完乗へのファイナルラン 


−  2008.9.27朝現在  未乗線区数 5本  残存距離 72.4km  −

▼ 第7回 九州地方(2008.9.27-28)

  近畿地方完乗の翌日、9月27日(土)、新大阪7時59分発の「こだま」639号に乗る。11月末の引退が確定している0系である。2+2シートに改良された客室に昔日の面影は乏しかったけれども、のんびりとした加減速や各駅での長時間の通過待ち合わせは、和歌山への帰省で小田原から新大阪まで幾度も乗った、子供の頃を思い出させてくれた。

 岡山辺りまでは名残乗車組がずいぶん居たけれど、さすがに全区間乗り通すファンは少なかったように思えた。博多までの所要時間は5時間10分。「のぞみ」の東京・博多間より時間がかかった(と今知って改めて驚いた)。

***

 13時09分博多着。13時30分発の特急「リレーつばめ」47号に乗り換える。787系も随分乗り慣れてきて、車体の痛みも気にかかるようになってきたが、前回乗った事を覚えていないらしいひさめ氏はやたらと感心している。まだまだ、JR九州看板特急の座は揺るがないようである。韓国語・中国語の車内放送を聞き流すうちに、列車はどんどんスピードを上げていく。体感的には0系「こだま」より速い。

 地理的に遠い九州は、どうしても足が向きづらい。僕が47都道府県で最後に足を踏み入れたのは沖縄で、その前は大分であった。長らく残存距離では他の地方を圧倒していたが、昨年3度にわたって乗りつぶしに励み、どうにか熊本県内を残すのみに辿り着いた。いよいよ大詰めである。

熊本電鉄  14時47分、上熊本で下車。九州新幹線工事の関係で駅舎はプレハブだが、存外立派で当分使えそうな感じがする。一方で、これから乗る熊本電気鉄道菊池線の駅舎は、これでもかと言わんばかりに幅の広い駅前通りに薄っぺらくへばりついている。改札口は無く、足早にホームに入ると単行電車が停まっている。名車・東急電鉄5000系(初代)の譲受車で、東急時代の緑一色に復元されている。

 だが何と言う荒れようだろう。塗装は所々剥げ、窓ガラスは汚れきっている。グレーに塗られた無骨な車内も、どこか薄暗い。動態保存の範疇さえ超えているような惨状だが、ここは観光鉄道ではない。

 どこに居たのか運転士が乗り込んできて、ごろごろごろっとドアが閉まって14時50分発。九州の日差しは夏をも思い出させる強さだが、勿論冷房は無い。文字通りガタピシいいながら、こまめに停車してわずかなお客さんを拾っていく。わずか9分で北熊本着。ここで藤崎宮前からやって来る電車に乗り換える。レトロな駅舎を前に上下2本と上熊本折り返し電車が揃い、ようやく賑やかな雰囲気が漂う。

 今度の電車は旧都営地下鉄6000系で、東急5000系から乗り移ってきた身にはピカピカの新車に思える。中高生の部活帰りにぶつかったらしく、座席は殆ど埋まっている。周辺は住宅街、運転は30分ヘッドで都市鉄道として機能しているように見えるが、あれよあれよと降りてしまい気づいたらガラガラである。電車は国道に寄り添い、農業研究センターや国立病院といった公共施設群をかすめて15時41分御代志着。

 御代志はホーム1面きりで駅舎も何も無い殺風景な駅であった。かつては菊池まで線路が延びていたのだから終着駅の雰囲気に乏しいのは止むを得ないが、それにしても何も無さ過ぎる。目の前はだだっ広いバスターミナルだが完全に無人で、脇のコンビニは潰れている。なぜここが終点になったのか首を傾げたくなるが、地図を見ると合志市役所西合志庁舎なるものが近所にある。合併前は中心市街地だったのだろう。廃線跡は草木に覆われつつあったが、しっかり残っていた。

 帰りの電車は危うく僕と同行のひさめ氏の2人だけになる所だったが、どうにか男性客が1人現れる。路線図を見上げると、上熊本・御代志、そしてこれから目指すターミナル駅・藤崎宮前さえも無人駅扱いとなっている。集札を行うのは北熊本だけだ。頼みの綱はLRT化による熊本市電直通計画だが、あろう事か車内には会社再建に伴う構想棚上げ、というとんでもない告知が貼ってある。久し振りにやばい鉄道を見つけてしまったなあ、という思いがする。

