近鉄の車窓から 

大阪線 今里


 どだい大手私鉄は、乗りつぶしが面倒くさい。

 うんざりすりほどの複雑な路線網、画一的な住宅ばかりの車窓。好きでやっているはずなのに、乗りつぶしが単なる作業に思えてくる一瞬が、ある。都市路線が嫌いではない僕でも、えてしてそうなる。

 特に近鉄はいけない。土地勘がないエリアだから親近感が涌いてこないし、通勤電車のデザインが画一的(に見える)なのでモチベーションも上がらない。

 この巨大私鉄の支線群が大量に手付かずになっているのは、前々から気にはかかっていた。ここは一つ、1泊2日で一息に片付けてしまおう。2004年3月6日(土)、近鉄電車乗り放題の「遊レールパス」を片手に、僕は朝イチの新幹線に飛び乗った。

※試みに乗車路線を五十音順に並べてみました。時系列順に読みたいと言う奇特な方は、名古屋線からどうぞ。

***

◆伊賀線
3/6 大阪線より>伊賀神戸 12:39 −普通− 13:07 上野市 14:16 −普通− 14:23 伊賀上野〜JR線〜>京都線へ

 神戸は山間の要衝といった趣で、構内ばかりが広い駅であった。再び舞い初めた雪の中、構内踏切を渡って伊賀線ホームへ。いかなる経緯か知らないが本線とは違って狭軌路線である。車内は軌間差に輪をかけて狭い。案内テープの「みなさま、この電車は〜」という出だしを聞いて、関西に来たなと思う。

 神戸を出た電車は緩やかに勾配を下る。田園の中をゆるゆる走り、眠たくなった頃伊賀市街へとさしかかった。ここで車窓は一変し、軒先をかすめんばかりの際どいところをキリキリと走っていく。横殴りの雪の中、対向列車の待ち合わせ。なんか変な、ピンク色のが来た。伊賀線 上野市

 上野市で下車、市街地と城址を一回りする。忍者屋敷には長蛇の列が出来上がっている。この上野という町、レトロ風味も兼ね合わせて、中々に雰囲気が良い。ガイドブックには近江編にも伊勢志摩編にも掲載されない不遇の地であるが、もっと知られて良い場所と思う。

 上野市駅に戻ると、待っていた伊賀上野行電車はさっき見た「変なピンク色」。2両編成の電車は、市街地から一面の田園風景へと神戸方面と同じような車窓を見せる。しかし、伊賀上野まではわずか7分である。接続良く関西本線の加茂行レールバスがやって来て、乗客の大半が乗り継いだが、僕は何もない駅前を眺めながら時間を潰して、亀山行から草津回りで京都を目指した。

◇生駒線  1998年に乗車済。

◇内部線  1997年に乗車済。

◆大阪線  堅下−大和八木は1998年に乗車済。
3/6 名古屋線より>伊勢中川 11:58 −急行− 12:27 伊賀神戸>伊賀線へ

 名古屋線からわずか1分という絶妙の接続。よく出来たダイヤだが、オフィシャルサイトの検索では乗り継げない結果しか出てこないのはどうしたことか。

 電車は住宅と田んぼが入り混じる中をノンストップで駆け抜け、山中の榊原温泉口から各駅停車に変じる。見渡す限り人家が一軒も見当たらない東青山に停車するあたり、良く分からない設定である。

 青山峠にかかると、どうにも電車のスピードが乗らなくなる。加減速も相当に鈍い。ひょっとしてこの会社、特急以外はやる気無いのだろうか。どうも関西私鉄よりは、箱根に通じる某地元鉄道との共通要素ばかりが感じられる。

3/7 東大阪線より〜地下鉄〜>上本町 8:56 −普通− 9:01 今里 9:22 −普通− 9:24 布施 9:31 −準急− 9:38 河内山本>信貴線へ

 明けて3月7日(日)。薄曇とも晴れともつかない空が、大阪上空に広がっている。

 帰りの新幹線から逆算すれば、今日は9時42分発の普通列車でスタートすればよい。が、ホテルでじっとしていても仕方がないので、8時56分発の普通列車で2つ目の今里まで行き、写真撮影。新型車「シリーズ21」が随分頻繁にやってきたので驚いた。特に奈良線では、相当に置き換えが進んだようだ。

