中国・近畿テツ の旅


▼第2部 観光なん かしてる場合じゃない

 平原綾香のライヴチケットが、当った。

 ちゃんとお金を払っているのだから「当った」という言い方はおかしいのだが、ともあれ品川・横浜と立て続けに抽選漏れしたライヴツアーのチ ケットが入手できたのである。会場は奈良。今回取れなかったら福岡公演を狙うつもりだったから、決して遠くはない(いや、遠いけど)。

 この際だから関西地区の乗りつぶしを兼ねてしまおうと思う。2005年4月15日(金)、鳥取行きからひと月も経っていないのに僕はまた西へ 向かった。

***

 11時20分、京都着。東海道新幹線で旅立つ時は朝イチの「ひかり」361号に乗るのが常なのだが、今日は2時間後の365号に乗ってきた。 一日中乗りつぶしに駆け回って、肝心のライヴにたどり着く頃にへたばってしまっては意味がない。今日は余裕ある行程を心がけようと思う。だからと言って、 ここで奈良線か近鉄に乗り換えてまっすぐ奈良を目指しはしないのだが。

 いつもより少しだけ観光気分なので、真っ先に目指すのは嵯峨野観光鉄道である。嵯峨野線(山陰本線)に乗り換えればいいのだが、なぜか真逆の 八条東口を出て地下鉄に乗る。東西線の未乗区間のうち、烏丸御池−二条間に乗っておこうと思ったのである。この辺激しく馬脚を現しているがやむを得な い。 二条以西への延伸は存外間近らしく、サイン類は既に新しいものに取り替えられてカバーがしてある。わざわざ寄り道したのに、近々乗り直すことになりそう だ。

 JR二条駅の高架ホームで、風に吹かれながらマスクをつけたり外したり。結局ウザイので外すことにする。今年の花粉症、強いのか弱いのかどう もよく分からない。

 12時01分発の普通亀岡行は、湘南カラーの113系でやって来た。しばらくは立派な高架線路が続く。見渡す限りびっしり建て込んでいて、駅 間距離も短い。113系より201系辺りを走らせた方が似合いそうな車窓である。花園では「餃子の王将」など俗っぽい看板が目に付くが、その向こうお寺さ んの佇まいはやはり京都だ。映画村の裏手、嵯峨野、保津峡と車窓が七変化して12時20分馬堀着。駅前広場から見えるのは、コンビニがあってマンションが ある、平々凡々とした都市近郊の光景である。

 今更な説明だが、嵯峨野観光鉄道は山陰本線嵯峨(現・嵯峨嵐山)−馬堀の新線付け替え後、旧線を転用したトロッコ鉄道である。始発駅(終着 駅、と言った方が正確か)のトロッコ亀岡駅は新旧両線の合流地点にあり、馬堀駅から線路沿いに少々戻らなくてはならない。ガードをくぐって駅裏へ出ると、 こちら側は田んぼと保津川以外何もない。鳥のさえずりが辺りにこだまし、頭上をJRが轟と通過して雄大にカーブを切ってゆく。

嵯峨野観光鉄道 線路際にポツンと立てられたトロッコ駅舎で待つことしばし、下流側からガラス張りの客車が登ってきた。狭いホームがどっと観 光客で溢れかえるが、折り返しに乗る人はさほど多くない。トロッコ列車は全席指定だが、地元の民鉄系代理店に行ったら「現地で買え」の一点張りだった。別 の代理店に行ったら出て来た切符は通路側で、団体のオバチャンで満員なのかと恐れおののいていたのだが、杞憂に終わった。「どこでもどうぞ」というアナウ ンスに従って川側のワンボックスを占める。

 12時56分、トロッコ亀岡発。ごとごとと固い感触を伝えながら動き始めたトロッコはすぐにトンネルに入る。ゴツゴツした素掘りのような壁面 で、こんな場所を最近まで特急列車が走っていたのかと驚く。行くほどに川幅は狭まり、春まだ浅い車窓の中、桜だけが山肌の中で際立っている。今年は開花が 遅くまだ残っているとのことで、運がいい。

 車掌の名調子に耳を傾けたり、保津峡下りの小舟を追い抜いたりするうちに、あっという間にトロッコ嵐山着。「観光にはこっちが便利ですよ。終 点は商店街ですよ」と車掌が繰り返すが、乗りつぶし派としてはもう1駅乗らねばなら ぬ。半分強の客を降ろした列車はすぐ新線に合流し、なんと下り線を逆走して終着駅を目指す。随分都市ダイヤ化したこの区間で、こんな奇妙な 走り方をしてはさぞかし邪魔だろう。ごとりとトロッコ嵯峨駅ホームへの分岐を渡る頃、本来の上り線路を快速電車が追いついてきた。

