ポルトガルはヴァカンス日和


▼第2部 オビドスの犬とコインブラの猫

 9月24日(金)。空はまだ、夜の暗さをほんの少し残している。しかし今日も好天になるのだろう。

 フロントに下りていくと、同年輩の日本人旅行客が1人いて声を掛けられる。

「○○さんの結婚式に来られたんですか?」 …すみません、それ、誰ですか?

 ホテルの安さやらオススメの観光地やらの話で、ひとしきり盛り上がる。

「今日はどちらへ?」 「コインブラまで行って、明日帰ってきます。ホテル取れてないんですけどね。」

 私の部屋に同宿しますか、と彼は言ってくれたけれど、ダブルベットに2人寝ると言う話に違いないので遠慮させていただいた。

 人影もまばらなサルダーニャ駅から地下鉄に乗り、昨日訪れたカンポ・グランデのバスターミナルへ。オビドス経由カルダス・ダ・ライーニャ行バス停の前には2F建ての大型バスが止まっているが、ドアはまだ開いていない。地元のオバサンやバックパッカー風の女の子達と一緒にじっと待つ。2F建てから連接車まで、雑多な種類のバスが目の前を通過していく。およそ5分の間隔で、高架のホームから地下鉄がするすると滑り出てくる。

 9時30分、バスはカンポ・グランデを後にした。乗車率は30%程度、うち半分くらいは観光客のように見える。だとすれば下車地は僕と同じオ ビドスだろう。ポルトガル国鉄(CP)も通じてはいるが、バスの方がはるかに便利なのである。

 徐々に周りの風景が開けてきた。緑の丘の向こう、建ち並ぶ高層マンションを遠望する。料金所を過ぎると本格的な高速道路となり、バスはびゅんびゅん飛ばしていく。そういえば韓国のバスも神風のような走りだった。バス=遅いという概念は日本独特なのかな、と思いをめぐらす。

 行く手にはいくつもの丘が連なり、起伏はなかなかに激しい。しかしトンネルは無く、半径の大きなカーブとアップダウンがずっと続いている。左手には別の高速道路が見えていて、向こう側の谷に巨大な橋を架けている。低木の隙間を埋めるように、オレンジ屋根の白い家がぽつりぽつりと、時に固まって建っている。いつまでも眺めていたい、そう思わせる景色である。

オビドス 小さなインターチェンジを降りると、バスは田舎町へ分け入って存外広いバスターミナルに突っ込む。1人か2人客を降ろすと 再び高速道路へ。木々の丈が高くなって、畑も混じるようになってきた。前方の丘の中腹、城壁をぐるりと巡らせた集落が見えた。高速を降り、城壁へとバスは向かう。水道橋をくぐって10時35分オビドス着。

 中世の面影を残す小村、オビドスはそれなりに著名な観光地だが、意外なことに下車したのは僕1人であった。代わりに集落入口には観光バスがずらりと止まっている。ころころと丸く太った犬がいて、近づくとゴロンと腹を見せて寝転がった。

 城門をくぐると、石畳の両側に白壁の家々が連なっている。どの家も黄もしくは青で縁取りされ、屋根はオレンジ色だ。窓辺、そして通りには花が咲き乱れ、突き当たりにお城が姿を見せている。完璧な景観である。カメラのファインダー越しに感動に浸っていると、さっき撫でてやった犬が追いかけてきて人懐っこそうな目で見上げてくる。教会の方から毛の長い茶犬が駆けて来た。土産物屋の店先で、牛のような大きな黒犬が寝そべっている。やたらと犬の多い村だ。

 城壁に登ってみる。壁の内側も外側も、絵葉書のような風景である。右を見て左を見て歩いていけば、向こうからまたあの丸犬がやって来る。撫でようとしたのに、スーっとそのまま通り過ぎてしまった。

 徐々に標高が上がって城までたどり着き、集落の中をぶらぶらと戻る。カフェであどけない(しかし露出の高い)女の子にハンバーガーとコーヒーを頼む。ポルトガルのコーヒーはエスプレッソが基本らしい。ちびりちびりと飲む。

