大韓民国・大混雑


▼第3部 全羅道(チョルラド)を行く

 プヨを出た市外バスは、例の如くラジオをかけながらとんでもないスピードで飛ばしている。2002年9月22日(日)、晴れ。

 バスはやがてノンサン市街地へと入る。テジョン(大田)やプヨ(扶餘)とは違って立派なターミナルはないようで、道端の空地のような一角で停車した。

 街道沿いをぐるりと見回しても、駅舎らしき建物はない。詳細な地図は持ち合わせてないが、テジョンと同様に駅までは距離があるのだろう。路傍に駐車していたタクシーの運転手に"ノンサニョク,Rairway station."と告げる。車は軽快に走り出したが、ふと左手を見やると、家並みの向こうに道路と並行する鉄道のホームが見えているではないか。一体どこに連れて行かれるのだろう。

 車はホームを無視するように飛ばし、だいぶ進んでから陸橋で線路を渡り越して元の方向へと戻り始めた。駅前に降り立って納得した。ノンサン駅の出口は、バス通りに背を向けていたのである。裏口もなければ、駅付近に踏切や立体交差もない。どうやらぼられた訳ではないらしい。

 さて、僕の手元にはセオテジョン(西大田)駅で購入した8時53分発セマウル号の切符がある。が、発車時刻はとうに過ぎてしまったから、後続のムグンファ号の切符に代えて貰わなくてはならない。否、それ以前に僕は韓国国鉄乗り放題の「コリアレールパス」を持っているのだ。無料で座席指定が受けられるか立席で乗車できるはずなのに、昨日のセオテジョン駅ではなぜか8,300ウォンも支払わされた。この点白黒はっきり決着をつけなくてはならない。

 意を決して窓口に飛び込み、かくかくしかじかとしゃべり始めると、係員はちょっと待ってと制して事務室へと引っ込み、英語が分かる係員を呼んできた。

"I reserved this train at Seodaejon,but delay..."

 セマウル号の切符とレールパスを示してつたない英語で必死に説明すると、彼は頷いて端末に向かった。意は通じたらしい。しかし端末の画面には赤い表記が繰り返し現れている。

 何度か繰り返した後、彼は言い含めるようにゆっくりと説明をした。−まず、セマウルの切符は済まないが払戻しできない(これは止むを得ない。発車時刻は過ぎてるし、別の駅で買った切符でもある)。それから、昨日今日明日と祝日だからこのパスは全く使えない。切符を新たに買わなくてはならない−、と。

 説明は丁寧だが、結論はセオテジョン駅と同じだった。やむを得ず僕は、ムグンファ号の座席指定つきの切符を8,000ウォンで購入した。セマウルから「格落ち」したのに値段が変わらないのは、行先をチョンジュ(全州)からその先のクレグ(求禮口)へ変更したからである。
ムグンファ号、入線
 11時32分、定刻通りに列車が姿を現した。ソウル始発ヨス(麗水)行ムグンファ号である。先頭は昨日と変わらないアメリカタイプのディーゼル機関車だが、続く10両の客車はピカピカの新車である。連続窓風のサイドビューは美しく、デッキはJR九州のソニックを思わせるガラス張り、車内放送は韓英日中4ヶ国語の自動案内である。韓国国鉄の車両は全体に古びており、KTX(新幹線)開通を控えて車両製作を控えているのではと思っていたが、こんな素晴らしい車両に出会ったからには認識を改めなくてはならない。

 車窓は淡々とした田園風景。黄色く色づき始めた稲穂が広がっている。日本と何ら変わらない、と言いたい所だが、その田んぼの中に高層マンションが突然変異のように聳え建っている。教会が多いのにも目を引かれる。

 満席の車内を、おじさんが弁当の紙箱を抱えて回ってきた。中には日本でいうところの太巻きが詰まっている。酢飯ではないのでごくあっさりしている。

 列車はイクサン(益山)でホナム(湖南)線からチョルラ(全羅)線へ入り、チョンジュを過ぎると単線になった。ほぼ満席だった車内も徐々に空いてきた。やがて線路の近く遠くを、建設中の高架線が並走するようになる。今走っている線路を付け替えている最中のようだ。ときに列車は高架新線に乗り入れ、ディーゼルエンジンを猛然とふかして疾走する。旧線に戻ると曲がりくねりつつ小さな峠を超える。腕木式信号機や手動式の転轍機を備えた小駅を通過、駅員が直立不動で列車を見送る。にわかに山がちになり、渓谷に面した駅でソウル行ムグンファ号をやり過ごすと、目指すクレグは近い。

