TOKYOちかてつWALKER・第1回


 自慢じゃないが、いや、本当は自慢なのだが、僕は東京の地下鉄路線を完乗している。あの複雑怪奇な路線網を隅々まで乗り尽くしたのは結構スゴイと自惚れている。

 しかし、僕が行き尽くしたのは東京の「地下」でしかない。電車が轟々と駆け抜ける、その上にいかなる風景が展開しているのか、実は殆ど知らない。表参道のイルミネーションを眺めた事もないし、歌舞伎座がどんな建物かも見当がついていない。

 ひとつ、地下鉄の「上」を歩いてみようじゃないか、と思い立った。おのぼりさんでもいい、東京という街を、僕は知りたくなったのだ。




その先の銀座線

末広町〜浅草(千代田区・台東区)



銀座線路線図

 日本屈指の繁華街を貫く銀座線は駅間距離が短い。特に日本橋付近では、電車は動きだしてはすぐ止まってしまう。しかしデパートが途切れるためか神田の先だけは駅が離れており、01系は思い出したようにスピードを上げていく。まさにその真上にあるのが、秋葉原の電気街である。

 東京で最も馴染みのある街、といえば僕の場合郊外の町田であるが、ここ2年ほどはむしろ秋葉原へやって来ることのほうが多くなった。秋葉原へ来る客にも色々あって、家電製品を買いに来た客はJR秋葉原駅を降りると線路をくぐって南側のオノデンやラオックスに向かう。これに対し、僕のような人種(何を買っているのかはあえて書かないが)は駅より北、銀座線が走る中央通沿いのショップへ走る。

 しかし、ショップは蔵前橋通とクロスする外神田5丁目交差点が北限とされていて、ここから先には足を踏み入れたことがない。そしてこの「北限の地」に、銀座線末広町駅がある。今回はこの駅をスタートとして、秋葉原の「その先」を辿ってみることにしたい。


 2002年3月23日(土)、この日デビューした多摩急行から表参道で銀座線に乗り換え、11時15分末広町着。ホーム壁は綺麗に化粧直しされているが、上下線の間に林立する鉄骨や階段には、昭和初期の古さが滲み出ている。地上に出ればそこは外神田5丁目交差点、もうお馴染みになった光景である…と思いきや、角の銀行が三和からUFJに変わっている。

 下車客には「らしき」人達もいたが、電気街には寄らず(本当ですよ)北へと歩を進める。何の変哲もないビル街である。人通りも少ない。交差点一つ隔てるだけで、電気街とこうも世界が違ってしまうのかと思う。

 電気街から見ると道路をふさぐように建っている、中央三井信託銀行の前で中央通は右へとカーブする。まだ歩き始めて5分しか経っていないが、電柱の住居表示を見れば早くも上野の領域である。観光客を乗せた人力車が信号待ちをしている。

 正面に上野の森が見え出したが、松坂屋の角を右に折れる。忠実に地下鉄の真上を辿ろうとすれば、大通りばかりになり味気ない。にわかに裏通り然とした雑然とした一角へとさしかかる。臭い立つような魚市場の隣に、フレッシュネスバーガーが場違いに店を構えている。

 JRの高架に沿って北上すれば、やがてアメ横へと足を踏み入れる。古着屋、乾物屋、魚屋、様々な店がひしめき、ドスの効いた売り子の声がこだまする。発泡スチロールの箱がすれあう音が勢いよく響く。雑踏のすぐ上を、京浜東北線の快速電車が轟と通過する。なかなかの活気だが、ふと人垣の途切れた一角を見つける。マクドナルドである。アメ横の勢いに乗り損ねたように見える。

 商店が途切れればそこはもう上野駅である。時刻は11時25分。交差点を渡って上野公園の階段を上る。西郷さんの銅像が見たいのである。ベタと言われようが田舎モノと笑われようが、1度も見ていない以上やはり行くべきだろう。

 かつては上野公園といえばイラン人の溜まり場であったのだが、外国人は全く見当たらない。その代わり、入口の階段には似顔絵屋の爺さんが異様に多い。そして、彼らを横目に一路西郷像を目指す観光客もまたお年寄りばかりだ。アメ横には若者(と言っても、服装からしてあきらかにおのぼりさん)もちらほらしてたのだが、こちらは徹底して年齢層が高い。

 西郷さんは入口からすぐの所に立っていた。なんで今まで気付かなかったのだろう、と思うほど市街地から近い場所である。上野の大地の端にあたり、昔はさぞ絶景の地であったのだろう。今は駅前広場を囲むビル街しか見えない。手前の高架線を走る電車だけが動きのある光景である。