 13時22分トロッコ嵯峨着。駅構内には中国人団体が随分といた。先週来のデモ騒動でカチンときていたので殴ったろかと思ったが、もちろん 思っただけである。観光臭の全くない商店街を抜け、嵐電の踏切を渡ると川っぺりにでた。渡月橋がガイドブック通りの姿で架かり、ミーハーな土産物店がずら りと並ぶ。天龍寺は行った事があるし、大覚寺は遠いから寄らない。対岸の阪急嵐山駅を黙々と目指す。

 阪急の駅は嵐山の喧騒をよそにひっそりと裏手に建っていた。駅舎は大きいし観光客もいるのだが、どこかゆったりしてそれが阪急らしい。乗降分 離されたホームに入ると、両側には桜が咲き誇っている。13時53分嵐山発。途中どの駅も桜に取り囲まれており、阪急さくら線とでも名付けたくなるような 路線であった。

 桂で京都本線の電車を待っていると、先に河原町行が入ってきて「一番前と一番後ろの車両は携帯電話電源オフ車両です」と案内が流れる。車両毎 の住み分けは昔東急がやって失敗したが、「優先席付近」よりもこの方がすっきりしている気はする。それにしても近年色々な車両が増えたもので、この調子で 行くと障害もなく車椅子に乗らず冷 房に強くて携帯電話を使い若くてさりとて小学生以下でもない男性客が乗れる車両なんて、15両編成でも1両くらいしか無くなってしまうのか もしれない。

 特急梅田行は「3ドア」の表示が出ている。ロングシート車なら1本見送って6300系に乗ろう、と思っているとチョンマゲ(テツにはこれで通 じるだろう)がやって来た。新車である。これまでの阪急とは何かが違うが、しかしこの上品さはJRや関東私鉄と決定的にベツモノである。やはり阪急だ、と 思う。

阪急梅田 京都本線は大部分が乗車済だが、前回は夜間だったので何も覚えていない。高槻市辺りまでは意外に都会化されておらず、おおコ レが「大山崎コークスクリュー」か、などと車窓に目を凝らす。14時42分梅田着。初めて来た駅でもないのに、9線並んだホームやらやたらゴージャスなコ ンコースやらに感動してしまう。

 地下鉄の東梅田まで歩いて、天王寺へ。御堂筋線でも天王寺を通るのにわざわざ谷町線にしたのは、無論乗りつぶしのために他ならない。

 次に乗るのは近鉄南大阪線、ターミナルのあべの橋は天王寺駅の目の前である。大阪線の上本町とよく似た頭端式ホームに上ると、ちょうど目的地 の橿原神宮前行が出て行くところである。パタパタと案内表示が回転すると、支線の河内長野行ばかりがずらりと並んでしまった。橿原行の電車は30分近く無 い。

 橿原行接続と案内のある15時34分発準急河内長野行に乗り込む。先頭に陣取れたのはいいが、後から後から客がやって来て発車時にはすし詰め になってしまった。イマドキ小田急でも、こんな時間にこんなには混まない。4両ではいくらにも短すぎるが、すれ違う電車を眺めるにつれ、わが準急だけがイ レギュラーに短いと気が付いた。それでも他の電車だって5両、特急に至っては2両、どれも相当古びた車両である。話には聞いていたが、南大阪線は冷遇され てるなあと思う。

 立派なのは走りっぷりだけで、各停を次々抜きながら高架線をガンガン飛ばす。住宅街の中に忽然とスタジアムが現れる藤井寺を過ぎ、15時54 分、分岐駅の古市着。どっとお客さんを下ろすと、準急は真っ直ぐ河内長野を目指す。随分待たされてやって来た橿原行の各停は2両ワンマン。どちらが本線な のか分からない。

 車窓に随分余裕が出てきた。あべの橋を出てまだ30分なのに、小田急で言えば座間辺りの景観になってきた。あれよあれよと山中に分け入り、ト ンネルを抜けると奈良県である。16時18分尺土着。これで奈良県内に未乗線区が無くなったのは喜ばしいが、ここで急行待ち合わせとなる。結局あべの橋か ら橿原へは26分もぽっかり空いてしまう(特急除く)ダイヤパターンになっているわけで、近鉄が不便なのか橿原が田舎なのか。

