鉄道迷の台湾道中  〜前編


 相互リンクしていただいているove250さんから、台湾へ行きましょうとお誘いがかかった。

 台湾には1996年に一度行った事がある。初の総統選挙の真っ最中で、中台関係は緊張し、一方で台湾内はお祭り騒ぎであった。島内をほぼ一周し観光三昧の贅沢旅行だったが、パックツアーだったから鉄道にはほとんど乗れなかった。再訪したいとかねがね思っていたところで、すぐさま飛びついた。

 ちなみに我がウェブサイト、家族と会社には内緒である。ove250さんがいかなる人物か説明するのは実に骨が折れた。「ネット上の知り合い」とうっかり口走ったら、母親に本気で心配された。

***

 2008年6月26日(木)7時25分、羽田空港を全日空で飛び立つ。このまま台北までひとっ飛び、としたい所であるがove250さんは関西人でありあっさり関西国際空港に着陸する。集合後、即マック(断じてマクドではない)で昼食と言う芸の無い行動の後、出国手続。搭乗ゲートへは、成田空港第2ター ミナルのような水平エレベータが設置されていて途中駅まで乗車する。「終点まで乗りますか?」とove250さんに問われるが、さすがにそこまでは…。

 今回のエアラインは日系でも台湾系でもなく、キャセイ・パシフィックのCX565便台北経由香港行である。キャセイに前回乗ったのは北欧旅行の時だか ら、これまた1996年以来である意味奇遇とは言える。11時15分離陸、さすがにあっという間で13時10分(日本時間14時10分)にはもう桃園(タオユエン)国際空港に着陸してしまう。

 空港からホテルまでは送迎が付いており、一応パックツアーという事にはなっている。しかし12年前がLOOK JTB、今回がHISであるからその差たるや凄まじい。もっとも、市内完全フリーの今回の方が気楽で性に合ってはいる。冷房のガンガン効いたハイデッカーバスに乗って市内を目指す。朱塗りの圓山大飯店には見覚えがあるが、ちらりと見えた台北101ビルは勿論初めての眺めである。黄色いタクシーがやたら多い。オプショナルツアーの宣伝に余念の無い同乗ガイド曰く、台湾でやたら目に付くのはタクシー・バイク・コンビニとの由。

 やがてバスは高速道路を降り、免税店に横付けされた。正直用事は無いが致し方ない。エスカレーターで地下に降りて暫時解散。

「…どうしましょうか」

「とりあえず一通り歩いてみますか」

 あっという間に1周。

「終わっちゃいましたが」

「もう1周しますかねえ」

 男2人で免税店に行けば、こうなってしまうのも止むを得まい。さすがに3周する気は起きなかったので、地上に脱出する。空気はむわっと蒸し、車の往来は激しく、なるほど台湾だと妙に感心。向かいに「21世紀不動産」なる看板を発見し、どこの少年だよと思いかけてからセンチュリー21だと気づいてまた感心。なおも時間は余っているので隣のファミリーマートに入る。免税店よりは海外らしさを感じられそうである。流れている音楽も現地の…

♪こーころをなににたとえよおー

 何故ここでゲド戦記?

台北駅 ようやく免税店を後にホテルへ。空はにわかに掻き曇り、雷も鳴り始めたようである。急ぎ足でホテルに駆け込み、部屋の窓を開ければ目の前に台北駅舎が鎮座していた。地上駅ならば、どこへも出かけず1日カメラを構えていたくなるような立地だ。残念ながらこの駅、線路は全て地下にある。

 雨は程なく止んで、台北駅へ向かう。この10年、台湾の鉄道で最も変わった点と言えば新幹線の開通だろうが、都市交通(捷運/ジュユン/MRT)の整備も急速に進んでいる。何せ前回訪問時は、市内の軌道系交通機関と言えば新交通システムの木柵線だけで、しかもトラブル続きで開業は延期されていたのである。今や市内を縦横に地下鉄が走り抜けているのだから変われば変わるものだ。

 さて、そんな捷運の路線図を眺めていると、俄然気になるのが小南門線である。淡水線の中正紀念堂と板南線の西門を結んでいるのだが、距離は極め付きに短く、途中駅は僅か1ヶ所。一体いかなるニーズがあり、どんな運行をしているのだろうか。台湾に来て最初に行くのがそこか、というツッコミは当然受けてしかるべきだが、何せマニア2名、止める者は誰も居ない。

