北欧のカケラ

スカンジナビアレイルパス

▼第1部 北極をめざして

「先輩、北欧行きませんか?」

 風薫る5月の午後、一食のテラスでクイズ王が発した一言が、すべての始まりだった。

 大学非公認サークルの僕達に、部室などと言う大層なものはなかった。授業のない木曜午後になると第一食堂でうだうだと時間を潰すのが、その頃の僕やひさめ氏やクイズ王の日常だった。ちなみにクイズ王(仮名)は後輩だが同い年である。某有名クイズ番組への出演経験があり、本当は2回戦あたりで敗退したはずだが面倒くさいのでここではクイズ王と呼ぶ事にする。

 それまでもクイズ王は、長期休暇になるたびにオーストラリア等へ放浪旅行に出かけていた。何を思ったか、今年は誰かを連れて行く気になったらしい。期間は28日。大旅行である。僕はと言えば、海外は家族旅行とJTBのパックツアーの経験が1度ずつあるのみだった。

 勢い引き受けたのは良かったが、不安のあまりそれから1週間ほど不眠症に陥った。

***

 1ヶ月の放浪旅行。それは今に至るまで僕の体験した旅の中でもっとも長く、そしてとびっきりの冒険であった。しかし、その当時の僕に、旅行記を書くという趣味はなかった。あれから早8年、記憶は驚くほどの速さで風化してしまった。このままでは数年経てば、北欧に行ったという「事実」以外に、何も残らなくなるのではないか。

 書こう、そう思った。今、あの出来事を書き残さなければ、一生後悔するかもしれない。そう意気込んだはいいが、前述の通り風化は相当進行している。断片的に残った記憶のカケラをかけ集めて、果たして旅行記としての体をなしてくれるのか。腰を上げたばかりの今の僕にはまだ、分からない。

***

1996年8月1日(木) 伊勢原→名古屋→香港→

 前々日に帰省した僕は衣装棚からTシャツからコートに至るまでのありったけの服を引っ張り出し、横長のドラムいっぱいに詰め込んだ。旅立ちは伊勢原駅、10時07分発の急行である(行程だけは当時の手帳に残っている)。10時37分小田原着、51分発の0系こだま413号で浜松へ。ここでひかり109号に乗り換える。クイズ王の実家は愛知県にあるので、自ずと出国地は名古屋空港となるのだ。

 しばし離れる日本の風景が、ことさら今日は目に焼きついてくる−のならば話は分かるのだが、不思議とそうした感慨は湧かない。ぼんやりと浜名湖の水面をやり過ごし、12時51分名古屋着。名鉄のオンボロ急行で西春まで行ってバスに乗り継ぐ。

 約束の14時にクイズ王と落ち合い、早速搭乗手続き。あっという間に終わってしまい時間をもてあます。しからば、とクイズ王が将棋盤を取り出す。空港ロビーで(しかも床に座り込んで、だ)将棋に興じる約2名。ハタから見ると相当胡散臭かったに違いない。

偽キャセイ  貧乏学生(親に借金した)はヨーロッパ直行便なぞ使いはしない。搭乗券はキャセイ・パシフィック航空のもので、写真で見た機体と同じ、綺麗な深緑色のロゴが入っている。失礼ながら、アジア系の割には洗練されたデザインだなと思う。ところがどっこい、スポットにやって来たB747は白と緑を上下に塗り分けただけの、野暮ったい塗装をまとっていた。どうやらキャセイ航空、塗装変更の真っ最中であるらしい。「なんだこれは」「こんなもんは偽キャセイだ」と僕達は悪口を言い合ったが、結局今回の旅行で乗ったキャセイはすべてこのニセモノであった。

 16時15分、CX533便は定刻通り名古屋空港を離陸した。クイズ王の実家はどこかなと下界を見回していると、すとんと軽く降下し冷や汗をかく。水平飛行に移ってからは至って平穏で、半年前に乗った台湾行の日本アジア航空と同じような経路を飛んで19時30分(現地時刻、以下同じ)香港啓徳空港に着陸。

