ニッポンを、旅しよう。


▼その1 北海道の巻

 それは2月(2003年)の、ある月曜朝のことだった。

 定例会議は、ぶっちゃけ退屈だった(注・一応当サイトの存在は、会社の人には知られていない、ハズ)。話を適当に聞き流しながら、寝ぼけた頭で僕は「どっか旅行に聞きたいなー」と考え事をしていた。そして、突如として閃いてしまったのである。青春18きっぷで日本縦断をしてみようか、と。

 鈍行での日本縦断、あるいは日本一周旅行は鉄道ファンなら誰もが一度は考えることだと思う。実際にそうした旅をする人の数だって相当なものだろう。が、僕はその時まで18きっぷを5日分フルに使ったことすらなかった。たまにはそんな鈍行派気取りの旅をするのも、悪いアイディアではない。

 途端にしゃっきりと頭は冴え、手帳との相談が始まる。GWは無理だが、夏休みの旅行にはうってつけだ。ここ3年ほどは海外へ渡ったが、毎年毎年恒例行事にしてしまうのも新鮮味が薄れる。

 そうこうしている内に某国のバカ息子が戦争をおっぱじめ、アジアではSARSが猛威を振るい始めた。「今年は国内」との思いはますます強くなり、8/27新千歳空港駅発・8/31宮崎空港駅着の「空港駅から空港駅へ」の鈍行旅行は、桜が咲く頃には既にその骨格が固まっていた。

***

 しかるに今日は9月6日(土)である。

 自他共に認めるほど人付き合いが悪い僕でも、たまには出なくてはならぬ酒宴の席というものがある。よりによって8/27にそれが当り、泣く泣く日程を1週間延長したのである。

 旅の始まりは怒号からだった。雑踏する羽田空港手荷物検査場で、おっさんが真っ赤な顔をしてぶち切れていたのである。どうやら荷物を開けられそうになりカッとなったらしい。このご時世、そのくらい当たり前だと思うのだが、犯罪者扱いでもされたかのような怒りようである。人だかりの中で、奥さんと全日空の地上職員がおろおろしている。件のおっさんが乗る、松山行の離陸時刻が迫っているのだ。

 こういう人は置いてきぼりにしても一向に構わないと思うのだが、どうやらそうもいかないらしい。野次馬根性でどうなるか見守っていたのだが、あいにく我がJAL513便札幌行の搭乗が開始された。失礼ながら後ろ髪を引かれる思いでJAS機材の777に乗り込み、スーパーシートにゆったりと腰掛ける。

 別に贅沢をしようと思ってスーパーシートにしたわけではない。バースデー割引が、スーパーしか空いてなかったのである。折角だからくつろごうとは思っているが、スチュワーデスは跪いて挨拶するし、お土産まで頂戴するし、なんとも落ち着かない。それにこういう座席には似合う客と似合わない客がいるようで、どうにも僕は浮いた存在である(ように思える)。

 大体、乗り込むや否やヘッドホンのチャンネルをJ-POPに合わせるあたり、普段とやってることが何ら変わらない。定刻通り10時に動き出した機体は、鬼束ちひろのアップテンポなナンバーを響かせながら離陸し、元ちとせの曲にのせて大空を悠々と舞った。

 眼下に沼ノ端の、室蘭本線と千歳線の分岐が一望できる。北海道らしい大きな分岐で、千歳線の上下線の間には深い森が広がっている。11時30分新千歳空港着。さすが北海道で、外気温は20℃を切っている。

   日本縦断の旅第1ランナーは、12時19分発の千歳線快速「エアポート」123号旭川行…のつもりだったが、昼食は空港レストランではなく街で取ろうと思う。先行する11時49分の117号札幌行に乗り込む。「エアポート」では御馴染みの721系である。いつ乗っても混んでいる快速で、今日も座れない。

   周りに何もなさそうな南千歳をやり過ごし、11時56分着の千歳で下車。しかしここも閑散とした雰囲気で、自動改札を出ても周囲にふらりと入りたくなるような店は見当たらなかった。ローソン前のポストに昨夜出し忘れた仕事の書類を投函しただけで引き返す。

千歳線731系  お次は12時27分発の普通列車苫小牧行だが、やって来たのはロングシートの731系である。初めて乗る車種だが、案の定車内の印象は東日本の通勤電車に似ている。北海道まで来て根岸線と変わらない車両、ってのもなあ…

 車両は似ていても、当然ながら車窓は首都圏と別次元である。札幌に程近いこの辺りでも、草地が延々と広がる光景にも接することができる。上空から眺めた沼ノ端を過ぎ、12時52分苫小牧着。

