船で渡る沖縄、バスで巡る沖縄 〜前編


 初めて大分県に足を踏み入れたのは、1997年の12月だった。これで47都道府県のうち、未訪県は沖縄ただ1つとなった。

 にもかかわらず僕は、一向に沖縄に行こうとしなかった。大分にはその後4回も行ったのに、である。

 沖縄には鉄道が無い。周囲の人々にとっては僕が沖縄に行かない理由はそれだけで十分であるらしかった。ゆいレールが開業した時には、「行くんでしょ?」と随分言われた。もちろん行くつもりである。だけど、ゆいレールが開業してから実際に旅立つまでには、実に4年もかかってしまった。

 羽田から飛行機に乗れば、那覇までは2時間。行こうと思えばいつだって行けたけど、初めての沖縄行きに飛行機は使いたくなかった。陸路と海路で地道にたどってこそ、沖縄の遠さが分かろうというものである。1時間しかかからず手軽に行ける札幌でも、青春18きっぷで2日がかりで行った経験があるからこそ「遠くまではるばる来た」との実感に今でも浸れるのである。

 2006年GW。待望の5連休。機は熟した。5月3日(水)、勇躍僕は新横浜へと向かった。偉そうな事を書いておきながら鈍行に乗らず新幹線とは軟弱だが、そこはそれ、暦通りにしか休めない勤め人の性である。

***

 新横浜7時36分発「のぞみ」203号新大阪行に乗る。僕はたかだか270km/h出すくらいで平然と追加料金を取る「のぞみ」が嫌いで、最初は博多まで「ひかり」だけで行くつもりをしていた。とすれば乗るべきは、朝イチの「ひかり」361号で、5時半起きとなる。新大阪まで「のぞみ」にすれば、+300円で30分以上寝坊できる。だんだん腰砕けになってきた。

 203号は臨時列車なので300系である。連休初日に禁煙窓際が取れたのはありがたいけれど、「ひかり」でも700系が来る昨今、相当なハズレくじではある。何度も乗った東海道新幹線、さすがに車窓に新鮮味は薄れてきた。止せばいいのに、仕事のことなど考えてブルーになる。こらこら、連休だぞ連休。

 9時53分新大阪着。ここからは「ひかりレールスター」での旅となる。当然指定券を取ってあるが、喫煙席である。各列車の切符は発売日夜に全部揃えたのに、この列車だけが禁煙窓際を取れなかった。

 そんなにも人気があるのは、「レールスター」が4列座席であるためなのだが、座ってみて愕然とした。想像以上にゆったりとしている。この車両確か3度目くらいだが、こんなに快適だったのかと改めて驚く。昨年末にひさめ氏と九州に行った際は、「レールスター」の指定が取ってあったのに早く帰りたいからと500系「のぞみ」に乗車変更してしまった。あの時は悪いことをした。土下座して謝りたいくらい良くできた座席である。

 9時59分新大阪発。デッキまで満員で、開きっぱなしの入口から車内に恨めしげな視線が注がれるが知ったことではない。いかにも山陽路らしく、車窓は徐々に白っぽくなっていくが、それ以上に今日は若葉が美しい。田んぼには水が張られ、田植えが始まった所もある。日本に生まれてよかったとさえ思えるみずみずしさで、こんな絶好のシーズンに列島を飛び出すのが勿体無い気がしてきた。

 どうしようもない位の混雑は岡山までで、広島を出ると空席も目立ってきた。新関門トンネルをくぐればついに九州だが、先は長い。12時44分、博多着。

 駅のスタンドでラーメンをすすり(この辺がさすが博多である)、13時10分発特急「リレーつばめ」13号に乗車。日本語・英語に続いて飛び出したハングルの車内放送に、ああまた九州に来たな、と思う。車両は言わずもがなの名車、787系。しかし乗るたびに感動が薄くなっていることは否定できない。 「レールスター」からの乗り継ぎだからなお分が悪い。
つばめ
 九州新幹線の高架橋が、しばしばわが「リレーつばめ」に寄り添ってくる。新幹線と鹿児島本線とはまったく別の場所を経由するのだとばかり思っていたが、案外ぴったりついてくる。工事も思いのほか進んでいるようだ。もっともそれは鹿児島ルートに限っての事で、長崎ルートは佐賀県の反対にあって立ち往生中である。博多駅には、その必要性を必死に訴えるポスターが貼ってあった。

