今度の旅はレアバスで・第3回



たまのほそみち

神奈川中央交通 柿26 市が尾駅→若葉台駅



 2001年5月20日(日)。江ノ電バス、藤沢駅→鵠沼車庫行乗車に失敗。

 5月26日(土)。神奈中バス台08系統、相武台前駅→車庫前行乗車に失敗。

 どうもレアバス紀行というのは、僕が想像する以上に困難なものであったらしい。前回の小田急バスに引き続き、今回もまた「小田急時刻表」と実際の時刻が異なり空振りに終わると言う憂き目にあった。しかも2週連続で。「小田急時刻表」が頼りにならないのならば仕方がない。台08に乗りそこなった夜、ネットで時刻を調べて僕は翌日の予定を立てた。目指すは神奈中の柿26系統。多摩田園都市の市が尾(横浜市青葉区)から多摩ニュータウンの若葉台(東京都稲城市。ただし駅は川崎市麻生区)まで休日に1本だけ走っているレアバスである。

 東急田園都市線市が尾駅に降りたのは何か月ぶりだろうか。いつの間にかエレベーターが出来ている。この駅のバスターミナルの形はちょっと変わっていて、線路上に蓋をする形でバス駐車場を作り、ここから改札横まで道路に沿って停留所が並んでいる。「駅前広場」の風情はなく散漫だが、スペースを上手く使った、良く出来たターミナルである。

 駐車場には横浜市交通局や東急バスが止まっている。いずれも小田急沿線ではほとんど見ないバスであるが、僕がこれから乗るのはお馴染みの神奈中バスである。それにしても時刻表を見ると、市が尾に乗り入れている3本の神奈中路線はすべてレアバスと化している。なんだかずいぶん投げやりである。

 10時05分発柿26系統若葉台駅行のバス乗り場には2人の客が並んでいたが、10時01分に東急バス柿23系統柿生駅北口行に乗ってしまい誰もいなくなってしまう。柿23は小田急小田原線の柿生まで柿26と同じ道を走る。小田急バスとの共同運行で本数も多く、わざわざ神奈中を待つ人はいない。

 ほどなく問題の神奈中バスが坂を下りてくる。見慣れた黄色ではなく、水色の新鋭ノンステップ車である。時刻表にもこの車両が来る事がわざわざ明記してある。週に1度しかやって来ない市が尾で、神奈中の存在をPRしておこうとの意図が見え隠れしているが、こういうバリアフリーな車両は客の多い路線にこそ投入すべきである。乗り込んだのが僕1人ではあまりに勿体無い。

 車内を見渡すと、床を低くした分タイヤのスペースの出っ張りなどがかえって目立ち、段差も多くなっている。4人がけボックスシートや荷物スペースなど、レイアウトにかなり苦労した節がうかがえた。中ドア後ろのやや位地の高い座席に陣取る。

 定刻に発車すると丘を下り、バイパスに出るや次のバス停で男性客を1人拾う。青葉区役所の手前で右に折れると、あとはバイパスに戻らず旧道を淡々と走る。やたらと曲がりくねっており、とても大東急の整備した多摩田園都市の一角とは思えない。開発エリア外なのだろうか。車窓は畑、果樹園、田植えの終わった一面の田んぼと段々ひなびてきた。カミクロガネカモシダグチ、とかやたらと長い名前の停留所が続くのもなんだか田舎臭い。

 やがて桐蔭学園の前にさしかかる。甲子園の常連としてそれなりに知られた学校だが、それ以上に僕にとってはセンター試験の受験会場として記憶に残っている。帰りの柿生行臨時バスの中で試験の出来に話を咲かせたのも、もう昔の話だが懐かしい。

 桐蔭の少し先で男性客がもう1人増える。先行の東急バスに乗り遅れた、柿生駅までの客だろうか。次のバス停でその東急バスに追いついてしまうと、もう誰も乗らない。

 小田急線を陸橋で超え、柿生駅裏にさしかかる。市が尾からのバスは、前回川崎市交通局のバスに乗った駅前広場には入らない。が、街道と駅の間にだだっ広いターミナル(実質ただの空地)が設けられており、運転はこちら側の方が楽そうである。乗り場に面した改札口もかつてはラッシュ時しか開いてなかったが、常時開放に変わって便利になっている。

 ところが驚くべき事に、我が神奈中バスはそのターミナルへすら入らない。進入路をあっさり通り過ぎ、次の角で左折して一路若葉台を目指す。さらに驚くべき事に、車中の客が誰も降りない。柿生に行くのにたまたま乗りあわせたのではなく、わざわざ週1便のこのバスを選んで乗っていたのだ。バスマニアには見えないし、彼らは一体どんな用事でこのバスに乗っているのだろう。

 相変わらず道は細く曲がりくねっている。柿生の駅勢圏は小さく、再び畑が目に付きだす。なんだかもうただの農村であるが、そう思いだした頃に突然ニュータウンの中に突っ込む。小田急多摩線沿線の新興住宅地であるが、更地ばかりで殺伐としている。東京に近いのにダイヤが不便だから、この辺りは一向に開発が進んでいない。「分校下」というローカルなバス停があったが、下手したら本当に今でも分校しか作れない程度の住民しかいないかもしれない。

 右手に小田急の黒川駅が見えるが寄らない。柿生といい、きわめて唯我独尊なバスではあるが、どのみち黒川駅前に乗り入れたところで乗客など見込めない。2つ隣の五月台駅や小田原線末端部の足柄駅と、毎年小田急線69駅中の乗降客数最下位を争っているような小駅である。

 住宅街&更地が尽きて右折すると「次は下黒川」とアナウンスが流れる。柿26はかつては下黒川が終点で、現在も大部分のバス停では下黒川行と表記されている。困ったことことである(しかし実際には誰も困っていないのであろう)。終点だけでもちゃんと電車と接続を取るようにルートを改めたのはたいしたものだが、それ以前にこのバスの場合、本数の方がよっぽど問題のような気がする。

 鶴川街道から左折すると京王相模原線若葉台駅、と思いきや、そこかららせん状にぐるぐると坂を登り方向が分からなくなる。丘のてっぺんまでくると一面の造成地となるが、黒川以上に何もない。マンションが何棟か建っているだけである。

 10時40分、若葉台駅到着。多摩丘陵を奥へ奥へとたどる旅はわずか30分強で幕を閉じた。駅前広場はよく整備されているがほとんど誰もいない。入れ違いに小田急小田原線鶴川駅行の神奈中バスが出て行ったが、これがこの日唯一すれ違った神奈中バスであった。若葉台自体は京王バスが多いようである。

 地図によれば多摩ニュータウン界隈ではこの辺りだけが未開発で、黒川エリアに至っては山林まで残っているようであった。多摩ニュータウン自体は建物の老朽化と住人の高齢化が深刻になってきているのだから、奇特な事ではある。



(つづく)


2001.6.10
on line 2002.9.1
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