ニッポンを、旅しよう。


▼その3 西日本の巻

 大概夜行列車では眠れないクチなのだが、少しは眠ったらしい。眼が覚めると急行「きたぐに」は東海道本線を走っていた。まもなく大津。東山のトンネルを抜ける感覚を寝転がったまま味わい、京都。向かいのホームには後続の特急「はるか」3号を待つ列が出来ている。

 通路では何人もの乗客が身支度に忙しい。新潟発時点では空きがあったが、途中から随分と乗ったらしい。ネクタイを締めたサラリーマンばかりだ。今日は火曜日(2003年9月9日)。「きたぐに」はビジネス急行なのであった。当方だけが太平楽に趣味に興じているようで(その通りだが)申し訳ない。6時48分大阪着。

 二転三転した東日本エリアに比べ、ここ大阪からゴール宮崎までの行程は実にすっきりと決まった。春まだ浅き頃に立てた原案そのまま、と言っても過言ではない。もっともそれは、大阪7時24分着の急行「ちくま」乗車を前提に作った案だから、差し引き30分の余裕時分がある。宿に入るのだってもっと遅くても良い。

 ともあれ、急ぎ足で6時53分発の新快速姫路行に乗り換える。当駅始発で12両、しかも下り列車なのにさすがは大阪で、先頭車両まで歩いても席は半分以上ふさがっている。だから僕は運転席の後ろに立った。ここも先客が数人いて、いまや遅しと発車を待っている。関西の電車に乗ると、運転台かぶりつきギャラリーの多さに驚かされることがままある。関東でも京急あたりはそうなる。みんな速い電車が好きなのだ。

 定刻通り動き出した新快速は、ゆっくりと大阪構内を後にする。塚本を通過する辺りでようやく"らしい"速度になるが、すぐにブレーキがかかり尼崎停車。しかしここからが真骨頂で、文字通り眼の覚めるような高速で複々線を駆け抜ける。甲子園口で普通列車を一瞬のうちに抜き去ったかと思うと、もう前方には1本前の普通が見えてくる。朝だから芦屋も軽やかに通過(2003年12月改正より追加停車)、六甲道で快速に追いつき、トドメとばかりに並行する阪急の各停をブチ抜いて7時11分、三ノ宮のホームに滑り込む。このまま姫路までかぶりついていたい気もするが、ここで下車。

 地下街の喫茶店で朝食をとり、三宮・花時計前7時38分発の地下鉄海岸線に乗る。原案通りだと今日も未乗線区がほとんど無いから、ここで寄り道をする。神戸市営地下鉄には一度も乗ったことが無い。

 海岸線はミニ地下鉄、しかも4両しか繋いでいないのにガラガラだった。朝からこの有様では、大赤字は目に見えている。それにしてもたった4両なのにうち1両を女性専用車に充てるとは、暴挙…もとい思い切った施策…やっぱり暴挙でいいや。

JR神戸線 221系  少ない乗客は和田岬を過ぎるとますます減って、7時54分新長田着。折り返し電車にはまずまずの乗客があり、やれやれである。キヨスクで虎グッズ(上司に頼まれたのである)を買い、7時59分発のJR神戸線普通大久保行に乗車、2つ目の須磨で快速網干行に乗り移る。新聞を読んだりうたた寝しているうちに明石を過ぎ、櫛の歯が抜けるように乗客が減っていく。加古川で新快速に抜かれると回送同然になり、9時07分網干着。

 網干は大阪方面からの電車の多くが折り返す駅で、名前だけは耳馴染みがあるが、いざホームに立ってみると屋根もほとんど無い、ごくごく平凡な田舎の駅である。そこに湘南カラーの115系4連が入ってくる。姫路からやって来た、9時11分発の普通岡山行である。姫路−岡山は本数が少ないうえに編成が短く、そのくせ乗客は多く景色はつまらないというロクでもない区間(地元の皆様、ごめんなさい)である。付き合いきれないので9時21分着の相生で下車し、階段を駆け下りて23分発の播州赤穂行(113or115系リニューアル車)に乗り換える。赤穂線にも乗ったことは無い。これは原案通りの寄り道である。

 9時35分播州赤穂着。真新しい橋上駅舎には観光案内所が入居しており、自転車を借りる。申し込みの名簿を眺めると、先客は近在の住民ばかりで、目的は「商用」と書いてある。なるほど、そういう使い方もあるらしい。