 苫小牧駅前にはどでかいスーパーが林立している。その1軒に入るとラーメン屋があり、これ幸いとカウンターに腰掛ける。が、よくよく時計を見れば、次の列車まで20分しかない。客の多い店なのでやきもきしていたが、なぜか隣の先客よりも早く出されたので猛然と食べる。周りは地元の常連客ばかりらしく、店のオバサンは「はい、おつり500万円ね」と昭和30年代の八百屋さんのようなギャグをかましていた。

 駅まで猛ダッシュで戻り、13時23分発普通列車室蘭行に駆け込む。今朝伊勢原で小田急に乗るときもギリギリだったし、海老名での相鉄乗り継ぎも際どいタイミングだった。なんとも慌しい。

 電化区間ではあるが、列車は旧式なキハ40と新鋭キハ150のディーゼルカー2連であった。買い物帰りのオバサンや子供たちで座席はあらかた埋まっている。ごとりごとりと構内を抜け、ちょっと走ると青葉着。団地の中の新設駅で、早くもまとまった降客がある。下り線を特急「スーパー北斗」が轟然と駆け抜ける。

 苫小牧から30分弱の白老を過ぎると、列車はガラガラになった。並行する国道の向こうに、太平洋が静かに広がっている。小さく開けられたキハ40の窓から、風が吹き込む。

 登別で10数分の停車。後続の貨物列車と特急「北斗」14号にまとめて追い抜かれる。ここまで約1時間を要したが、「北斗」はわが普通列車の苫小牧発より後に札幌を出て、苫小牧−登別を22分で駆け抜けている。フル規格新幹線とローカル線が同居するくらいの格差がある。

 14時47分東室蘭着。長万部方面への普通列車は1時間以上ないから、そのまま終点の室蘭まで乗る。東室蘭−室蘭7.0kmは、本日唯一の未乗区間である。右手には巨大な製鉄所の敷地が延々と続き、左側急斜面には住宅がびっしりと建て込んでいる。が、曇りがちな天気のためかそれとも不況のためか、町並みは精彩を欠いているように思えた。

 15時07分室蘭着。近年移設されたらしい駅舎は中々に洒落ている。旧駅まで歩いてみると、ちょうど中でオカリナか何かの演奏会が開かれてた。ちょっと耳を傾けていきたい所であったが、時間がないのですぐに新駅へと折り返す。結局折り返しの列車にはまたも駆け込む羽目になった。こんな事を繰り返していると、いつか痛い目にあうぞと思う。

 15時39分発普通列車長万部行は、案の定苫小牧から乗ってきたのと同じ編成だった。もと来た道を東室蘭まで戻り、8分停車してから一路長万部を目指す。いつしかうとうととしていると、携帯が震えて起こされる。つい最近までPHSだったので旅に出ると音信不通だったのだが、auのおかげでどこにいても捕まってしまう。しかもよくよく見れば、受信したのは迷惑メールである。気持ちよく寝てたのにこん畜生、と窓外に目をやれば、ちょうど崎守に着いたところで、噴火湾を隔てて富士山型の優美な山が見える。駒ケ岳に違いない。危うく絶景を見逃がすところで、イタ電もたまには役に立つ。

 駒ケ岳・函館方面へ向かっているのに、山はどんどん後ろへ遠ざかっていく。噴火湾の地形の妙である。波しぶきをかぶりそうなほど海岸に接近した北舟岡を過ぎると、次の伊達紋別で本日2度目の特急退避をする。約10分の停車の間に高校生で車内は満席となったが、3つ目の洞爺でほとんどが降り、次の豊浦でまた10分停まって後ろ1両を切り離す。切り離されたキハ150は折り返し室蘭行の普通になるという芸の細かい運用をしているが、長時間停車が続くから足取りはきわめて遅い。

旭浜  礼文を過ぎると、にわかに急勾配にかかる。トンネルとトンネルの間の断崖から、途切れ途切れに噴火湾を見下ろす。唯一の通過駅・小幌のホームがあっという間に車窓から去って長いトンネルを抜けると、遥か高みから行く手の平野と海岸線が見渡せる。外房線の安房鴨川手前とよく似ているが、より広漠とした景観である。

 原野の中の駅・旭浜を乗降なしのまま発車。後部デッキに立つと、無人の大地に複線線路がずうっと続いている。国道を大型トラックが猛然と追いかけてくるが、なかなか列車に追いつかない。列車が速いのではなく、トラックが遠すぎるのである。やっとのことで追いつくと久しぶりの市街地へ入り、17時56分、終点の長万部に到着した。

