ポルトガルはヴァカンス日和


▼第1部 リスボンのトラムに乗って

「リスボンって何があるの?」

 ポルトガルに行くんだ、と告げた時、周囲の者は決まってそう言った。どうやらこの国、日本人にとって思いのほかマイナーらしい。職場の中では一時期、「mはポーランドに行くらしい」と間違った噂が流れたほどである。

 言うまでもなくポルトガル、ことにリスボンへ行くのはトラムの存在ゆえである。あの愛くるしい小さなトラムに乗りたい、撮りたいと思うのは鉄 道マニアの性である。だけど理由はそれだけではない。南欧の街並の独特な雰囲気に、少しでも触れてみたかったのだ。何故と言われても困る。何があるのかと 言われても困る。何となくだけど、何としても行きたいのである。

 そこの所を上手く説明できないうちに、旅立ちの日はやってきた。

***

 2004年9月22日(水)、秋晴れというには、まだ少しく暑い。

 横浜駅横須賀線ホームは通勤客で雑踏していた。E217系や籠原行211系があわただしく発着する中、ベンチには大荷物の乗客が取り残された かのように座っている。場違いに真っ赤な電車が滑り込んできて、8時26分、特急「成田エクスプレス」11号は横浜駅を後にした。

 9時59分成田空港着。旅行会社のパンフには、出発の2時間前(10時05分)までに集合せよとしつこく書いてある。個人旅行で搭乗券を受け 取るだけだから遅刻したって問題ないはずだが、一応急ぐ。

 エールフランスの地上職員が、事務的にキーを叩く。

「あいにく本日は満席でして…」

 「…席がありません」と 言われたら笑うなー。

「…あ、窓際1席開いてますね」

 窓際かよ!

 ロビーに戻ったところで、カウンターにチケットホルダーを置いてきたことに気が付く。どうにもボケていると些細な事で落ち込む。

 AF275便パリ行はB777。飛行機はせいぜいこの位までのサイズが良い。各座席にTVが付いているのも良い。3人掛けの座席、隣が空席な のがなお良い。定刻12時05分、機はゆっくりと動き出した。太平洋上をUターンし、印旛沼上空を飛ぶ。眼下に印旛日本医大駅を発車した、北総線の電車が 見える。

 やがて機は日本海を越え、シベリア上空に差し掛かる。晴れ渡った空の下、緑の大地が眼下に広がる。シベリア鉄道に乗ってから、もう3年も経った。諸々の海外旅行と、その旅行 記の内容をなぜか懐かしく思い出す。何のために旅しているんだろうな、とエセ哲学的な思考が脳裏をかすめた。

「相模大野行のリムジンバスに初乗りしようか、それとも、スカイライナー経由で新宿に出て、旅行中にダイヤ修正した小田急で帰ろうか。旅はまだ、終わらない。」

 今回の旅行記、こんなフレーズで終わらせようと思っている。しかし旅行前の予想通りの紀行文が書けたことなど、当たり前だが1度たりともない。さて今回は、何が起こるのだろう。

シャルルドゴール空港(帰路に撮影) 8年前に旅した北欧、6年前のドイツ、そして4年前のイギリス。航路を示すTV画面に、馴染みの地名が現れ始める。日本語表記が微妙におかしい(ヨーテボリ〈スウェーデン〉→ゴテボルグetc)が、またヨーロッパに来たな、そう思う。

 分厚い雨雲をくぐり抜け、17時30分(日本時間9/23 0時30分)、AF275便はパリ・シャルルドゴール空港に着陸した。入国審査はごくあっさりと、係員は苦心して書いた入国カードを見もしない。乗り継ぎのために、ターミナルFからDに徒歩移動。長く延びたセキュリティの列に並ぶと、前の紳士と黒人の女性係員が傘を持ち込むの持ち込めないのと口論を始める。