 13時51分クレグ着。新線に移転済みのようで、ホームも駅舎も真新しい。駅の背後は切立った崖、正面には川を挟んで平野が広がっている。立地は豊肥本線の豊後竹田駅に良く似ている。

 クレグは朝鮮半島の最南西部・チョルラナムド(全羅南道)の入口に位置する。ここへやって来たのは、ファオムサ(華厳寺)へ行くためである。ファオムサはプヨに都を置く百済を滅ぼし成立した、統一新羅の時代に創建された古刹である。一般にガイドブックでは扱いが小さく、穴場的なスポットと言って良い。クレグ(求禮口)駅からはまずクレ(求禮)行の市外バスに乗り、さらにファオムサ行に乗り継がねばならない。

 しかしバス乗り場が見当たらない。ぐるりと周囲を見渡す。と、川向こうにホテルが一軒建っている。明日は朝の列車に乗るつもりだから、駅前に宿を取った方が良い。立派な鉄筋作りのホテルには人気がなかったが、程なくフロント係が現れた。すらりと背の高い青年であるが、服装が普段着なので大学生に見える。

"I want to stay here tonight.How much?"

"...?" 泊まりたいという事だけは伝わっている様子だ。

"How much?"  "....Ah..." 困った笑みを浮かべている。

「えーと…(ガイドブックを取り出す)…これ」

 巻末の会話集の"オルマエヨ?"というハングル文字を指差す。それでようやく通じた。How muchが聞き取れない(彼は一応英語が話せた)韓国人と「いくら?」も現地語で言えない日本人、どっちが困り者なのかはよく分からない。ともあれ1泊40,000ウォン、高くはない。

 部屋の調度はしっかりしており、プヨのモーテルのような胡散臭さは感じられず安堵する。一憩の後、「ファオムサまで行って来る」と青年に言って鍵を預ける。クレ行のバスがホテル前に止まる事は先ほど彼に教えてもらった。

「ちょっと待って。送るよ」(注:もちろん英語)

 いくらでガイドするとかいう類の話ではない。彼はそれが当然とばかりに、くたびれたヒュンダイの乗用車に僕を乗せ、一路ファオムサに向け走り出した。
華厳寺
 田園を駆け抜け、クレの市街地を横目に通り過ぎると、道は山間へと入った。ゲートで停車し、青年が入山料金を2人分払う。渓谷の木々の合間から、ホテルやコテージが姿を垣間見せる。自然公園のような雰囲気だ。ファオムサはそのどん詰まりにあり、砂利敷きの広い駐車場で車は止まった。彼は僕の分の入山料をどうしても受け取ろうとしない。

 ぐるりと山に囲まれた境内には、木造の大きな堂宇がいくつも建っている。つくりは日本のお寺と良く似ている。しかし、色調が決定的に違う。紅と青緑を主体とした極彩色により、緻密な装飾がされている。仁王様のお顔も、つややかな肌色をしている。

 バス2本を乗り継いで右往左往しながら辿り着くはずが、ホテルから30分程度で来る事ができたので時間が余っている。余勢を駆ってもう1箇所古寺へ詣でて、クレグへ戻る。

 青年と別れ駅に立ち寄る。明日の朝の列車を手配しなくてはならない。セオテジョンでもノンサンでもコリアレールパスは相手にされなかったが、祝日で使えないと言うならばそもそもソウルでバウチャーから引き換えてくれなかったはずだ。今度こそしかるべき処遇で(つまりタダで)列車に乗りたい。

"Excuse,me." 窓口の若い女性に話し掛けると、途端に彼女はうろたえだした。

「あら大変、外国人じゃない。どうしましょう。主任!しゅに〜ん!」

 おろおろしながらつぶやく韓国語が理解できるはずもないのだが、心情が手にとるように伝わり微笑ましい。奥から代わりに中年の男性駅員が出てきた。それなりに偉い職にあると思われる風体だが、愛想は良い。こちらのつたない説明も真摯に聞いてくれる。この人なら何とかなるかもしれない。