 布施で乗り継いだ準急は、特急の通過待ちでなかなか発車しない。向かい側から、満員の上り急行がせわしく発車していく。大阪線も名古屋線も急行はロング2連+クロス4連というペアが基本のようだが、大阪線にはかなり例外があるようで、この急行もロング車オンリーの6連である。何が何でもクロスシート、とは考えない僕ではあるけれど、さすがに宇治山田まで行こうとしてアレがきたら嫌だなあと思う。まあ、一般人は特急で行くのだろうけど。

 準急は東大阪や八尾の住宅街を見下ろしながら淡々と走る。アーバンライナーから眺めるのとでは随分と違う、普段着の大阪線がそこにあった。

3/7 信貴線より>河内山本 10:45 −普通− 10:55 堅下>〜JR線〜田原本線へ

 山本駅の待避線に、国分行の普通列車が入ってくる。当駅で特急の通過待ちである。おかげで本来ここから出る信貴線の電車は、隅っこの別ホームへと押しやられてしまった。そしてこの普通列車、なんと次の高安で再び特急に抜かれる。我が小田急の各停も退避の多さは相当なものだが、近鉄はそれ以上だ。それにしても、2本まとめての退避ではなく2駅連続の退避にしてしまうあたり、近鉄ダイヤグラムの個性を感じる。

 左手にずっと続いていた、生駒山から信貴山に至る峰々がようやく低くなってきた。堅下という小駅で下車、商店街を抜けてJR大和路線柏原駅を目指す。同じ近鉄(田原本線)に乗るために一旦JRへ乗り移らねばならず、しかも大阪線とJRは交差するのに乗換駅がないのだからややこしい。そしてたどり着いた柏原には、近鉄の別路線(道明寺線)の電車が止まっている。もう何がなんだか、さっぱり分からない。

3/7 橿原線より>大和八木 18:40 −特急− 19:33 伊勢中川>名古屋線へ

 日曜夜の鳥羽行特急が、満席である。皆一体何しに行くんだろうと首を捻りかけたが、6両のうち2両は名張で切り落とす由。やはり中距離利用が大半であるのだろう。

 轟然とモーターが唸り、青山峠を越える。雪はたちまち消えうせ、満月が姿を現した。

◆橿原線  大和西大寺−平端は1998年に乗車済。
3/7 田原本線より>田原本 12:01 −普通− 12:15 平端>天理線へ

 親子連れが2組、ロングシートに向かい合って座っている。僕の隣に女の子。向かい側に男の子。どちらも5〜7歳くらいの年頃である。

 男の子はおもちゃの携帯電話を盛んにいじくり回している。閉じたり、開いたり。どうだと自慢げな視線を女の子に向ける。対する女の子の手元には、ポータブルのDVDプレイヤー(本物)。小さく流れ出した音声に、何事かと男の子が首を伸ばす。

 絡み合う、視線。ぶつかり合う、プライド。

 そんな昼下がりの、橿原線。

3/7 天理線より>平端 13:28 −普通− 13:42 大和八木 13:50 −急行− 13:56 橿原神宮前>吉野線へ

 天理での乗り遅れのショックを引きずったまま平端の橿原線ホームへ上がると、賢島行の特急が通過する。これが当初乗るつもりだった電車で、平端に停まってくれれば乗れるのだが、西大寺から八木までノンストップで駆け抜けてしまうからどうしようもない。後続電車で八木まで追いかけてみても、京都始発と難波始発の両特急の併結作業は終わっていて、大阪線ホームはもぬけの殻であった。

 仕方がない。伊勢志摩は諦めよう。後続の橿原線で、僕は橿原神宮前へと向かった。

3/7 南大阪線より>橿原神宮前 18:24 −特急− 18:28 大和八木>大阪線へ

 所要・4分。もはや窓外は真っ暗で、書くことなどあろうはずも無かった。

◆京都線
3/6 伊賀線より〜JR線〜>京都 16:46 −急行− >奈良線へ

 改札脇の豚まん屋さんに行列が出来ている。ここの広告は中川以西の電車内でやたらと見かけたが、関西では有名なチェーンなのだろうか。

 奈良行の急行はロングシートの6両編成。行楽&買い物帰りのお客さんで、小田急のような混み方をしている。

「停車駅は東寺、竹田、丹波橋、桃山御陵前、大久保、新田辺、新祝園〜」 …多すぎ。奈良まで行くなら特急乗れ、と言うことだろうか。

 電車は伏見の街なかを、高架で走り抜ける。関西に来るたびに思うのだが、どうしてこうも家々が、敷地目いっぱいに建てられているのだろう。東京と比べても、確実に密度は高い。ひょっとして関西には建築基準法が適用されていないんじゃないかと勘ぐりたくなるほどである。