 16時27分、ようやく橿原神宮前着。38分発の橿原線急行京都行に乗り継いで17時01分近鉄郡山着。城下町の面影を残す細道を右往左往し ているうちに、今回の旅行の目的地・平原綾香ライヴ会場にたどり着いた。館内レストランのハヤシライスが、失礼ながら存外に美味しい。

 程なく開場、席は指定されているのに、こんなにも気がはやるのは何故だろう。前へ、まだ前へ。

 ぱきっ。

 だから何でこんな時に 足挫くかなあ(2ヶ月前に派手に捻挫したばかり。今回も結構効いた)。

 ともあれ、痛む足を引きずってなんとか席に着く。前から7列目。ファンクラブに入っているわけでもないのに、驚異的にステージ近くの席であ る。ここならば平原サンの細やかな表情、息づかい、全てが見えそうな気がした。

 そしてそれはその通りになった。

***

 4月16日(土)、奈良駅から「みやこ路快速」に乗車、次の木津で降りる。駅の向こうには、清々しい田園風景が広がっている。ホームの古びた屋根も良 い。朱帯の113系やタラコ色のキハ35が今にもやって来そうな、そんな駅である。しかしこれから乗り換える学研都市線(この名前からしてどうかと思う が)の電車は、メタリックな207系。しかも行先は「宝塚」である。こんな町でタカラヅカと言われても、まるで実感が湧かない。

 ともあれ、JR東西線・宝塚線直通の快速電車は8時29分、木津を後にした。すぐに近鉄京都線が寄ってきて、つかず離れず併走する。あっちで大阪に行こ うと思えば本数は多いのだろうが、西大寺で乗り換えの必要がある。どちらが優勢なのかは一見さんには分からない。少なくともこの電車はガラガラである。

 15分ほどで同志社前。ここで運転本数は30分毎から15分毎に倍増する。次の京田辺で3両増結し7両編成に。だんだん近郊路線らしくなってくる。同志 社前止まりの電車は最後の一駅だけ4両に縮めているわけで、無駄な運用をしていると思う。連結作業は、手旗を振る昔ながらの方法だった。

 電車はやがて高架に上る。畑と家並みの向こうに、なぜか国会議事堂を模した建物が見えて長尾着。ここから快速運転となって、一気に都市化した街並みの中 を猛然と駆け抜ける。近郊区間用の207系がこんなにも飛ばす電車だという事を、この日初めて知った。最後は満員となって9時25分京橋着。末端から都心 までの変貌が極端な路線であった。

 なかなかやって来ない環状線外回りに少々焦らされたが、天王寺で階段を駆け下りて9時49分発特急「くろしお」7号に乗り継ぐ。周遊きっぷのゾーン内だ から、自由席にはタダで乗れる。と 言うか、ここで特急に乗らないとモトが取れない。
貴志川線
 「くろしお」は相変わらず国鉄当時の381系のままで、車内は無残に空いている。窓際の妙な場所にダクトがあって、その前だけ座席間隔が広いのでそこに 座る。老朽車でもさすが特急で、あっという間に和泉山脈を越え紀ノ川を渡る。10時32分和歌山着。

 和歌山までやって来たのは、存廃問題に揺れる南海貴志川線に乗るためである。僕が子供の頃−和歌山線がキハ35から105系に変わってもなお−貴志川線 には古色蒼然たる旧型車が身をきしませながら走っていた。あの頃乗っておけばよかったと今でも思う。関電工のトラックとよく似た色の、パッと見南海本線と 変わらない車両に置き換えられて久しい。

 10時45分和歌山発。運転間隔は30分と、決して悪くない。2両編成の車内は、乗客がぱらりぱらり。土曜午前の下りにしては良く乗っている。沿線人口 も少ないとは言えない。ごく普通の地方都市近郊の風景が続き、約30分で貴志着。これでも廃止されてしまうなら、鉄道事業のあり方そのものを考えた方がい い(幸い、岡山電軌が南海に変わって運営する事を表明した)。

 折り返し11時52分和歌山着。和歌の浦も和歌山城も行ったことがあるから、今日は観光はしない。井出商店のラーメンが日本一美味い事だけ確認して、バ スで和歌山市駅に出る。引き続き南海とその沿線の支線群乗りつぶしである。