 そんなわけで台北駅から淡水線に乗る。切符は磁気券ではなく、トークンと呼ばれる青いコイン。どう見てもオモチャにしか見えない代物だが、こいつをSuicaよろしく改札機にタッチするとゲートが開く。車両はイギリスのチューブ宜しく角が丸く、プラグドアが開くやどっとお客さんが降りてくる。

 南行列車で2つ目が中正紀念堂。蒋介石を称えたホールの最寄り駅だが、施設自体はいつの間にか「民主紀念館」なるものに衣替えされている。衛兵が常時警備していた、あの馬鹿でかい銅像は残っているのだろうか。ともあれ駅名は旧称のままで、意匠のグレードも明らかに他の駅とは異なっている。なんだか東横インを連想させる色調だが、そこはきっとつっこんではいけないのだろう。
西門地区
 駅は上下2層になっており、淡水線と目指す小南門線は平面乗換えが出来るようになっている。吹き抜けのコンコースから電車と乗客の出入りを見下ろすと、南側からは小南門線のホームに直進で入線できる配線になっている事に気づく。計画当初は小南門線側を本線とする予定だったのかもしれない。

 踵を接してやってくる淡水線に対し、小南門線の電車はなかなか姿を見せず、広いホームに列が伸びていく。乗り込んではみたが、わずか2駅だからあっという間に完乗。乗車率は極めて良く、短いながらも都心のバイパス路線としてしっかり機能していると分かる。

 終点西門(シーメン)駅で地上に出ると、繁華街の真っ只中である。若い層が多く、原宿か渋谷といった風情。クロネコヤマトの宅配バイクが走り、見上げれば和民の看板。外国に居る気がまるでしない。日本でもお馴染みの某コミックチェーンを発見し、店内を回るうちに日が暮れてきた。

 夕食はove250さんお勧めの小籠包の名店、鼎泰豊(ティンタイフォン)へ。店内には日本語と中国語が混ざり合うが、違和感をちっとも覚えない。「近くて遠い国」としばしば称される韓国と比べると、むしろ近すぎる感じだ。何故この国と緊張関係にならないといかんのか、と思う(海上保安庁巡視船と台湾漁船が尖閣諸島で衝突した頃の話である)。そこから2人の話題は日台の政治談議に発展。あの人込みの中でよくもそんな話をしたものだが、周りに睨まれる事も絡まれる事も無かった。もっとも、ove250さんが止めたのに紹興酒を飲み干して、夜中に喘息発作を起こし死ぬような思いをした。

***

 6月27日(金)、ひと気の無い台北駅から区間車(チュィチエンツァー)新竹(シンツー)行に乗り込む。台湾鉄路管理局(台鉄)の列車種別は自強・呂光・復興(ツーチアン・チュィクワン−正確には、草冠に呂−・フーシン)…と細かく分かれていて、それぞれ運賃も異なっている(特急料金と乗車料金を分ける概 念が無い)。区間車はいわば通勤列車で、永く客車列車が主体であった台鉄にあって珍しく電車が運用されている。車両は韓国製で、正面のデザインは日本の鉄道マニアの感性からすると80年代風だが、VVVFモータを積んでおり侮れない。

 時刻は朝5時50分。朝の苦手な僕が動けるような時刻では到底無いのだが、本日の第一目標、林口(リンコウ)線に乗ろうとすれば、この列車に乗るほかは無い。我ながら、骨の折れる事ではある。

 電車は西部幹線を南行し、2駅ほど走ると地上に出る。日本の都市風景を少し古くしたかのような眺めや、山すそに張り付いた小駅や、鬱蒼と草木が茂った河原が代わる代わるに現れて、6時29分桃園(タオユエン)着。広いロータリーに面してデパートが建つ、絵に描いたような近郊駅である。

 林口線は桃園と長興の間約10kmを旅客営業する路線だが、その運転本数たるや1日2往復。下り列車は桃園発6時55分と17時30分発だけで、大川支線も和田岬線も仰天する過疎ダイヤである。しかも土休日は全便運休。つまり、乗ろうとすれば金曜日である今日のこの時刻に桃園まで駆けつける他無い。

 乗り場は西部幹線の駅とは離れており、駅舎脇から職員しか立ち入ってはいけないような空地を抜けると専用のホームがある。2往復しかないのに「桃林鐵路」と書かれた塔があるのは立派だが、辺りには自動改札機も切符売場も無く、車内に運賃箱も無い。つまりタダ乗り。どうやら地元政府が試験的に貨物線の旅客営業をしている、という事情があるらしい。

