TOKYOちかてつWALKER・第2回



はじめての丸ノ内線

茗荷谷〜御茶ノ水(文京区)




丸ノ内線路線図

 練馬区にある母の実家は、西武池袋線の線路に程近い。幼い頃その家に行くたびに、僕は食事の間も惜しんで線路際へと出かけ、一日中電車を眺めていた。そんな僕に西武線以外の電車も見せてあげたかったのだろう、ある時祖父は僕の手を引いて池袋へと出かけ、御茶ノ水まで丸ノ内線を往復した。

 それが僕にとってはじめての地下鉄乗車だったのか、正直言って自信はない。祖母と有楽町線に乗って東京タワーへ上った事の方が先だった気もするし、父の郷里へ帰るのに大阪の御堂筋線に乗ったかもしれない。が、ともあれ丸ノ内線の池袋から御茶ノ水までは、僕にとっては思い出の深い区間である。

 今回はその御茶ノ水まで歩いてみようと思う。ただし池袋からではそれなりな距離があるので、軟弱な僕は2つ目の茗荷谷まで電車に乗った。


 2002年4月20日(土)、11時55分茗荷谷着。池袋寄りはトンネルに突っ込んでいるが、荻窪側は地上となっている。京王井の頭線の神泉とよく似た構造である。もっとも、神泉と茗荷谷どちらがメジャーかは微妙だが。

 駅は綺麗に改築されている。ひとつ手前の新大塚が、昭和30年代から手が入ってないと思わせる老朽ぶりだったのとは、実に対照的である。地上の改札上には小さいながら駅ビルも建っている。しかし看板を見る限り、空き室が多いように思われる。そもそも茗荷谷に駅ビルを建てるほどの需要があるか疑問だが、これは事業の多角化を図りたくても都心部の駅は皆地下にある、という営団地下鉄の事情に一因がある。線路上にビルを建てられるのは、渋谷を別格とすれば、この茗荷谷と隣駅後楽園くらいしかない。

 改札口は春日通に面している。交通量が多い割に辺りが閑静な雰囲気なのは文京区の「格」ゆえか、はたまた先入観か。池袋寄りの一角に学校が固まっているので、まずはそちらを目指す。

 春日通は何の変哲もない大通りだが、裏手の路地をのぞくと、うらぶれたゲームセンターや「図書文化」の看板を掲げた古ビルがあり、いかにも大学町の風情がある。深谷元代議士の事務所(こんな所にあったのか)の角を折れると、お茶の水女子大学と跡見学園短大の間を行く道となる。当然そこかしこに花の女子大生…は見当たらない。

 代わりに身なりのよい母親と度の強いメガネをかけた小学生のペアが続々とやって来る。いかにも文京のお屋敷の教育ママ、そして塾通いを怠らないガリ勉クン、といった雰囲気である。同じ親子連れでもイトーヨーカドー伊勢原店へ買い物に来るような人たちとは発するオーラが違う。四谷大塚でもあるのだろうか、と人並を逆行すると区立の教育センターがあり、「やってみましょうたのしい実験」と看板が出ている。今日は完全週休2日制実施後初の第3土曜である。

 表札も何もない立派な石造りの屋敷を見つけたり、ザンビア大使公邸の洋館を眺めたりしながら住宅街を歩く。拓殖大学の門を過ぎると道は急カーブの下り坂に転じ、その谷底には林泉寺という寺がある。都会らしく本堂はマンションの1Fに相当するような間取りとなっているが、参堂の途中に荒縄を巻きつけられた古いお地蔵さんがある。傍らの説明版によるとこれは「縛られ地蔵」といい、願をかける時に縄を巻きつけ、成就した際にほどくのだそうだ。同様の地蔵は葛飾区水元にもあり、そちらは大岡裁きで有名になったとか。

 すぐ先にも深光寺という寺があり、こちらには里美八犬伝の作者・滝沢馬琴の墓がある。が、いちいち寺社仏閣に立ち寄っていては先に進まないのでスルー。

 深光寺の先を左折すると、ガード上に丸ノ内線の電車が止まっている。茗荷谷の車庫である。第3軌条式集電で架線柱がないから、電車がいなければ線路に気付かないところだった。ガードをくぐり、線路に沿って歩く。切り通しの底にあたる薄暗い道路で、見上げても車庫は見えない。反対側も急斜面に木立が茂るばかりだ。

 やや往来のある通りにぶつかり、左へと折れる。閑静な町並みの中を、道は緩やかにカーブを繰り返す。丸ノ内線は地上を走っているはずだが、左手の丘の中を切り通しで抜けているらしく、こちらからは全く見えない。

 通りに面して区立金富小学校がある。普通学校にはそれなりな門があり、往来から一歩引いて建っているものだが、土地がないのか昇降口が直接道路に面しており、会館か何かのような構えだ。グランドも寺を1軒はさんで離れた場所にある。ガラス扉に児童が描いたポスターが貼ってある。

 「かなとみ小のトイレはこわくない」

 玄関で高らかに宣言する事ではないと思う。

 それにしても花子さん伝説って、イマドキの小学生も信じているんだろうか。放課後にコックリさんとか呼ぼうとしているんだろうか。案外そういう古典的な迷信って、世代を超えて語り継がれていくのかもしれない。

