しもうさ数え歌 後編 


 腰が重い(ついでに、筆も遅い)のはもはや自分の持ち味。下総巡りの3回目は2011年8月12日(金)、前回から5ヶ月も空いてしまった。震災やら、仕事にまつわるバタバタも絡んでなかなか出かける気にならなかったのだが、そろそろゴールを目指すとしよう。

八街 九美上 十倉
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
京成成田駅東口→富里農協・市役所前
千葉交通 久能・両国線
京成成田駅東口→南小学校
7:25
7:46
市役所→十倉
さとバス 十倉循環ルート
市役所→市役所(外回り)
8:00
8:36

 最初に目指すのは十倉で、七栄と同じ富里市にある。前回の香取市九美上からは、成田を挟んで南西に20数kmといったところだ。七栄に向かう際は京成成田駅中央口からバスに乗ったが、今日は東口へ向かう。中央口脇の地下道がそのまま東口のペデストリアンデッキへと通じていて、要はこの駅、随分と急斜面のへりに作られている。

 バスターミナルは綺麗に整備されており、発着場も多いが、肝心の運行本数はどの乗り場もぱっとしない。辺りはミンミンゼミの声が響き渡るばかりである。程なく中型のバスがやって来て、5名ほどの客が乗り込む。行先は「両国」となっているが、実際は両国地区の南小学校バス停まで行くらしい。

 バスは国道51号を越えるとあっと言う間に富里市に入り、前回乗った中央口発の便とはまた趣の違う、カーブやアップダウンがひっきりなしに現れるテクニカルコースをひた走る。新興住宅もあれば乗馬クラブも現れる目まぐるしい車窓を眺めているうちに、前回のルートと合流、すぐに七栄交差点にさしかかる。八街行はここを直進だが、今日は左折。しばらく進むと官庁街らしきエリアに入り、市役所前で下車。ちなみに料金は430円、1つ手前の中学校前までならば390円である。常連さんはちゃんと分かっていて、市役所の玄関で中学校前で降りた女性を見かけた。

 めざす十倉には、富里市のコミュニティバス「さとバス」が通じている。十倉への循環ルートは外回り2便、内回り1便のみ(休日運休)。玄関前では芝山交通なる会社のマイクロバスが2台ほど、シックなカラーの車体を震わせているが、8時前の官庁舎にひと気はまるで無い。一日乗車券を所望すると、「乗り放題券」と記されただけのコピー紙に日付印がぽんと押される。

 8時ちょうどに市役所を出ると、まずはコミュニティバスらしく周囲の公共施設を巡回する。道路には「役所通り」と看板が掲げられているが、「役場通り」から改称した跡があり、町役じゃなくて市役だ!という市制施行時のはしゃぎっぷりが垣間見えて微笑ましい。国道296号に出て若干の渋滞に巻き込まれ、病院の前まで走ると小さな駐車場で切り返してもと来た道を戻る。左折すれば車窓のローカル度はぐっと増し、馬の放牧や畑のスプリンクラー群を眺めながら進んでいく。

 T字路に突き当たる辺りが十倉らしく、バスはここを左折。十倉交差点を直進してさらに進み、市の東南端に近い農協の出荷所でお婆さんを1人乗せると2度目の切り返しをして先ほどのT字路を直進する。地区の隅から隅までカバーする、いかにもコミュニティバスらしいルート取りである。実の口交差点を右折すると、次が十倉バス停である。


十倉
  <とくら/富里市>
 十倉交差点と十倉バス停は随分離れている。どちらも鄙びてはいるが、強いて比べれば交差点周囲の方が中心集落っぽい雰囲気はあった。バス停の周囲には讃岐うどん店や新築住宅も入り混じっているが、大半の家屋は年季を経ており、立派な生垣に囲われている。車はひっきりなしに現れるが、歩行者の姿は無い。

 反対車線のバス停脇には、半ば朽ち果てかけた待合室が設けられていた。さとバス運行開始時に作られた物にはとても見えない。元は、千葉交通のバスが通じていたのだろう。

 バス通りを今来た方向に少し戻ってみる。集落はすぐに尽き、畑の中をすっと1本道が続いている。農作物も、遠く森の木々も、どこまでも濃い緑に彩られている。じりじりと上がる気温の中、作業に精を出す人の姿があり、可憐に咲き誇る花がある。

