天空列車の行先は  〜パックツアーでチベット瞥見〜 


▼ 第1部 標高2,275mの高みへ(まだ序の口) 

 気がついたら、前回の海外旅行から3年が経とうとしていた。

 別に定期的に出かける必要なんて無いのだから、3年開こうが5年開こうがどうでもいいはずなのだが、旅行好きを標榜している以上、やはり落ち着かなくなってきた。今年の夏休みは、パスポートを取り直してどこかへ行こうかと思う。台湾、モンゴル、マレーシア、トルコ、ハンガリー、ベルギー、フランス、アイルランド…候補地は色々あり、甲乙つけ難い。

 あれこれ悩み始めた頃、シベリアに一緒に行ったひさめ氏が、海外に行きたいと言い出した。早速メールを打ってみる。

「旬なのは青蔵鉄道ではないか」

 むむ、そうきたか。確かに魅力的ではある。が、高山病がどうにも心配だ。

「いやいや、チャイナに行っチャイナという感じですよ。」(※間違っても僕の発言ではない。)

 えっと、こちとら喘息持ちなんですが。

「とりあえずパスポートの申請はしました。」

 …そうか、よし分かった。チベットに行こうじゃないか。かくして賽は投げられてしまったのある。世界最高所を走る青蔵鉄道(青蔵鉄路/青海チベット鉄道)、中国最奥地の(武力侵攻による占領状態だが)チベット。果たしてどんな光景が待っているのだろうか。

 ちなみに今回は、日本人添乗員が全行程で付くパックツアーを利用している。思い返せば、自由行動の無いツアーに参加するのは11年前の台湾一周以来だ。基本的に(と言うか、骨の髄まで)団体行動が苦手な2人だが、今も外国人の行動が制限され、列車の切符入手も困難、現地の交通手段も良く分からないというチベットではツアーに頼る他はなかった。さて、どうなることやら。

***

 という訳で、2007年9月19日(水)、横浜駅9時30分発の「成田エクスプレス」15号に乗車する。前回海外に行った時は実家住まいだった。あの頃は日暮里からスカイライナーというのが定番だったが、横浜からでは日暮里経由はどうにも遠回りだ。かと言って馬鹿高い癖にボックスシート(ではないケースもあるのだが、僕の席は4人掛けの、しかも通路側後ろ向きだった)のN'EXに乗るのはシャクである。その辺と快速「エアポート成田」の本数の少なさを勘案して、今回は船橋から京成特急に乗るつもりでいた。

 にもかかわらず結局N'EXになってしまったのは、ひとえに体調の悪さに尽きる。8月に発症した帯状疱疹は、ひと夏丸々フイにしてもまだ尾を引き、あちこちの医者を訪ね歩いてようやく峠を越えたと思ったら、17日の夜にはひどい吐き気を伴う風邪をひいた。慌てて職場の近所で薬をもらって落ち着いたが、昨夜は同僚の送別会の後で残業をして、帰宅は日付をまたいだ。はっきり言って眠い。お金はもういいから、とにかく楽をして成田へ行きたい。こんな事で大丈夫なのか甚だ不安である。

 10時53分空港第2ビル着。集合時刻は11時50分なので、まだ1時間もある。出発ロビーのTVでは、「Yokoso! Japan」のVTRが繰り返し流れている。自信たっぷりに日本をPRするのは、先週突然その職を投げ出した総理大臣である。正直痛々しいが、後継は決まってないから(決まったようなものだが)画像を差し替えるわけにも行かない。

 成田の第2はアジア系のエアラインが多いターミナルだが、出発案内を見上げると、上海行が実に多い。こんなに飛ばして需要があるのかと思うほどだ。かく言う僕が乗るのもMU(中国東方航空)524便上海浦東(プートン)行である。目指すは青海省(チンハイション)の省都にして青蔵鉄道の起点、西寧(シーニン)だが、勿論直行便は無い。

 11時半頃になって、ふらりとひさめ氏が現れた。挨拶もそこそこに、「台風が心配なんだがね」ととんでもない事を言い出す。全く知らなかったのだが、上海方面に台風12号が接近しているらしい。そういえばJALの上海便は、場合によっては引き返すと恐るべき予告を流している。

