は今年の1月。随分と時間がかかった。さして広くないホームは乗客の姿もまばらで、中心部へ向かう醍醐行電車が出てしまうと誰も居なくなってしまった。残ったのはホームドアの点検業者だけである。脚立を片付けると、太秦天神川行の電車がやって来た。

 6両編成の車内もガラガラであった。何やら雅っぽい発車メロディが鳴り、シールドトンネル内を轟々と2駅走って10時48分太秦天神川着。綺麗に整備された駅前広場から嵐電に乗り換え、趣のある住宅群をかすめてコトコト走る。やはりこちらの方が俄然面白い。嵐電嵯峨で降りてJR嵯峨嵐山駅に向かうと、瀟洒な旧駅舎が消え果てている。何てことだ。

 11時20分発の快速に乗車、再び嵯峨野線の客となる。保津峡を新幹線のような直線ルートで一息に走り抜けると、亀岡に着いて席が空く。千代川で特急、八木で快速と2駅続けて対向列車待ちがあって11時53分園部着。普通列車の福知山行は10分の接続で、その間に特急「きのさき」1号が先行する。「きのさき」は国鉄カラーの183系、折り返し京都行は湘南カラーの113系であるのに対し、最もローカルな福知山行は223系で一番待遇が良い。一番混んでいたのも福知山行で、補助席に腰を下ろす。

 福知山行はワンマン運転のはずだが年配の車掌が乗務していて、園部を出ると検札が始まる。僕の乗車券を見るや、「珍しい切符だねえ」と唸る。今回は普通乗車券を買っているが、大阪界隈の経路が乗りつぶしルートの関係上随分入り組んでいる。旅客営業規則の解釈問題も絡んだのかどうなのか、マルスで発券できず手書きなのである(いきさつはブログを参照)。「ほお、人吉まで」とこちらが恥ずかしくなるくらい感心して頂く。

 途中日吉で、上り列車を2本やり過ごす。停車時間は7分、しかも2本目が遅れてやって来た。さして本数が多い区間ではないのだが、上下とも園部で緩急接続を取るパターンなので、どうしても立て続けの行き違いを強いられる。仕方が無い面もあるが、乗客の過半数は次の鍼灸大学前までの利用だったのだから気の毒だ。

 13時03分、綾部着。すぐに東舞鶴行がやって来る。沿道に「まもなく日本海」と看板が建っている。13時26分西舞鶴で下車、北近畿タンゴ鉄道宮津線が今日2本目の未乗線区である。1両きりのディーゼルカーだが、車内はオール転換クロスシートの豪華仕様。しかも、そこそこの乗りなのに一番前が空いている。思う存分前面展望が楽しめそうだ。

 西舞鶴を出ると、暫くJRと併走する。あちらは電化線路だから、タンゴ鉄道の侘しさが際立つ。車庫に留め置かれた看板特急車両に、企業広告がでかでかと貼ってある。なりふり構わぬいでたちだが、この姿で京都まで乗り入れできるのだろうか。
宮津線
 田園風景の中を走ることしばし、やがて左手に川が寄り添う。これが由良川で、鉄道ファン、ことに撮り鉄には広く名の知られた川である。なるほど、さしたる大河ではないはずなのに水量は豊かだ。東雲駅が近づくと対岸に巨大な採石場が現れる。その先には早くも、鉄橋が見え始めた。茫漠とした景色の中を真一文字に貫くその様は、中々画になっている。

 逸る気を鎮めるかの如く、列車は丹後神崎に停車する。乗降の無いまま出発すると、ゆっくりと左へカーブを切って水上へと躍り出た。河口に至って、由良川はその幅をさらに増している。下流には人の手の入らない砂嘴と日本海、上流には家並が見えるが規模は小さく、両岸を繋ぐ道路橋すら無い。雨はどうにか止んだが、空はどんよりと暗い。寂しい土地である。

 13時49分、丹後由良で下車。日本家屋や酒蔵が雰囲気を醸し出す集落を抜けて川岸に立ち、上下列車を撮影。引き返して14時57分発快速「タンゴ浪漫」天橋立行に乗る。観光客を意識して、快速でありながら特急車両を使う乗り得列車である。もっとも平日の午後だから乗客はまばらで、車両にも経年が感じられた。若狭湾を見下ろす高台で律儀に観光停車し、人里へ降りると栗田を通過する。中途半端な地点だが、ここから先は乗った事がある。

 15時10分宮津着。1分接続の特急「文殊」2号に乗り換える。1往復しかない大阪直行の特急で、車両は古いがさすがJR、車内はそれなりに整備されている。検札にやって来た車掌はタンゴ鉄道社員で、手書き乗車券を前に暫しフリーズした。

 朝からハードなスケジュールで、「文殊」車内ではさすがに爆睡。この特急の終点はホテルのある新大阪だが、一旦尼崎で降りなくてはならない。どうにか起きだして、JR東西線快速同志社前行に乗り移る。17時を過ぎたが、立客はパラパラと目に付く程度。大阪のラッシュはこんなもんかと思っていると、京橋でどっと乗って通勤電車らしくなった。次の放出(はなてん)で下車する。

 本日最後の未乗線区は、JR西日本おおさか東線である。3月に乗り損ねて、結局と言うか案の定と言うか近畿地方最後の1線になってしまった。207系快速から乗り移ってみれば、なんと103系、しかも低運転台である。関西ではこれが当たり前だから驚くべきではないけれど、やっぱり驚く。

おおさか東線 わずか1分の接続で17時41分放出発。今日は丹後由良での途中下車を別にすれば、天神川から先の乗り継ぎは全て10分以内で実に素晴らしい。が、1枚だけブラインドが開いた先頭部には鉄風味なサラリーマンの2人連れが既に陣取っていて、前は見えない。

 電車は真新しい高架線を行くが、なぜか速度は一向に上がらない。次の高井田中央では降車とともにまとまった乗客があった。なるほど、地下鉄沿線から大和路線方面に帰るのならば、天王寺で人込みに揉まれるよりこちらの方が楽かもしれない。沿線には軒の低い家々がずっと連なるが、近鉄との接続駅に近づくとにわかに新しいマンションが建ち並ぶ。

 百済貨物駅・天王寺方面への貨物線を分岐し新加美を過ぎると、右手から大和路線の線路が現れた。終始一貫して生気の無い走り方をした103系は、ゆっくりと地上に降りると久宝寺駅のホームに滑り込んだ。17時56分着。向かい側から大和路線の201系が満員の乗客を乗せてすぐに発車していく。放出と共に接続は絶妙で、京橋−奈良方面を短絡するおおさか東線の面目躍如だが、全区間通しの客は少なかったように思われた。

 空にわずかな明かりが残る中、駅前に降り立つ。つい最近整備されたと思われる広場の風景から町の表情を読み取る事は、難しいようだった。


*今回の乗車路線*

会社名
路線名
区間
距離
1
西日本旅客鉄道
おおさか東線
全線
9.2km
2
京都市交通局
東西線
二条−太秦天神川
2.4km
3
北近畿タンゴ鉄道
宮津線
西舞鶴−栗田
20.2km

−  2008.9.26夜現在  未乗線区数 5本  残存距離 72.4km  −

(つづく)

2008.10.12
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