 2両編成のディーゼルカーの車内は、立客も多く出る盛況である。本数の少なさゆえ、逆にお客さんが集中したというところか。大半は高校生である。定刻通り動き出すと、ゆったりのっそりした動きで幹線から離れていく。裏町のような眺めの中から狭いホームが姿を現し、高校生が一斉に降りていく。僅か一駅で乗客7割減である。

 列車は住宅街から工業地帯へとゆるゆると進んでいく。ヤードらしき中を通り抜け、新幹線をくぐって7時25分長興着。本線上にコンクリート製のホームが1本きりの、いかにも急ごしらえな駅である。駅舎も見当たらないが無人ではなく、駅員とも警備員とも分からぬオッサンが1人列車を待っていた。ホームに降り立った背後、ゆっくりドアが閉まってディーゼルカーは動き始めた。え、ここ終点じゃないの?

  慌てて進行方向を見遣ると、列車は真っ直ぐ数百メートル先まで進んで停まった。次駅らしきものは見当たらず、やはりここ長興が終着駅であるらしい。どうなる事かとカメラを構えつつ睨んでいると、発車時刻になるとするすると戻って来た。なるほど、列車が停まっていた辺りに信号所でもあって、そこまでが一閉塞なのだろう。だから一度駅を行き過ぎなければならないのだ。昔の鹿島臨海鉄道(鹿島港南駅)と同じ扱いになっているわけだ。
桃園ケンタ
 …と合点したのだが真相は違っており、長興駅の先の踏切を開ける為に、一旦踏切を通り抜ける必要があるものらしい。なんとも難儀なローカル線だが、ともあれ車内に戻ると先客がいる。踏切の向こう側に駅は無かったはずだから奇妙な話だが、顔ぶれに見覚えがある。往路の乗客達ではないか。何の事は無い、皆ちゃんと分かっていて、長興で降りなかったのである。平日朝にしては随分乗り鉄の多い列車で、どんだけ暇人なんだと思う。海外からわざわざ乗りに来たマニアに言われたくは無いだろうが。

 半数以上が同行の士で占められた折り返し列車だが、一応途中駅から一般客も乗ってくる。隣に座ったお爺さんが、しきりに中国語で話しかけてくる。古い傷跡を見せて大げさな手振りを繰り返すから、戦争の話をしているのかもしれないが、笑顔である。向かいに座ったオバサンが、胡散臭そうな目を向けている。

 8時05分桃園着。肯徳基(ケンタッキー)で朝食の後、9時36分発の呂光号で引き返す。台中(タイツォン)から台北を通り抜けて台東(タイトン)までロングランする客車急行だが、乗客の大半は台北へ向かう用務客や買い物客で、需要と車両運用が一致していない印象を受ける。台北から北側も、車窓の変化は目まぐるしい。11時10分、瑞芳(ルイファン)で下車。

 本日第2の標的は平渓(ピンシー)線。瑞芳の2つ先、三貂嶺(サンディァオリン)と菁桐(チントン)を結ぶ15km程のローカル線で、台北からの便も良く観光客に人気があるらしい。出発前に台湾観光協会に立ち寄ったところ、数多くのパンフレットや地図の中に「魅惑の平渓線」という冊子があった。「鉄道迷(鉄道ファン)のみなさん、台湾へようこそ!」という観光局長の日本語での挨拶に始まり、SL紹介に各駅ガイド、撮影スポット(無論鉄道の、だ)紹介まで盛り込まれている。驚くほどの熱心さだ。

 ホーム上の切符売場には、長蛇の列が出来ていた。なるほど、噂に違わぬ人気ぶりである。「鉄道迷」らしき風貌の客は見当たらず、一般の観光客ばかりに見える。女性客や家族連れが多い。一日週遊券と、炭鉱工夫の弁当を再現したという駅弁を購入。車両は林口線と同じで、見事に満員である。

 11時24分瑞芳発。三貂嶺を出るとゴトリゴトリとポイントを渡って平渓線に入り、鬱蒼と木々が茂る渓谷の眺めが続く。次駅大華(ダーファー)の周りに人家は見当たらず、駅の出口もハッキリしないように思える。件の冊子には「台湾屈指の秘境駅です」との記述。誰だ、そんな日本語を教えたのは。