 新八代が近づくと、乗客は一斉に席を立って荷物を降ろし、通路に殺到する。連絡ホームへの分岐でゴトリと大きく揺れて、皆一斉によろめく。14時46分新八代着。乗換え案内が大音量で響き渡る中、隣のホームに止まっている新幹線「つばめ」13号に乗り移る。両列車の乗り継ぎは基本的に同じ号車となるはずなのだが、何故か僕の指定券はバラバラでホームを右往左往。ホーム放送のボルテージはますます上がり、やっとの思いで席を探し当てれば発車時刻の14時49分である。

 なるべく楽に乗り換えられるよう策を尽くした新八代だが、この有様である。やはり乗換えは乗換えなのであって、随分くたびれる。国交省の策略に乗せられているようで癪だが、やはり一刻も早く博多まで開業させないとな、と思う。

 ともあれ、九州新幹線初乗車である。JR九州が総力を挙げて製造した800系は、さすがの出来栄え。座席は当然のように4列。どこか雅な車内の色調は、鉄道車両のそれとは思えない。そんな良くできた車両なのに、乗車率は50%を切っている。やや中途半端な時間帯とはいえ、連休初日の下り便である。それだけ田舎に来たと言うことか。

 僕の席は山側の窓際だが、トンネルと森が交互に現れるばかりでどこを走っているのか見当もつかない。若葉萌える季節であることに変わりは無いが、心なしか山陽路よりも木々の茂り方が鬱蒼としている。

 つかみどころの無い景色が高速で流れていくのを眺めることしばし、ブレーキが作動して「まもなく川内です」と放送が流れ始めた。「えっ?もう川内?」と思わず声が出る。新八代を出てから、まだ30分も経っていない。川内と言えば、もう鹿児島近郊ではないか。9年前に熊本から鹿児島に行った時は、半日近くを要したはずなのだが。新幹線、恐るべしと言うほかない。

 程なく「つばめ」は川内に停車。目の前にちょうど駅員が立っている。どこからどう見ても薩摩隼人、な顔つきをした年配の駅員だ。年相応に老けてはいるが、背筋はしゃんと伸び、よくよく見れば眼光は鋭い。早朝に自宅の道場で真剣を振ってそうな風格がある。否、間違いなく振っている。この駅員、西南戦争に参加してたんじゃなかろうか。

 列車はなおも高速で走り続ける。鹿児島中央到着の放送が流れ始めても、車窓はまだ山間部そのものだ。トンネルに入り、緩やかに減速。そして唐突に、列車は鹿児島の市街地へと進入した。視線をめぐらせても、正面に立ちふさがっているはずの桜島は見えない。代わりに見えたのは、駅ビルとその屋上にそびえる観覧車。

 …ここ、大阪梅田?

 ようやくたどり着いた鹿児島の第一印象がコレであった。15時29分、鹿児島中央着。新横浜から7時間53分。多分、速いと言っていいのだろう。

***

 鹿児島からはいよいよ船旅となるが、出発時刻まで間があるので市電の乗りつぶしをする。新型車両「ユートラム」は増備がずいぶん進んだようで、黄色いLRVはどこかポルトガル・リスボンの新型トラムを連想させる。ただし文字広告がベタベタと貼り付けられており、新型車本来のスタイリッシュさは無 い。まあ、日本らしいと言えば日本らしい装いではある。