 乗客のほとんど全員が向かい側の18時02分発普通列車函館行に乗り継いだが、今日はここまでにする。改札を出てひと気の少ない商店街を数分歩き、民宿に投宿。明日の日程を詰めながら「鳥人間コンテスト」を観るうちに、夜は更けていった。

快速アイリス キハ40 ***

 8時06分発の快速函館行は「アイリス」という可愛らしい愛称まで付いているが、車両はキハ40、しかも単行であり、なおかつ空いている。新幹線誘致の建て看板を眺めながら発車を待っていると、貨物列車が通過していく。北海道に来てから貨物列車をしばしば見かけるが、とにかく格好いい。先頭に立つ新鋭機DF200のスタイルは抜群だし、後に続くコンテナ貨物も長大で見ごたえがある。なんとしても写真に収めたいところではあるが、貨物の時刻表は持ってないからいつ来るのか全く予測が付かない。

 「アイリス」は定刻に長万部を出発したが、スピードは一向に上がらない。昨日もそうだったが、いくら国鉄型気動車とはいえ北海道のディーゼル鈍行は遅すぎるように思う。在来線随一の俊足ランナー、特急スーパー北斗と同じ線路を走っているのである。路盤には何の問題もあるまい。

 8時40分着の八雲で下車。今回の旅行では、特に前半の行程作成に非常に難儀した。北海道での最大の焦点は、「函館で途中下車をするか否か」である。ここで時間をとれば東北地方のスケジュールがタイトになる。が、函館まで来て何も見ずに通り過ぎるのは、いかにも心苦しかった。

 とすれば答えは一つ。迷うくらいなら函館に行かなければいいのである。思いのほか開けた八雲の市街地を散歩した後、僕は9時32分発の江差ターミナル行函館バスに乗り込んだ。乗客は10名弱程度だったように思う。

 八雲市街のバス停をいくつか過ぎると、運賃表示が百数十円からいきなり倍に跳ね上がった。ずいぶんな設定だなと思ったがすぐに山越えにかかり、行けども行けども次のバス停は現れなかった。八雲から10分は走ってようやくバス停を通過する。

 しばらく行くと、若い女性が運転手に駆け寄りバスは停まった。「本当はここで降ろしちゃいけないんだけど、次のバス停ずっと先だから」とドアが開く。その言葉通り、次のバス停は拡幅工事の信号待ちをパスし、狭いトンネルをくぐり、下り道に転じたその先にあった。15分くらいはかかったように思う。さして厳しい峠ではないが、これで太平洋側からに日本海側に入ったことになる。

函館バス  やがて道は海岸線にぶつかって途切れた。海沿いの国道を左へ向かえば江差だが、いったん右折して雑貨店の前でトイレ休憩となる。天気は快晴、朝よりは気温が上がったとはいえ、暑くはない。眼前には青い青い日本海が穏やかに広がる。実に気持ちが良い。

 と、対向車線を江差ターミナル行のバスが通過した。我がバスと同じ行先である。さほど運転本数が多い区間とは思えないが、続行便とは不可解である。ちなみに、峠越えの八雲−江差線は1日2往復しかない。

 雑貨店を後にしたバスはすぐに熊石という集落に入り、漁港の岸壁で方向転換して今来た道を戻る。八雲への分岐を直進して、あとは江差までずっと日本海とのお付き合いである。案外に起伏はあり、小さな峠越えを何度も繰り返す。サミットからは、これから辿る集落や海岸線を一望できる。振り返れば後方沖には、奥尻の島影らしきものも見える。

 ぽつりぽつりと乗客がある。やがて雑貨店ですれ違った先行便に追いつくと、我がバスは躊躇することなく追い越しをかけた。

 ようやくにバスは江差市街にさしかかり、次は中歌町とテープが告げた。八雲からの所要は2時間弱、大いに堪能したバス旅であった。

 中歌町バス停のすぐ近く、国道に向けて木造の倉庫のような建物が突き出ている。これが「旧中村家住宅」で、江戸時代の廻船問屋の住宅なのだそうだ。観光協会か何かの職員が、中を懇切丁寧に案内してくれる。金庫(これがまた堅牢な代物なのだが)入口の壁の補修跡は北海道南西沖地震によるものであることなど、ガイドブックに載っていない雑学まで知ることができる。

 中村屋正面側の通りは再整備の真っ最中で、江戸時代風の街並みが出来上がりつつある。海岸へ降りれば、復元した帆船をバックにヨットが幾艘も浮かんでいる。今は函館の陰に隠れている感のある江差だが、近い将来川越や内子のようにちょっと穴場な観光地として脚光を浴びる日が来るのかもしれない。