 19時30分発AF2124便は6列座席の小型機、エアバスだったように思う。窓際には中国人の老夫婦が並んでいて、スチュワーデスに中国茶 を注文したりして困らせている。機上にて、サマータイムの遅い陽が暮れた。

 やがて機は降下を始める。中国人夫婦が、窓に額を押し付けるように熱心に外を眺めている。肩越しに覗き込むと、オレンジ色の光の洪水がそこにあった。21時05分(仏時間22時05分、日本時間9/23 5時05分)リスボン到着。さすがに遠かった。飛行機を1歩出て、17時間親しんだメルシーの世界から、オブリガードの世界に来たなと思う。

 到着ロビーは、夜も遅いのに迎えが大勢出て雑踏していたる。その流れに逆らうように、出発ロビーに足を向ける。帰りの便のリコンファームのためである。天下のエールフランスにかような前時代的制度が残ってい るとは信じ難いが、旅行会社が必要だと断言する以上仕方がない。しかしエールフランスのカウンターは既にクローズ。やれやれ。明日英語で電話しなくちゃならないのか。

 市内へのバスは既に運転を終了していて、ホテルへの足はタクシーしかない。未知の国でかような乗り物を使うのは不安だが、他に手段がない以上仕方がない。出発階のタクシー乗り場には人影がなく、運転手たちが雑談に興じている。先頭車の黒人ドライバーが車に乗り込んだ。ホテルのアドレスを手渡す。

 運チャンは再び車を降りて仲間に道を尋ね始めた。…そういう意味で不安だったわけじゃないんだけど…。

 どうにか所在は把握したらしく、車は凄まじい勢いで走り出す。開け放たれた天井から、猛然と風が吹き込む。空港を出ると邸宅街となり、南欧らしい佇まいにポルトガルに来た実感が湧く。徐々に町らしくなり、車が増えるが不思議と人影はない。タクシーはぐいと裏町に入り、どこに向かっているのか不安になった頃、唐突にホテル前に到着した。

 中心部と空港の中間にあるホテルは、2泊で106ユーロ(14,000円)。高く思えるのは1人身のせいで、ツインでも同じ値段である。小さ なロビーで愛想の悪いオバサンにチェックイン手続きをしてもらっていると、1人の若い男が近づいてきた。

男「×××××!」
オバチャン「×××××!」

 ラテン系言語が絶望的に分からない自分を発見する。

 2人の話は声高に延々続いている。男もホテルの職員、いやもう少し偉い人のように見える。ひょっとして僕の事を話しているのだろうか。オバ チャンは紙に電話番号を書き始めた。まさかホテルが満室で、他所に回されるのではあるまいか。不安が募る。

男「×××××!」
オバチャン「×××××!,sorry,×××××!」

 sorryの時だけこちらを向いた。どうやら何の関係もない話らしい。

 ようやくチェックインが終わって、さてエレベーターはどこだろう。と言ってもロビーは狭く、目の前にはありきたりの引き戸があるのみ。まさかコレか、とドアを開けると、小さな部屋の中にボタンがある。押してみる。

「う、うおぉぉぅ!?」

 思わず素っ頓狂な声が上がる。目の前の壁がむき出しのまま、下へ下へと流れていく。このエレベーター、内側に扉がないのだ。腰を抜かしているうちにゴンドラは停止し、目の前に現れた扉を押し開ければ確かに上階である。

 この野趣丸出しのエレベーターに乗れただけでも、安ホテルにして良かったと妙に満足した。

***

 部屋の窓からは、ショッピングセンターの裏側が見える。表通りの騒音がやかましくて、全然眠れなかった。9月23日(木)、空はまださほど明るくはない。

 ホテルを出て角を曲がると、円形のサルダーニャ広場が見渡せる。ぐるりと周りを囲む建物は確かにヨーロッパ的だが、英独とはどこか雰囲気が違う。やはりここは南欧だ。

 今日は1日リスボン観光だが、その前に明日乗るバスの時刻を調べておこうと思う。バスターミナルはこの先すぐ、マックの角を曲がれば左手に… あったが無人である。入口に打ちつけられた看板を見れば、どうやら移転したらしい。動物園のそば…うーん、遠いな。

