しもうさ数え歌 中編 


 前回は一気に6ヶ所を巡った。目的地は船橋〜柏の新京成線・東武野田線に沿ったエリアに集中しており効率は極めてよかったのだが、今後はそうは行かない。路線バスのローカルダイヤに四苦八苦しつつ、とりあえず今日は3つだけ先に進む。

五香 六実 七栄
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
京成成田駅→七栄四ッ角
千葉交通 本城台線
京成成田駅→AMBエアカーゴセンター
8:20
8:35

 松戸市六実の次に目指すのは、富里市七栄。ずいぶんと離れている。そもそも富里市自体が、失礼ながら大変マイナーである。地図を開けば成田市の隣町、成田市役所のすぐ裏がもう富里の領地で成田の衛星都市と言ったところなのだろう。成田空港の恩恵を受け(受けたのは恩恵のみではなかろうが)、平成の大合併とは無関係に単独で市制を施行している程威勢がよい。ただし、空港そのものは富里市にかかっていない。

 そういうわけで2011年3月6日(日)、成田までやって来た。成田駅のバス乗り場はJR西口・JR中央口・京成中央口・京成東口と4ヶ所に分かれ、複雑この上ない。富里へのバスは京成中央口と東口から複数の系統が出ており、JR駅は経由しない。成田を地盤とする千葉交通バスの運行で、パスモは使えない。ここまで来ると、ベットタウンよりも地方都市の香りの方が遥かに強い。

 乗車したのは三里塚方面へ向かう本城台線で、京成中央口から発車する。バス乗り場は駅前広場中央に集約され、屋根の下に方面別の列が整然と作られている。良く出来た設計である。イオン行乗り場の長蛇の列を横目に、こちらは乗客3名で発車。

 バスはJR線と京成線に挟まれた築堤を走るが、程なく「まもなく踏切を通過します」とアナウンスが入ってNEXを見送りJR線を越える。昔ながらの街道の雰囲気が残る道を京成線とつかず離れず進み、公津の杜のヨーカドーが見えた所で左折する。大型店舗や近年とみに郊外店舗が増えたスタバを眺めつつ進むと高速バスのターミナル、次いで東関東自動車道富里インターを通過する。

 富里幼稚園前交差点を右折すると、周囲は既存市街地の雰囲気に戻った。ここが七栄−「富里」と「七栄」の使い分けが余所者には今ひとつ分からないのだが−で、「七栄」バス停は無いので、中心部だろうと見当をつけた「七栄四ッ角」で下車。


七栄
栄四ッ角  <ななえよつかど/富里市>
 四ッ角と称する以上、勿論バス通りと直交する道路がある。国道296号。我が家のすぐ近所を通過する道だが、「成田街道」と呼ばれているこの国道が何故成田ではなく富里に通じているのだろう。

 成田からのバスは複数の経路でこの交差点に達し、三里塚や八街へと分岐していく。まさに交通の要所で、時刻表を見ると3〜4本/h程度のバス便が確保されている。ただし間隔はバラバラ。3/12にダイヤ改正が予定されているが余計酷くなり、1時間何も来ないケースさえある。首都圏とは言え、バス交通はやはり厳しい。

 瓦屋根の旧家、ダンススクール、パン屋と立ち並ぶ中でひときわ目立つのは稲荷神社で、境内の倉庫の壁には名産のスイカと飛行機のイラストがカラフルに描かれている。微笑ましい光景だが、社殿には「鍵をこわした人には祟りがあります」との看板が。怖い怖い。

 看板といえば、隣接した場違いに洋風な女性専用アパートの宣伝文句もふるっている。「ラブリー&キュート 『女の子』を楽しむお部屋」。念のため繰り返すが、アパートの宣伝文句である。

 ちなみに角のセブンイレブンの駐車場には、「富里村道路元標」と記された小さな石碑が鎮座していた。やはりここが、富里なり七栄なりの中心であるらしい。


六実 七栄 八街
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
七栄四ッ角→八街駅
千葉交通 住野線 京成成田駅→八街駅
9:13
9:34