 西郷さんの直下、しのばず口の交差点に面した低層のショッピングセンターの佇まいは昔と変わっていない。映画の看板を掲げたこのバタ臭い建物が、上野らしくて僕は好きである。ところが信号を渡りJR上野駅へと入ると、状況は一変した。赤帽の事務所や物産展然としたワゴンは跡形もなくなり、小綺麗なショッピングセンターと化していた。スターバックスやアンデルセンといった、およそこの地に似つかわしくないお店が並んでいる。散々JRの車内広告で告知されていたから、上野駅が改装されたのは知っていたが、ここまで大掛かりなものだとは思ってもみなかった。

 鶯谷寄りにはパンダ橋口という、新宿駅の新南口に似た改札が新たな設けられていた。中央コンコースを追い出されたパンダ像が入口に鎮座している。

 駅前の跨線橋から駅舎を眺める。中は大きく変わったが建物の外観は元のままである。バブル期に構想された高層ビル化が実現しなかっただけよかったのかもしれない。

 さて、銀座線の旅を続けよう。浅草通に入るとビルの高さは低くなり、上野駅の人並も消えてにわかに閑散とする。車道の幅のみがむやみに広く、わりと頻繁に首都高を降りてきた高速バスがやって来る。向かって右側には、仏具屋がぽつぽつと現れ始めた。この先稲荷町から田原町にかけては、仏具屋街として名が知られたエリアである。どの店も雰囲気は共通していて、黒光りした仏壇にぐるりと囲まれて、店主の爺さまが黙って客を待っている。なかには神棚や狛犬を扱う店もある。神仏混交の日本らしい並びだが、さすがに同じ店内に仏壇と神棚が並べてあったりはしない。

 その仏具店の間から、突然大きな鳥居が顔を出した。浅草通から1歩引いた一角に、下谷神社という名の、小さいけれども立派な社が見える。猫の額のように狭い境内で、近所の子供がサッカーに興じていた。

 11時55分、稲荷町駅に到着。地下駅の入口は、古びているものの中々に瀟洒なデザインである。交差点の四隅のうち、2箇所を仏具店のビルが占めているが、1箇所は病院が建っているのが妙に生々しい。ちなみに病院の隣は全国納豆協同組合のビルで、もう何でもありになってきた。

 しかしやはり多いのは仏具店である。それも通りの右側に集中している。左側は南向きになるため、仏壇が痛むのを嫌って店が出ないのである。結果として、通りの左側は一貫して寂れている。

 しかし突然に、仏具店街の雰囲気をぶち壊すかのように、左側にコックさんの大ハリボテが出現する。浅草通と直行する道路に「かっぱ橋道具街通」の看板が出ている。思わず足を踏み入れたくなる。

 道具街は飲食店で使う調理器具や小物を扱う商店街で、鍋や皿に始まって蓮華や暖簾までなんでも売っている。「食欲の演出家」と看板を出した店はメニューのサンプルを売っている。あの店頭に並ぶ蝋細工?がずらりと並んで壮観である。カレーうどん\2000、鉄火丼\5500也。店内には何人か客がいたが、皆物珍しさで立ち寄った冷やかしのように思われた。

 合羽橋南交差点を右に曲がってうらぶれた菊水通に入り、右手に田原町駅のある一角を望みながら国際通を越えれば、再び繁華街となる。その名も雷門通、いよいよ浅草エリアへと差し掛かった。通りの左側にはアーケードがかかり、飲食店が軒を連ねている。お昼時だからよく入っている。しかし浅草通とは逆に、今度は右側に何もない。屋根のない歩道にそって、コンビニがぽつぽつと建っているのみである。

 通りの先に、金色のオブジェが見え出した。隅田川の向こう、アサヒビール本社の巨大モニュメント、通称「黄金のウ○コ」である。設置されてからもう15年くらいは経ったはずだが、浅草の雑然とした商店街の中から眺めると、ひときわ違和感が際立つ。

 道端に静岡鉄道の観光バスが止まっていて、子供達が続々と柵を乗り越えて降りてくる。中々にやかましく、どこの小学校だろう、とバスを見れば「初倉FC」とある。サッカーチームで花の東京バス観光とは、さすが王国静岡である。

 そして雷門。12時25分着。TVでお馴染みのあの大提灯がぶら下がっている。ここも実は初めてやって来た。門の周囲は足の踏み場もないような雑踏である。上野公園にくらべれば若い人が多少は目に付き、それ以上に外国人、特に白人系の人たちが多い。同じ観光地でも、例えば横浜ランドマークタワーはアジア系の人たちが主流であるが、やはり欧米人にとってはフジヤマ・ゲイシャのイメージに最も近いこの町が第1の観光スポットなのだろう。

 さて、仲見世に足を踏み入れてみよう。おのぼりさんの東京探検はまだ始まったばかりである。


(つづく)


2002.3.31
on line 2002.8.25
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