 思案に暮れていると、背後で大きくクラクションが響いた。がらんどうの旧ターミナルの中から2階建ての大型バスがやってきて、グラサンの運転手が顔を出す。

「バスターミナルか?」「ん。移転したの?」「乗れよ」

 ドアが開く。のっけから得体の知れないバス便乗で出発進行である。郊外に進路を向けたバスはポルトガル国鉄(CP)の線路をくぐり、ダウンタウンを取り囲むような環状道路を少し走る。ジャンクションをくるくる回って、真新しいREDE社のバスターミナルに到着した。周りの人が一斉に席を立つ。 地方から上京?してきた高速バスであったらしい。

「おいくらですか?」「どこ行くの?」「オビドス」「じゃあ、向こうで切符買って」

 ただ乗りになってしまった。インフォメーションを訪ね、感熱紙に打ち出された時刻表を受領。本数は多いが直通便はない。

 オビドス行のバス乗り場はもう1ヶ所ある。隣接するセテ・リオス駅からCPの国電に乗って向かうことにしよう。駅は改築したてのようでピカピカだ。左側通行の線路別複々線で、向こう側の線路にはイタリア国旗のような塗り分けの2階建て電車が発着している。こちらのホームに入ってくるのは、赤い縁取りをしたステンレス製のインバータ電車だ。ベンチ状のボックスシートはさらりと埋まっている。

ケーブルカー 3つ目のローマ・アレエイロで下車。この駅もピカピカで、途中には廃駅らしきものもあったから、CPは駅施設のスクラップ &ビルドの真っ最中なのかもしれない。地下鉄カラヴェラ線のアレエイロ駅まで少し歩いて、真っ暗な切符売り場で1日乗車券として使える「7 Colinas(セッテ・コリーナシュ)」を所望。JRのSuicaと同じ、改札機に触れるカードと聞いていたのだが、出てきたのはペラペラのボール紙 である。大丈夫かなと不安になりつつ改札機に触れると、ちゃんとゲートが開く。SuicaといいETCといい、日本のシステムは何かとオーバースペックなのではと思う。

 リスボンの地下鉄は4路線。案内表示はラインカラーとシンボルマークを併用して分かりやすいが、乗車した3路線に関する限りすべて同一車両、2編成併結の6両編成である。不審な目で見れば不審者に見えてくるような人も稀に乗ってはいるが、最低限の注意さえ払っておけば何も心配のない乗り物であった。

 カラヴェラ線の電車は地上に出て、もう1路線と合流しカンポ・グランデ駅に滑り込む。団地が並び、スタジアムが接する、いかにも郊外の拠点駅と言った風情である。長距離バスの切符売場は、近郊バスのターミナル脇にぽつんと建っていた。ここからはTEJO社のオビドス直行バスがある。タダで乗せてくれたREDEの運転手さんには申し訳ないが、どうやらTEJOの方が便利そうだ。

 地下鉄を2本乗り継いで一気に中心部へ、レスタウラドーレスで下車する。リベルダーデ大通りを行きつ戻りつして、ケーブルカー(グロリア線)の乗り場にたどり着く。いざ、名物ケーブルカーの試乗、と言いたいところであるがその前に脇のホテルに飛び込む。明日以降の宿は確保していない。ケーブルカーの見える宿として出発前から気になっていたホテルではあったのだが、残念ながら満室。

 とりあえず宿の問題は先送りしてケーブルカーに乗る。各国の観光客を詰め込んだアンティ−クなケーブルカーは、ごとりと動き出すと石畳の坂道を斜めに登っていく。中間点で複線となって下り電車とすれ違い、そのまま複線で台地の縁の終点に到着。あっという間のミニトリップ で、向かいの日本人母娘が「本当に(ガイドブックの通り)短いのねえ」とため息をついた。