 しかし結果はやはり不可だった。「主任」は端末画面を指し示し、レールパスの番号を打ち込んで見せた。すると、画面になにやら赤いハングル文字が点滅する。つまり、パス自体受け付けられないのだ、と彼は明快に説明した。

 ホテルの2Fには「韓式・西洋式食堂」があるので夕食はそこで済ますことにする。ところが2Fへ行ってみると、イスやテーブルが乱雑に積み上げてあるばかり。フロントに行くと件の青年がいて、レストランはnot openだと言って外を指差す。見るとホテルの向かいに、ドライブイン風の家屋が妖しげにネオンを光らせていた。

 道路を渡り、おっかなびっくり店の中を覗き込むと、おばさんが出てきた。しかしこのおばさん英語が露ほども通じず、突然の来訪者に戸惑っている。ありゃあ、今夜は欠食かな、と諦めかけた時、娘さんが現れた。英語を繰り返す僕を制し、耳に手を当てる。まぁ聞け、ということらしい。そして「ビビンパ?」と言ってものを食べる仕草をして見せた。

 席につくと、おばさんはすぐに調理に取り掛かりだした。娘さんは冷蔵庫を開け、キムチを3〜4皿も持ってくる。なにやらよく分からない食材が入ったスープ、そしてボウルかと見紛う程の大皿に入ったビビムパプ。とても食べきれない。それに、偏食の激しい僕の舌には合わない。これが韓国の家庭料理の味なのだろうか。

 必死で格闘しているうちに、ご主人が帰ってきた。目の前で家族3人の夕餉が始まる。カセットコンロに火をかけ、炒めた肉を野菜にくるんで食べている。あっちの方が美味しそうだなぁ、と横目で見つつちょっとずつ箸を進めたがやはりギブアップ。一家に悪い事をしたと思う。


 翌9月23日(月)朝、何気なくTVをつけた僕は仰天した。日本のアニメが流れている(無論NHK-BSではない)。セリフは吹き替え、主題歌も差し替えてあって日本語を流さないよう配慮した節は見受けられたが、まさか韓国にまでジャパニメーションの波が押し寄せているとは思わなかった。それにしてもチャチャですか…。

 フロントへ降りていくと誰もいない。水音がしたので裏を除くと、青年がトイレ掃除をしていた。大きなホテルだが、彼ともう一人の女性以外、従業員を殆ど見かけなかった。掃除まで切り盛りしなくてはならないのに、昨日時間を割いてくれたことに多謝して駅へ向かう。

 7時34分発のムグンファ号ソウル行には、既に大勢の立客がいた。チュソク(秋夕)も終わり、ソウルへのUターンラッシュのさなかなのだ。僕にしても、途中駅までの乗車でなければ席にありつけはしなかっただろう。昨日通った線路を戻り、8時59分チョンジュ(全州)で下車。チョルラプクド(全羅北道)の中心都市で、町外れにもかかわらず、駅前大通りの交通量は極めて多い。

 クッキーだけの簡素な朝食を済まし(さすがに昨夜のビビムパプがこたえた)、駅前の観光案内所へ。係員の手際はよく、市街地へ行くバスを日本語で案内し、荷物も快く預かってくれた。バスに乗れば車内にはラジオ放送ではなく、停留所案内がきちんと流れる。やはりチョンジュは都会なのだ(プヨ近辺のバスが車内でラジオ放送を流す、というのはやはり田舎ならではのサービスなのであろう。日本でも鹿児島でそういうバスに出会ったことがある)。
全州・韓屋村
 市街で下車し、プンナムムン(豊南門)・キョンギジョン(慶基殿)・ハノンマウル(韓屋村)といった李氏朝鮮時代の史跡や街並み保存地区を歩く。この種の古い建物を、由緒もよく知らぬまま眺めるのが僕は大好きである。が、今回は過去の史跡よりもチョンジュという街の"今"の方が印象に残った。プンナムムンを取り囲む商店の雑然とした陳列、キョンギジョンと隣り合う小学校で体育祭か何かの練習に励む子供達…。

 チョンジュと言えばビビムパプ発祥の地として有名だが、昨日食べたので昼食はコンナムルクッパプのお店へ行く。大豆もやしの入ったスープご飯はあっさりとして非常に美味であった。

