トンネル駅と大糸線




 2003年5月3日(土)、晴れ。曜日配列は極悪だが、一応ゴールデンウイークであるから今年も出かけることにした。前夜の帰宅が遅かったにもかかわらず、そ知らぬ顔で早起きをしていつもより30分くらい早い小田急に乗る。赤羽に出て、8時49分発快速アーバンに乗車。211系ロングシート車の10連である。

 高崎線に昼間乗るのは久しぶりである。たぶん8〜9年前に一度乗って、それっきりご無沙汰していたはずだ。関東平野を淡々と走るつまらない路線だと思っていたが、今回もその印象は変わらない。連休の行楽客で混雑しているから、なおのこと面白くない。目の前に座ったガキ2人の傍若無人ぶりがことさら気に障る。いい加減怒鳴りつけてやろうかと思った頃、母親の鉄拳制裁がようやく炸裂する。できることならグーで殴ってほしかったけど(苦笑)。

 10時12分高崎着。下車客は信越本線や両毛線へと分散していったが、それでも乗り継いだ10時20分発の上越線は混んでいる。渋川でSL列車を追い抜くと、ようやく平野が尽きて利根川が寄り添う。自宅から3時間半、ようやく旅情が高まってきた。

 11時21分水上着。思いのほか小さな駅で、左手には急斜面が迫っている。上越線の新前橋から小出までは、昼間に乗ったことがない。今回の旅行の主目的は大糸線の乗車にあるのだが、今日はこのエリアに散在するトンネル内の駅を行きつ戻りつしてみようと思っている。

 11時35分に水上を発車した新潟カラーの普通列車長岡行は、利根川沿いを淡々と登っていく。減速しながら上り線と分かれると、トンネルの中に突っ込んで止まる。湯檜曽である。こんな場所で止まるのが珍しいのだろう、行楽の若者がドアから身を乗り出し、無人のホームを見渡す。

 なおも列車は闇の中を駆け抜ける。上越国境越えの新清水トンネルである。いつまでたっても出口にたどり着かないまま、再び列車は減速する。11時44分土合着、ここで下車する。

 下車客は案外多かった。同病者が多い事は予想していたが、「鉄」には見えない家族連れの物見客や、この駅本来の利用客である登山者もいる。しかしそれらの客が皆出口へ向かってしまうと、トンネル内のホームに静けさが戻ってくる。四季を通じて常温なのだろう。今日は肌寒く感じられる。

 ホームは下り線のみの単線1面だが、驚いたことに通過線がある。かつての上越線は、トンネル内にわざわざ待避所を作らねばならないほどの本数があったのだ。いまは3〜4時間も定期の旅客列車が来ない時間帯がざらにある。

 2本の線路と1本のホームが1つのシールド内にすっぽり収まっており、ホームも10両は停まれそうなほど長いから窮屈さは感じない。すっきりとシンプルなカーブを描いた天井は、横浜市営地下鉄の三ッ沢上町・下町駅を連想できないこともない。しかし蛍光灯もまばらなホームは薄暗く、広告の類もJRタイプの駅名標さえもなく、ようするに殺風景である。出口を示す古びた看板だけが、ぼんやり黄色く光っている。
土合
 その出口までは、約400段の階段を上らねばたどり着かない。複線化された時に、下り線が旧来の土合駅よりはるか深い所を新トンネルで通過するようになったためで、物見客が多い理由はまさにこの大階段にある。傍らを地下水が流れ落ちる階段を黙々と上る。途中で親子連れを1組追い抜く。どこまでもまっすぐな上り坂の向こうに、陽が差している。

 明るみへと出ると、そのまま通路は川を渡る。続いて国道を跨ぐ。どうせ駅舎はこの国道に面しているのだから、ここに改札を作れば良いのにと思う。なおも数段上るとようやく駅舎へ入る。ホームから実に10分。

 三角屋根の駅舎はがらんとしていた。谷川岳登山口の最寄り駅として殷賑を極めた時代があったのであろう、改札口は3口もあるが現在は無人駅である。駅前の商店は廃屋と化し、もう1軒ロッジがあるがこれもひと気がない。そんな土合駅前にも等しく春は訪れ、東京よりも遅い桜が満開である。