 市電の廃線跡に沿って丘の上をしばし歩き、教会の脇から下り階段を辿る。谷底を挟んで反対側、アルファマ地区の古い家々が一望できる。気分良く歩いているとパトカーが止まっている。どうやら車上荒らしのようで、傍らの車の後部扉が大きく歪んでいる。ちょっとびびった。

 CPロシオ駅の脇から、往来の激しいロシオ広場へと出る。近くの安ホテルを1軒あたってみたが満室。隣接したフィゲラ広場へと出ると、ちょうど角を曲がってトラムがやって来た。写真で何度も見たあの黄色い可愛らしい電車が今目の前に止まっている。早速飛び乗る。「飛び乗る」とは比喩表現で、実際には大混雑でやっとこさ乗り込む。

 乗車したのはアルファマを時計回りに1周する12系統で、しばし大通りを走った後ぐいと右折する。恐ろしく狭い道路で、商店のショーウインドウがすぐそこに見える。ずらり並んだ路上駐車がますます道を狭めており…っと線路上にはみ出した車があり立往生。「ジリリリリ」と警笛を鳴らすとのっそりとドライバーが現れた。2度目の立往生は車の移動に随分時間がかかり、こりゃあ歩いた方が早いなと思う。カテドラル前

 加えてこの道、大層な上り坂である。のけぞるように、という表現がピッタリくるほどの勾配で、釣り掛けモーターが強烈な唸りを上げる。よくぞ空転しないものだ。

 坂を上りきると、店先でイワシを焼くレストランの前をきりきりとカーブ。しばし丘の中腹の平坦な道となる。左下から28系統の線路が物凄いカーブと勾配で合流してきて、ガクンと衝動が伝わる。展望台の前を通過し下りかけながら停止。ここで観光客がどっと降りる。カテドラル(聖堂)の前かと降りてしまったが違うようで(サン・ジョルジュ城の最寄り停留所と後に判明)、続行してきた28系統の単車に乗り継いでなおも坂を下る。

 大きな石造りの建物に沿って、トラムは急なS字カーブを切る。建物の正面に回ると、それがカテドラルであった。薄暗い礼拝堂にしばし佇む。厳粛な雰囲気もさることながら、涼しいのがありがたい。

 カテドラル前をあっちにうろうろ、こっちにうろうろ、何枚か写真(無論トラムの、だ)を撮ってもと来た道を歩く。要所要所でカメラを構えつつ坂を上っていくと、軒先に小鳥の籠を吊るした食堂がある。肉料理のセットメニューを頼んでサッカー中継をぼんやり眺めていると、キーキーとトラムが下ってくる音が聞こえて目の前を通過していった。小柄な姐さんがフルーツを運んでくる。色合いはメロンだが、恐ろしく横長だ。

 展望台で旧市街の眺望を堪能し、先ほどトラムが唸りをあげた急坂まで戻ってくる。路上駐車の列の隙間からカメラを構えるが、12系 統のトラムはやってこない。待ちきれなくて、ちょっと坂を下る。カメラを再び構える。まだ来ない。少し下る。やっとトラムが現れた時には、随分下の方まで来てしまった。シャッターを切ってカメラを仕舞うと、すぐに次のトラムがやって来て慌てる。定時性にはかなりの難がありそうだ。

展望台付近 マルティン・モニスから地下鉄カヴェイラ線に乗り、カイス・ド・ソレ下車。市西部のベレンに向かうため、ここでCPに乗換 えである。地下の券売機には短い列が出来ている。が、列から外れて若い男が1人。片手に丸めた雑誌。怪しなぁとチラチラ眺めているうちに順番が回ってきた。が、券売機の使い方が良く分からない。まごついていると、例の男が近づいてきた。迷わず逃げる。

 振り向かずに階段を上がると、CPホームの脇に出る。いかにも南欧らしく、前面に黄色を大胆にあしらったステンレス電車が並んで止まっている。しかしここも、不審人物が周りをうろうろ。しかも2人組である。死角になる券売機を選んだのに、たちまち近寄ってくる。

