鉄道迷の台湾道中  〜後編


 台湾3日目、2008年6月28日(土)。本日の行程は鉄道乗りつくしの旅である。今までだってそうだったじゃないか、という指摘は謹んで承る事としよう

 第一ランナーは昨年開通したばかりの新幹線である。台北駅の乗り場は台鉄のすぐ隣であり、在来線のホームを一部新幹線に譲り渡した格好になっている。初日に用意しておいた普通車指定席のチケットはカード大で、自動改札に裏向きに投入して取り出し口から抜き取ると扉が開く。欧州でよく見られる(同行のove250さんによれば、フランス製との事)パターンだが、日本式自動改札(表裏どちらでも投入可。ドアが開いてから切符が出てくる)の台鉄にトークン式の捷運と、ことごとく方法が違うのは如何なものか。

 差異があるのは運営会社が違う証で、新幹線は台鉄ではなく台湾高速鉄路(高鉄)が経営している。だから在来線の特急も存続していて、お互い凌ぎを削る存在であるらしい。

 地下のホームはピカピカに改装されていて、まだ新しさが漂っている。まるで海外に来た気がしない今回の旅行だが、ここでも日本にいるかのような感覚にとらわれる。何せそこに停まっていた車両はメイド・イン・ジャパン、JR東海の700系である。帯色を塗り替えたくらいでは、雰囲気は全く変わらない。

 車内もほぼ東海道新幹線のまま…なのだが、通路が少々広く感じる。乗車率は好調で多くの乗客でごった返しているが、皆荷物が大きい。お国柄にあわせたカスタマイズ、という訳だが座席は5列のままである。早い話、座り心地はいささか窮屈で、エア・ドゥ辺りのエコノミー座席に通じるものがある。車椅子スペースの床面にはくっきり色分けがされており、立ち席スペースとしか見えない日本の車両に比べれば分かりやすい。
左營駅
 新幹線列車に愛称は無く、我が列車には111車次という味気ない番号が付されているに過ぎない。100番台は板橋(バンチアオ)と台中にしか停まらない速達便である。無料配布の時刻表によれば、1時間当たり速達便・各停便がきっちり各2本設定されている。なかなかに高頻度だし、見事なパターンダイヤである。

 9時ちょうど台北発。動き出せば、これはもう東海道新幹線そのものである。眼を閉じればそれこそ台湾にいる気がしない。が、車窓はやはり南国で、町に田園にぎらぎらと日差しが容赦なく降り注いでいる。どの家の屋上にも、同じサイズの銀色のタンクが載っていて、ギラリと反射する。

 南下するほどに天気は悪化して、10時36分に終着左營(ズオイン)に着いた時には土砂降りの雨であった。それにしても所要1時間36分、実にあっけなく高雄に着いてしまった。既存駅に半ば強引に割り込んだ台北に比べると、構内はこれでもかと言う位広々としている。台鉄の新左營駅が隣接しているが、捷運(地下鉄)で中心部に向かう。開通したばかりのはずだが、市民の足としてすっかり馴染んでいて良く混んでいる。

 高雄駅の地上には、台鉄の駅舎が2つ並んでいる。正面向かって右手が旧駅舎で、一見して戦前の建築と分かる和洋折衷の姿をしている。既に現役を退き、内部は市のPRスペースらしきものになっている。
高雄駅
 隣に鎮座するのが新駅舎で、空港風のターミナルビルにはショッピングセンターが入居している。もっとも、駅前のビル群も含めてその規模は意外なほど小さい。台湾第2の都市の割には、ぱっとしない印象を受ける。これという店も見つからず、「功夫熊猫」(カンフーパンダ)のポスターがベタベタ貼られたマックで昼食。ちなみにこの米国産アニメ映画、中国では「パンダを馬鹿にした」といたく不評だとove250さんの弁。

 高雄まで来て何をしたかといえば これだけで、在来線でこれから台北に帰る。2人とも鉄の上に台湾経験者だから、こうなるのはもはや必定である。構内では多種多様な車両が頻繁に行き交っている。今日も強さを増しつつある雨の中、ove250さんが貨物列車を撮りに露天のホーム端へと飛び出していく。元気な方である。