 8は新京成に戻って八柱、かと思いきや総武本線の八街である。随分遠くまで運ばれる感があるが、八街市は富里市の南隣だからすぐそこである。再び千葉交通の客となり、四ッ角を後にすれば車窓はすぐに田園風景へと変わった。コンビニばかりが目に付く田舎道を登って下りてくねくね曲がってバスは進んでいく。水道タンクまでもがスイカ柄に塗られた富里から落花生の看板ばかりが目に付く八街へと入り、ベイシアを先頭にロードサイドショップが建ち並ぶようになる。

 街道を左へ逸れると市役所と駅が現れる。両者の間にはだいぶ距離があるが、他に建物は見当たらずだだっ広い空地が広がるばかりで、いかにも裏口である。電信柱に記された地名は「八街ほ一区」。もはや記号である。


八街
   <やちまた/八街市>
 落花生のモニュメントを横目に、真新しい橋上駅舎を通り抜けて表口へと出る。こちら側には昔ながらの商店街が広がっている。履物屋、洋品店、百貨店の看板を掲げた個人商店、歴史を感じる割烹。

 しかし人通りは少ない。日曜の10時前だから少なくて当たり前かもしれないが、それにしたって少ない。

 一本裏道へと足を踏み入れてみると、時の無常な流れを噛み締めずにはいられない。2階建ての間口の狭い商店が、びっしりと、そして黒々と建ち並んでいる。どの店もシャッターを閉じているが、昼間になれば全て開くのかどうかは定かではない。先ほどバスから眺めた、ロードサイドショップ群の存在が頭をかすめる。

 それでも10時になれば、駅頭にはどこからともなく音楽が流れ始めた。駅前商店街としての賑わいが、かろうじて、本当にかろうじてだがまだ残されている町である。


七栄 八街 九美上
利用区間
路線
種別
始発→終着
発時刻
着時刻
八街→佐倉
JR東日本 総武本線
普通
銚子→千葉
10:20
10:40
佐倉→成田
JR東日本 成田線
普通
千葉→成田
10:50
11:03
成田→佐原
JR東日本 成田線
普通
成田→鹿島神宮
11:41
12:16
佐原駅→下小野農協
千葉交通 上の台線

佐原粉名口→山倉
12:31
12:53

 次は香取市の九美上で、正直この企画を始めるまで地名さえ知らなかった。香取市という自治体名も馴染みが無いが、これは平成の大合併で佐原市と香取郡3町が合併したものらしい。佐原も元々は香取郡だから地名としては正しいが、由緒ある佐原の名が地図から消えてしまうとは、とも思う。

 佐原へ行くにはまず成田まで戻らなくてはならない。富里経由のバスで戻ればいいのだが、単純往復は嫌なので総武本線に乗る。211系の車内は千葉への買い物客で混みあっていた。向かい側の家族連れが絵に描いたように仲睦まじく微笑ましい。次の榎戸では中々発車せず、どうしたのかと前を覗くと、行き違う特急列車が駅手前で停止している気配である。「安全確認」とか何とか列車無線が言っているのが漏れ聞こえてきたが、大した事はなかったようで僅かな遅れで佐倉着。行楽客でこちらも賑やかな成田線の209系で成田へ戻る。

 成田からの鹿島線直通電車も209系。ローカル線っぽくないのは仕方が無いとして、成田空港への線路を分岐しスカイアクセスと交差した辺りからどうも調子がおかしい。一向にスピードが上がらず、行き違い列車が遅れているとのアナウンスが入る。久住までの1駅で5分も遅れてしまった。元凶の対向車は佐原観光用の臨時列車だったようだが、せめて久住まで普通に走って待つことは出来なかったのかと思う。

 ゴルフ場や利根川の堤防を眺めて佐原着。数年ぶりにやって来たが、駅舎はJR九州張りに凝ったつくりに改装され、驚くほどの数の観光客が闊歩している。もっとも、彼らの目的地は駅から離れた旧市街であって、駅前の有様は八街の比では無い。近くのデパートは前回来た時既に潰れていたが、今日も変わらず無残な姿を晒している。ちなみに駅前の字は「佐原イ」。カタカナはこの辺の流行らしい。