 北熊本まで戻ると、電車はそのまま藤崎線に乗り入れる。黒髪町を出ると有名な併用区間に出るが、距離はごくわずかで、間違って道路に飛び出しちゃったので慌てて引っ込んだ感がある。16時07分藤崎宮前着。2編成が停まれる構造だが線路は1本きりで、空いている方の路盤は駐車スペースと化している。立派な駅ビルを備えているが、メインテナントはパチンコ店。駅前からホームへのコンコースは従業員通路のようでまるで目立たない。

 繁華街の北端らしい藤崎宮前駅は他線と接続しておらず歩くほか無いが、商店街に足を踏み入れた途端にひさめ氏が目ざとくラーメン店を発見する。熊本ラーメンの元祖らしいこのお店は大層美味しく、駅の不便な立地に感謝したくなるほどであった。行くほどに人通りが増え、アーケードの屋根にドトールコーヒーの呼び込みのお姉ちゃんの声が響く頃、前方の大通りに路面電車が見えた。

 通町筋電停から市電(熊本市交通局幹線・水前寺線・健軍線)の健軍町行に乗車。沿道の建物が徐々に低くなり、味噌天神前を発車するとこの先が未乗となる。豊肥本線をくぐり、どんどん郊外に向かっているが車内は満員である。同じ熊本でも、熊本電鉄とはだいぶ様子が違う。

 中心部から20分以上走って健軍町終着。交差点脇に学生服店が2軒並んでいて、奥へとアーケードが延びている。人通りも多く中々に活気がある。長崎市電の浦上のように、郊外の商業集積地として栄えているのだろう。

 ひさめ氏が乗った記憶が定かではないと言うので、復路は上熊本駅行きに乗る。辛島町で幹線から分岐して暫し、突然ひさめ氏が「ここ、乗った事あるね」と言い出す。確実に既乗のはずの僕の方が、沿線風景をさっぱり思い出せない。辛島町まで引き返し、田崎橋行電車で熊本駅前を過ぎると路面電車最後の未乗区間、田崎線であ る。再開発中なのか360度ぐるりと空地の田崎橋電停に降り立ち、熊本駅前のホテルに投宿。

*** 

 9月28日(日)。今回の乗りつぶし旅行も残るは2本となった。1本はJR最後の1線、もう1本は九州最後の1線となる。

 新幹線乗り入れ工事で雑然とした熊本駅の、最も西側の5番線に立つ。鹿児島寄りからステンレス車のキハ31が単行で滑り込んできた。程よく座席が埋まって、8時59分熊本発。新幹線の高架橋を左に見つつ鹿児島本線を疾走し、2つ目の宇土を出るとJR三角線に入る。

 完乗は三角線で、と最初から決めていたわけではない。JRにせよ日本全線にせよ、自然に落着すべき所に落着すると思ってきた。ただし一応の規定はあって、

 ・完乗達成駅は未訪駅である事。
 ・終端駅とする事。他線との接続駅も不可。
 ・あとで廃止になったり、延長されたり、経営主体が変わったりしない事。

というつもりはしてきた。JRに関して言えば、今年初めの時点でこの条件に当てはまるのは男鹿(男鹿線)・九頭竜湖(越美北線)・三角(三角線)の3駅である。男鹿線が消えて2択となった2月の時点で、三角線がラストとなる事は固まったと言ってよい。正直面白いのは越美北線だろうが、抱き合わせのアルペンルートには室堂の雪が溶ける前に訪れたかったのである。

 さて、宇土を出た単行のディーゼルカーは、きりきりと右カーブを切って鹿児島本線に別れを告げる。すぐに三角への国道が寄り添い、住宅街の中を淡々と進む。なんだか近所の相模線のような平凡な眺めである。やがて右手には有明海が現れ、しかしすぐに眺望は遮られてしまう。全線徹底して海べりを走るものだと思っていたのだが、そうではないらしい。

三角駅  やがて列車は急坂を登り始める。有明海が少しずつ見渡せるようになってきたが、やがて車窓を木々が覆う。鬱蒼とした森の中から、赤瀬駅のホームが姿を現す。まるで秘境駅である。トンネルを抜けた先が、石打ダム駅。まさか細長い宇土半島に、ダムがあるとは思わなかった。もっとも、車内からは影も形も見えはしない。

 ゆるやかに坂を下れば、波多浦という駅に着く。ようやく海沿いに戻ってきた事を告げるかのような駅名だが、久し振りの水面は左窓に現れた。半島の反対側まで峠越えをしてしまったものらしい。30kmもない短い線なのに、随分目まぐるしい走り方をしている。

