九州上陸・大長文 〜前編

第1章 壮大な寄り道  97年12月15日(月) 静岡→名古屋→京都→

 寝不足のまま夜が明けた。7時20分のバスから東海道線に乗り継ぎ名古屋へ。※1 車中で中田の写真が一面トップを飾っているスポーツ紙を発見、豊橋で購入する。ベルマーレが一面の話題になるなんて久しぶりの事である(天皇杯3回戦)。※2

 僕の持っている九州ワイド周遊券の京都までの経路のうち、名神高速線のみが未乗である。名古屋で降り、桜橋口のバスターミナルへ。乗り換え通路は狭いし建物の下なので真っ暗だし大した所だとは思わない。特急京都駅行はバスに疎い僕には普通の高速バスにしか見えない。お客は一桁。一番前の席に陣取る。

 11時ジャスト、古臭いベルが鳴り211便は隣の静岡行と同時に動き出した。名鉄線に沿って走り栄生駅前で右折。名古屋ではなく一宮インターに向かうようだ。国道22号を北上。道路表示の「稲沢」や「小田井」という細かい地名が分かってしまう自分が怖い。市街地は小さくすぐにローカルな風景になったのだが、延々と渋滞が続いている。こんな何もない所に片側3車線の道路がひかれ、しかも渋滞するのだから名古屋とは恐ろしい所である。しかもこの国道、外側に側道まである。側道はガラガラだが誰も降りない。「ここは地元用」という合意でも成立しているのだろうか。と思っているとバスは側道に降りた。けしからんな、と思っていると一宮のバス停であった。

京都駅 高速はすいており、バスは一気に加速した。新幹線と並走し、それから垂井の町が見えた。名神がどこを経由し神戸まで通じるの か僕は全く分かってなかったのだが、どうやら東海道線と平行しているようだ。備え付けのイヤホンで音楽を聴く。YUKI(TRFのVo.)やMAXなど、良く分からん人の曲が多い。

 上多賀SAに5分遅れで到着。上多賀ってどこだったかな、ああそういえば近江鉄道沿線にそんな地名があったな、と思い出す。SAを出るとその近江鉄道とクロス。しばらくして見えたがっしりした線路はJR草津線か。そんな事が分かってしまう自分が本当に怖い。京都南ICで降りる。

 京都駅に通じる国道1号線でまた渋滞にはまる。しかし東寺門前をすぎれば京都駅はすぐそこである。何度も来た京都もバスで到着す るのは初めてで新鮮である。ここまで晴れたり雨降りだったりの妙な天気だったのだが、今は薄日が差し13時半だというのに夕方のよう。はるばる旅して目的地に着いたかのような感慨にふけるが九州はまだ先である。さて降りるか、とコートを羽織り…あれ、そこの角曲がらないの!? バスは道路表示を無視し直進して表口に回った。

 周知のように京都駅舎は新築したてである。全面鏡張りの壁に京都タワーが映る。中に入ると10F分はあろうかという吹き抜けにサンタクロースの風船人形が浮かぶ。良くもまあこんな壮大な建物を造ったものだ。反対運動を押し切って作っただけのことはある。しかも建物の大きさとは対照的に、入口から改札までの動線は最短距離に押さえられている。一般に駅は改装すると不便になる傾向があり、この点は特筆される。

 夜行列車の時刻まで7時間近くある。実は14時前に静岡を出れば良かった。しかし、ある日地図を眺めていて「関西で乗りつぶしをする機会なんてもう当分やってこないのでは」という思いがふと頭をよぎり、予定を変更したのである。※3 琵琶湖線新快速に乗る。トンネルを出ると山科。もう一つトンネルをくぐると大津。速い!次の石山で降りる。

 石山は「探偵ナイトスクープ」※4で「変なセンスの町」と紹介された。しかし駅前を見渡しても、そのセンスを感じさせるものは……ロッテリアやミスドと並んで「一般食堂」という名の食堂を発見する。その一般食堂の横から京阪石山坂本線に乗る。江の電よりも小振りな2両の電車である。終着駅石山寺まで乗ってから大津方面へ折り返す。

石山坂本線 下車した浜大津はホームが1つしかない小駅であった。折り返しができないので電車は坂本まで直通する(ちっこい電車なのに石 山坂「本線」なのか、と勘違いした方はご愁傷様)。JR大津駅付近があまりにさびれているので浜大津が町の中心なのだろうと思っていたが、こちらにも何もなかった。路面を走る京阪電車の撮影に挑むが失敗。