 さて、目的地の九美上だが、JRバス関東にそのままズバリのバス停がある。民間以上の驚くべきスピードで一般路線バスから撤退しているJRバスに乗れるとは貴重だが、九美上へ通じる多古行バスの本数は極めて少ない。平日は6往復、土休日ダイヤの今日は4往復しかなく、佐原からの単純往復では現地滞在時間が異様に長くなる。八日市場経由で多古へ回り込む、成田空港から栗源へ向かうなど諸々検討した結果、今回すっかりお馴染みとなった千葉交通の手を借りる事とした。

 千葉交通の乗り場は仲間はずれの如く駅から離れていて、ポールの前は泥だらけの空地で屋根も無い。佐原の千葉交通は全て駅裏の「粉名口」なる所(車庫だろうか)を起点としていて、ここはただの路上バス停なのである。神社の向こうから小型バスが5分遅れで姿を現した。1日3本の山倉行で、もうお昼なのにこれが初便である。先客はお婆さんが1人。

 バスは駅周囲をくねくねと折れ曲がると元のバス停のすぐ後ろまで戻り、さらに一方通行路を進んで忠敬通りに出た。ここが観光のメイン地区で、たいそうな賑わいだ。裁判所や検察庁まであって驚く。江戸期から現在に至るまで、大都市であり続けたのだ。

 ドライブスルーの薬局という、いかにも地方らしい物件を備えた県立病院を過ぎると、バスは登り坂にかかった。左右に揺られながら大根という懐かしい名(出身高最寄り駅の旧称)の集落を過ぎ、三叉路を左へ向かう。JRバスならば、ここを右だ。東関道を越えて、次の下小野農協で下車。確かに止まったのはJAの前だが、バス停を示すポールも時刻表も見当たらない。フォークリフトがせわしなく動き回り、積み上げた段ボールには「べにあずま」とある。何の野菜だかさっぱり分からなかったが、後で調べたらサツマイモであった。


九美上
美上  <くみあげ/香取市>
 バス通りから右手の小道へと入る。畑の中の、のどか極まりない道である。これまで回ってきた土地の大半はすっかり市街地化し、開墾の痕跡は地名にしか残っていなかったが、ここは今もまだ開拓者の息遣いが残っているかのようだ。

 5分も歩くと2車線道路にぶつかる。大根の三叉路を右へ別れた道で、上下方向それぞれやや離れた所に九美上バス停のポールが立っている。周囲を取り巻くのは自動車工場、LPガス工場、交番、クリーニング店併設の雑貨屋、なにやら分からぬ石碑、幸福実現党のポスター。何という事は無い光景である。

 それにしても、この変哲の無い田舎のバス停にぽつんと佇んでいる自分というのは、随分不思議な存在ではある。何をやっているのか、という気はするが、妙な理屈をつけてここまでやって来て旅気分に浸るというのも、それはそれで貴重な体験ではある。

 佐原へ戻るJRバスは、定刻から少々遅れてやってきた。先客はお婆ちゃん1人だけであった。


利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
九美上→下仲町
JRバス関東 栗源線
多古→佐原
13:28
13:44

 次の目的地もエリア的には決して遠く無いのだが、今から公共交通機関でたどり着く事はできない。時刻はまだ昼下がり。佐原の旧市街でバスを降りて、伊能忠敬記念館や八坂神社の骨董市、小野川の岸辺を観光客に混じってのんびり散策した。

 −のだが、この5日後に東日本大震災が発生した。言葉を失うような東北の惨状、あるいは同じ千葉県内でも旭や浦安の影に隠れてほとんど報道されないが、利根川に面し地盤に難のある佐原もまた、甚大な被害を蒙っている。昔日(わずか数ヶ月前ではあるが、もはや遠い過去のようだ)の賑わいを思い起こすにつけ、一日も早い復興を願って止まない。


(つづく)

2011.7.2
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