TOKYOちかてつWALKER・第3回



ドトールと日比谷線

東銀座〜小伝馬町(中央区)



日比谷線路線図

 路線図を広げてみる。日比谷の先で山手線の下をくぐった地下鉄日比谷線は、築地方面を大きく迂回して上野へと向かっている。その迂回路はあたかも、東京の外縁部を指し示しているかのようだ。かつてこの線路の外側は、海であり郊外であったはずだ。

 が、時代は変わった。東西線が、有楽町線が、そして新宿線が日比谷線の「枠」を突き出て路線を延ばし、大江戸線は日比谷線のさらに外側をぐるりと周回した。いつしか日比谷線は、中央区の都心部を貫通する路線になった…というのが僕の勝手な解釈である。

 今回はその「元・外縁部」を歩いてみる。かすかに潮の香りが…という場面を夢想したが、さてどうなるか。


 2002年8月11日(日)9時15分、東銀座駅頭。寝坊な僕にしてはスタートが早いのは暑さのせいだが、既に気温は高く、照り返しが眩しい。眼前には歌舞伎座がそびえ立っており、10時半のオープンに向け早くも列が出来ている。歌舞伎座は東京を代表する建築物の一つであるはずだが、初めて見たので「銀座にいる」という実感は湧かない。あまつさえ斜向かいには南海電鉄のロゴをかかげたビルが建っている。難波にでもやってきたような気分だ。

 線路の真上に当たる晴海通を、南東へ歩く。首都高速をまたぐと早くも築地エリアで、都バスの停留所がある。行先を見ると「豊海水産ふ頭 晴海ふ頭 業平橋」とある。なんだか、江戸と海の雰囲気が漂うバス停である。

 前方に勝鬨橋の優美なアーチを望みつつ、築地4丁目交差点を左へ曲がり新大橋通へ入る。ここを右折すれば築地市場で、場外市場と書かれた古びた商店の列が伸びている。
本願寺
 交差点に接して、築地本願寺がある。元から有名であるが、hideの葬式でますます有名になったお寺である(偏ってるなあ)。 hideとhydeの区別がイマイチついていないのはともかくとして、まあ有名どころだからお参りでもしようか、と門をくぐろうとしてギョッとした。本願寺の建物は、インドかと見紛うような奇妙キテレツなデザインだったのである。あるいはこの建物自体有名なのかもしれないが、全く予備知識がなかったので驚いた。「ご自由にお入りください」と看板が立っているが、たじろいでしまい足が動かなかった。

 敷地を接して築地駅の入口があり、9時30分着。本願寺の他には、小ぶりなオフィスビルが並ぶばかりである。さして主要な駅とも思えないが、ドトール・スタバ・ベローチェとコーヒー店が揃い踏みして覇権を争っている。

 新大橋通を進む事数分、入船橋を渡る。橋の名前は由緒ありげだが、下を見ても川はなく、打ちっぱなしのコンクリートである。傍らの地下鉄入口は有楽町線の新富町駅で、かつての終点として馴染みのある駅である。こんな殺風景な場所だったのかと思う。

 沿道にはオフィスビルに加え、マンションが混じるようになってきた。都心回帰の表れか、古色蒼然としたアパートメントの隣で新たなマンション建設が行われていたりする。しかし基本的にはビジネス街なのであろう。休日の今日は静かだ。車も少なめだが、東京駅とビックサイトを結ぶ臨時バスが何台もやってくる。今日は有明で何かあるらしい。

 9時47分、八丁堀着。相変わらず新大橋通沿いの景観はぱっとしないが、1本路地裏に入ってみれば、多少趣のある街並みに出会うことはできる。築地に続きドトール発見。

 東京駅の大丸を遠く望みながら八重洲通を越える。ここから先、小伝馬町までは日本橋の領域だが、日本橋茅場町・日本橋小網町・日本橋蛎殻町と地名が実に細かくくるくると変わる。さすが天下の日本橋だが、繁華街は中央通沿いのずばり「日本橋○丁目」であるから、日比谷線沿いの景観は入船辺りと大差ない。