 京津線で京都に戻る。留置線から水色の電車が4両で入ってくる。先頭のクロスシートを確保。発車するといきなり大きな交差点に突っ込み右折。次の駅まで車を警笛で蹴散らしつつ坂道を猛然と登る。専用軌道に入るとカーブの連続。車両は新しくなっても線路はへろへろのままでそのギャップが面白い。膳所を出るとJRをトンネル直前で越え、こちらは峠越えになる。狭い谷間を名神と国道に平行して右に左にカーブする。スピードは40km/h以下、新型車なのに「喘ぎながら登る」という言葉がぴったりである。

 山科を出るともう一度山越えがあるが、こちらは地下化された。真新しい線路を走りトンネルに入ると運転室のカーテンがなんと自動で降りた。市営地下鉄との境界駅御陵にはホームドアが設置されているが御陵 到着までは手動運転なので運転士はやたら慎重に電車を止めた。それにしても路面電車と登山鉄道と地下鉄を兼ねた路線なんて、世界でここだけではないだろうか。終着京都市役所前のホームに滑り込むと、カーテンが自動で上がる。意味のない設備だと思いません?

 まだ時間があるので(やっと九州に向かうのかと勘違いした方はご愁傷様)、阪急河原町へ向かう。2面3線という不可解な配線である。階段下で職員が肉声で「普通列車はこの先のホームから発車致します」と慇懃に案内している。ここ ら辺の上品さが阪急人気を支えている。今や速さでも本数でもJRに大きく遅れを取る阪急だが特急ホームは長蛇の列である。僕の乗った急行はロングシートだが内装が上品で感じがいい。同じ黄緑のシートでも東武とはえらい違い。まあ爆睡したので一緒と言えばそれまでだが。

 淡路で千里方面からやってきた天下茶屋行に乗り換え。2つめの天神橋筋六丁目から大阪市営地下鉄堺筋線に入る。何だか京成高砂付近とよく似た運転形態だがもちろん5つくらい格が違う。まあもう真っ暗なので一緒と言えばそれまでだが。

 長堀橋で長堀鶴見緑地線に乗り換え、西長堀で千日前線に乗り換え、谷町九丁目で谷町線に乗り換える。これで大阪市営地下鉄で乗ったことのない線はなくなった。大阪の地下鉄駅はどこも乗り換えやすくて便利。営団に見習わせたい(特に大手町の設計者)。

 天満橋から京阪の急行に乗る。萱島(だったと思う)までの複々線は、最近の東武の越谷延長以前は私鉄最長を誇った。小田急沿線住民の僕としては当然垂涎ものの路線であった。しかし乗ってみてがっかりした。確かに並走・追い抜きはあるが60km/h位で淡々と走るだけなのである。関西でこの速度では鈍速と言うほかない。まあ駅間距離がかなり短いようなので複線ではダイヤが成立しないかもしれないが。複々線化に一縷の望みを託す小田急利用者がこの現状を知ったらきっと暴動が起こる。※5 停車駅は多いし車両はぼろいし車内放送はうるさい(「次は○○、京阪百貨店前」とか)し、テレビカーだけの三流会社である。今回の旅行で京阪のイメージは暴落した。

 急行は夜のベットタウンを淡々と走る。窓に自分の顔が映る。疲れていた。やれやれ、僕は今一体何をやっているんだ、と寂寥感に襲われる(やっと気付いたか−読者一同)。

 丹波橋で近鉄に乗り換え、さらに竹田でなぜか地下鉄に乗り換える。京都に着いたのは夜行発車の10分前。危ない所であった。もちろん九州に行く夜行列車である。みなさん忘れてませんか、九州旅行記ですよこれ(忘れとるのはお前だ!−読者一同)。※6

 食料を買い込み1号車レガートシート(座席車)に乗り込む。20時32分、寝台特急あかつき号長崎・佐世保行は定刻に発車した。いよいよ本格的な旅行の始まりだ。ここで「オリエント急行」※7がかかるとロマンチックなのだが前日に定演に行ったのにもうフレーズが思い出せない。高槻辺りで水色201系快速を追い抜く。ついに大阪でも通勤型が快速に、と驚いてはいけない。尼崎から福知山線に入り快速になる電車である。東西線の開業以来この界隈の運転系統は複雑怪奇である。芦屋を過ぎたあたりから今度は本物の113系快速が並走する。内側線を走る快速のほうが停車駅が多いのだが、こちらのスピードが遅いため追い抜いたり追い抜かれたりである。同じ顔ぶれが行ったり来たりし、寝台特急を物珍しそうに眺める。何だかさらし者になった様な気分である。三ノ宮に同時到着・同時発車、次の元町でようやく振り切る。