 復路は様々な列車種別を乗り分けるつもりで、まずは12時25分発の呂光号(正確には、草冠に呂)七堵(チードゥー)行で高雄を後にする。薄暗く古びた客車だが、綺麗に満席で、2人離れ離れの席しか取れなかった。お隣さんは若い学生で、英語でなんとか会話を繋げるが、細かく乗り継ぐ当方の切符を眺めるや少々呆れていた。

 13時18分着の台南で一旦下車。箱型で天井の高い老駅舎を出て振り返ると、裏口側にいかにも再開発風の円筒ガラス張りのビルが聳えている。中心部へ通じる大通りの歩道は、屋根があったりなかったり。雨で滑りやすい上に段差も多く難儀する。三越やら、ファミリーマートやら、大病院やら、どこまで行っても人が多い。
台南消防署
 やがて大通りは、巨大なロータリーに突き当たる。台南は戦前建築が多く残る町で、堅牢な文学館やどこか南国然とした消防署が広場を見下ろしている。しかしそれ以上に目立つのはずらりと並んだ写真屋さんで、特に結婚写真が売りらしく、どの店のショーウィンドウにも純白のドレスが飾られている。ここまでの需要があるのかと驚くほどの数だ。

 駅まで戻ってCD店を冷やかしてから(「早安少女組」はすぐ分かったが、「地球楽団」=globeねえ。なるほど)、14時46分発の復興号七堵行に乗る。呂光号のさらに下、普通列車よりは速いという位置づけの列車だが、あまりに細かい種別区分が時代に合わなくなってきたようで、どうやら縮減傾向にあるらしい。台南からの上り列車は1日2本を残すのみで、日本で言えば普通急行並みの絶滅危惧種である。

 復興号の車体は水色に塗られていて、冷房設置がステイタスだった時代が忍ばれる。1時間ほど揺られて嘉義(チアイー)で下車。なかなかの大駅だが、一番駅舎寄りの線路だけ幅が狭い。これが世界的に有名な軽便鉄道、阿里山(アーリーサン)鉄道の乗り場らしい。今は空っぽで、車庫も別の場所にあるらしく、線路を眺めて悔しさを噛み締めるほか無い。何としても乗りたい路線ではあるが、阿里山まで行ったらそれだけで台湾旅行が終わってしまうのだ。

 手持ちのガイドブック(これがまた、妙に「鉄」なのである。昭文社刊)によれば、駅裏に「鉄道芸術村」なる施設があるらしい。「嘉義後站」(「後」と言い切ってしまう辺りが面白い)と看板が掲げられた駅舎を出て、道に迷いながら辿り着いてみると、そこは鉄道博物館ではなく、鉄道施設(倉庫)を転用した美術アトリエだった。
阿里山鉄道
 次に乗るのは台鉄の最高種別、自強号である。16時45分発七堵行は自強号の主力であるプッシュプル式電車であった。客車は韓国製、両端の機関車は何と南アフリカ製という取り合わせである。さすが特急で、客車急行に比べれば居住性もスピードも全然違う。

 途中、員林(ユェンリン)駅で台中行と表示を出したディーゼルカーを追い抜く。全線電化の西部幹線に何故DCが、と時刻表を調べると、どうやら集集(チーチー)線からの乗り入れ列車らしい。何があったか知らないが、50分ほど遅れている。新幹線をくぐって、17時58分台中着。ホームは思いのほか狭く雑踏しているが、駅舎はレンガ造りで実に堂々としている。

 次の目的地は新幹線の台中駅で、先ほど自強号で交差した地点に乗り場がある。この場合、新在共に「新台中駅」とでも名乗るのが日本の感覚だが、高鉄は台鉄の駅など眼中に無いとばかりに「台中」を名乗り、台鉄は「新烏日(シンウーリー)」と全く無関係であるかのような駅名を付けている。しかも台鉄台中駅の自動券売機の行先ボタンには、新烏日までのボタンが無い。止む無く次駅の成功(チョンゴン)までの切符を買う。中々に仲が悪い。