 前回の九美上に勝るとも劣らない、のどかな光景である。こんな場所にもセシウムは染み込んじゃったんだろうな、との思いが脳裏をかすめた。


九美上 十倉 十余一
利用区間
路線
種別
始発→終着
発時刻
着時刻
実の口交差点→湯山整形外科前 さとバス 高松循環ルート
市役所→市役所(外回り) 9:15
9:43
富里郵便局→京成成田駅東口 千葉交通 久能・両国線
南小学校→京成成田駅東口 9:44
10:11
京成成田→空港第2ビル
京成電鉄 本線
特急
京成上野→成田空港
10:19
10:25
空港第2ビル
→千葉ニュータウン中央
京成電鉄
成田スカイアクセス線
エアポート
アクセス特急
成田空港→羽田空港
10:32
11:01
千葉ニュータウン中央駅北口
→十余一
ナッシー号 東ルート

白井市役所→白井市役所
(福祉センター→白井駅回り)
11:41
11:55

 バス停1つ分、実の口交差点まで歩いて戻る。この交差点にさとバスの別系統がじきにやって来る。車内はやはり無人であった。すでに市域の南端に近いが、この系統はさらに南下し2度ほど八街市に踏み込む。国道409号にぶつかると右折、八街−成田間の千葉交通バスと同じ経路を速度を上げて北へ向かう。このまま直進すれば七栄交差点だが、そんな素直なルート取りはせず再び右折、ナイキの大工場の脇をすり抜ける。

 次の目的地・十余一へ向かうには、まず成田まで戻る。この先の行程を考えれば、京成成田駅に10時過ぎに着く千葉交通を何としても捕まえたい。しかし、さとバスは市役所手前でまたしても公共施設群を巡回し、その間に千葉交通は市役所付近を通過してしまう。手前の湯山整形外科前(9時41分着)で降りて富里郵便局停留所まで歩けば、43分頃やって来るはずの千葉交通に乗り継げそうである。

 ところが、市役所に近付くにつれ、ガラガラだったバスに乗客が現れるようになる。じりじりと定刻から遅れ始め、整形外科手前のT字路で9時41分を過ぎてしまった。赤信号の向こうを、千葉交通の車体が今にも通過していくのではないかとハラハラする。信号がようやく変わり、バスは左折して停車、南無三、とばかりに振り返ると、150m程後ろに郵便局のバス停が見え、さらに向こうを今まさに成田行のバスが走ってくるではないか。ダッシュして、手を上げて、どうにか乗り込む。

 結局成田にも多客と信号待ちで遅れて着いたが、10時19分発の京成特急には間に合った。次の空港第2ビルで成田スカイアクセス線に乗換え。乗り場はすぐ向かい側だが、改札が分離されているのでコンコースを延々歩いて衝立の向こう側に回り込む。アクセス特急は駒井野信号場で車内灯を消して下り電車2本を待ち合わせ、次の成田湯川で一部のドアを締め切ってスカイライナーの通過待ちをする。少々のんびり過ぎる。最高速度は120km/hだが、線路自体は160km/h対応だから、走りにも随分余裕が感じられた。

 千葉ニュータウン中央で下車、次に乗るのもコミュニティバスで、お隣白井市のナッシー号がここ印西市まで乗り入れてくる。40分待ちと接続は最悪だが、次のアクセス特急がちょうど40分後なのだからどうしようもない。やって来たのはちばレインボーバスの小型車で、富里とは違って運賃箱や運賃表示機もきちんと装備されている。ただしパスモは使えず、回数券の利用客が随分多い。

 バスは千葉ニュータウンの繁華街、というより右も左もイオンが並ぶ中を進み、カーブに沿ってマンションや邸宅が続く絵に描いたような新興住宅街で小まめにお客さんを乗り降りさせていく。しかしニュータウンを出ると風景は一変、作りかけの道路を走って福祉センターに立ち寄った後は昔ながらの街道に乗り入れる。白井名産の梨園が目に付き始める。


十余一
  <とよいち/白井市>
 10あまり1。ちょっとひどいネーミングである。なんかもう名前考えるの面倒になってきたから、番号そのままでいいや、とでも言いたげな地名ではないか。初富や豊四季といいた情緒ある名づけに町の発展を願った、あの精神はどこに消えてしまったのだろう。