 それにしてもこの車両空いている。京都発車時には僕1人、大阪・神戸を経ても10人に満たない。この「あかつき」と「なは」に装備されている座席車は、高速バスを意識したのか3列席でシートも深々と倒れる。これで料金\3460はお値打ちだと思う(寝台車は\9450)。しかしいかんせん知名度不足で利用は芳しくない。女性専用席に至ってはとうとう誰も座らなかった。まあシーズンオフだという要因もあるだろうが。まともな人間は年末を控え忙しい時期である。

 姫路、岡山、倉敷と停車の度目が覚める。夜行列車で眠れない法則は今回も健在。

 …停車の衝撃でまた目が覚める。しばらくすると前方から軽い衝撃。機関車の交換でもしているのか、とカーテンを開けると下関であった。8月に来たばかりであり、広い構内に見覚えがある。間もなく初の九州上陸である。僕は起きていることにした。4時48分下関発車。しばらく淡々と走り、やがて下り始める。古色蒼然としたトンネルに突っ込む。関門トンネル。入ってしまえばただのトンネルである。トンネルから出ると、右上に門司港からの線路、さらに上方にマンションが見上げられる。総武快速線の錦糸町付近みたいだな、と僕は思った。鹿児島本線と同じ高さまで上がるとホームが見える。4時55分、門司到着。再び機関車を付け替えた感触があり、発車。次の小倉まではすぐであった。ホームの光が眩しい。

 僕が覚えているのはそこまでである。※8

【脚注(2005年版)】
※1 当時、静岡駅からバスで20分くらいの所に住んでいました。

※2 ジャトコに7-0で大勝。岩本・ロペス・洪明甫・小島…
※3 翌春就職しても旅行しまくっているわけですが。
※4 なぜか静岡でも金曜夜に放送していた、大阪ローカルのバラエティ番組。「明石家電視台」も好きでした。
※5 昨冬にようやく梅ヶ丘以西の複々線化を達成。そこそこ飛ばしてます。
※6 似た表現を繰り返すのが好きだったようです。
※7 フィリップ・スパーク作曲の吹奏楽曲。前夜に大学の吹奏楽団定期演奏会で聴いている。
※8 やっと終わったよ…

第2章 長崎は今日は曇りでした   12月16日(火) →肥前山口→長崎

 鳥栖を出ると室内灯が付き起こされる。ぼけーとしているうちに佐賀到着。マイナーさは大津級の県庁所在地。駅舎が邪魔で町は良く見えない。その程度の町のようだ。もう7時前だというのに真っ暗。冬至一週間前とは言え夜明けが遅過ぎる。さすが九州。もちろん時差があるわけではないので通勤通学客は既に動き出している。ご苦労様。

 ところで我があかつきのこの先のダイヤは不可解である。この列車は諫早に8時12分に着く。博多をあかつきの33分後に出た電車特急かもめが後ろを猛追しているが、諫早出発時に6分差がついておりあかつきは次の停車駅が長崎だから辛うじて逃げ切れるように見える。しかし実際にはかもめのほうが長崎に15分早着する。つまりどこかで運転停車をして通過待ちをするわけである。凋落の一途を辿る寝台特急の特急通過待ちは今や珍しくないが、なぜ終点を目前にしたこの期に及んでやらなくてはならないのか。

 まあ速い列車が来るならそれに乗ろう、と肥前山口で下車。諫早でも良かったのだが佐賀県を「ただ通過した県」にしたくなかった。あかつきを見送った後向かい側の佐世保線普通列車の中で暖を取る。ローカル線にもかかわらず何と転換クロスである。

 7時25分発かもめ1号はハイパーサルーン編成である。JR初の新型特急車として脚光を浴びたが、「つばめ」登場で早くも「旧型」の烙印を押され最近リニューアルした。九州の車両レベルはかように高い。有明海岸に出るとそれまで100km/h以上出ていたスピードがガクンと落ち、入り組んだ海岸線を丹念に辿るようになる。入り江の奥の駅ですれ違った電車が対岸を同方向に並走するのが見えたりする。夜がようやく明けてきた。海の向こうの雲の切れ間から、真っ赤に染まった空と普賢岳(推定)が見える。

