ニッポンを、旅しよう。


▼その2 東日本の巻

 新鋭特急、「スーパー白鳥」28号は青函トンネルを疾走している。あまりの速さのためか、なんだか体が傾けられているような気がして落ち着かない。トンネルを抜け、どんよりと厚く雲に覆われた本州の空を見上げて、ああ北海道はもうおしまいなのかと寂寥感に浸る。在来の津軽線と合流する感覚が、ごとりごとりと足元から伝わってきた。

 17時10分蟹田着。下車した数人の顔ぶれは、木古内からの乗車客とほぼ同じである。この区間だけは普通列車が存在しないから、18きっぷで特急に乗れる特例があるのだ。青森や八戸まで乗りとおせば、蟹田からではなく北海道側からの運賃を丸々とられる。JRも随分とケチくさいが、こんな中途半端な駅でぞろぞろと降りる我々だって充分ケチくさい。

 蟹田下車によって宿泊地の北上着は22時前にずれ込む。一本後ろの特急で八戸まで乗り通すのと変わらないから、江差駅長の好意は時間的には無駄になってしまう。が、その分鈍行の旅を楽しめるのだからやはりその効果は大きい。もっとも、東北の鈍行は大半が"あの"701系だから、「楽しめる」かどうかは乗ってみなくては分からない。

 屋根もないホームには、風が強く吹き抜けていた。そう言えば太宰治が津軽は風がどうとか言ってたなと思い出す(正しくは「蟹田ってのは、風の町だね」)。駅から真っ直ぐ伸びる道をたどり、黒々とうねる陸奥湾をしばし眺めた。

津軽線701系  17時31分発の普通列車青森行は、やっぱりと言うか案の定と言うか701系であった。いかにも「コスト削減しました」的なデザイン、固いロングシート、どんなに混もうが平然と2両で運転する運用方法。JRには悪いが、ここまで嫌われている電車も珍しい。

 もっとも、蟹田から乗った編成は珍しく3連だった。青森までは40分しかかからないし、三厩始発の国鉄型ディーゼルカーよりは(旅情はともかく)快適だから、津軽線への701系投入はあながち間違った運用とは言えない。皮肉にもこういう時に限って電車はガラガラで、僕が乗った2両目には他に1人しか乗っていない。

 電車は津軽平野の中を淡々と走り、頻繁に小駅に停まる。台車のメンテが悪いのか元からそうなのか、発車のたびに「キキィ」と物凄いきしみ音が車端から響いてくる。とっぷりと日の暮れた油川でようやく数名の乗客があったが、次はもう終着青森で18時11分着。ホームには折り返し電車を待つ列が出来上がっていた。

 接続良く18時14分に東北本線の普通列車八戸行が出る。701系2連で、買い物帰りの客で混雑する中かろうじて空席を見つける。平日だったならば座れなかったかもしれない。買い物袋を抱えたオバサンや中高生がロングシートに並ぶ様は、東京圏の帰宅電車と何ら変わらない。その変わりようのなさに、かえって安堵を覚える。「一仕事終えて疲れたけど、これから帰って一家団欒」という、日常のなかの心地よい疲労と平穏が車内には漂っている。701系の旅、悪くないじゃないか。そう思う。

 一駅ごとに地元客が降りていく。浅虫温泉までにだいぶ空き、真正面に座った女子高生が野辺地で降りると、車内は旅行者がぱらぱらと座るだけになった。窓外は漆黒の闇、何も見えない。

 19時43分八戸着。一ヶ月くらい前まではここで泊まるプランを立てていたし、とっぷり日も暮れたからやっぱりここで泊まりたい。が、明日の日程を考えればやはり今日中に北上まで行くほかはなく、疲れたなあとぼやきつつ新幹線改札に向かう。

 「鈍行で日本縦断」と銘打っておきながら新幹線とは、我ながら反則とは思う。が、東北本線の八戸−盛岡(所要約1時間15分)は第3セクター化されて18きっぷは使えず、運賃2960円が必要となる。一方の新幹線は運賃・料金合計で3410円、所要はわずか35分。しかも新幹線は未乗で在来線は乗車済なのだから、夜遅い時間でなかったとしても新幹線になびくのはやむを得ない。