 むわっとした東南アジアの空気が僕を包む。トランジットの表示に従って金属探知機を通過。後ろのクイズ王を待ってぐずぐずしていると、係員に「バイバーイ、バイバーイ」と子供扱いの注意を受けカチンと来る。本屋を冷やかしたりして時間をつぶすうち、CX271便の搭乗時刻となった。

 271便は目指す北欧ではなく、アムステルダム行である。大学生協でチケットを取った頃には香港−ストックホルム線があったのだが、夏までの間にこの路線、なんと廃止されてしまった。代わりに用意されたのがこの271便のチケットだったわけだが、機内誌の特集が他ならぬストックホルムの紹介とはシャレが効き過ぎている。

 23時05分という深夜発だったが、いきなり夕食が出る。長く寝苦しい夜が、始まろうとしていた。

「ねえ、クイズ王…」 「何?」 「お水下さい、ってcouldだっけ、shouldだっけ?」 「Water,please.でいいじゃん」

 前途は多難である。


1996年8月2日(金) →アムステルダム→ストックホルム→

 TV画面には現在位置が英語で表示されている。南回りの航路であるらしいが、都市名にはさっぱり馴染みがない。

 眠れないまま、映画を見たり音楽を聴いたり夜食のおにぎりを頼んだり水を頼んだりして時間は過ぎてゆく。(日本線での)日本人客が多いためか、欧州線でもオーディオには日本語プログラムがあるし、日本人スチュワーデスも乗っているので割合に気楽ではある。割合に、の範疇を出るものではないが。

 やがて、というか、ようやく機は東欧上空に差しかかった。機内TVで「ザ・シンプソンズ」が始まり、朝食が配られる。TV画面の隅っこにオランダが見えてきた。6時05分、アムステルダム・スキポール空港着。

 乗り継ぎに4時間以上の余裕があるので、街まで出ることにする。簡素なブースでEU共通仕様らしい入国スタンプが押され、空港駅からオランダ国鉄(NS)の黄色い電車に乗る。東海道線の快速アクティーを連想させるダブルデッカーは、まだ夜の明けきらぬ感のある住宅街の中を静かに走り抜け、20分ほどでアムステルダム中央駅に滑り込んだ。

NS電車  アムステルダム中央駅の駅舎は、東京駅のモデルとしてその名が知られている。トラムの走り回る駅前広場から仰ぎ見れば、なるほど、確かに赤レンガに角ばった黒屋根を載せたその姿は東京駅に通じるものがある。しかし全体に平べったい感じがするし、建設当時の東京駅はドーム屋根だったはずだ。他人の空似じゃないかなぁ、との疑念が脳裏をよぎった。駅前には運河が流れ、いかにもオランダ的な景観を生み出している。

 ドームに覆われたホームには、黄色い電車がひっきりなしに発着している。オランダの電車と言えば犬面の「ドックノーズ」が思い浮かぶが、既に旧型車の範疇に入るらしくなかなかやって来ない。「スーパーあずさ」のような面長の電車や、2F建の近郊型電車が幅を利かせている。

 空港に戻り(何のことはない。アムステルダムでは電車を眺めただけである)、10時55分発のSK556便でストックホルムを目指す。機内食のパンがやたらと美味く、さすがスカンジナビア航空、世界最高のエアラインと謳われるだけあると単純に感動する。スチュワーデスにオバサンが多いのは、女性の社会進出が進んでいる北欧ならではだろうか。

 12時45分、ストックホルム・アーランダ空港着。名古屋から27時間半。南回りとは言え、さすがに北欧は遠かった。EU国籍とそれ以外に分けられた入国審査で係員に"ticket,ticket!"と連呼され、何のことやら分からず往生する。滞在日数を聞かれて"about 20"と大雑把に答えたものだから、帰路の航空券を見せろと言われていたらしい。クイズ王が物凄く心配そうな顔をする。ようやく押された入国スタンプは、なぜかEU仕様のものではなかった。

大道芸  バスに揺られストックホルム中央駅に降り立つと、目の前に教会の巨大な尖塔が。おお、ヨーロッパだ、と無性に感動する。旧市街のガムラ・スタンを一巡り。今日はお祭りらしく、海岸通りを大道芸人が闊歩している。