オビドスの犬 かようにオビドスを大いに堪能し、さあ次はコインブラだと駅への道を辿っていくと、例の犬がべたーっと身を伏せて昼寝を している。写真でも撮っておこうと声を掛けてみるが、物憂げな視線を向けるだけで反応が悪い。どうやらこの子、僕がやたらと撫で回すだけで餌をあげる気はないと感づいたらしい。会うたびに無愛想になってきた。 何とかなだめすかして1枚、2枚。そんな僕を土産物屋のオバサンが面白そうに眺めている。

 CPのオビドス駅は集落の真裏に位置している。ひと気のない城壁の切れ目を抜けると、崖下に非電化の単線線路と駅舎が見える。私道のようにか細い急坂を降りると、駅には誰もいなかった。かつては行き違い可能だったと思われるホーム配置、貨物用設備の残骸、小洒落た上屋と壁面のアズレージョ(装飾タイル)。昔日の殷賑が想起され、かえってわびしさが募る。駅舎も固く扉を閉ざしている。しかし2Fには洗濯物がはためいていて、保線係員か誰かが詰めている気配はある。

 やがて草むらの中を水色のディーゼルカーが2両でやって来て、バックパッカーを数人降ろす。13時32分オビドス発。次駅カルダス・ダ・ラ イーニャで乗換えとなる。

 リスボン近郊のカセンからオビドス、カルダスを経由してフィゲイラ・ダ・フォスに至るこの鉄道は、運転間隔が1〜2時間はざらに開くローカル線である。列車種別も最鈍足のR(普通)と1ランク上のIR(急行)しかない。僕が乗っているのはRである。カルダスでわざわざ乗り換えるくらいだから、この先は輪をかけて老朽な味のある車両がやってくるのだろう。気分はまるで「世界の車窓から」、である。

 そんな事を考えながら構内通路を渡っていると、警笛が鳴り響いた。小走りしながら振り返ると、黄緑色の斬新なデザインをまとったディーゼルカーがこっちに向かって来る。

CP気動車 …違うっ!こんな新鋭車じゃ「世界の車窓から」らしくないっ!!

 14時カルダス発。編成は1両きりだが、間隔の狭い座席は半分以上埋まっている。加減速は実にスムーズだが最高速度はさほどでもなく、性能をもてあまして走っているような感がある。時折、日本の車両とは違った風味の警笛が聞こえてくる。

 カルダスの町を出外れると、列車は森へと入る。植物の名前は皆目分からないが、杉のような幹に松のような枝葉をつけた背の高い樹木が整然と並んだ森である。森が途切れると白い家々の集落があり、駅がある。駅舎はどれもアズレージョで装飾された立派なものだが、例外なく無人でオビドス以上に荒れ果てていた。沿線に目立った都市はなく、ヴァラード・ナザレ・アルコバサでナザレに向かうと思しき観光客が幾人も降りたほかはさしたる乗降もない。同じ森と同じ集落と同じ駅が交互に現れるのみで、退屈してくる。

 この列車が今回の旅行の目玉だったんだがなあ、と憮然とすること1時間半、風景が突然パッと開けた。森が尽き、見渡す限りの水田地帯へと差し掛かったのである。日本のそれに比べると手入れが今ひとつだが、この広がりは東北本線の小牛田辺りに通じるものがある。これはいいと僕は喜んだが、はるばるポルトガルに来て日本的な車窓に感動すると言うのも変な話ではある。

 ほどなく右手から、電化された線路が近づいてくる。16時01分Bifurcacao de Lares(読み不明)着。田んぼの中で線路が合流しただけの駅である。向かい側のホームに立つと、前面を赤と青でカラフルに塗り分けたステンレス電車がやって来た。

 フィゲラからB.Laresを経由しコインブラまでは、1本/h程度のS(近郊電車)が運転されている。3両か4両繋いだ電車の内部はピカピ カで、電光掲示には次駅や行先、それに30℃近い外気温が交互に表示されている。車内には小さいボリュームで、ビバルディの「春」や「白鳥の湖」、モーツァルトと言ったスタンダードなナンバーが絶え間なく流れている。

 車窓は徐々に都市近郊の雰囲気へと転じていく。このくらい建て込んでいたほうが、僕の好みとは合っているように思う。やがて線路は幹線に合流し、対向線路を客車列車が轟然と駆け抜ける。