 瀟洒な山形屋デパート前を抜けるころから車内は満員。大勢で乗り込んだ子供達は、みな南方系の顔つきをしている。僕とは違う血が流れていそうである。

 鹿児島中央駅前に戻り、預金をおろしてから酔い止めやら300円の弁当やらをばたばたと買い込んでタクシーに乗る。「沖縄行くフェリーですね。今日は新港までってお客さん多いですよ」とは運転手の弁。言葉通り、港へ向かう道すがらタクシーと大量にすれ違う。路線バスを設定してもペイできるんじゃないか、と思うほどの台数だ。

 鹿児島新港第2旅客ターミナルは、倉庫街の中に埋もれるように建っていた。古い建物の内外は、大荷物を抱えた乗客達で雑踏している。電話予約だけで切符を入手していないので、3列ばらばらに伸びた窓口の行列に並ぶ。対応するのは、愛想の悪さを顔に貼り付けたかのような女性社員や、一生懸命な態度だけは伝わってくる年配社員で、要するに列の進みはきわめて遅い。隣の列に並び直してみたが、その途端元の列が進みだすのは世の習いであろう。乗船を急かすように、岸壁から汽笛が大きく響いた。

 今宵乗船するのはマルエーフェリーの「フェリーなみのうえ」、見上げるほどの体躯だ。タラップを上って船内に入り、さらにエスカレーターを上ると小さいながらもきらびやかなロビー、細い通路を奥へたどると2等船室だが…うわっ。

 じゅうたんを敷き詰めた大部屋に、ぎっしりと人が詰め込まれている。マットの幅は1人あたり1m弱、前後左右との隙間は無い。壁際でも通路際でもない僕の指定スペースにたどり着くには、他人のマットを踏み越えていかねばならない。そして、荷物を置くスペースが無い。どうやって横になればいいんだろう。

 夜行の船には海外で一度だけ乗ったことがある。あの時はイス席で酷い目にあった。今回は桟敷だから多少混んでいても何とかなるだろうとタカをくくっていたのだが、とんでもなかった。GWをなめてはいけないのだ。2等寝台を奮発すればよかったと悔やむが、後の祭り以外の何ものでもない。

 落ち着かぬ2等席を出てデッキに立つ。倉庫街の向こう、桜島が夕日を浴びている。定刻18時を少し回るころ、タラップが吊り上げられた。エンジンが唸りをあげ、ゆっくりと船は岸壁を離れる。見送りの手が振られ、汽笛が響く。感傷的になるなと言われてもこれは無理だ。旅情あふれる出航である。

 「なみのうえ」は入口ロビーを1Fとすれば3F建てで、1Fは2等船室である。小さく区切られた個室桟敷があり使い勝手がよさそうだが、これは女性専用。2Fの臨時2等席がもっとも悲惨で、ホールに毛布を引いただけの即席客室である。ここに指定されなかっただけ、マシと思わねばならないようだ。3Fの 1等席は2等客立入禁止。

 1F食堂には出航時から列ができていて、やがて「夕食の準備ができました」と案内放送が流れる。乗客数に対し明らかに小さいレストランである。今日は弁当を買ってあるからいいけれど、明朝は難儀しそうである。30分もした頃には早くも「レストランの営業を終了します」とのアナウンスが。営業時間が極端に短いことはネットで知っていたけれど、「空いてるタイミングを見計らって」という行動は慎む方がよさそうだ。

 あんな狭い船室のどこがいいのか、デッキは人影まばらである。ぼうっと景色を眺めるうち日が暮れた。夜空に煌々と輝くオレンジの光は、指宿市街だろうか。鹿児島湾内の往来は意外なほど活発で、時に白く灯りをともした高速艇がすれ違う。高速艇と鯨が衝突事故を起こしたのはつい先日のことである。こんな所に鯨がいるのなら見てみたい気はするが、ぶつかるくらいなら出てこない方がよい。

 陸海の区別が付かなくなった頃、左舷に強い光を放つ灯台が現れた。おっさんがデッキに出てきて「種子島か?」と訊くが、とんでもない、本土最南端の佐多岬であろう。出航からはや2時間が経過したが、船の進みは遅い。