 大通りに立ち、駅へ戻るべくバスを待つ。案内所の係員が市街と駅を結ぶバスの系統を15もメモしてくれたから、すぐに乗れるはずであった。ところがメモにある系統が来ない。黄色い市内バス(日本の路線バスタイプ・600ウォン)や青い座席バス(文字通り着席主体の車内レイアウト・1,000ウォン)が次々と目の前に止まるのに、どれも違う番号ばかりだ。確かに往路のバスはこの道を通ったはずだ。目の前の赤レンガの教会に見覚えがある。

 しかし30分経ってもいっこうに駅行のバスは来ない。あきらめてタクシーに乗る。日本では滅多にタクシーなんて使わないのに、一昨日から3日連続で利用している。車は裏道へ突入し、ぐいぐいと加速する。道端で客が手を挙げて、助手席に相乗りする。なおも街中をクネクネと曲がり、相客を降ろし、さらに進む。果たしてちゃんと駅に向かっているのか不安になった頃、突如大通りへ出て正面に駅舎が見えた。運賃はメーターどおりだったから、相客の分だけ運転手はもうけた訳だ。

 さて、ソウルへと戻ろう。1度でも看板列車のセマウル号に乗りたかったが、Uターンラッシュの真っ只中であり、座席が取れるわけがない。立席乗車はムグンファ号にしか認められていないから、どうしようもない。それよりも問題は、一昨日来頭を痛めているコリアレールパスの扱いだ。

 クレグ駅員の親切な説明で、チュソクの間窓口ではレールパスを受け付けていない事は分かった。しかし、それならばソウル駅の案内所はなぜ、僕のバウチャーをパスに引き換えてしまったのだろう。使えないならば引き換えなければ良かったのだ。バウチャーなら帰国してから払戻しができる。しかしパスが無効なはずはない。現にソウルからは立席乗車できたのだ。検札に来た車掌も問題視しなかったではないか。

 ひょっとして窓口で交渉したのが間違いだったのだろうか。案内所の女性は、「窓口だとお金を取られる。直接列車に乗り込んでしまえば無料で乗れる」と言いたかったのだろうか。信じがたいが、ほかに結論は思い浮かばなかった。そこで僕は窓口へは寄らず、真っ直ぐ改札口を目指した。

"I want to go Seoul by Korea Rail Pass,ムグンファ,イップサ"

 覚束ない英語で押し問答を2・3度繰り返した後、改札の係員は行っていいという仕草をした。そうか、これが正解だったのか。思い返してみれば、ソウルでもこうして乗車したのである。原点に戻ればよかったのだ。気付くのが遅すぎたが。

 13時49分発ムグンファ号ソウル行は定刻通りにやって来た。ソウル駅で買った時刻表には載っていない臨時列車で、あるいは空いているかもと期待していたが駄目だった。デッキに何人もの客が座り込んでいる。客室内は多少空いているようなので、中に入って座席の肩を掴む。駅毎に乗客が押し寄せて、やがて通路も満員になった。

 そんな状況でも車内販売はやって来て、隣の若者2人連れが立ったまま弁当をほおばる。ちゃんと切符を持っているのか、身なりの貧しい爺さんが寄ってきて施しを要求し、人波をかき分けてやって来た車掌に大目玉を食らう。目の前の座席には若い女性の2人連れが、斜め前では家族連れが声を大にして談笑している。変な爺さんが徘徊してはいるが、車内の雰囲気は総じて明るい。

 彼らの表情は日本人と全く変わりない。列車の設備も大差がない。車窓まで一緒だ。まるで国内旅行をしているような気分だが、しかし耳に入ってくる言葉は何一つとして理解できない。それは異文化圏を旅している実感を噛み締めると同時に、どうしようもないもどかしさをかき立てもした。

 列車が徐行を繰り返すようになってきた。時刻表を開くと、この列車のすぐ前をホナム(湖南)線モッポ(木浦)始発のムグンファ号が走っている。線路容量いっぱいまで列車を増便して、定時性確保が難しくなっているのだろう。

 チョンジュから3時間、ソウル郊外のスウォン(水原)に着くと大量の下車客があり、ようやく座れた。次のヨンドゥンポ(永登浦)でさらに降り、車内は回送列車のように閑散としてしまった。

 空っぽの客室に、西日が差している。ハンガン(漢江)の大鉄橋を渡った。終着ソウルはすぐそこである。


(つづく)

2002.11.17
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