 どうなる事かとやきもきして(しても意味が無いが)いるうちに集合時刻となる。現れたのは総勢17名。

 チベットという行先から想像される顔ぶれ、というのはどのようなものだろうか。

 (1) 団塊の世代前後の夫婦または女性連れ。…この人達は世界のどこへでも出没する。
 (2) ちょっと変わった行先を志向する新婚夫婦。…多分奥さんが秘境好きなんだろう。
 (3) 宗教関係者。…アヤシゲな新興宗教を含む。
 (4) 鉄道オタク。…つまり僕達。

 多分(3)と(4)は、旅行会社にとってありがたくない客だろうなあと思う。で、今回の17名であるが、一番若いのは添乗員さん、次が多分僕達、ちょっと年上の1人参加客が男女1人ずついて、あとはほぼ(1)に相当した。まあ概ね予想通りである。ただ、男性の1人参加者は(4)のような気もする。

 さて、受付がてら、早速添乗員さんにやってもらわねばならない事がある。予め受け取っていた出入国書類が酷い出来なのである。パスポートの番号が違っていたり、酷いのはひさめ氏の書類と入れ違っていたりする。営業所に電話すると、添乗員が取り替えます、との事であった。平身低頭で新しく書類を書き直す…のかと思っていたが、彼女は、あーはいはいこの書類ね、という感じで抹消線を引いて元の書類を手書き修正した。なんたるテキトーさか、と唖然としかかった僕をひさめ氏がなだめた。

「いや、このくらいじゃないと添乗員なんて務まらんでしょ。」

 確かに一理はあった。彼女の大物っぷりを、僕達は旅の最後に知る事となる。

 団体ツアーとは言っても、徹頭徹尾旗の後ろについて…という訳ではないらしく、三々五々と出国審査を抜け、第2ターミナルってこんなに華やかだったっけと首をかしげながら搭乗口へ向かう。周囲には電化製品の箱を抱えた中国人も随分いて、海外旅行の気分が高まってくる。目の前に止まっている機体は古臭いデザインに見えるが、これは飛行機に無知なせいであって、パーソナルTVを備えた新鋭機であると後に知った。出発時刻間際にぞろぞろお客さんが降りてきたので、こりゃあ遅れるぞと覚悟したのだが、スタッフの手際が随分良かったらしく、わずか15分の遅れで済んだのは天晴れである。14時05分成田発。

中国東方航空 当たり前だが飛行機は西へ西へと、つまり九州行と同じ経路を飛ぶ。雲が途切れると左に淡路島を見下ろし、瀬戸内海を見渡す。国内旅行と変わらない風景なのに、しっかりと機内食が出てくるのがなんだか可笑しい。

 長崎空港の上辺りを過ぎると、あとは海ばかり、しかも雲も出てくる。中国東方航空には日本のエアラインと違って音楽プログラムは無いらしく、する事がない。そうこうしているうちに、早くも高度が下がり始めた。

 やがて分厚い雲の下から、上海の町が姿を現す。家並が途切れると、海とも川ともつかない泥色の水路を渡る。大型船を幾つも見下ろしながら、飛行機は右へ左へとフラフラとカーブする。なんだか道に迷っているような飛び方である。上海は初訪問だが、立ち寄るだけなので何も下調べをしておらず、浦東空港と中心部の位置関係さえ掴めていない。

 それでも勿論空港が現れて、16時(日本時間17時)頃着陸。台風はどうなったのかと窓外に目を凝らすと、雨は降っているものの暴風雨と言う感じではなかった。手書き修正の入国書類は係員に見向きもされず、無事中国本土に初上陸である。

 成田からわずか3時間、上海は予想以上に近かった。が、大変なのはここからで、西寧までは国内線で4時間もかかる。中国は広い。

 現地係員の案内で国内線出発ロビーに向かう。途中で「磁浮列車」と書かれたリニアモーターカーの案内を見つけておおっと思うが、素通りする他無い。ロビーの雑踏ぶりは中国を感じさせない事も無いが、空港建築なんてどの国でも大差は無いから、中国、ましてや上海にやって来たという実感は薄い。パリ・ドゴール空港のような意匠の搭乗口で出発を待つ。

 MU2154便西寧行は直行ではなく、西安経由である。ツアーだから悪い便しか取れなかったのかと初めは思っていたのだが、調べてみるとそもそも直行便が無かった。その程度にマイナーな街らしい。かく言う僕だって、青蔵鉄道開通までは名前すら聞いた事がなかった。