 旅行日数は十分あるのだが、僕達は今夜の夜行に飛び乗り北極圏を目指す。鉄道マニアとはそういう性急な生き物である。マックで物価が高い高いとこぼしながら腹ごしらえをして、いざ中央駅へ。外観は石造りで重厚だが、内部は近代的に改装されショッピングフロアもある。窓口で日本で購入したスカンジナビアレイルパス(北欧4ヶ国の国鉄に乗り放題)に日付を入れてもらう。通用開始日と期限日が逆になっており、英語で指摘すると物凄い勢いで恐縮される。そのつもりはなかったのだが、随分と詰問調になっていたらしい。

 ストックホルムから北極圏への足としては、「NORDPILEN(北の矢)」号の名が知られているが、僕達が乗るのはその続行便・902列車ルーレオ行である。水色と黒が北国らしく配色された客車列車の、寝台車に横になる。3段寝台は初めてだが、白人の体格に合わせているからだろう、狭くは感じなかった。

 20時30分ストックホルム発。闇の中、列車は北を目指す。


1996年8月3日(土) →ボーデン→ナルビク

SJ902列車  9時50分、ボーデン着。ここでルーレオからやって来るナルビク行に乗り換えである。しとしとと雨が降っていて、待合室から出る気がしない。

 ナルビク行は902列車と同じくスウェーデン国鉄(SJ)の編成だったが、機関車はオレンジ色であった。キャセイと同じく?SJも塗装変更の最中らしく、こちらが旧色である。10時40分、ボーデン発。

 車内を端から歩いてみる。何両だったかは忘れたが随分と長い編成で、しかも座席はあらかた埋まっている。木材をふんだんに使った内装、キッズ用のプレイルーム、北欧らしさがそこここに出ている編成である。食堂車があったのでお昼に行ってみた。

 ボーデンから100kmも行かないうちに、列車は北極圏へと入る。この辺かと窓外に目を凝らすと、石造りの立派な標識があっという間に通り過ぎてゆく。見渡す限り、森が続く。通りかかった男の子が、「ニイハオ」と言って笑う。

 14時02分キルナ着。大きな町である。ヨーロッパ最北端のこの鉄路は、キルナ鉱山の鉄鉱石をナルビクへ運ぶために建設された。メキシコ湾流に面したナルビクは、北辺の地にありながら不凍港なのである。中学高校の地理の授業で覚えたまさにその場所に、今僕達は来ている。

 キルナの前後から列車は上り坂にかかり始めた。森の中に湖が点在し、8月だと言うのに残雪も見られる。いつの間にか車内は閑散とし、景色が静かに流れていく。

 16時20分、列車は山間の小駅に停車した。ログハウス風の駅舎が雨に濡れているばかりで、構内には人っ子一人いない。トーマスクック時刻表から勘案するにここが国境駅のはずだが、パスポートコントロールのための時間をとる事もなくすぐに発車する。係員が乗り込んだ風もなく、結局スタンプを押されないままノルウェー入国である。まことにあっけない。パスポートを握り締めて緊張していたのに損をした。

 やがて列車は、切り立った崖の中腹を行くようになる。細長い平地を挟んで、対岸も同様に険しい崖である。やがて眼下の平野は、水面に転じた。これがフィヨルドか、と車窓に釘付けとなる。ナルビクまで、まだ1時間はかかる。久しぶりに集落が現れて、ローカル列車と交換する。ナルビク駅

 長い長い下り坂の末、17時25分ナルビク着。屋根のないホーム1本きりの小さなこの駅が、ヨーロッパ最北端の駅なのである。

 どこをどう歩いたかサッパリ思い出せないが、市内のユースホステル(YH)泊。


1996年8月4日(日) ナルビク→トロムソ

 ナルビクの街は、静まり返っていた。それはナルビクが辺境だから、という理由ではなく、単に曜日の問題であるらしかった。立ち並ぶ商店は皆シャッターを閉ざしていて、昼飯の当てがなかった僕達を困惑させた。辛うじて一軒だけ開いていた裏通りのガソリンスタンドで、コチコチのフランスパンを購入する。