 12時25分、地上の上りホームから普通列車水上行に乗車、ループ線を一回りして湯檜曽まで一駅戻る。ここも上りホームは地上、下りホームだけが新清水トンネル内に収まっているが、両ホーム間に高低差がないためか土合と違って趣味者の姿は見当たらない。地図を見ると旧湯檜曽駅跡という地点がある。上下線が分離される前の駅だろうか。

 駅から1分も歩けば温泉街となる。水上とは違って、企業の保養所の類が多くひっそりとしている。木造の古い家屋が表通りに軒を連ねている。こういうひなびた雰囲気は大好きだが、ひなび方がやや度を越してしまったきらいがあり、廃業し無残な姿をさらすホテルが幾軒もある。
湯檜曽
 集落の裏手へと登っていく裏道を辿ると、小さな空地が現れた。ここが旧駅跡で、朽ち果てた石段が上越線の上り線路へと通じている。「駅」前に残る民家は2軒。しかし1軒は廃屋で、雪の重みにより崩壊している。

 無人の下りトンネルホームから、13時39分発普通列車長岡行に乗車。2度目の土合を通り過ぎ、ようやく新清水トンネルを抜けて新潟県へと入る。雄大なカーブを描きながら田園の中を走り、越後湯沢で乗客が入れ替わって六日町に到着する。

 14時44分発の、北越急行普通列車まつだい行に乗り換える。「ゆめぞら号」と名付けられた新鋭車で、トンネルに入ると天井に星空が描き出され12星座の解説ナレーションが入る。伊豆急行「リゾート21」の豪華版といったところだろうか。

 電車が減速を始めたので席を立つと、天井にカメラを向けていた乗客に迷惑そうに睨まれる。映画の途中で席を立ったようでばつが悪いが、"上映"中、つまりトンネル内に駅がありそこで降りるのだからやむを得ない。14時54分美佐島着。下車客は僕1人であった。

 単線1面のホームと待合室の間は、分厚い自動扉で仕切られている。今乗ってきた電車が遠ざかると「電車が来るまでドアは開きません」とランプが点った。その扉の隙間から、風切り音がヒューヒューと聞こえてくる。強くなったり弱くなったり、急に大音量になったりと薄気味が悪い。車両限界ギリギリの単線トンネル内を電車が高速走行している影響だろうか。

 いつの間にかまつだい行はトンネルを出たらしい。接近放送が流れて、折り返し越後湯沢行普通列車がやってくる。待合室に人影を確認したのだろう、乗務員が自動扉を開けて「乗らないのですか」と言う。

 越後湯沢行が去っても風切り音は続いている。どうにも不気味で、ここは人間がいるべき場所ではない気がする(待合室なのだが)。とその時、「ドカン」と機械が爆発したかのような凄まじい音が響いた。思わず飛び上がる。風切り音が一気に激しくなった。14時54分に越後湯沢を出た特急はくたか12号(最高速度160km/h)がトンネルに侵入したに違いない。怖いもの見たさ半分で自動ドアの前に立つ。「電車が通過します。絶対にホームに出ないでください」と放送が告げる。もとより扉は開かないが、開いたとしても開ける気はない。冗談抜きで命にかかわりそうだ。

 騒音はますます大きくなり、そしてついに特急がホームに差し掛かる。もはや文字で表現しようのないほどの衝撃が待合室を包む。さすがに耐え切れず、逃げるように出口へ続くもう1つの自動ドアを開ける。気圧がぐいと変化し、思わず耳を押さえる。なんで駅の待合室から出入りするのに、こんな目にあわなくてはならないのか。凄まじい駅である。

 ビル2F分ほどの階段を登り外へ出る。2重の自動ドアまで取り付けてトンネル内に駅を作った以上、それなりの利用客が見込める集落があるのだろう。
美佐島
 しかし何もなかった。美佐島駅前には何もないのである。バス停がないとかコンビニがないとかそういう話ではない。人家そのものがない。正確に記述したとしても、視界に入る人家は2軒しかない。山間に田んぼが広がるばかりだ。10分も歩くとようやく集落が現れたが、それとてわざわざ地下駅を作るほどの規模とは思えない。駅にも集落にも、ここが某団体の首領の出生地であるとの案内が出ており、あるいは政治駅の類なのかもしれない。