 脇道をのぞくと新亀島橋という橋があり、こんどは暗渠ではなくちゃんと川が流れている。下流に巨大な水門があり圧倒される。川面を流れる涼風で一息、といきたいところであるが、照り返しのほうが強くて立っているのがしんどい。

 9時57分、茅場町着。地下から冷気と一緒に、日比谷線の走行音が吹き上げてくる。ずいぶんと浅いところを走っているようだ。ここにもドトールがあり、築地以来3駅連続。よほどオフィス街での需要があるのだろう。

 日本橋川を渡る。1km弱ほど上流に日本橋がかかる由緒ある川なのだが、頭上には首都高速が多いかぶさり、川面にはその橋脚が突き刺さり、無残なほど眺望が効かない。かすかに潮の香りがしたような気もするが、気のせいだったろうか。

 橋を渡り終えたところにKodakの本社ビルがある。失礼ながらこんな中途半端なところに本拠を構えていたのかと思う。同じビルの半分は別の会社の本社になっているのだが、これがなんと山万である。自社開発したニュータウン内に、自らの手で鉄道(かどうか微妙だが)を敷いてしまう変わった不動産会社だ。 Kodakと山万、思いもしなかった組み合わせである。
蛎殻町にて
 いいかげん新大橋通にも飽きたので、1本東側の道へと移る。古びた飲み屋の向こうに、高層マンションが聳え立っている。新旧明暗取り混ぜた光景で、やはり裏道の方が面白い。

 道は人形町通(と思う)に突き当たって終わる。向かい側にあるのが水天宮で、さして有名な社ではなかったのだが、半蔵門線の駅が蛎殻町でも箱崎町でも東京シティエアターミナル前でもなく「水天宮前」と名乗ったがために広くその名を知られるようになった。…というのは鉄道ファンの勝手な解釈ではあるが、当たらずしも遠からずかと思う。

 折角だから中へ入ってみる。安産と子供の成長を願う神社らしく、子供連れの参拝客で賑わっている。露店の品揃えもそれらしく独特である。一応賽銭箱に10円は投げてみたものの、 僕にはまったく無縁な神様だから従兄の子供の成長を願っておく。

 水天宮に日比谷線の駅はなく、ここで線路は新大橋通に別れを告げて人形町通へと左折する。途端に沿道の雰囲気が変わる。水天宮の門前町として栄えてきたのであろう。両側にびっしりと商店が建ち並んでいる。人形焼を売る昔ながらのお店もあれば、マツキヨやマック、そしてドトールまでなんでもある。「甘酒横丁」という、小粋な名称にも出会う。今日初めて、"活きている"街に出会ったような気がする。なかなかに賑やかだ。

 10時22分、人形町駅の入口を通過。繁華街はなおも続いているが、徐々にオフィスが混じるようになってきた。日本橋人形町を抜けて日本橋堀留町も中ほどまで来れば、道は静けさを取り戻す。堀留町をが尽きれば日本橋大伝馬町、ようやく今回の終点、小伝馬町が近づいてきた。

 10時35分、小伝馬町に到着。江戸通との交差点付近にローソンと飲食店が数軒あるだけの、寂しいところであった。地下鉄入口前には石碑と案内板が立ち、江戸時代には一帯が牢屋敷であり、吉田松陰終焉の地である由緒を伝えていた。

 かくして日比谷線紀行は終わったのであるが、やはりここは、各駅にオプションのように建っていたドトールで休憩、といきたい所である。ところが、 小伝馬町に限ってドトールがない。スタバもベローチェもあるのにドトールだけがない。仕方なく僕は、マックで早すぎる昼食を取ることにした。

 おおかた読者諸氏は、僕がこの後、隣駅の秋葉原へ向かったと思っているに違いない。が、僕とて上京するたびにそんなワンパターンな行動を取っているわけではない。マックを後にした僕は中目黒行の電車に飛び乗り、八丁堀で京葉線に乗り換えて東京湾岸を目指したのであった。


(つづく)

2002.8.25
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