 程なく幅の広い川を渡ると、堰の向こうにガイドブック通りのコインブラ旧市街の建物群が見えた。電車はゆっくりとコインブラB駅に滑り込み、進行方向を変えてコインブラ駅への支線に進入する。東室蘭から室蘭駅へ向かう時の感覚に良く似ている。川に沿ってゆるゆると徐行し、緩やかに停車して16時59分コインブラ着。

 コインブラはポルトガル最古の大学を擁する文化都市である。駅前からしてアカデミックな雰囲気が…と予想しながら外に出て驚いた。さして広くない道路に車が殺到し、エンジンが唸りをあげている。頭上には架線が張り巡らされ、おんぼろのトロリーバスがやって来る。通りに面した建物は皆古びていて、しかし階高があり、どこかアンティークな看板を道路上に突き出している。混沌と活気が交錯する光景である。

 ガイドブックで見当をつけておいたホテルを訪ねる。雑居ビル3Fの受付で呼び鈴を鳴らすと、オジサンが出てきて部屋を見せてくれる。前時代的な大きな鍵がきちんと閉まる事を実演してから、オジサンは奥の扉を開けた。

"balcony." …おお。

"university." …おおおっ。

 部屋専用のテラスから、丘の上の旧大学が一望できる。"excellent." ため息が自然に漏れた。

 オジサンにレストランやら今夜のイベントやら色々案内してもらって外に出る。町の広場にはアンティークで背高な建築が隙間なく立ち並び、上半分だけが傾き始めた陽に照らされている。路地は既に影の中だが、商店に立ち並ぶ野菜や果物の明るい色彩は未だ褪せてはいない。モンデゴ川を渡ればテニスコート等の並ぶ静かな一角、向こう岸の旧市街は夕陽に赤く赤く照らされている。

 郷土料理のシャンファナ(子ヤギ肉の煮込み)に舌鼓を打ち、一旦ホテルに戻る。夜の帳がすっかり落ちた午後10時、サンタ・クルス修道院前の広場に出向くと、ずらりと設置されたイス席は既に埋まり始めていた。大学生によるファド(ポルトガルの伝統的歌謡)コンサートを待つ人たちである。

 コンサートは定刻から随分遅れて始まった。ライトアップされた修道院に、広場を囲む建物に、学生の朗々とした歌声が響き渡っていく。傍らのレストランの屋根はほんのり赤く染まり、遠く大学の時計台が白く輝く。建物の軒下という軒先には、鳩が身体を丸めている。ああ、今僕は旅先にいるのだという実感が湧いてきた。

***

コインブラ市場 9月25日(土)も晴れ渡り、そして暑い一日だった。

 オジサンの淹れてくれたコーヒーを優雅に(そのつもりである)すする。ふと見れば、フロントに折り鶴が置いてある。大阪から来た旅行者がくれたのだそうで、写真や礼状も大切に仕舞われてあった。部屋も、そしてオジサンの人柄も申し分のない宿で、何日でも滞在したいと思う。次にこの国へ来る機会があれば、ホテル・モデルナ、必ず再訪したい。

 まずはサンタ・クルス修道院を訪れると、ミサの真っ最中であった。買い物袋を下げたおばさんが後から入ってきて、そっと祈りを捧げている。異教徒は遠慮したほうが良さそうな、凛とした空気が漂う。

 修道院裏から丘の裾を巡る車道を歩くと、市場があった。中を覗けば中央にずらりと生鮮野菜が並んでいる。周りの細かく仕切られたブースは食肉店、隣の棟に鮮魚と衣料、何でも揃っている。まさにコインブラの台所、といった活況だ。珍しいものが見つけられたわけではないが、やはりこういう場所こそ 楽しい。

 その市場の裏に、真新しいエレベーターがある。切符を買って乗り込むと、数階分の高さをするすると登る。中空に突き出した連絡橋を渡って2台目のエレベーターに乗り継げば、今度はケーブルカーのように斜めに丘を登っていく。これで大学のある丘の上まで歩かずに済んだ。

 丘の上の道すがら、学生寮らしき建物には落書きがされている。カギ十字をかたどったものもあるが、醜悪ないたずら書きなのか政治的なメッセージなのかはもちろん分からない。