 19時58分発はやて30号は東京行の最終である。東京着は23時08分、新宿23時35分発の小田急の終電にかろうじて間に合い、帰ろうと思えば自宅まで帰れてしまうのだから新幹線とは恐ろしい乗り物である。僅かに売れ残っていた駅弁を食べながら、漆黒の闇とトンネルの壁を交互に眺める。市街地に出たなと思ったらそこはもう盛岡で、20時33分着。

 ワープゾーンでもくぐり抜けてきたかのような不思議な心持ちで跨線橋の階段を降りると、待っていたのは本日3度目の701系である。県庁所在地から郊外への帰宅電車だから、雰囲気は八戸まで乗ってきた電車となんら変わらない。再び青森へ舞い戻ったかのような錯覚さえ抱く。もっとも、先ほどより2時間40分も遅い電車だから、車内はより気だるく、酒の匂いも漂ってくる。

 20時54分盛岡発。矢幅・日詰と近郊駅で次々と乗客は降りてゆく。どこかの駅で701系を6両も繋いだ回送とすれ違う。帰宅ラッシュに使った車両をまとめて盛岡に返送しているのだろうが、たかが6両でも岩手あたりで見かけると随分壮観である。

 場内信号の開通に手間取ったのか、終着直前に電車は小休止して、北上には2分遅れの21時59分に到着した。駅から程近いビジネスホテルに転がり込む。

 長かった1日が、終わった。

***

 9月8日、月曜日。自動化されていない北上駅の改札口から、続々と高校生が吐き出されてくる。皆、駅員に「おはようございます」ときちんと挨拶していく。

 東北本線のホームには、701系2両編成の盛岡行が通勤客を満載して停まっている。盛岡まで1時間近くも立ち詰めなのかと思うと、通勤客が可哀相になってくる。たった2両でラッシュをさばこうと言う思考がそもそも誤りなのであって、JR東日本は何を考えているのかと思う。

 これから乗る北上線のディーゼルカーも同じく2両編成だが、こちらはガラガラである。沿線に高校がないのだろう。学生の姿すらない。キハ110のボックスシートにゆったりと足を投げ出す。

 7時39分、普通列車横手行は定刻通り北上を後にした。今回、東北地方のルート選定は二転三転したのだが、結局は東北〜奥羽本線間で唯一未乗だった北上線を軸とするプランに落ち着いた。八戸に泊まって、新幹線から10時41分発の横手行に乗り継ぐ案も出来上がった。ところが最新版の時刻表を買ってみれば、なんと9月8日から10日まで北上−ほっとゆだ間の昼間の列車は工事運休となっていたのである。やむなく昨夜のうちに北上までやって来たのであり、今乗っている7時39分発のディーゼルカーは今回の旅行の要とも言える重要な?列車なのである。

北上線 ほっとゆだ付近  藤根で高校生を満載した上り列車と行き違うと、国道とつかず離れず列車は上り坂に挑み始めた。周囲に木々が生い茂り、和賀仙人という小駅に停車。どこか浮世離れした駅名と同様に、集落も実に穏やかな鄙び方をしている。「桃源郷」という表現がしっくりくる田舎である。

 やがて眺望がぱあっと開け、列車は錦秋湖を見下ろしてゆったりと走る。うす曇の空の下、水と湿地と森とがどこまでも連なっている。茫漠としたその眺めは、ノルウェーかどこかの北の大地を髣髴とさせる。地味なローカル線と勝手に想像していたのだが、北上線、なかなかどうして絶景ではないか。

 水辺に沿ったカーブの向こうに、斜面にへばりついた集落が姿を現した。ほっとゆだである。幾人かの乗客を加えた列車は駅員に見送られ、今度は横手へ向けて細かいカーブを繰り返しながら下っていく。

 8時57分横手着。秋田へ出て男鹿線を乗り潰そうかと思っていたのだが、かようなハードスケジュールは止めにして素直に上り電車で南下しよう。新庄行は2時間近くないから、とりあえず9時29分発の普通列車院内行に乗る。院内は秋田・山形県境のすぐ手前の駅である。