 いつの間にか辺りは市街地となって、スーパーマーケットも現れる。列車は踏切をゆっくりと渡って、1面1線の終着駅に静かに滑り込んだ。9時47分三角着。

 三角の駅舎はどうしてなかなかの風格で、待合室は広く天井も高い。外観は時計台を備えた瀟洒な洋館風…なのだが、外に出てみるとなぜか駅に接して鉄製の展望台が備え付けられており、駅前広場からではその全貌を確かめる事はできない。駅前通りをまたぐと三角港で、珍妙な三角錐型のターミナルビルが鎮座している。天草・島原への交通は道路橋や熊本港にあらかた奪われてしまったようだが、今でも港町の風情は感じられる。この駅が最後で、良かったと思った。

 とどめとばかり、駅前で写真を1枚。普段は鉄道ばかりで自分の写真を撮らないので、シャッターを押したひさめ氏が不思議な顔をしている。ここでおもむろに「実は終わりました」と告げるのが今回の楽しみだったのである。

 10時02分発の折り返しで三角を後にする。「感慨は深いかね」とひさめ氏が尋ねてくるが実はそれ程ではない。まだ今日の乗りつぶしは終了していない、というせいもあるだろう。10時38分宇土着。鹿児島本線に乗り換えて11時08分八代着。鹿児島を目指すひさめ氏とはここでお別れである。

 次に乗るのは11時56分発の「九州横断特急」1号である。別府〜熊本と熊本〜人吉を結ぶ優等列車を無理に繋げたルートを走るが、はたして熊本を跨ぐ利用はあるのかと思う。しかも、案内放送は6分遅れを告げている。熊本始発ならば、次の停車駅である八代に遅れてやって来る可能性は無いだろうに。

 たかが6分されど6分、人吉での接続は8分しかない。予定列車に乗り損なうと、鹿児島空港へのバスに間に合わず横浜に帰れなくなる。この列車、壮大な名前の割にはJR特急唯一のワンマン運転だが、2両編成なのに車販が2人も乗っていて検札を行っている。接続待ちの有無を尋ねると「少々お待ち頂けますか」と引っ込んだ後、「定時に着きそうですので大丈夫です」との答え。遅れても待ってくれるのか、という問いかけとは噛み合っていないが、予告通り人吉には定刻12時57分に到着した。

 九州の完乗路線は、ここ人吉から分岐するくま川鉄道湯前線である。他の未乗路線から離れた場所に随分前から孤立しており、いかにも乗り残しそうな区間だったが案の定そうなった。細い跨線橋を渡ると、1両のレールバスが男子高校生を何人も乗せて発車を待っている。運転頻度は1時間強に1本と言った程度で、もはや観光路線に特化してしまった感のある肥薩線に比べると随分頑張っている。

 13時05分人吉発。JR線とぴったり並行して市街地を進み、次の相良藩願成寺で高校生がさらに乗車する。JR線が草むらの向こうに消え、球磨川を渡って肥後西村に着くと、またしても大量の制服姿。日曜日だと言うのに大層な賑わいだ。都合3校の生徒が混乗しているが、中学までは一緒だったのか学校の垣根などまるで無く仲が宜しい。
湯前線
 列車は田園風景の中をただひたすら淡々と走る。窓の向こうには田んぼと山並みが広がるばかり。その間に流れているはずの球磨川の水面は、望む事ができない。町らしい町は免田くらいだが、どの駅でも高校生が少しずつ降りていく。まとまった降車があったのは多良木で、終点まであと3駅。

 湯前着は13時47分。結局、全行程40分車窓は殆ど変化しなかった。平和な線である。年季の入った木造駅舎を出て辺りを巡ると、まんが美術館なる施設や真新しい公共施設が整備されていて、駅を町の顔として大切にしている姿勢がうかがわれた。

 これで残りは、あと1線。次にいつ来るか分からない九州に幾ばくかの未練を残して、僕は帰宅の途についた。


*今回の乗車路線*

会社名
路線名
区間
距離
1
九州旅客鉄道
三角線
全線
25.6km
2
熊本電気鉄道
菊池線
全線
10.8km
3
藤崎線
全線
2.3km
4
くま川鉄道
湯前線
全線
24.8km
参考
熊本市交通局
水前寺線
味噌天神前−水前寺公園
(1.1km)
参考
健軍線
全線
(3.3km)
参考 田崎線
全線
(0.6km)

−  2008.9.28夜現在  未乗線区数 1本  残存距離 8.9km  −

(つづく)

2008.11.30
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