 宇治川を渡ると多少は風景が広がり、電車はスピードを上げ始めた(しかし良く止まる)。

◆御所線
3/7 吉野線より〜JR線〜>近鉄御所 17:54 −普通− 18:03 尺土>南大阪線へ

 吉野からの帰路。このまま橿原まで戻ってもよかったのだが、駄目押しにもう少し未乗線区へ立ち寄りたい。が、今回は時刻表を持ってないから調べようが…とここに至って携帯電話の存在に気が付く。世の中便利になったものだが、そうするとほとんど毎回大判時刻表を抱えて旅に出る僕などどうすればいいのか。

 ともあれ吉野口で下車、JR和歌山線に乗り換える。4連ワンマンと案内があり、105系が2編成繋がってくるのかと思いきや、やって来たのはオーシャンブルーの117系である。2ドア4連と運用しづらい車両であることは理解しているが、こんなローカル線で出会うとやはり悲しい。「運賃は駅備え付けの運賃箱に〜」との放送も実に泣かせる。

 …ってちょっと待て。車内収受しないの!? 10円玉切らしているんだけど。このままでは多く払うか無賃乗車になってしまう。下車駅の御所が有人駅であることを必死に乗るが、無情にもここでも「駅備え付けの運賃箱」と無人駅仕様のアナウンスが流れる。しかし御所の駅員室には明かりが灯り、何とかつり銭をもらって事なきを得た。

 それにしても、正当な運賃を支払う術を客から奪うとは、JR西日本は何を考えているのかと思う。キセルを助長しているとしか思えなかった。

 近鉄の御所駅は、JRの踏切を渡った先にひっそりと建っていた。ここもワンマン運転である。近鉄もローカル線はワンマン化の渦中にあり、生駒線や名古屋線普通のワンマン化のお知らせも随所で見かけた。駅員もカタカナ名称の関連会社へ外注しているようだし、相当に厳しい環境にあることが察せられる。そりゃあ、球団の命名権くらい売りたくなってもこよう。

 国道だか県道だかに沿ってトロトロ走るうちに、日はとっぷり暮れた。

◆信貴線
3/7 大阪線より>河内山本 9:39 −普通− 9:44 信貴山口 10:33 −普通− 10:38 河内山本>大阪線へ
西信貴ケーブル
 前方に迫る山並みを避けるかのように、大阪線が右急カーブを切って分かれていく。わが信貴線の電車は大阪府下だというのにわずか2両、しかし一応車掌は乗っている。住宅街の裏手をゴトゴトと、間にもう1駅作れそうなほどの距離を走り、周囲が鄙びてきたところで片面ホームの服部川。ここからは、相当な急勾配をきりきりと登る。長野電鉄の信州中野−湯田中のにちょっとだけ雰囲気が似ている。大阪の町がぐんぐん遠ざかる。

 山本から所要5分で終点信貴山口に到着。ホームは乗降分離がされている。さばき切れない程の利用者がつめかける日があるのか、あるいはそんな時代もあったのか。

 距離も短い上に存在自体マイナーな信貴線だが、車窓は変化に富んでいて面白かった。が、真骨頂は実はここからで、鉄道線に接してケーブルカーのホームがある。このケーブルからの大阪平野の俯瞰は、見事の一言に尽きた。関東の人間にはピンとこない山なのだが、なかなかどうして、信貴山侮れない。

 山上の高安山駅は、駅舎以外何も無い所であった。乗客たちは皆バスに乗り継ぐ。次に目指すのは奈良県の王寺だから、バスで県境を越えて生駒線に乗り継ぐのが直線距離である。が、これは時間がかかりそうなので止めにし、折り返しのケーブルカーと信貴線(ここで当初の行程案に合流する)で山本に戻ることにする。

 下山のケーブルカーには、乗務員と駅職員と、先刻の登りケーブルでトイレ掃除に来たおじさんしか乗っていなかった。

◆鈴鹿線
3/6 名古屋線より>伊勢若松 10:48 −普通− 10:59 平田町 11:11 −普通− 11:22 伊勢若松>名古屋線へ

 湯の山線に続き、本日2度目のワンマン列車。とは言っても運賃箱は無く、乗務員室扉に郵便ポストのような細い投入口が開いているのみ。ずいぶんとお手軽である。

 若松を出た電車は左へほぼ90度方向を変え、田んぼの中を淡々と走る。やがて前方に伊勢鉄道の高架橋と鈴鹿駅の簡素なホームが見えてくる。これをくぐると突然市街地となって鈴鹿市着。あとは新興住宅地の脇を走ったりして終点平田町。街道に面した、なんでもない都市郊外駅であった。