 盆地の中を真っ直ぐに伸びた単線を、4度目の701系電車は淡々と走る。元から空いていた車内は、横堀で僕の他に1人を残すだけになる。にわかに山登りへとかかり、集落が後ろへ遠ざかると電車は山間の駅の待避線に入って止まった。10時11分、終着院内である。

 院内駅舎には「院内銀山異人館」なる博物館が併設されている。というより、異人館の一角に駅が間借りしていると言った方が正しい。ともあれ、この博物館で次の列車までのヒマを潰すつもりである。さっそく入口に回り…

「月曜休館」

 しまったぁぁぁ。

 未練がましく駅窓口の、業務委託と思しきオバチャンに訊いてみる。

「今日は異人館、休館なんですね?」

「そうだけど、ちょうど団体さんが来てるから、ついていっていいですよ」

 何とも運のいい事で、2Fで係員の説明を受けている一団の後ろにコソッとつき、「誰だこの兄ちゃんは?」という好奇の目に晒されつつ館内を一巡する。中高年主体の20人位の団体さんで、「神奈川から!?それはまぁ」とワープロ書きの冊子を譲ってくれたので読んでみる。発句だの俳号だのと妙に馴染みのある単語が散らばっているので尋ねてみると、やはり俳句の吟行会とのことであった。

  銀山遺跡へとマイクロバスで移動する吟行会ご一行様を見送り、11時14分発の快速に乗り込む。乗車したのは僕1人であった。秋田から新庄まで150kmもロングランする快速電車で、701系(5度目)ではあるが1両はクロスシートを備えている。が、いかんせん2両では座れない。網棚を見上げれば荷物がぎっしりで、要するに長距離客ばかりなのだ。終着新庄まで立ち詰め必至である(事実そうなった)。

陸羽西線キハ110  院内で降り出した雨は時に豪雨となり、そうかと思えば薄日が差す。天候などお構いなしに701系は轟然と飛ばして11時52分、新庄のホームへと滑り込む。5年ぶりに訪れた新庄駅は山形新幹線を迎え入れて面目を一新しており、各ホームには色とりどりの車両が並び賑やかであった。

 ここで12時15分発の陸羽西線普通列車酒田行に乗り換える。車両はキハ110だが、景色を良く眺められるようにイスが斜め方向に回転する特別仕様車だ。陸羽西線も5年ぶりの乗車になるが、前回は最上川沿いの景色のいい所で不覚にも寝てしまった。今回は気合を入れて熱心に外を眺めていると、列車は高みへと登って、大河を俯瞰するポイントへと躍り出た。こんな風景を見逃しておきながら、陸羽西線に乗った気になっていたのかと思う。13時17分酒田着。

山居倉庫  酒田は一度観光してみたかった町で、駅の観光案内所で無料(!)の自転車を借りる。いきなり駅前通りを逆に進むという大ボケをかましてから引き返し、商店街を抜けて山居倉庫へ向かう。川岸に沿って、白壁の米倉が幾棟も並んでいる。裏手へまわれば黒ずんだ板壁に沿ってケヤキ並木が続く"いかにも"な風景が広がる。なんだか2時間ドラマにピッタリの「画」が撮れそうな場所である。例えば、船越栄一郎が東ちづると犯人のアリバイ崩しについて語り合っていたりとか。あるいは、事件が解決して明るく談笑する浅野ゆう子と久本雅美と藤田朋子の映像をバックに、スタッフロールが流れ始めたりとか。曲は、そう、高橋真梨子かZARDあたりで。

 すぐ近くにある、本間家旧本邸にも行ってみる。江戸期の大富豪の屋敷ではあるが、一通り回ってもさほど目に付くものはない。ウチの実家(和歌山)を大きくしただけだな、とか考える。ところが、玄関に戻ってくると係員のガイドが始まったところで、話を聞いてみれば、いや、ここはとんでもない豪邸なのであった。柱一本、違い棚一つにも驚くほどの贅が尽くされているのである。梁が低いのは刃傷沙汰を避けるためだとか、飾り金具が欠けているのは公民館として使っていた当時の名残りだとか、様々な豆知識もぽんぽんと飛び出してくる。江差の中村家もそうだったが、個人観光客向けのこういった懇切なガイドは実にありがたい。