 集落が近づいて来ると、平渓線のハイライト十分老街(スーフェンラオチエ)である。列車は商店街の中央に飛び出し、江ノ電のようにそろりそろりと進む。11時48分十分着。タブレット交換を横目に見つつ下車する。周囲には土産屋が建ち並び、観光地としての体裁を整えている。しかし駅の壁には「空襲避難疏散図」なる地図が掲げられて、この国の微妙な政治的立場を痛感させられる。

 十分の観光名所と言えば滝と炭鉱博物館だが、両方訪れる時間は無い。どちらを取るかと言えば無論後者で、小さなトロッコ列車が走っているのだ。老街をぶらぶら歩いていると、突如として大粒の雨が降り始めた。慌てて民家の軒先に駆け込む。幸いすぐに雨は止んだ。今考えれば、ここで引き返すべきだったのである。
スコール中
 街並みが途切れると、山々に取り囲まれた炭鉱の残骸に辿り着く。朽ち果てた光景とは対照的にカラフルな看板が建ち、博物館の電話番号が記されているが、勿論連絡手段は無く、辺りも無人である。周囲に散らばる遺構にいちいち反応しつつ狭い山道を登っていく。

 5分も登ると、だだっぴろい広場に出た。ナローゲージのレールと架線が張り巡らされている。どうやらここがトロッコの乗り場らしい。ここにも人影は無く、まあしばらく待ってみるかと待合所らしき小屋に入る。再度降り始めた雨が、今度はなかなか止まない。…というか、どんどん強くなってきた。

 広場の水溜りはあれよあれよと面積を増し、あっという間に目の前に池が出来上がる。線路は水没し、小屋の屋根は打ち付けられる雨粒に悲鳴を上げる。雷がどんどん近付いてくる。世界が終わってしまうかのような豪雨である。どうしよう…と2人して顔を見合わせるが、勿論どうしようもない。もはや一歩も動けない。傘はもちろんあるけれどズブ濡れ必至だし、雷に打たれたくは無い。

 やがて博物館に寄る時間は無くなり、老街で撮影を目論んでいた平渓線の発車時刻も過ぎていく。が、そんな事はどうでも良く、ともかくこの無人の山中から脱け出したい。スコールだからじきに止むと知識が告げているが、感情がそれを上回る。たかが雨降りで怖いと思うなど、久しくなかった事である。

 たっぷり1時間以上は過ぎただろうか、ようやく雨足が弱まってきた。ここで逃げずに何時逃げる、それっとばかり2人で小屋を飛び出し、山道を駆け下りる。街へ通じる車道が目に入った時には心底ほっとしたが、その瞬間水溜りに足を突っ込んだ。思いのほか深かった。無論のこと、その後すぐにスコールは終わったのである。
新婚さんいらっしゃい
 やっとの思いで戻った十分の街は、至って普段着の姿を保っていた。14時09分発の上り列車を撮影して、51分発の下り列車で終着駅の菁桐へ。ホームでは純白の衣装に身を包んだ新婚さんがカメラマンに微笑んでいる。ローカル線でドレス撮影など、日本ならばマニアでもやりそうに無い。この国の人たちにとって、用も無いのに鉄道に乗りに来る事は、全っ然変な行為ではないらしい。

 折り返し列車で三貂嶺に戻り、暫く写真撮影。台鉄のホームページでは全駅全列車の運転時刻がExcelでダウンロードできるようになっており、便利この上ない。水かさを増した渓谷にそって、多種多様な列車が次々とやって来る。

 区間車で八堵(パードゥー)まで戻り、基隆(キールン)に立ち寄る。港町らしい雑然とした街並みだが、勿論海を見るために寄ったわけではなく、ここから台北まで自強号に乗るのが目的である。19時20分発の樹林(シューリン)行に運用されるのは、TEMU1000系「太魯閣(タロコ)号」。普段は台北と花蓮(ホワリエン)を結んでいる台鉄ご自慢の最新車が、なぜか基隆にやって来るのである。台北のちょっと向こうまで行って終着、しかも平日限定の運転であり、察するに間合い運用での通勤特急なのだろう。

 1000系はJR九州885系(白い「かもめ」)をベースにした日本製車両で、車内もどことなくJRに通じるものがある。さすがにグッタリ疲れてほぼ眠っていたが、やはり通勤特急らしく、スピードはさほど上がっていないようだった。

 20時05分台北着。モスバーガーや吉野屋が並ぶ地下のフードコートでそれでも台湾らしい夕食を取って、ふらふらとホテルに辿り着いた。長い一日であった。

(つづく)

2009.2.22
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