 15時57分発の普通列車直江津行で美佐島を後にする。トンネル駅は一つだけのほくほく線だが、トンネル内信号所は幾つもあり、2度ほど暗闇の中で停車して対向列車を待つ。特急がトンネル内に進入すれば耳ツンが起き、すれ違いざま風圧で普通電車の車体が揺れる。難儀な鉄道である。

 16時57分直江津着。17時24分発の北陸本線普通列車金沢行に乗り継ぐ。トンネルの合間に日本海が姿を見せる。名立を出ると頚城トンネルに入り、そのまま減速して17時42分筒石着。北陸本線複線化の折に、上下線ともトンネル内に移転してしまった駅である。日も傾いてきたので降りはしない。待合室とホームの間にドアがあるのは美佐島と一緒だが、手動の随分と簡素なつくりだ。その代わりに警備員が詰めている。こんな暗い職場で1日勤務とはご苦労様である。

 18時00分着の糸魚川で下車。徒歩10分ほどのビジネスホテルに投宿する。支払いにRail-Onカードを差し出すと、フロントの兄ちゃんは「JRが割引になるカードですよね!(注:なりません)欲しいんですけど、糸魚川ってJR西日本の駅だから入手できないんですよ」と目を輝かした。


 5月4日(日)、晴れ。

 大糸線頸城大野駅。線路の向こうには田んぼが広がり、おじさんが一人田植えの準備にいそしんでいる。田んぼの背後に広がる若葉萌える山々、響き渡る蛙の鳴き声。振り返れば、小さな集落はひっそりと静まり返っている。駅舎は無人だけども手入れが行き届き、チリ一つ落ちていない。

 いい駅だがどうにもおかしな事になっている。何故に僕は、この小駅のベンチでノビているのだろう。話はその日の朝に遡る。

 糸魚川駅に向かう道すがら、胃に違和感を覚えた。原因は単純、朝食の摂りすぎである。朝は少食のはずなのに、バイキングだと途端に地が出るからいけない。まあ、列車に揺られるうちに何とかなるだろう。予定通り8時20分発の大糸線普通列車南小谷行に乗り込む。何せこの列車を見送ると、今日のメイン・大糸線は11時32分までない。

 単行のディーゼルカーは相当に古びた車体をぶるぶると揺らせて走り始めた。この揺れは電車よりもむしろ自動車に近い。僕は車にはさほど強くない。斜めに寝転んだり足を延ばしたり外を眺めたり気分転換を図ろうとしたが、上手くいかない。万一の事態になると、この車両はトイレを装備していない。そんなことまで考えるからますます具合は悪くなる。

 強烈な立ちくらみを覚えつつ、2つ目の駅で僕はとうとう列車を降りた。そこが頸城大野だったのである。

 しばし寝転がってみれば体調は持ち直した。どうもこの半月、公私とも忙しすぎたのも災いしたようだ。ともあれ虎の子の南小谷行から降りてしまった。どうしたものかと考えあぐねていると、ディーゼルエンジン音が近づいてきた。貨物列車かと思ってホームに出ると、糸魚川へ戻る普通列車である。とりあえずこれに乗って糸魚川8時50分着。

 一憩してから昨日通り過ぎた筒石駅でも行ってみようかと思いつつホームに下りると、構内放送が北陸本線下り高岡行の普通列車入線を告げた。ホームの時刻表を見ると、逆方向の筒石へ行く列車は2時間以上ない。反射的に高岡行に飛び乗る。

 さてどこへ行こう。最も手近な未乗路線は富山地方鉄道の電鉄魚津〜宇奈月間だが、大糸線に乗るためにまた糸魚川へ戻らなくてはならないからこれは難しい。気持ち悪かったはずなのに時刻表を開き、あれこれ吟味していると車掌が来てしまった。仕方がないので「黒部まで」と告げる。乗れないまでも、地鉄の電車くらいは眺めておこう。

 糸魚川は新潟県だが、地理的にすでに富山圏のようだ。いかにも都会へ遊びに出ると行った風貌の若者が車内には多い。向かいに座った女の子の集団がZONEみたいな素朴な顔立ちをしている。