 諫早に着くと車内の雰囲気は一変。それまでがらがらだったのに立客まで出る。JR九州は近距離の自由席特急料金を\300に値引きしているので、通勤電車として利用されているのである。あかつきの不自然なかもめ退避は、長距離列車に通勤客が殺到するのを防ぐためだったのであろう。謎はすべて解けた。長崎まで寝る。8時35分長崎着。

長崎市電 市電で大浦へ行く。\100均一という驚くべき安さだ。左からミキサー車が接近してきた。危ないな、と思っているうちにガクンと衝突し電車は止まった。双方のミラーがひん曲がる。運転士は舌打ちし、前ドアを開けてミキサー車に市民病院の前で止まっておくように、と言う。次の電停がその病院前である。示談はなかなか成立せず、しびれを切らした乗客が2人3人と降りた。終着石橋で電車は一旦「回送」表示を出したが、大した事ないと思い直したのか乗客を乗せて折り返した。

 孔子廟まで歩く。台湾を思い起こさせる寺院でなかなかの異国情緒だが、それよりも教会と銭湯が隣接するというロケーションが面白い。長崎ならではのちゃんぽんである。大浦天主堂とグラバー園に行く。どこもがらがらである。昼食を探し市街地を歩く。ダイエーの裏で露店市をやっていてこちらは活気あふれる。昨日関西に寄り道したこともあり、SPEED※9 が流れるロッテリアの店頭に立つと自分が何をしているのか分からなくなる。知床何とかバーガーという新製品があったがさすがにそれは止めた。

 出島を散歩してから浦上に行く。爆心地を通り平和公園へ。例によって人影は疎らだ。中国人(多分)一家が「Hello,hello,」と僕を 手招きし、写真を撮ってくれと言う。この一家やたら元気で、ここがどういう公園なのか分かってるんかいなと思う。こっちは噴水にまつわる悲話の書かれた石碑を読んだりして少し感傷的である。

 原爆資料館はやたら綺麗で、入口はカフェのような明るい雰囲気であった。らせん状の通路で地下の展示室へ下りる。カチカチという時計の音がどこからか聞こえる。展示室に入ると戦前戦中の長崎の写真がある。時計の音は段々大きくなる。突き当たりに11時02分で止まった時計が置いてある。そこを曲がると…。

 一面の瓦礫。ひしゃげた火の見やぐら。割れた教会のマリア像。部屋一杯にそんな光景が再現されている。誰もいない。時計の音がやみ、恐怖感をあおるBGMがかかる。僕はしばらく立ち尽くし、それから早足で移動を開始した。いや、正 直に言おう。逃げ出したのである。怖かった。こんなに怖い思いをしたのは何年ぶりだろう、と思わず考えてしまうほど怖かった。たかが博物館の展示物で、情けない、と笑われるかもしれない。しかし本っっっ当に怖かったのである。嘘だと思う人は行ってみなさい。オフシーズンに一人で。でその恐怖が「事実」の再現に基づく、ってのがねえ…。

 その先の展示室はまあ普通であった。広島にも行ったことがあるのでこの位は免疫がある。加害責任や戦後の核実験についても触れてあるのは素晴らしい。

 出口の階段を降りると爆心地に戻る。綺麗に整備された公園で少年がローラーブレードで遊んでいる。ベンチに座りしばらく呆然と今見てきたものを反芻する。

 気を取り直して眼鏡橋を見に行き、ロッカーにいれた荷物を取りに長崎駅に戻る。こまごまと書かなかったがこれで市電を完乗した。

 長崎YH※10の4つ星は大嘘であった。建物は古い、風呂はぬるい、夕食は出ない、朝食はまずい…。同室者はスイス人であった。日光など有名観光地のYHではこういうことがままある。"What is your major?" "Low and politics. How about you?" "Postman." "Oh,you study about post?(郵便なんとか学でも勉強してるの?)" "(BAKUSYOU) No,it's my job."

 …あ、あんぽんたん…。

【脚注(2005年版)】
※9 「White Love」。

※10 現存せず。ちなみにユースホステル協会による星評価(4つで満点)はハード設備に対してのもので、星が多ければ良いYHと一概には言えない。


(つづく)
1998.2.11
on line 2005.5.22
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