 乗車予定は18時09分発の区間車嘉義行だが、電光掲示板を見ると17時58分発の区間快車がまだ来ていない。上下とも他の列車は正常運行である。区間快車は読んで字の如く、区間車の快速電車版だが、58分発は始発駅の台中を出ると2つ目の彰化(ツァンホワ)で終点になってしまう。

 こういう妙な列車を見つけると乗りたくなるのはマニアの性だが、ホームに停まっていたのは電車ではなくディーゼルカーだった。なるほど、先ほど見かけた大幅遅れの集集線が、車庫に帰るついでに営業運転をするわけだ。

 念のため駅員に「新烏日行きますか?」と尋ねてみたが、中国語能力ゼロで英語も怪しい僕ではどうにも通じない。ove250さんが助け舟を出してくれたがそれでもダメで、切符を見せろと言われる。買ったのは快速が停まらない成功までの切符だから、ますます話がややこしくなった。シンカンセン、シンカンセンと連呼してどうにか乗り込む。

 こんなイレギュラーかつ遅延している列車は誰も相手にしないらしく、車内はガラガラである。先頭のかぶりつき席さえ空いていて、ove250さんがすかさずカメラをセットする。ディーゼル快速はがっしりした複線線路を淡々と走り、約10分で新烏日に到着。待避線に区間車が停まっていて、満員の乗客がこちらに迷惑そうな目を向けている。定時運行の区間車を待たせてまで回復運転をする必要は無いと思うのだが、妙に律儀である。

 新烏日駅(高鉄台中)はいかにも新駅らしく、周りには見事に何も無い。在来線エリアはまだ工事中の様相が濃く、連絡通路の幅も本来の半分位に絞られている。しかし、新幹線エリアに入ると様相は一変。これでもかっ、とばかりに幅広いコンコースにただただ目を丸くする。もっとも、利用客の姿は極めて少ない。

 本日のラストランナーは再び新幹線。今度は商務車を奮発する。日本のグリーン車に相当するが、かような高級車両なぞ殆ど利用しないから、比較のしようは無い。新幹線のグリーンなぞ、30年近く乗っていないはずだ。

 背の高い4列シートから眺める車窓は、ようやく闇に包まれつつある。各座席にはカラー刷りの車内誌が備えらえているが、その内容たるや大したもので、

 ・台湾鐵路一號車傅奇 一號車的歴史風華
 ・鐵道制服 穿出専興信頼
 ・星條旗的藍色彩帯 美國Acela Express高速列車

 …等々、実に濃い話題が目白押しである。中でも傑作は「鐵道食玩的異想世界」で、Nゲージレイアウトの写真の隣には…えっと、鷹野みゆきさん、こんな所で何をやっておられるのでしょうか。

 これは是非お土産に持ち帰りたいところだが、目次を見ても裏表紙を眺めても持ち出しについての記述は無い。内容が充実しているだけに、車内限定の可能性も捨てきれない。アテンダントに尋ねたら快くOKしてくれたが、あるいは外国人観光客への特別サービスだったのかもしれなかった。

 20時ちょうど、列車は台北駅へと滑り込んだ。名残惜しく写真を撮っていると、隣の在来線ホームに自強号がやって来る。台中で乗り捨てた列車である。乗換えの手間を考えれば、在来線でも新幹線と充分勝負できるようだ。

 夜はまだ長い。駅前のプチアキバ的なビルを探検したり、三越のフードコードを冷やかしたりと、行くべき所はいくらでもあった。

***

 6月29日(日)、最終日である。ホテルに迎えのバスが来るのは12時10分。飛行機は16時05分発だから早すぎる嫌いがあるが、パックツアーではこんなものだろう。

 残された時間は、半日弱。力の限り遊びつくしたい。向かった先は台北駅から40分、汐止(シーツ)駅ホーム先端。撮影である。この期に及んで撮影である。だって僕達は「鉄道迷」だから。
山佳駅
 区間車から太魯閣号まで、多種多様な台鉄列車群を撮影し、お次は南行の区間車で台北を通り抜けて山佳(シャンジャー)駅。一昨日林口線に乗りに行った際に通過した駅だが、台北近郊とは思えないローカルな佇まいが2人とも気になっていたのである。