 親不知を越えると、列車は富山平野へと躍り出る。水を張ったばかりの田んぼが広がる。北陸本線の旅も悪くないなと思ううちに民家が建て込み始め、9時38分黒部着。

 駅前からまっすぐ伸びる道はよく整備されていて、傍らには水が湧き出ている。むろん天然の湧水ではないだろうが、いかにも黒部らしい。やがて沿道の気配が中心街となり、電鉄黒部駅の脇で地鉄電車を2本ほど撮影してもと来た道を辿る。10時53分発特急はくたか7号は糸魚川までの50km弱をノンストップ26分で駆け抜けた。

 11時32分発の大糸線南小谷行は、今朝2駅乗った列車と同じ車両だった。同じようにぶるぶるとエンジンを震わせ、頸城大野を過ぎてほどなく山峡へと入った。大糸線に乗るのは初めてだが、並行する国道をバスで通ったことはある。切り立った崖の下に、落石覆いにガードされたその国道が見える。川を隔てた線路も、同様に落石覆いの中である。人家はない。と言うより、ここは人が住める場所ではない。それほどに地勢が険しい。真新しい鉄橋をそろりそろりと渡る。数年前に水害で架け替えた鉄橋である。
大糸線
 時折猫の額のような平地が現れ、駅と集落が姿を現す。何度か同じパターンを繰り返し12時28分南小谷着。

 12時37分発特急スーパーあずさ8号新宿行に乗り継ぐ。松本までは8両編成だが、ここまでのディーゼルカーと比べると恐ろしく長大で、15両くらい繋いでいるように見えてしまう。ただし、編成が長くなっても線路は同じ大糸線だから、厳しい地形の中を小さくカーブしながら走るさまは変わらない。。振り子機能があるスーパーあずさでも、これだけカーブがきつくては最徐行するほかない。「こんなの、オレが走る線路じゃねえよ」という車両のボヤキが聞こえてきそうだ。

 白馬で山男が大勢乗り込んだ。狭いながらも平地の気配がようやく漂い、特急電車は振り子を利かせつつ快走し始めた。

 途中下車するはずだった穂高は観光の時間がなくなったからそのまま通り過ぎ、13時51分松本着。14時10分発の松本電鉄新島々行に乗り換える。この路線に乗れば長野県内の全鉄道路線完乗となる(ケーブルカー除く)。車両は全国各地で見かけるようになった井の頭線のお古だが、系列バスと同じ派手なカラーに塗られている。写真で見たときには「京王3000系にも、似合わない色ってあるんだなー」と思ったものだが、実際目にしてみるとさほど毒々しくはない。

 2両編成の電車は松本近郊の住宅地をことことと走る。徐々に民家はまばらとなり、代わりにリンゴ園が増えてくる。白い花を一斉につけている。やがて平地の幅が狭まり、電車は坂を登ってリンゴの花を上空から見下ろすような景観が広がる。家々が線路と同じ高さまでせりあがると、電車は島式ホーム1面の終点新島々にあっさりと止まった。松本からの所要は30分。

 駅前はだだっ広いバスターミナルになっていた。駅舎にも「バスターミナル」の文字が掲げられ、鉄道の陰は薄い。上高地や乗鞍へのバスが客を待っている。もう午後だから乗り込む客は少ないが、代わりに電車の改札口には長蛇の列が出来ている。

 かつての松本電鉄は、さらに先の島々まで線路が通じていた。駅前の国道を上高地方面へと歩いてみる。家並みの向こうに線路が見えている。架線柱はコンクリート製で、今にも電車が姿を現しそうだ。

 新島々の集落を外れると、国道左手に細長い築堤が並行する。レールはないが、廃線跡に違いない。小さな流れを跨ぐ鉄橋の橋桁も残っている。島々駅跡も特定できるかもしれない、とさらに歩いたが、前淵というバス停まで来ると築堤は消えてしまった。ここが駅だったのか、それとも集落へと入る脇道が廃線跡なのかは見当がつかなかった(後で調べたところ、バス停地点が駅だった模様)。

 松本に引き返し、16時06分発特急スーパーあずさ10号新宿行に乗る。下車駅八王子までの所要時間は2時間を切り、上諏訪・茅野・甲府にしか止まらない韋駄天特急である。とにかく速い。モーターが新幹線のような唸りを上げている。うとうとしているうちに信濃も甲斐も遠ざかり、高尾のマンション群を眺めながらあれよあれよと日常世界へと引き戻されていくのであった。


(終)


2003.6.15
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