 何も見えなくなったので船内に戻り、非営業のカフェテリアで読書に耽る。11時に追い出され、程なく消灯。隣の女の子が2時になっても戻ってこない(360度びっちり男性に囲まれれば、そりゃ怖気づくだろう)ので、荷物はそちらに放り投げて寝た。

***

 まばゆい灯りと周りのざわめきで目が覚めた。寝ぼけ顔で見渡すと、乗客が一斉に毛布をたたんでいる。まだ4時台である。こんなにも早起きするのが船の流儀なのだろうか、と思っていると名瀬(奄美大島)入港のアナウンスがあり大半の乗客が出口へと向かった。

 奄美群島最大の町である名瀬はさすがに大きい。少なくとも厳原(対馬)よりは大きそうだ。マンションやホテルらしき中層建築がずらりと並び、離島のイメージは薄い。2F建てのフェリーターミナルは鹿児島より立派で、足元ではフォークリフトが貨物の出し入れに忙しい。客も荷物も乗降に手間がかかり、停泊時間50分のところが1時間に延びて夜が明ける。6時名瀬出港。
も。
 ずいぶん空いた船内でごろごろしてると、「7時半からレストランを開けます」とのアナウンスが流れたのですぐさま駆けつける。学食のような簡易なカフェテリア方式で、味と値段は船内であることを考えれば良心的。ただし案の定、すぐに閉まった。この後もう一度開いて閉まったから、ある程度準備ができたら開店して、売切れ次第終了、というシステムのようである。

 次の寄港地は亀徳(徳之島)で、ここのターミナルビルも小ぶりながら2F建てで鹿児島よりは大きい。と言うより、鹿児島港がボロ過ぎるだけのような気もしてきた。小さな島々にとっては港こそが表玄関であり、思い入れとお金のかけ方が本土と違うのであろう。

 岸壁では名瀬と同様、フォークリフトが何台も走り回り次々とわが「なみのうえ」からコンテナを運び出している。積込待ちの荷物はと見れば、上半分がくりぬかれたコンテナの中から牛が一頭首を出している。こいつは面白いとカメラを取り出したが、一向に積み込まれる様子が無い。そのうちフォークリフト達は、いったん船外に運び出したコンテナを再び積み込み始めた。下船地別に上手くまとめてあるという訳ではないらしい。

 ようやく牛が積み込まれて、10時亀徳出港。島影が視界から消えると、次の沖永良部島までする事が無いので読書タイムとする。「なみのうえ」はデッキの一部が木製になっていて、海を向いたベンチもある。なかなか情緒のあるレイアウトで、ほんのちょっとだけタイタニックっぽい。縁起でもないが。

 ベンチはふさがっていたので、甲板の柵際にじかに座る。薄曇りで視界はかすみ気味だが、暑くも無く寒くも無く、雨の心配も無い。すぐ下にブルーの水面、ほぼ凪で揺れも無い。のんびり過ごすには絶好の条件だ。今回の旅のお供は北村薫「朝霧」。沖縄らしさのかけらも無いがまあ良い。海の上で本読みに没頭する、それだけで充分ではないか。もはや新幹線車中で悩んでいた仕事のことなど、すぽーんと忘れている。

 「朝霧」はお気に入りの「円紫先生と私」シリーズの今のところ最終巻だが、"私"の成長につれて徐々に話は重く、そして深くなってきた。今回は多少の縁がある俳句の話が出てくることもあり、うんうんと頷きながらページをめくる。眠たい通勤電車の中より、洋上でじっくり読む方がよっぽど向いている話である。