コインブラの猫 どこからともなく白と黒の日本的な風貌をした猫がやって来て、新カテドラルへ上る階段に座りこむ。近寄っても撫でてみても 逃げる風を見せず、泰然としている。どっこいしょと隣に腰を落ち着けて、ちょっと遊ぶ。

 「新」カテドラルと言っても、この教会が出来たのは1598年である。礼拝堂は厳粛にして巨大、圧倒されるほかはなく黙って天井を見上げる。日本が豊臣だ徳川だと争っていた頃に、この国にはここまでの大建築を作り上げる力があったのかと思う。

 表へ出ると鐘が鳴った。少し離れた場所からもう1回、さらに1回。町のあちこちにある鐘楼から、少しずつずれて時が告げられる。

 コインブラ随一の観光地、旧大学には多くの観光客がいた。図書館の入場券には入館時刻が決められていて、1時間ほど待たなくてはならない。一旦丘を中腹まで下り、旧カテドラルを先に訪れる。リスボンのジェロニモス修道院と同様の回廊があるが、廊下も中庭も時の流れの中で朽ち果てて、無に帰ろうとしているようにさえ見えた。これはこれで胸に迫るものがある。

 大学へ戻って図書館前で強い日差しに射抜かれていると、重々しく扉が開いた。2Fの高さまでぎっしり詰められた革張りの本の列、きらびやかな装飾。現実離れした世界で、今でもここの本は閲覧されているのかなと考える。魔法でも使えそうな、不思議な雰囲気であった。

 13時17分発のポルト行R列車でコインブラを後にする。電光掲示は、外気温32℃という恐ろしい値を表示している。長袖主体で荷造りしたの は大失敗だった。さすが南欧、ではある。

 コインブラBで下車し、リスボン行IC(特急)を待つ。ポルトからコインブラを経由しリスボンへ至るこの線はCP随一の幹線であり、ICより もさらに速いAP(アルファ・ペンドゥラール)が走っている。名前からしてイタリア製の振子電車だろう。それに乗ってみたいが、残念ながら時刻が合わなかっ た。

 ICは定刻から少々遅れてやって来た。先頭はオレンジ色の電気機関車、フランス製らしきゲンコツ型である。以下、扉を黄緑色に塗られたステンレス客車が10両程度連なっている。指定された席は4人掛けボックスシートだったが、革張りですわり心地は上々である。正面に初老の婦人、途中駅から隣にリュックを背負ったアメリカ人風の若者が座った。

 列車ははじめ快調に飛ばしていたが、線路が1本ふっと丘陵の向こうに遠ざかると徐行し始めた。隣に線路は敷かれているが、工事車両が止まっており供用されている気配がない。線路の付け替え工事で、わが上り線だけ新線に移行したのだろうか。しかし駅に着けば、わずか3両程度の客車列車が下り方向を向いて止まっている。しまいにはこちらまで、何もない本線上でしばしの立往生。どうなっているのだろうか。良く分からないままにリスボンまでの中間地点、エントロカメントを発車すると、途端に徐行運転は解消した。

 突然、隣の若者が向かいの婦人に猛然と話しかけ始めた。どうやらこの人、生粋のポルトガル人であったらしい。今まで黙りこくっていた婦人も快 活におしゃべりに応じ、ラテン言語の応酬が目の前で展開される。急速に眠気を覚える。実は工事区間でもうつらうつらしていたのだが、もう耐えられない。

 朦朧と眺める窓の外、湖のような広がりを見せているテージョ川にヨットが浮かんでいる。2F建電車とすれ違い、やがて複々線となる。ああ、 戻ってきた。大都会・リスボンに。…ホテル、どうしよう…。

 列車は真新しい上屋に覆われたリスボン・オリエンテ駅に滑り込んだ。老婦人も若者も皆降りてしまい、ICは回送列車のようになってしまう。ゆ るゆると走るうちに、操車場の中を行くような気配となった。側線にスペインのタルゴが停車している。ごとりごとりと、生気なくポイントを渡る。終着駅、リ スボン・サンタ・アポローニア駅の屋根が見えてきた。

 定刻の15時45分から、20分ほど遅れている。


(つづく)

2004.12.12
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