 仕方がないのでCP乗車は諦めて、ベレンへはトラムで行く。15系統の最新型3連接車はすぐにやって来て、大通りの中央をぐいぐいと加速していく。左手にCPの線路、その向こうには海のごとく開放的にテージョ川の水面が光る。車内には地元のお客さんが、ぽつりぽつりと座っている。アルファマ辺りのトラムとは別次元の風景であり乗り物である。

 やがてトラムは旧道へと移る。貨物線との平面交差をよっこらっしょと越えて、18系統を分岐して、車庫をちらりと眺めて、4月25日橋のたもとをくぐり抜ける。前を見たり横を見たり上を見たりと忙しい。ぎっしりと建て込んだ商店の列の向こう、巨大な建造物が見えてきた。世界遺産のジェロニモス修道院である。

 電停の向かいには広大な駐車場があり、日本人を含む各国の観光客が続々と修道院に吸い込まれていく。礼拝堂の荘厳さと回廊の美しさにただただ圧倒。不意に、日常の瑣末な事象から離れて、この世間離れした光景を眺めている自分に不思議な感動を覚えた。

 それはそれとして、帰路の飛行機のリコンファームをしなくてはならない。駐車場の公衆電話に1ユーロコインを積み上げてエールフランスにダイヤルする。しかし繋がらない。首をひねりつつ受話器を戻す傍らで、警察官がこっちを不審そうに見ている。

 しからばとツーリストインフォメーションを訪ねる。美人のお姉さんが愛想良く迎えてくれるが、エールフランスのオフィスの場所、という質問は予想外であったらしい。隣の人と鳩首会議の末、この辺、と地図に大雑把なマルをつける。いや、その辺のどこにあるのかが知りたかったのだが…。

 とりあえずリコンファームの件は先送りして、発見のモニュメントを見に行く。実はすぐそこに見えているのだが、CPの線路をくぐる地下道がなかなか見つからず、正面にたどり着くまで随分時間がかかった。ガイドブック通りの姿だが、想像以上に巨大な建造物でびっくりした。

発見のモニュメント 続いてベレンの塔。これも見えているのに随分遠く、正直くたびれた。

 線路を渡って私有地然とした一角をこっそり通り抜けると、トラムの通る道に戻る。門の開いた建物から、紺色の制服を着た小学〜高校生がぱらぱらと出てきた。ヨーロッパの学校にも制服があるとは意外である。土地柄、宗教学校か何かかもしれない。

 カード専用の公衆電話を見つけるが、VISAを読み取ってくれない。こうなったら仕方がない。ええい、空港まで行ってしまえ!

 半ばヤケになりつつトラムを待っているとバスが先に来てドアが開き、中から「まあまあ」と声がする。修道院でもベレンの塔でも見かけた日本人のオバサン達であった。

 15系統のトラムで中心部に戻り、コメルシオ広場で随分待ってガラガラの空港バスに乗る。ロシオ広場〜リベルダーデ大通り〜ポンバル公爵広場と市内観光の如くダウンタウンを縦貫し、18時30分空港着。たどり着いてみればエールフランスのカウンターも18時半までの営業で、危うく無駄足になるところだった。上品にお年を召された係員に航空券を差し出す。

"You don't need to reconfirm this ticket." "の…No need to reconfirm!?"(僕の英語はこの程度である。)

 そうだよなあ、リコンファームなんて今時流行らないよなあ。そう思って出発前に旅行会社に確認したのに担当者が「必要」と言うものだから、こうして右往左往したのである。まあ、あの会社らしい顛末ではある(安くて大手の"彼の"旅行社である)。ある意味予定通りのオチではあった。

 長い夏の陽がようやく暮れた。マックで大盛りのサラダを無理やり平らげて、一日が終わった。


(つづく)

2004.11.14
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