ニッポンを、旅しよう。


▼その4 九州の巻

 2003年9月10日、水曜日。愛媛県は八幡浜の古びた駅舎を背に僕は港へと歩き始めた。意地の悪いことに、と言うべきか、雨はすぐに止んでせっかく広げた折り畳み傘をもてあます。

 八幡浜は想像よりずっと大きな町で、やや渋滞気味の表通りに面して、昔ながらのデパートが建っていたりする。もっとも、古風なのは外観だけで、中にはちゃっかり100円ショップが入居したりしているようだ。一本道を先へ先へと進めば建物の軒は低くなり、岸壁へ突き当たる。細長い湾の最奥に位置する港で、池にように静まった緑色の水面の向こうにミカン畑の急斜面が聳え立っている。「天然の良港」という表現がしっくり来るローケーションである。

宇和島運輸フェリー  めざすフェリーターミナルはそこからすぐで、何のことはない20分で着いてしまった。ガランとしたターミナルビルで乗船券を購入しタラップを上る。カーペットの座敷1区画あたり、乗客は3〜4人と言った所。空いてはいるがガラガラではない。

 11時53分、定刻から3分遅れて宇和島運輸臼杵行フェリーは動き出した。狭い湾内をいっぱいに使って180度回転し、ミカン畑の中を九州へ向かって発進する。左前方、同じ大きさのフェリーが停止して埠頭が空くのを待っている。12時15分着の別府からの便だろうか。随分往来が激しい。

 左舷からの眺めはほどなく大海原となったが、右側には佐多岬半島の山並みが延々と続く。ごろりと横になると、その山々が消えたり現れたりする。少し荒れているようだ。

 やがて船は豊予海峡に差し掛かる。潮流の激しさで知られる難所で、案の定揺れが激しくなる。右に左に揺さぶられながら衛星放送を眺める。長谷川が打たれてマリナーズが同点に追いつかれたところで、臼杵到着の放送が流れた。

 14時ちょうど臼杵着。また雨が降り出し、船内で乾かし畳んだ傘を再度広げる。ターミナル出口にはタクシーが列を成しているが、もちろん無視。歩いて下船した客の大半は、港に止めてあった車か出迎えの車に乗る。タクシーが何台かお客を乗せ港を出て行く。市街地まで歩こうという好き者は僕だけらしい。

 上空で雷が、かなりはっきりとゴロゴロ鳴り出した。僕はといえば、だだっ広い埠頭で傘を差し、たった1人駅に向かっている。おいおい、落ちてこないだろうな。「タクシー代ケチって大分くんだりで落雷で死亡」なんて、笑いのネタにもならない。何事もなく市街地に入った時は真底ほっとした。

 九州の第1ランナーは、14時33分発「にちりん」9号。いきなり特急利用である。普通列車が1時間毎に走っているこの区間で特急に乗るのは邪道だが、この後の接続を考えるとやむを得なかった。それはそうとこの「にちりん」9号、行先は「宮崎空港」である。とうとうゴールが見えてきた。

 線路条件が厳しいのか、「にちりん」はせっかくの特急なのにトロトロと走る。485系はレッドエクプレスとしてリニューアルされてからでもすでに相当の月日が経っており、薄暗い車内はうらぶれた印象すら与える。この「にちりん」という特急、新車が入らないばかりか、減便や別府打ち切りといった仕打ちをダイヤ改正のたびに受け続けている。特急だけではない。目指す宮崎は鈍行だって国鉄型の宝庫だ。伸長目覚しいJR九州エリアの中で、ここだけが取り残されている(10月より817系が入線。ただし福岡からのお下がり)。エリアが広いと、やはりどこかしらこういう所が出来てしまう。房総半島しかり、石北本線しかり、静岡しかり。

 15時03分、佐伯で下車。15時14分発の普通列車延岡行に乗り継ぐ。この列車こそが大阪以西のプランニングの要となった鈍行である。大分・宮崎県境となるこの区間、この列車を逃すと次の鈍行は17時18分までない。ちなみに1本前は朝の7時49分発だ。

宗太郎にて  延岡行は大型の丸ライトが目立つ古びた急行型(457系)だった。3両と編成は短いが、デッキ付き・ボックスシート車で車掌も乗務している。ステンレス車体やロングシート、ワンマン運行といった昨今の軽薄な普通電車と比べると、「これぞ正しい鈍行列車」と言わんばかりの風格が漂っている。もっとも乗客は極め付きに少なく、僕が乗った先頭車両にはおばさんが1人いるだけである。

 列車は国道と絡み合うように山越えにかかる。人家も稀な山中へと踏みこみ、直川を過ぎると口径の小さな単線トンネルに次々と飛び込んでいく。どこかくぐもった、物悲しい警笛が響く。次の重岡を過ぎると下り坂に転じる。県境はまだ先だが、サミットは越えたらしい。