 1列6席の小ぶりな飛行機の、最後尾に陣取って18時過ぎに浦東発。飲み物が配り終えられた辺りから、台風の影響かガタガタと揺れ始める。落ち着いた所で機内食が配られ、存外に美味なパスタをすばやく書き込むとまた揺れて、収まった途端トレー回収、またまた揺れ始める。どうにも忙しい。最近の飛行機は皆そうなのかこの会社だけなのかは分からないが、ベルト着用サインは常に点灯しているので、今が危険な状態なのかどうか今ひとつ判然としない。

 いい加減着陸してくれないかな、と揺れにくたびれてきた頃、眼下に大都市が広がった。さては西安か、と思ったが飛行機はそのまま素通りする。あれは別の街だったのかと首をひねり始めた頃、何も見えない暗闇の中に飛行機は着陸した。20時45分西安着。

 ここではなぜか、一旦全員降ろされる。西安までの人と西寧までの人の流れが交じり合って、ちょっとした混乱状態である。搭乗券(そう言えば中国の搭乗券は、なぜか大きい方の券片が手元に残る)と引き換えに「TRANSIT BOARDING PASS」なるチケットが手渡されて、薄暗く狭い待合室で待つことしばし。隅っこで中国人がトランプに興じている。よほど好きなのか、この国の人達は暇さえあるとトランプをしている。

 やがて搭乗案内があり、TRANSITパスと搭乗券をもう1度交換して機内へ戻る。脇には西安から乗り込む中国人の行列が出来ていて、先に乗り込む僕達を恨めしげに見ているが、そんな目で見られても困る。

 機内に入りさて自分の席は、と搭乗券を見返すと、手渡されたのは僕のチケットではなかった。他の客も同様で、隣近所と搭乗券の交換会が始まる。ようやく元の座席に落ち着くと、今度は前方がやけに騒がしい。なんだなんだと思っていると、客室乗務員がやって来て、"Can you speak English?"と訊ねて回っている。

 悲しいかな、"Yes!"と答えたツアー客は1人もいなかった。

 結局添乗員さんが応対した所によれば、なんと搭乗客数とチケットの枚数が合わず、数え直すので一度全員荷物を持って降りろ、との事らしい。なんじゃそりゃ、と呆れつつ席を立つと、今度は戻れ戻れと言われる。そんなドタバタがあって21時40分西安発。先程よりは平穏なフライトだったが、西寧に着いた時には定刻より30分も遅れていて、23時を回っていた。

 西寧空港の到着ロビーは、既に灯を落として真っ暗だった。あるいは元からこの程度の明るさなのかもしれない。企業広告の明かりばかりが白く輝いている。漢字に混じって見慣れぬ横文字が使われており、やって来たなと思う。西寧はチベット自治区ではなく青海省に属するが、既にチベット文化圏に入っている。

 「ゆっくり歩いて下さい」と添乗員さんに言われながらバスに向かう。西寧の標高は2,275m、谷川岳の頂上(1,963m)より高いのである。バスは中型の新車で、サイドミラーが上から触覚のように垂れ下がっている。このデザイン、中国では流行りのようでこの後幾度も見かけた。

 バスが動きだすと「改めまして…」と添乗員さんの挨拶が始まる。開口一番、「日ごろ○○新聞をご購読頂きありがとうございます」と言ったのはマスコミ系の旅行社ならではだが、残念、僕もひさめ氏もこの新聞の読者ではない。西寧から合流した現地ガイドWさんが高山病の薬をPRしたりしているうちにホテル着。深夜で夕食が出ないからと、バナナやらソーセージやらが手渡されたのは喜ばしいが、既に機内食で満腹である。予想外にしっかりとした綺麗なホテルで驚いたのだが、「ツアーならこの位だね」と中国慣れしたひさめ氏は冷淡にスルーした。

***

 9月20日(木)、西寧の空は綺麗に晴れ渡っている。昨日は真っ暗だった窓の外、目の前の岩山には近未来的なデザインの展望タワーが建設中である。中心街と思しき方向には高層ビルが叢生している。中国にやって来た実感が、ようやく湧いてきた。

 青蔵鉄道の西寧発時刻は、夜間に偏っている。ラサまでの所要は丸1日だが、眺望の良い区間を昼間に通過させるための措置らしい。とりあえず日が暮れるまでは、西寧界隈の観光をする算段となっている。
タール寺
 ホテルを出たバスは、すぐに高速道路へ入る。沿道には初めこそ真新しい、または建設中の高層マンションが並ぶが、すぐに軒の低い土色の家々に取って代わられた。右手に荒涼とした岩山が迫る。どこにでもあるようで、でも日本とは微妙にズレた農村風景がしばらく続く。