大石神社  駅前通りを真っ直ぐ走ると、赤穂城大手門に突き当たる。自転車を止め、だだっ広い城跡の中、大石邸長屋門・大石神社と歩き回る。日差しが容赦なく照りつける。暑い。まだ10時前なのに、30℃を越えているかもしれない。数日前の北海道の涼しさが嘘のように思える。当たり前だが、日本は広い。

 浅野家菩提所の花岳寺にも立ち寄る。狭い墓所。ぎらぎらと照る日差しの中、周りには誰もいない。

 10時40分発の普通岡山行は湘南カラー115系であった。変わりばえのしない車両でまたかと思うが、すれ違う上り列車はロングシートの105系ばかりだったから、この線としては上等な車両なのかもしれない。日生でちらりと入り江を望むが、それ以外は平凡な都市郊外の風景が続く。11時50分岡山着。

 岡山は楽しい駅で、四国から山陰に至るまでの交通の結節点だから様々な車両が一堂に会している。駅前に出れば斬新なデザインの路面電車まで走っている。その中から今日乗るのは快速「マリンライナー」27号高松行で、車両は213系。瀬戸大橋線の「顔」として親しんできた車両だが、来月には一斉に新車に置き換えられる。先頭はグリーン車だから最後尾へ行くと、3人で2ボックスを占めていた若者が快く運転室直後(前?)のシートを譲ってくれる。いささか図々しいが、特等席確保。

瀬戸大橋  12時11分岡山発。列車は真新しい高架線に駆け上がったり、対向列車を待ったり待たせたりとめまぐるしい動きをする。茶屋町を過ぎて本四備讃線に入ると安定した高速走行に入り、トンネルの中で試運転中の新車5000系とあっという間にすれ違う。

 やがて列車は瀬戸大橋に躍り出る。見下ろせば穏やかに淡いブルーの水面に、島が浮かび船が浮かんでいる。ただただ蒼いだけだった日本海とは別の海だ。正面に目を戻せば、運転席のガラスの向こう、鉄骨の群れが後ろへ飛び去っていく。与島を過ぎたところで、アンパンマンカラーの上り「マリンライナー」が視界をかすめた。

 12時52分、坂出で下車。高架下のうどん屋で冷しをすすってから13時17分発の予讃線快速「サンライナー」観音寺行に乗る。高松地区には四国オリジナルの6000系や派手派手しい塗装の113系など個性豊かな車両が揃っており、何が来るかと期待していたが、月並みな121系でがっかりする(これも四国限定の車両ではあるが)。わずか2両の編成で、ホームの端っこでカメラを構えていたから大慌てで停止位置まで走る。

 ヘッドマークまでついている割にはパッとしない快速(坂出からは各駅停車)だが、車内は混んでいて座れない。さすがに2両では輸送力不足だろ、と納得していたのだが、丸亀でどっと降りガラガラになってしまった。南側には垂直に立ち上がったかのような急傾斜の山々が続いている。西日本まで来たんだなぁと思う。

 14時02分観音寺着。古びた駅舎を通り抜け駅前広場に立つと、倒れそうな暑さだ。とても街歩きなぞする気になれない。冷夏と言われたこの夏、体感上一番暑かったのは間違いなくこの日の観音寺駅頭であった。待合室に逃げ戻り、蒸し暑さを我慢しながら文庫本を開いて時間を潰す。

伊予西条にて  14時37分発の普通伊予西条行が、改札から一番遠いホームにひっそりと停まっている。車両は7000系、ステンレス製の新車だがたった1両。チョロQのような可愛らしい佇まいだ。ホームの屋根も駅舎側とは違ってビニール張りの簡易なタイプで、いかにも西国のローカル鈍行にふさわしい。

 数名の客を乗せ発車した伊予西条行は、新車らしくなかなか鋭い走りを見せたが、単線なので2つ目の箕浦で早くも交換待ちをする。対向列車を迎えるためにホームに出た運転士が、あまりに暑いのかホームに座り込む。きらきらとステンレス車体を輝かせながら、上りの特急が通過。

 7000系の運転室周りは随分と開放的なつくりで、おかげで客席に座っていても前方がよく見える。次々と現れる駅に律儀に停まり、新居浜まで来るとようやくまとまった乗客があって、15時39分伊予西条着。ホームに湧き水風にしつらえた水飲み場があり、運転士と一緒にノドを潤してから隣の電車に乗り換える。15時48分発の普通松山行、またも7000系だが2両編成である。