 だがその軽薄な名前とは無関係に、十余一はきちんと栄えていた。木下街道の両側には生垣をめぐらせた梨農家が並び、開け放たれた果樹園の入口にはクロネコヤマトの旗がはためいている。

 時が止まったかのような、と言う表現はしばしば「廃れている」という意味と紙一重であるが、十余一に関して言えば、時を止めたままきちんと発展してきた感がある。大規模なニュータウン開発の波を全く寄せ付けず、開墾地のDNAをきちんと受け継いで正当進化したこの町は、今、梨の一大生産地となっていた。

 ちなみに沿道で、カブトムシを1匹100円で売っていた。そんな片手間商売もあるのだと妙に感心した。


十倉 十余一 十余二
利用区間
路線
種別
始発→終着
発時刻
着時刻
白井車庫→白井駅 ちばレインボーバス 白井線

白井車庫→西船橋駅 12:15
12:30
白井→東松戸 北総鉄道
普通
印西牧の原→羽田空港 12:38
12:51
東松戸→南流山
JR東日本 武蔵野線
各停
南船橋→府中本町
13:08
13:17
南流山→柏の葉キャンパス
つくばエクスプレス
普通
秋葉原→守谷
13:28
13:36
柏の葉キャンパス駅西口→十余二
東武バスイースト 西柏05

柏の葉キャンパス駅西口
→高田車庫
13:40
13:44

 ナッシー号の次便は1時間半後なので、またしても徒歩連絡となる。木下街道を白井方向へ2停留所分歩けば、レインボーバスの白井車庫に到達する。停車しているバスの台数の割に発着本数は少なめだが、幸いすぐに出る便がある。北総線、東武野田線、武蔵野線、京成線を斜めに横切って遠路西船橋まで走るバスだ。

 他に乗客は現れないまま、車庫の中からバスが1台出てきて扉が開く。冷房は出庫直前に入れたらしく、「暑くてすみませんねー」と丁重にお詫びされてしまう。木下街道の沿線には引き続き梨園が続くが、やがて植物園、材木店、もろもろの商店が現れて白井バス停を通過する。白井駅まではまだ距離があるが、この辺りが北総線開通以前の中心街らしい。天井から冷風と共に、「効いてます?寒くないですか?」と声が降ってくる。細やかな運転手さんである。

 沿道には「復」「根」などなんとも味のある地名が続いている。道路を付け替えたらしい無理な角度の交差点を曲がると、「笹塚」というありがちな地名に変わって白井駅に到着。駅前は広いが、ニュータウン中央駅に比べると随分と閑散としている。羽田空港行のC-Flyerに乗り継ぐ。短いトンネルに入ると、車内は容赦なく真っ暗になる。5月に発売した東北私鉄を支援する企画切符が、まだ売れ残っている。「白井の梨は安全です」と謳った中吊り広告が揺れている。

 東松戸では、乗る予定だった電車が節電で運休。次の電車の乗車率は100%程度で、間引いたところでさしたる混雑ではなかった。アニメ柄の手提げ袋を持った乗客がいて、ああ今日はそういう日だったかと思う。TXも快速電車が運休していて、こちらは随分混んだ。

 目指す十余二は柏市の北部にあるが、近年TXが開通して柏の葉キャンパス駅が開設された。そのものズバリ十余二バス停までは歩いても行けそうだが、横着してバスに乗る。「十余二」と「柏の葉」とはまたイメージの全然違う地名だが、辺りは実に典型的な新興都市で、真新しいマンションと広大な空地が交互に現れる。柏の葉公園にぶち当たると左折、機動隊や財務省、東大といったお堅い物件が次々現れて十余二バス停に到着する。


十余二
  <とよふた/柏市>
 十余二バス停は柏の葉の南端に位置している。一つ手前の柏の葉高校バス停付近までは小綺麗な住宅や公的機関ばかりが目に付くが、十余二まで来るとロードサイド型のレストランや、ガソリンスタンド、医院等が雑然と並んでいて風景がにわかに俗っぽくなってくる。

 一方でさらに南に目を転じれば、往来の激しい県道と交差した向こう側は空地やコンテナ、工場が入り混じっていて随分荒れた景色となっている。わずかな距離で街の雰囲気はずいぶん変わるもので、ここ十余二バス停付近はさしずめ「緩衝地帯」とでも呼びたくなる一角である。もとより、開墾地という出自をうかがわせるものは何も残っていない。