 一般道に下りてしばらく走ると、湟中(ファンジョン)という街に入る。白い家々が綺麗に並ぶ田舎町で、立派な中学校がある。中心部のどん詰まりにあるのが中国最大のチベット仏教寺院とも称される、タール寺(ターアルスー/クンプム)である。一山丸ごとお寺になっている感があり、階段状に並ぶ僧坊は壮観である。

 谷筋に沿って境内を登り、幾つかの堂宇に入ってはWさんの詳細な説明にふんふんと頷く。確か2つ目のお堂だったと思うが、建物内に強烈な匂いが漂っていた。どうもバターの匂いらしい。チベットではバター茶なる飲み物がポピュラーだし、蝋燭もバター製、彫刻だってバターで作ってしまうのである。

 タール寺は西寧界隈随一の観光地であるが、それ以上に信仰の場である。赤紫の法衣をまとった僧侶がわんさか居るし、信者は黙々とマニ車を回し、五体投地を繰り返す。経典の入った筒を回すだけのマニ車はともかく、全身を床に投げ出しては立ち上がる過酷な五体投地を小さな子供までもが一心不乱に繰り返している姿には、感動すら覚える。そんな風景を白人観光客が熱心にカメラに収めている。撮影禁止と英語でも書いてあるのだが…。

 たっぷり時間をかけて参拝を終え、向かいのホテルで昼食。食べきれないほどの中華料理である。一番好評だったのは甘いスイカだった。勿論ビールも出るが、この先高山病が心配だからスプライトで我慢する。ひさめ氏は元から飲めない人である。ハタから見れば、なんと付き合いの悪い2人組であろうかと思う。が、上には上?がおり、一人旅の男性ことNさんの様子がぱっとしない。料理にもあまり手をつけず、「大丈夫?」と周りが声をかけても反応が薄い。

 帰路のバスは、湟中市街で友宜商店(免税店)に立ち寄った。旅行社側が連れて行ったのではなく、「お土産を買いたい」というツアー客がいたための寄り道である。このツアー、全般に免税店・土産物店に立ち寄る機会が少なく、買い物に興味の無い僕としてはありがたかった。青蔵鉄道に関する本もあったが、どちらかと言えば地勢紹介的な内容のようで、鉄道旅行を前面に打ち出した本は見つからなかった。このお店ではなかったと思うが、表紙の写真がTGVになっている本さえあった。その程度の認識らしい。

 再び高速道路に乗り、西寧市内へ戻る。大阪ばりに秒数表示がされる信号機に引っかかりながら中心部を走ると、ある一角から雰囲気がガラリと変わる。白い帽子をかぶり、ひげを蓄えたオッサンがやたらと増えるのである。この街はチベット文化圏であると同時に、イスラム教の影響も受けている。「中国」と「イスラム」のイメージ自体が噛みあわないのだが、そこかしこの看板に「清真」というイスラムを現す文字が見える。

青海省博物館 バスは東関清真大寺(トングアンチンジェンダースー)、早い話がモスクの前で止まった。建物自体は近代的で観光客向けの案内板もなく、本当に信徒向けの施設である。入って良いものかどうか微妙だが、難解そうな書物と格闘する学生達を物珍しげに眺めても、彼らは嫌な顔一つしない。中高年の信者は何をするでもなくその場にたむろうばかりだが、一人残らず男性である。お手洗いも、入口の構えからして男女で随分違った。

 再びバスに乗り、青海省博物館へ。建物も目の前の広場もやたらと大きく、いかにも中国的である。入口には「服飾」の文字が掲げられ、衣料の変遷でも展示しているのかと思ったが、どうも様子が違う。バーゲンセールのような賑やかさである。博物館であると同時に、催事場としての役割も果たしているようだ。

 買物客で雑踏するエントランスに、白い半身像が鎮座している。Wさんの説明によれば、この博物館はトヨタ系企業の「小島先生」が建てたものらしい。「青海省で小島先生の名を知らない人はいません」と断言されるほどこの地の教育向上に貢献したらしいが、僕達の中で「小島先生」の名を知っている人は皆無だった。色々な方が居るものである。(小島プレス工業の小島鐐次郎会長との由)

 それにしても活気のある町で、どこもかしこも人と車が溢れている。西寧の人口は約180万人、中国としては格別の大都市ではない。が、標高2,000mを越えているとなれば話は別である。谷川岳より高い所に、100万都市があるのだ。人間ってどこにでも住めるんだな、と感嘆するより他に無い