 宗太郎で上り特急「にちりんシーガイア」12号を対向待ち合わせ。雨にしっとり濡れたホームの佇まい、実に良い。「にちりん〜」を撮ろうと屋根のない跨線橋に上がれば、山また山の周囲がぐるりと見渡せる。が、カメラを構えた途端に雨脚が強くなった。泣く泣く列車まで戻り、特急が近づくや外に出てパチリ。車内へ戻ると即座にドアが閉まった。跨線橋から撮っていたら置いていかれたかもしれなかった。危ないところだった。

 相変わらずの山中を、列車は右へ左へとさ迷う。レールがあるのだから「迷う」という表現は正しくないのだが、どこへ向かっているのか不安にさせるような走り方をしている。窓ガラスは軒並み曇り、車窓も定かではなくなってきた。

 ようやく平野へと下り、16時24分延岡着。向かい側に34分発普通列車宮崎空港行が止まっている。延岡行と瓜二つの3両編成だが、最後尾の1両だけはなぜかリクライニングシートが向かい合わせに並んでいる。乗りドクな車両だが勿論前2両より混んでいて、すでに全ボックスが埋まっていた。

延岡にて・豪雨  それにしても凄まじい雨で、文字通り叩きつけるかのような降り方である。運転抑止にならないかと心配するほどだったが、列車は定刻に平然と動き出した。ここからは未乗の区間だ。15分もしないうちに雨は上がり、陽まで差し始める。妙な天気である。

 日向市を出ると、線路は日向灘に沿うようになる。どこまでどこまで行っても、右窓には海が続く。激しい雨の後のためか南国らしいあっけらかんとした明るさには欠けるが、茫漠とした眺めではある。

 車内は高校生や用務客で満員である。が、僕の座ったボックスには誰もやってこない。デッキには立ち客すらいるのに、である。そういう事が、この旅行では何度もあった。何も僕だけではなく、羽越本線では女子高生で満員の車内で、OLの座った1ボックスだけがぽっかり空いていた。近所の相鉄線ではこんな事はない。混んでいれば1ボックスに必ずきちんと4人座る。

 つまり、彼ら田舎の人間は、見ず知らずの者と相席になるのがどうしても嫌らしい。列車に乗れば地元の方とたわいない話に花が咲いて、という汽車旅の光景は、もう過去のものとなってしまったのだろう。大部分のボックスに2〜3人しか座らず、僕の所のように1人だけといったボックスもあるのだから、これでは遠慮なく詰められるロングシート車の方が着席率が高いという事になりかねない。

 列車はいつしか海岸線を離れた。畑の向こうに、幻のようにシーガイアの高層ビルが聳え立っている。高架線から市街地を見下ろしながら緩やかに制動がかかり、18時07分宮崎着。

 宮崎市に来たのは初めてである。ホーム毎に分かれた改札口を出て駅前に出てみたが、繁華街からは遠いらしく、だだっ広いばかりで閑散としている。一番目立っていたのは、ボーダーフォンのショップの赤看板であった。この5日間、どこに行っても携帯電話のショップが目に付いた。下手なコンビニチェーンよりよっぽど多いのではと思う。

 高架下の居酒屋で夕食をとって(今日は飲まなかった)改札へ戻ると、18時42分発の特急「ひゅうが」7号が遅れているようである。延岡の雨がますます酷くなったのだろうか。ホームを映したTV画面に、赤い電車が止まっているのが見える。これに乗ってしまおう。宮崎空港線は、特急でも乗車券だけで乗れる。念のため駅員に確認すると、「急いでください」と急かされる。18時54分、「ひゅうが」は12分遅れで宮崎を後にした。

 新千歳空港から足掛け38本(バス等含む)を乗り継いできた旅も、いよいよこの列車で最後となる。万感極まって、という所であるはずだが、次の南宮崎で日豊本線から分かれ、気づかぬ間に次の田吉を通過し日南線を分けると、感慨に浸る暇もなく宮崎空港に着いてしまった。時刻は19時04分、宮崎からわずか10分の道のりであった。

 飛行機までの時間をもてあまし、展望デッキに立ってみる。雨上がりのむわっとした熱気が、僕を包んだ。

 滑走路の先端を、宮崎へ帰っていく空港線の窓明かりが流れていった。

18きっぷ
(おわり)



◇あとがき

 やっと書き終わりました。2月ですよ、2月。うるう年じゃなかったら3月。いくらにも時間をかけすぎです。正直、四国辺りからは記憶の掘り起こしに四苦八苦しました。味も素っ気もない文章に成り果てていたらすみません。

 北海道から九州までの18きっぷ縦断記、企画当初は随分壮大な旅行のような気になっていましたし、書き上げた今も大旅行だったなぁという思いがあります。が、実際に旅している間は、その実感が全くなかったんですね。なんとなく鈍行を乗り継いできたら宮崎に着いて、「あれ?もう終わり?」と物足りなささえ感じました。それを無感動と斬っていいのかどうかは分かりません。

 いや、面白いは面白かったんですよ。実際帰宅後、年末頃までずっと鬱でしたし。虚脱症状ですかねぇ(苦笑)。

 次回は是非、冬休みに極寒の北海道への乗り継ぎ紀行を…

 …だーかーらー、冬休みとっくに終わってるやん(笑)。


2004.2.29
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