 小学校の前には区が立てた看板があり、今歩いている道路が神田上水を暗渠化して作られたと記してある。前回歩いた台東区でもそうだったが、地名や通りの由来を書いた案内板は随所にあり、街歩きに彩りとウンチクを与えてくれる。

 印刷会社と、それから高層マンションが立ち並びだし、牛天神下という由緒ありげな名の交差点を過ぎると道は突然太くなった。何故か清掃車が一列に路上駐車している。

 真新しいマンションの裏から丸ノ内線の線路が現れて道路に寄り添った。右手築地塀の向こうには木立が見える。小石川後楽園である。さらに進むと、巨大な白風船が視界に入ってくる。言うまでもなくビッグ・エッグ(最近この愛称聞かなくなった気がする)だ。

 「後楽園」で何を思い浮かべるかは人それぞれであろう。東京ドーム、後楽園ホール、ウインズとちょっと濃い目の人たち向けのスポットがこの一角にはひしめいている。しかし僕の場合、後楽園と言えばこのフレーズが即座に浮かぶ。

 「後楽園ゆうえんちで、僕と握手!」

 ゴーグルレッドやコウガブラック(違)が叫ぶこの言葉に胸ときめかしたいたいけな子供が、どれだけいた事だろう。かく言う僕もその1人だが、後楽園に入ったことはない。練馬区民にとって、遊園地と言えばとしまえんである。無論今日も、遊園地に入ってハリケンジャーと握手したりはしない。

 12時50分、後楽園の駅に到着。一駅に1時間近くかけてしまったが、この先は駅間距離が短いからこの辺が今日の中間地点になる。ここも駅ビルがあるが茗荷谷より賑わっており、一気に繁華街へとやって来た気分だ。ただしこの駅ビル、外から眺めると何だかしょぼい。地下鉄だから内装は出来ても外観をデザインするのは苦手なのだろうか。

 線路の向こうに27F建ての高層ビルがそびえている。これはなんと文京区役所(文京シビックセンター)である。都庁ならまだしも、たかが区役所を高層ビルにする必要性がどこにあるのか疑問だが、ブタもおだてりゃ何とやらでとりあえず上ってみようと思う。

 土曜日ではあるが庁舎は開いていて、エレベーターの前にはそれなりに人垣ができていた。展望フロア直行のエレベーターは、吹き抜けの中をぐいぐいと登っていく。各階のオフィスが見通せる。しかし休日出勤している職員は誰一人としていない。

 エレベーターを降りると、正面に展望レストランがある。丁度お昼時ではあるが、セットメニュー\2000と役場にあるまじき高さなので入らない。このレストランがフロアの半分を占め、皇居・お台場側の眺望は全くきかない。

 しかし山側の半分はタダで見る事が出来る。手前に文京区内の町並み、その奥に新宿〜池袋〜上野のビル街が望まれる。幸運な事に団体客がいて、地元民と思しきガイドが事細かに解説をしてくれる。目を凝らせば春霞みの中に埼玉県川口市のビルが見え、上野公園の木立の中から寛永寺五重塔が顔を覗かせている。「東京タワーよりいいわあ」と団体客からため息が漏れる。同感だが、こんな展望塔を税金で作る必要があるのかはやはり疑問だ。

 春日通を東へ向かう。右カーブを切りつつ急坂を上ると、地上を走ってきた丸ノ内線が通りの地下へと入る。地図を見るとこの春日通の下には大江戸線も通じている。どうやって工事をしたんだろうかと思う。大江戸線全通からは1年以上経ったものの、関連工事は終わっていないのか、路面は仮設のままであった。

 ふと見つけた本郷教会の瀟洒な建物に惹かれるように、裏通りへと入る。住宅や低層ビルの並ぶ変哲のない道路だが、とあるビルに「新しい歴史教科書をつくる会」と看板が掲げてある。東大のお膝元本郷とはいえ、よもやこんな渋い場所にあるとは思わなかった。

 春日通に戻ると、程なく本郷通(国道17号線)と交差する。ここが本郷3丁目交差点で、傍らのビルに地下鉄の入口があるが、これは大江戸線のホームにしか通じていない。しからばわが丸ノ内線の本郷三丁目駅はと言えば、本郷通から一歩引いた路地裏にあった。本郷通と入口の間にはしっかりと商店街が形成されており、地下鉄と言うよりは私鉄の駅前のような雰囲気である。今日見てきた駅はどこも「駅」としての表情をきちんと持っている。戦後初の地下鉄開業区間、という歴史によるものだろうか。

 ここまで来ればゴールは近い。駅界隈の賑わいが途切れたあたりで本郷通から外れれば、もう正面にはJR中央線の独特な架線柱が見え出す。順天堂大学病院の裏手を回り、東京医科歯科大学病院の正面へ出ればそこが御茶ノ水である。13時45分。

 JR御茶ノ水駅(千代田区)との間にかかる橋の上に立つ。聖橋の向こうに、再び地上に出て神田川を渡る丸ノ内線の電車が見える。あのはじめて丸ノ内線に乗った日、食い入るようにその電車を眺めていた僕を見て、祖父は「あそこも乗ってみたいか」と言い、もう1駅先の淡路町まで電車に乗せてくれた。けれども今日はそこまで真似なくとも良いだろう。僕は昼食の後、神田川に沿った坂道をぶらぶらと降りていった。


(つづく)


2002.4.28
on line 2002.8.25
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