 夕食まではまだ間があり、市場で降ろされて自由行動となる。信号の無い大通りを一団になってヒヤヒヤしながら渡った所で一時解散。細い路地がずっと続いている。「どの辺りまで続いているんですか?」という質問が当然ツアー客から出る。

「この市場は初めてなので…」と添乗員さん。嗚呼、今考えればこの発言が伏線だったのである。

气象巷市場 いかにも市民の台所といった風情の市場や、その周囲をウロウロ。「東京銀座」という名の美容院を発見する。界隈では割と綺麗な構えのスーパーで、ツアー客が飲料水を買い込んでいる。高山病を防ぐには、一にも二にも水分補給である。棚に並んだ菓子類の袋が、パンパンに膨らんでいる。

 夕食は昼に続いてホテルのレストラン(泊まったホテルとは別)。なぜかセリーヌ・ディオンのタイタニックのテーマが流れる中、円卓を囲む。ジャンルは昼食と良く似ているが、もう少し洗練された味に思えたのは、西寧が大都市ゆえなのか固定観念なのか。ただしスープはキテレツな甘味で、先遣隊よろしく口にした僕が露骨な反応をしたものだから、ほとんど残ってしまった。

 ここで添乗員さんから何枚かコピーが配られる。一つは某新聞の青蔵鉄道乗車ルポで、ここで気分を盛り上げようとの魂胆らしい。が、「旅客たちはやがて頭痛や息切れなど高山病に苦しみ始めた」なんて記述を今ここで読ませるのはちょっとどうなんだろう。あとは車窓の見所紹介資料。これは非常に詳細かつ的確で重宝した。

 さらに今夜のベットの抽選。僕達が乗るのは硬臥車(2等寝台)で、3段ベットである。当然「アタリ」は下段で実は値段も違うのだが、ここは公平を期してアミダくじ。僕の所に紙が回ってきた時点で、空きは2つ。南無三と名を書いて、残り1枠をひさめ氏が埋めると結果発表である。割り当てられたのは「7上」。言うまでもなく上段であった。ひさめ氏はと問えば「8上」で、何のことは無い、どちらを選んでも上段であった。

 中国国内には時差が無いので、西に偏った青海省の日暮れは遅い。ようやく薄暗くなり始めた頃、僕達は西寧駅に向かった。これでもかっ、と言わんばかりの大きな駅舎で、駅名のネオンサインもこれまた馬鹿でかい。そんな駅だがエスカレーターは無いのでスーツケースを抱えて階段を上り、入口で荷物のX線検査を受ける。内部は薄暗く、各列車の時刻と待合室の割り振りを表示したLED式発車案内の文字のみ明るい。

 発車時刻が近づき改札を抜けると、向こうのホームに深緑色の客車が待っているのが見えた。入換用なのか、ディーゼル機関車が1台きり、灯りをともして構内に入ってくる。さすがに胸が高鳴ってきた。

西寧駅 青蔵鉄道の客車は、色合いこそ中国国鉄の標準色だが、飛行機並みの与圧装置を装備した特別仕様である。床下がカバーで覆われ、固定窓が並ぶ外観は、他の客車と比べてちょっと異様である。開通からまだ1年、車内もさすがに真新しさを残している。奥のホームには硬座車(2等座席)と思われる客車が止まっていて、お客さんが通路にまで立っている。あれが中国の鉄道の本来の姿なのだろう。ホームが暗いので、あちらさんの行先は読み取れない。

 わが硬臥車は3段ベットが枕木方向に向き合っていて、つまり6人部屋のような格好になっている。同室は全員ツアー客の男性である。定員の割に荷物スペースは少なく、それはこっちのベットの下、いやいや向かいのベットの方がいい、すみませーん、それ天井裏に押し込むので手伝ってくださーいなどと大騒動を繰り広げ、結局余裕が出来たので隣の部屋のスーツケースを引き受けたりする。

 ようやく落ち着けば、発車時刻まであと少し。昼間元気のなかったNさんが、「男ばかりで華が無いですが(笑)、宜しくお願いします!」と陽気に音頭を取った。あ、やっぱりこの人、鉄だった。

 定刻20時28分を少し回った頃、西寧始発ラサ(拉薩)行N917次はゆっくりと動き始めた。これからさらなる高地に向かうと言うのに、あちらこちらで缶ビールが開けられた。

(つづく)

2007.12.23
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