 大いに江差を堪能して町外れへと足を進めれば、JR江差駅前である。なんとなく江差線は北海道最後の一線になりそうな気がしていたのだが、縁あって今僕は江差駅前に立っている。さあ乗るかと駅舎に足を踏み入れかけたとき、

 プアン。

 気動車の警笛が響き、続いてゴゴゴと重たいエンジン音が去っていく。

 いや、確かに食堂を出たときに時間がないなとは思ったが、走るほどではなかったはずだ。中村家でもらった江差町商工観光課のパンフレットをもう一度開く。「JR北海道 江差発 13:33」…あと20分以上もある。ちなみにパンフレットには「15年4月1日現在」とあり、古いというオチはない。

江差町パンフ  まさかと思いつつ駅の時刻表を眺める。

 13:08 普通 函館

 …ちょっと待てい。ばっちり間違ってるやん。

 愕然としていると、ちりとりを持った駅員がホームから戻ってきて「あれ、乗り遅れたの?」と言った。

 さあ困った。次の列車は3時間後である。並行するバス路線は存在しない。函館へは直通バスが走っているが、これも15時頃までない。駅員氏はタクシーなら湯ノ岱までに追いつけると言うが、20kmも乗れば恐ろしい金額になるし、湯ノ岱−江差を乗り残しては意味がない。

 仕方ない。3時間ここで待つほかなさそうだ。大判の時刻表をリュックから取り出す(ハジメから時刻表を見ておけばよかったのである)。今日は岩手県の北上に宿を取ってある。木古内14時20分発の特急「スーパー白鳥」24号で津軽海峡を越え、青森からは再び鈍行に乗って北上19時38分着の予定だったが、乗り遅れによって津軽海峡越えは木古内17時27分発「白鳥」30号になり、八戸まで特急で乗りとおしても北上着は21時57分になる。今日は18きっぷのモトが取れないかもしれない。

 そういう風に時刻表をめくりながら思い悩むのは、実は楽しい作業であったりする。が、ハタから見れば頭を抱えているように見えたのであろう。先ほどの駅員氏が事務室から出てきた。

「駅長がもうすぐ函館まで帰るんだけど、木古内まで乗ってくかい?」

 それならば16時16分発の「スーパー白鳥」28号に間に合う。江差線木古内−江差を乗り残すことにはなるが、またの機会もあるだろう。僕はその親切をありがたくお受けすることにした。

 駅長氏の自家用車は江差駅に程近いスーパーに立ち寄り、奥様と中〜高生と思われる娘さんを乗せた。一家団欒の場に闖入してしまったようで、なんとも申し訳ない。しばらく日本海沿いに走った後、左に折れて内陸へ入る。時折道幅が狭まりながら湯ノ岱の集落を過ぎると、峠越えにかかる。山間を右へ左へカーブし、線路の所在も良く分からなくなった。

 駅長氏の話によれば、同様にパンフを見て乗り遅れてしまう観光客が、ダイヤ改正以降ちらほらといるらしい。特に13時台の列車が一番大幅に変更されたため、"被害"も最も大きいらしい。町には訂正を要求しているし、駅においてある分は×印を入れてあるのだが、僕のように他の場所で受け取ってしまえば手の打ちようはない。

 平野部に出ると再び線路が現れる。何度目かの踏切を渡ると木古内市街であった。「陽のあるうちに北海道を出られますね」と駅長氏が言い、かかりっ放しだったラジオのカウントダウン番組がちょうど1位までたどり着いた。嵐の新曲だった。

 木古内駅に着くと、駅長氏だけでなく奥様や娘さんまで車外に出て、僕を見送ってくれた。

 待合室に入ると、ちょうどキハ40の単行が函館へ向けて出て行くところだった。これが江差で乗り損ねた列車で、ここで40分も停車していたのである。「スーパー白鳥」28号の発車までは1時間以上あるが、街歩きに出た挙句また乗り遅れては笑いのネタにもならないから、おとなしく文庫本でも読みながら列車を待つことにする。持ってきたのは宮脇俊三「最長片道切符の旅」。いかにも今回の旅行に相応しい気はしている。

 16時16分発特急「スーパー白鳥」28号八戸行は、定刻通り入線した。数人の乗客を迎え入れると津軽海峡線に入り、人家のほとんど見当たらない知内を発車すると長い長いトンネルに入った。


(つづく)

2003.11.22
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