 「東武だと、快速の方が準急よりずっと速いでしょ」
 ガタン、と列車は動き出した。
 「うん」
 「京成だと逆なのね」

 …おや、京成に準急が走っ ていたことなんてあったかな。

 折角のめり込んでいたのに、鉄ネタが出た途端に反応してしまった。

 やがて「なみのうえ」は沖永良部島へと接近する。和泊港は集落からは離れた場所にあり、埠頭のだだっ広さが余計際立つ。ターミナルビルは新築したてのようでピカピカだが、ずいぶんと小さい。段々僻地っぽくなってきた。子供がビービーと物凄い泣き声をあげながら、お母さんに引きずられて下船した。停泊中に昼食が始まり、カレーライスをかきこむ。

与論 12時30分、和泊出港。今朝以来ずるずると遅れが拡大しており、現在30分遅れ。鉄道なら憤慨するところだが不思議と気にならない。乗客数はずいぶん減ったが、ガラガラではない。名瀬でごっそり降りたときは「この船、名瀬止まりでいいじゃん」と思ったが、その後もまとまった数の乗船が続いている。鹿児島から沖縄への片輸送ではなく、奄美・沖縄間の交流が随分とあるようだ。

 お尻が痛くなってきたので読書はお終いにして、海を眺める。早くも前方に与論島の島影が見えてきた。空気が熱を帯びてきた。与論島は奄美最南端、さすがに気候が日本離れしてきたようだ。海の色もはっきりと青みを増している。

 と、前方の水面を何かが横切った。2度、3度、光沢を帯びたグレーの丸い背中の群れが跳ねる。イルカである。慌ててカメラを取りに飛んだが、世の中そう上手くは回らず、2度と姿を現すことは無かった。

 与論の港も集落から遠い。海岸べりに場違いにコンテナが積み上げてあって、そこが埠頭である。「なみのうえ」は接岸に向けて、慎重に旋回する。海水が泡立ち、鮮やかなコバルトブルーに染まる。停泊位置のすぐ脇に、サンゴ礁が群生している。フェリーターミナルの建物は見当たらない。乗船券売場はコンテナの改造、待合スペースは埠頭の一部に屋根がかかっているだけ。とうとう最果てまで来た、との実感に浸る。

 与論では乗船客の方が多かった気がする。もはや沖縄圏、と言うことなのだろうか。14時55分、与論出港。次の寄港地は沖縄本島の本部港である。

 2Fのロビーでは三線をかき鳴らしているグループ客がいる。周りに集まった本土の?お客さんは拍手喝采。沖縄である。もうどこからどう見ても沖縄である。とうとうやって来たなぁと思う。

 やがて左舷に、うっすらと島影が見え出した。これまでの離島とは違い、山並みがどこまでも航路と平行して伸びている。沖縄本島である。緑の中に人家も混じり始め、大きなコンクリ造りの建造物も見える。リゾートホテルか、あるいは海洋博公園か。伊江島の異様な山容を右舷に仰ぎ見る。左舷には平べったい瀬底島、その瀬底島の外周をゆっくりと回りこむと、本部の集落が見えてきた。

なみのうえ、那覇へ 17時25分、「なみのうえ」は定刻より55分遅れて本部港にゆっくりと着岸した。あと2時間乗れば那覇だが、今日はここで下船する。鹿児島から23時間半、横浜から34時間半、十分に遠かった。これだけ時間をかけてもまだ国内なのだから、日本は広い。

 タラップをゆっくり降りて沖縄初上陸。鹿児島からほぼ凪の状態で全く揺れず、実に快適な航海だった。何せ丸一日乗っているから、名瀬までの混雑振りなど脳味噌からさっぱり消えているのである。

 本部港はこれまで寄港したどの港よりも閑散としており、ターミナルビルは廃屋のようでひと気がなかった(近くに新ビルがあることに後で気づく)。下船客は自家用車や迎えの車でさっと散り、辺りはたちまち無人となる。西日の照りつける中、「なみのうえ」は最後のひと踏ん張りとばかり那覇に向けて出港した。案外重心の高いアンバランスな船で、海が荒れると揺れそうだなぁと今更思った。

(つづく)

2006.08.13
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