 大いに堪能して駅に戻り、15時42分発の羽越本線普通列車村上行に乗る。村上までは107.5km、今回乗る鈍行列車の中ではもっとも乗車区間が長い。電化区間だが、車両は旧式のディーゼルカー・キハ47の2両編成で、濃紺の新潟色をまとっている。

 車内は高校生でほぼ満員であった。この高校生ども、とにかくうるさい。それだけなら我慢もするが、走行中にドアをこじ開けようとしたりするので極めて危ない。一度など、明らかに10cmくらいはドアが開いてしまったのだが、これで非常ブレーキがかからない車両の方もどうかと思う。

 余目で何人かが下車し、鶴岡で学校が入れ替わり、下校列車はのんびりと進んでいく。三瀬で今日は運転されない臨時列車(きらきらうえつ)の通過待ち、という意味のない長時間停車をやったかと思うと、その先で特急「いなほ」を待たせて行き違いをしたりする。三瀬から先では、線路は徹頭徹尾日本海に付き合う。右窓からの光景は、どこまで行っても日本海の海原である。時に奇岩が車窓を掠めていく。

 いつの間にか静かになった列車は県境を越え、新潟県最初の駅府屋で10分ほど停車する。特急も対向列車もないのにと思っていると、隣の線路を貨物列車がゴウと通過した。その間に何人か学生が乗り込んだが、こいつら少しくガラが悪い。発車までに跨線橋の中でタバコをくゆらせたりしている。

羽越本線 府屋  相変わらずの日本海を眺めながら、時間がゆっくりと流れていく。ぼんやりと日が暮れて、18時19分村上着。

 接続が悪いので駅前のローソンに入りスピリッツを立ち読みする。読み終えればちょうど新潟行の出る頃合であったが、考えてみれば読みふけっている間一度も時計を見ていなかった。危ないところであった。

 村上の駅前は暗い。街灯はあるにはあるが、とにかく驚くほどに暗い。駅前からしてこれでは、誘拐事件も防ぎようがないようなあと、ちょっと暗澹とした気持ちになる(※ちょうどこの頃、村上の女子中学生が行方不明になっていた。後に佐渡島で保護)。その暗がりの中から続々と女子高生が現れて、18時47分発の普通列車新潟行(115系4連、新新潟色)は見事に満員となった。扉脇のロングシートにかろうじて空席を見つける。

 ほぼ女子高生専用車と化した新潟行は、きゃぁきゃぁという嬌声を乗せてとっぷり暮れた新潟平野を走る。5つ目の中条までに大半が下りてしまったが、今度はここから男子高校生が大量に乗り込む。ばたばたと窓を開けたりして、たいそう落ち着きがない。その狂乱も3つ目の新発田までで(彼らがきちんと窓を閉めて降りて行った事は記しておこう)、もう代わりの学生は乗ってこなかった。

 19時59分新潟着。只見線紀行・W杯観戦・そしてシベリア旅行と去年3度もやって来た、不思議と縁のある町である。駅は中心部から遠く、付近にさしたる店がないのは分かっている。いつものマックに行くかと思いつつ駅前に出ると、嬉しいことにロイヤルホストが開店していた。

 これから夜行列車で、一気に大阪を目指すことにしている。列車入線まで待合室で「最長片道切符の旅」を読みふける。この待合室、新しく綺麗で広さも充分、まさに申し分がない。ガラス越しにホームを出入りする電車が一望できるのが、なお良い。

 22時54分発急行「きたぐに」大阪行は、583系独特の大柄な車体を10両連ねて静かに停車していた。583系には「はつかり」として運用されていた頃に乗ったことがあるが、寝台使用は初めてである。通路から見上げてみれば、やはり3段寝台は狭いことこの上ない。が、小ずるい当方はしっかりとパン下中段(パンタグラフの真下なので、2段になっている)を押さえてある。周りの寝台客に対し、ちょっとだけ優越感を覚えるあたりが実に小市民である(情報を頂いたove250さんに多謝)。

 客車ブルトレとは違い、実に静かに「きたぐに」は新潟駅のホームを離れた。ベッド横の小窓からしばし車窓を眺めて就寝。明日からは西日本の旅である。


(つづく)

2003.12.23
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