 鉄道はナルビクまでしか通じていないが、僕達はさらに北を目指す。中心部のバスターミナル(と言うより空き地だ)を12時30分に出る、トロムソ行のバスに乗る。トロムソは北極圏最大の町なのだそうだ。

 バスは深く切れ込んだ入り江に沿って走る。入り江の奥には小さなドライブインがあり、幾人かの客が乗り降りする。背後の切り立った崖には滝があり、細く白く一条の水が流れ落ちている。絵葉書のような光景だが、その先どこまで行ってもそんな光景ばかりだったらしく、あとは何も覚えていない。

 当時の手帳によれば、途中のNordkjosbotnと言う町でバスを乗り継いだ事になっている。この路線はトーマスクックに掲載されているが、全便トロムソまで直通となっている。何故イレギュラーな乗り換えが生じたのか、真相は分からない。忘れてしまったと言うより、最初からバス会社の説明なんて理解できてなかったのかもしれない。

 ともあれ17時30分の定刻よりやや早く、バスはトロムソに到着した。街の裏手、つづら折りの坂道をえっちらおっちら登っていく。両側にはいかにも北欧的な、カラフルな邸宅が並んでいる。トロムソのYHはその先にあり、雰囲気からして学生寮を夏休み中だけ観光客用に転用しているものと見受けられた。

 受付で名前を告げると、窓口の若者は分厚い予約簿を取り出した。右へ左へ、幾度もページをめくっては首をかしげる。ナルビクYHの予約はクイズ王が、そしてトロムソYHの予約は僕がストックホルムから電話したのである。どうやら僕の英語は通じていなかったらしい。幸いにして満室ではなかったので、飛び込み客という扱いながらベットは確保した。

 部屋に入るとクイズ王はぷいとふてくされ、寝に入ってしまった。後に語ったところによれば、「だって先輩さあ、サークルの旅行だとすっげえ仕切ってくれるじゃん。もっと自分で動いてくれると思ってたんだけど」との事なのだそうだ。百戦錬磨の自分と初渡欧の僕を比べられても困るのだが、普段の僕がいかに偉そうに振舞っているか窺い知れるエピソードではある。

 疲れているはずだけど、悶々と眠れない夜を過ごす。トロムソは21時を過ぎても、まだ日が落ちなかった。


1996年8月5日(月) トロムソ→スピッツベルゲン島

 欧州最北端と呼ばれるノールカップは北緯71度、トロムソよりさらに300km程先にある。夏の北欧と言えば白夜、そして「真夜中の太陽」である。しかしさすがのノールカップも、8月になると日は沈んでしまう。

 来るのが遅すぎた。もはや「真夜中の太陽」は眺める事が出来ない。−そんな事はない。8月でも一日中日の沈まない地が、地球上にはある。

 トロムソの沖合1000km、ノルウェー領スヴァルバール諸島。中心都市ロングイヤービーエンは北緯78度、諸島の北端は80度線を越える。これは北極圏と言うよりも、北極そのものである。

 SASホテルの前からバスに乗り、トロムソ空港へ向かう。チケットカウンターはごった返していた。首都オスロへ向かうと思われるビジネスマンの姿も多かった。ロングイヤービーエンまで往復、とクイズ王が告げると、帰りはいつにするかと聞かれる。水曜と日曜の週2便運行との由。

「明後日帰るんじゃあ勿体無いよね」「まあ、日曜だと遅すぎる気もするけど」

ロングイヤービーエン空港  5日間程度の滞在をもくろんでいたのだが、思いもかけず北極に1週間の長逗留をする事となった。

 ブローテン航空BU455便は12時25分にトロムソを飛び立った。雲の切れ間から北極海をちらと眺め、2時間もかからずにスヴァルバール諸島までひとっ飛びする。

 14時05分、スピッツベルゲン島のロングイヤービーエン空港着。タラップを降りると、見渡す限り荒涼とした風景が目に飛び込んできた。


(つづく)

2004.7.25
Copyright(C) tko.m 2004

第2部へ  大いなる!?旅の記録へ  MENUへ

inserted by FC2 system