 荒地の中をTXの高架橋が真っ直ぐに貫いていて、電車が軽やかに通過していく。千葉北端の中核都市として発展著しいとされる柏市の中でも、人気のTX沿線である。数年経てば高層マンションが林立しているかもしれない。その時、「十余二」の地名は果たして残っているだろうか。柏の葉に飲み込まれそうな気もする。


十余一 十余二 十余三
利用区間
路線
種別
始発→終着
発時刻
着時刻
十余二→柏駅西口 東武バスイースト 西柏02

柏の葉キャンパス駅西口→柏駅西口 14:40
14:54
柏→成田 JR東日本 常磐線・成田線
快速
上野→成田 15:10
15:58
京成成田駅→十余三東
千葉交通 吉岡・佐原線

京成成田駅→佐原粉名口
16:40
17:00

 旅もいよいよ次が終着。十余三は成田市の東外れで、九美上ほどではないにせよ随分遠い。頻繁にやって来る柏駅行のバスに乗ると、工業団地やら住宅街やら歯医者さんやらコンビニやらいろいろ眺めているうちに豊四季台なる団地に出る。同じような場所をよくもまあグルグル回ったものである。

 商店が随分目に付くようになってきたと思っていたら、あっという間に正面に高島屋が立ちふさがって柏駅着。成田線への直通快速に乗り換える。我孫子支線に10両30分ヘッドは過剰だと思っていたのだが、我孫子から2つ目の湖北までは満席、ローカル感満載だったはずの木下は橋上駅舎に改築されている。車両は綺麗だし、もう立派な都市路線である。もっとも、先に進むにつれ格段に空いて、最後の一駅は1車両に3人しか乗っていなかった。

 足しげく通った成田にまたしてもやって来て、京成の中央口から千葉交通バスの客となる。バスは一方通行路の成田山表参道に分け入って、土産物屋や料理屋が並ぶ中をするする進んでいく。カーブと急坂の続く厳しい道で、バスが通るには少々無理があるようにも見える。行先の佐原へ向かうにも明らかに時間のロスなのだが、それでも表参道経由にこだわるのは、成宗電車を発祥とする千葉交通の心意気だろう。

 成田山の門前を過ぎると4車線道路の空港通りに出て、バスは速度を上げた。スカイアクセス線をくぐると上り坂となり、工業団地やドライブインなど都市外縁らしい光景の中を進んでいく。東関東自動車道をまたぐ陸橋には「東岡十余三第1橋」の文字が。どうやらいよいよ十余三らしい。この先バス停は十余三西部、十余三東、十余三共栄と続くので、真ん中の十余三東で降りるとしよう。畑の中にぱらぱらと多少の住宅が混じった、のどかな車窓が続いていく。小学校を見送ると、まもなく十余三東である。バスは長いトンネルに入った。


十余三
   <とよみひがし/成田市>
 トンネルを抜けると、すぐに十余三東バス停に着く。人家はほとんど見当たらない。前方の交差点脇に建つローソンが唯一の建造物と言っても差し支えない程だ。人の気配があったトンネル手前とは随分空気が違う。

 トンネルを振り返る。正確にはアンダーパスで、道路が地下に潜り、その上には丘も山も無い。轟音を立てて、目の前をジェット機が降下してくる。

 成田空港滑走路。十余三西部と十余三東との間、ここがまさに十余三の中心地であったはずだ。

 開墾地の今の表情は様々で、すっかりベッドタウンと化した場所もあれば、農村そのものの風景もあった。しかしながら最後の最後、そこは滑走路でしたというオチはちょっと凄まじい。これもまた、明治から長い長い時を経たひとつの結果と言うことなのだろう。

 あまりにだだっ広い光景にいささか唖然としていたが、帰りのバスの時刻が近付くと、どこからともなくお客さんが現れた。近隣に空港がらみの工場か何かがあるらしい。バス停ごとに帰宅客を詰め込んだバスは、空港通りを埋め尽くした車の波に阻まれ、京成成田駅に延着した。


 足掛け8ヶ月、13ヶ所。まさかの震災を挟んだりもしつつ辿ってみた開墾地は、当たり前だけど今や何の連関性もなくそれぞれに発展を遂げていた。いまだ馴染みの薄い千葉という土地に、それでも一歩踏み込めたという気もしないでも無い、そんなのんびりとした旅であった。


(おわり)

2012.5.21
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