 ここから先の記憶が、どうにも薄い。瀬戸内海沿いの景色の良い区間であるはずだが、初日の苫小牧以来ほとんど海ばかり眺めてきたから、さすがに印象が薄かったのだろう。あるいは寝てたのか、そういえば車内が空いてるからとメールに没頭していた気もする。今治で「しおかぜ」15号・「いしづち」17号併結の特急に抜かれ、徐々に客が増えて最後は学生やその他で大賑わいとなった。17時40分松山着。

 今日は、市電の大街道停留所近くのユースホステルを予約してある。県庁前回りの環状線に乗ればすぐだが、未乗の木屋町回りに乗ってみる。板張り床のアンティークな路面電車はすぐに大通りを外れ、民家の軒先をかすめるように専用軌道を乱暴に飛ばし始めた。都電や江ノ電よりずっと野趣に富んでいて、松山市電ってこんなに面白い乗り物だったのかと思う。

 宿で身軽になって道後の湯に浸かり、その後郷土料理と地ビールで舌鼓を打つという"らしく"ない贅沢をする(下戸なのに)。すっかり打ち上げの気分だが、旅はまだ、あと1日ある。

***

 9月10日、水曜日。今日は八幡浜からフェリーで九州へと渡る。とはいえ、松山−八幡浜のメインルートは乗車済みだから、今日もふらふらと寄り道をしながら進んでいくことにしている。

 まずは市電で松山市駅へ行き、デパート下の薄暗いホームから京王の中古車3両編成に乗りこむ。8時35分発の伊予鉄道郡中港行である。JRの下をくぐると、右手から国道か県道かは知らないが往来の激しい道路が現れて線路にぴったりと並行する。左側の住宅地からこの道路に出るには、交通信号と踏切双方に気を配らねばならないから大変だ。こういう難儀な交差点が昔住んでいた静岡にもあり、事もあろうに踏切の奥には自動車学校が鎮座していた。あそこで鍛えられればドライビングテクニックはさぞかし上達するに違いない。合宿免許という安きに流れた当方は、そのせいでいまだにペーパーである。そういうことにしておく。

 松山からの家並みが途切れることのないまま、8時59分郡中港着。JR伊予市駅の真ん前である。駅裏のみかん工場を眺めたりしているうちに、キハ54が1両きりでやってくる。9時29分発の普通宇和島行で、この先二手に分かれる予讃線のうち未乗の旧線を経由する。

予讃線キハ54  小さなディーゼルカーは新線からぐいっと分岐すると、程なく海沿いへと出た。エンジンを唸らせて高みへと上り、穏やかな内海が車窓いっぱいに広がる。東海道線の根府川付近に匹敵する、規模の大きな眺めである。ゆったりと揺られながら島々を眺めていると、船に乗っているかのような心持ちになる。

 随分と久しぶりに市街地が現れると、伊予長浜。駅構内は時が止まったかのようにな古びかたをしている。向こう側に松山行が停まっていて、そう言えば伊予市からの30分あまり、行き違い可能駅はあったかなぁと思い巡らす。片側1面の寂しいホームばかり眺めてきた気がする。

 長浜からの線路は、肱川の流れに沿って内陸へと分け入っていく。初めて聞く名前の川だが、幅の広い滔々たる大河である。渓谷然とした山あいを抜けると盆地に出て新線と合流し、10時30分伊予大洲着。

 そこそこの乗車率を保ちながら少しずつ入れ替わっていた乗客は、ここで一斉に降りてしまう。22分も停車して、新線経由の特急に追い抜かれるのである。僕はそちらに乗り換えることにした。このまま鈍行で乗り通すと八幡浜着は11時10分。フェリー乗場は未知の場所で徒歩30分、接続時間は40分。際どいからタクシーに乗るつもりだったが、特急に乗り換えれば570円の出費で八幡浜駅に13分早く着く。港まで歩けば安上がりだ。

 これで出発前に立てた原案は、千歳空港早発・江差乗り遅れ・男鹿線切捨て・神戸地下鉄乗車に続いて5日間とも崩れ去ることになった。まあ、プランニングとはそういうものであろう。特急「宇和海」5号宇和島行は10時45分に伊予大洲を後にし、わずか12分で八幡浜着。

 西へ行くほど暗くなってきた空から、とうとう雨が降り出した。途端にタクシーに乗りたくなったが、それでは特急を駆使した意味がなくなると、半ば意地で折り畳み傘を広げた。


(つづく)

2004.1.24
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