 山佳駅は線路に山肌が迫り、きりきりと左右にカーブを切る途中にある。スピードアップの障害になっている事は明白で、バイパス新線建設の真っ只中にあり、2番ホームは味気ない仮設となっていた。しかし1番線とそれに面した地上駅舎は、車窓から瞥見した通りの鄙び方をしていて、まさに時代が止まったかのような趣がある。駅正面に広がる町はいかにもアジアらしい喧騒に満ちていて、決して田舎の小駅ではない。台湾人の目で見たとしても、充分古びた駅舎に見えることだろう。

 駅前広場から線路に向けてシャッターを切ると、フィルムが終わった。ベンチに腰かけて交換していると、自強号がゆっくりと通過していく。見慣れたプッシュプル式ではない。黄色く塗られた運転席の窓が、随分と細い。最古参のEMU100型、「英国婆」ではないか。よりによってこのタイミング で、と頭を抱える。

 駅舎からove250さんが、カメラを抱えて飛び出してきた。「撮れましたかー?」と、声は聞こえないが言いたい事は分かる。苦笑しつつ巻き終わったフィルムを掲げると、ove250さんは分かり易くずっこけた。

 帰路のバスは初日と同じ免税店に立ち寄り、僕達はまた店内を1周2周した。搭乗を待つ間に今日も激しい雨が降り始めた。十分では何とも運が悪いとガッカリした豪雨だが、何の事は無い、台湾は毎日こんなお天気なのであった。

(おわり)



◇あとがき

 執筆に9ヶ月、ってどうなっとんねん。

 というわけで、まあ何とか日の目を見ました台湾旅行記です。撮って、乗って、また乗って、撮ってと徹頭徹尾鉄モードだったため、なんともマニアックな感を呈しておりますが、ま、それは仕様という事で(苦笑)。

 実に12年ぶりの台湾でしたが、やはり添乗員付きの前回とは印象がまるで異なりましたね。台湾の人々や風土がぐっと身近になった感じがします。身近すぎて、外国に居る気がしなかったのもまた事実。その気になればちょくちょく訪れて、台鉄全線完乗も…いやいやいや。

 そんな台湾ですが、鉄道趣味の浸透ぶりは日本とまるで違っており随分と驚きました。ローカル線には物見の客が殺到し、台北駅には鉄道グッズショップが2ヶ所もあります。しかも、詰め掛けた人達にマニアの匂いは感じられず、市内を普通に歩いているオバサンやオジサンと区別は付きません。地下鉄がグッズショップを開き、そこに若い女の子がふらりと立ち寄ってお買物、なんて日本ではちょっと想像できません。

 これが他のオタク文化、例えば漫画ならどうなのかと言えば、日本の作品はコンビニでも本屋でも全く当たり前に氾濫し、ごく普通に買われています。ただし、専門店(はっきり言ってしまえば「アニメイト台北店」ですが)の客層は、はっきりとアキバ系で、オタクって海外でも同じ顔つきなんだと妙に感心しました。無論僕も同類ですけどね(笑)。

 広い裾野を持ちつつもディープなファンを抱え込んだ漫画・アニメと、さすがに駅以外でショップは見ないものの、客層は一般人ばかりの鉄道と。一口にオタク系趣味と言っても彼の地では別々の広まり方をしたようです。今後どのような進化を遂げていくのか、行く先が大いに気になるところです。

 最後に、今回の旅行のプロデューサーであり、僕に声をかけて頂いたove250さんに、深く深く感謝を申し上げます。道中(特に夜間)、体調不良により多大な迷惑をおかけしてしまい、若干の悔いも残るところです。是非リベンジを、次は、えっと、どこにしましょうか?



2009.3.29
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