 まずは和歌山市13時12分発の加太行に乗る。2両のワンマン列車はほどほどの乗りであったが、本線上を一駅走って紀ノ川に着くと3分の1ほどごっそり 降りてしまう。加太線へ分け入るとにわかにスピードが落ちる。ずっと家が建て込んでいるが新興住宅街ではなく、昔ながらの集落の中を行く感じだ。駅ごとに 客が降り、乗車率は貴志川線を下回る。海岸線が徐々に近づいてきた。この浜の果てが、終着加太なのだろうか。

加太駅前 ところが磯ノ浦を過ぎると、予想に反して電車は急坂を上り始める。海岸 線に別れを告げて小さな山越えがあり、谷間の集落を見下ろしながらカーブを切って 13時36分加太着。備え付けの地図を見れば、海に向かって開けた集落の最奥に駅があるらしかった。かつては観光客がひっきりなしに降り立ったのだろう か、品の良い駅舎と向かい合って木造の土産物屋が店を構えている。大阪圏にもこんな鄙びた終着駅があるのだ。

 しばらく佇んでいたい駅前風景だが、あいにく表通りにバキュームカーが鎮座していて強烈に匂う。折り返しの電車ですぐ和歌山市へ戻る。「なんば方面お乗 換えです」という放送が、本線と接続する紀ノ川ではなく和歌山市到着時に流れる。紀ノ川には普通しか停まらない。紀ノ川−和歌山市の重複乗車がオフィシャ ルに認められているのだろうか。

 14時11分和歌山市着。なんば行の急行は既に入線している。乗り込んだ車両には「女性専用車両」のステッカー。細かい説明書きを眺めて今の時間は適用 対象外と確認するが、車内はなぜか女性ばかりでどうも落ち着かない。

 14時31分、みさき公園で急行から下車。30分間隔の多奈川線との接続は良くない。いくばくかの住宅と遊園地のゲートがあるだけの小さな駅で、周囲を 一回りしても時間が有り余る。泉麻人「東京自転車紀行」を読んで時間をつぶす。

 14時53分、多奈川線の電車はようやく動き出した。ここも2両ワンマン運転である。本線とYの字に分かれると、海を目指してことこと下っていく。最初 の駅に役場があり、次の駅に港がある。終着多奈川はもうそこに見えている。深日港駅の先にある信号機は出発信号機ではなく、多奈川の場内信号機だ。わずか 6分で終着。これで南海全線完乗である。

 降り返ると、深日港駅はやはりすぐそこに見える。折り返し時間は4分しかないけど、走ってみる。間に合う事は間に合ったけど、しばらく息が弾んだ。そういえば昨日、足捻ってたんだっけ。も うちょっと考えて行動しよう。

 みさき公園まで戻って急行に乗り換え、15時30分貝塚で下車。今度は水間鉄道に乗る。路線図を眺めていると南海系でないのが不思議に思える路線だが、 やって来たのは旧東急の7000系である。改札は自動だが、一昔前の東急のような大型の機械を使っている。途中駅にはそれすらもなく、古い黒カバンをぶら 下げた車掌が車内を巡回する。沿線は新興住宅街…と言えるほど開けてはおらず、都市近郊路線とローカル鉄道の中間に位置する不思議な路線であった。

 15時58分水間着。寺院風建築の駅舎を出ると、ぼろっちいバスが乗継客を待っていた。駅付近の風景はあきらかに都市のものではなく、古びた、良く言え ば雰囲気のある建物が軒を連ねている。しばらく歩くと水間観音の前に出た。これが町の顔らしいのだが、お葬式の真っ最中のようなので中に入るのは遠慮して 引き返した。

 それにしても、金物屋さんはどこにあったのだろうと思う。

 これで今回予定していた乗りつぶしは全て終了した。あとは新大阪19時43分発の「ひかり」386号で帰宅するだけなのだが、時間が余ったので余勢を かって、環状線の大正から地下鉄長堀鶴見緑地線に乗る。終点の門真南まで行ってもまだ時間があったので、今福鶴見まで戻ってバスに乗り太子橋今市まで行っ たが、ここでタイムアップ。谷町線の大日までの往復は出来ず、東梅田まで初乗りして打ち止めと相成った。

 これで奈良・和歌山両県に未乗路線は無くなり、京都は残り3線区、大阪も4線区に絞られた。大阪圏の完乗に向けて、どうやら先は見えてきたようである。

(つづく)

2005.10.2
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