 バス乗り場の前で女の子が数人、地元のオバサンを捕まえてなにやら相談している。この界隈で誰かのコンサートでもあるのだろうか。鈴鹿らしからぬ(失礼)お洒落な女の子がずいぶん乗っていると思っていたのだが、そういう事であったらしい。

◆田原本線
3/7 大阪線より〜JR線〜>新王寺 11:35 −普通− 11:54 西田原本>橿原線へ

 久しぶりに乗ったJR103系で県境を越え、駅前再整備真っ只中の王寺で下車。近鉄田原本線の新王寺駅は、ビルとJR駅の間に窮屈そうに納まっていた。

 田原本線。マイナーである。新王寺から西田原本まで、と言われてもどこをどう走るのかさっぱり想像がつかない。第一読めない。こんな短い路線がどうして「たわら本線」なんだと、長い間僕は勘違いしてした。実質JR大和路線のフィーダー線なのだろうが、狭軌ではなく標準軌であることさえ、王寺まで来て初めて知った。

 乗ってみれば、大和盆地の中を平々凡々と走る普通のローカル線である。王寺圏と田原本圏の境も判然としないまま、終点西田原本着。瓦屋根の旧家が密集する町並みに、大和に来たなと思う。

◆天理線
3/7 橿原線より>平端 12:18 −急行− 12:25 天理 13:17 −普通− 13:23 平端>橿原線へ

 田んぼの中の平端を発車した天理線は急カーブで橿原線と分かれ、やがて天理の市街地へと入る。この形、どこかで見たことがある。そう、鈴鹿線や伊賀線と同じパターンである。平端にしても、若松や神戸にしても、本線から離れた町へ支線を引くための分岐駅に過ぎず、ゆえにさしたる市街地もないのだ。これが首都圏だと、新百合ヶ丘みたいに駅が出来た後でビル街が誕生したりするのだが。

 鈴鹿線や伊賀線と違って、天理線は複線だし急行も多数乗り入れてくる。それだけ天理は大きな町なのだ。やがて線路両側に、瓦屋根を乗せた宿泊所群が立ち並ぶようになる。天理教に対する知識も関心もないが、なんだか異様な町にやってきたなという感触はある。

 近鉄の天理は4面3線の大駅だった。真上のJR駅は2面4線で県庁所在地駅のように堂々としているが、そこに105系2両編成がちょこんと止まっている様はなかなか滑稽である。駅前から伸びるアーケードの商店街は、一見ごく普通の地方都市のそれと違いがない。が、行くほどに道幅は狭くなり、宗教がらみの商店が増えだして独特の雰囲気を醸しだすようになる。降り出した雪に煙る天理教本部を一瞥して駅へと引き返す。

 今日はこれから12時52分発のJR桜井線で桜井まで行き、一路志摩線の終端賢島を目指す。これで南大阪線系統を除く近鉄全線が完乗となる運びである。が、どうも52分までに駅に戻れそうにない。ちょっと街歩きが過ぎたようだ。しかし、57分発の近鉄にさえ間に合えば、原案と同じ特急で伊勢志摩へ行けるから問題はない。

 天理駅に戻った時には、13時を回っていた。

◆名古屋線
3/6 近鉄名古屋 8:41 −急行− 9:14 近鉄四日市>湯の山線へ

 小田原から名古屋まで、「ひかり」でノンストップ1時間13分。速い。とんでもなく速い。「こだま」に乗り慣れた小田原ユーザーには、「名古屋までは2時間」と言う感覚が身体に染み付いているのだ。この「ひかり」、名古屋からは各駅停車になってしまうのだが、今日のところはここで降りるからそのスピードに感嘆するほかない。

 地下の近鉄駅に降り、遊レールパスをかざして有人改札を抜け…「ちょっと待ってください。」呼び止められる。

「これ、明日からの切符ですが」 「…え゛」

 たしかによくよく眺めると、「3月07日から03日間有効」とあるではないか。代理店の発券ミスである(と言い切る確証は実はない。が、この代理店、請求金額間違い等のミスを連発していたから、発券ミスとの推定は間違ってはいまい)。さあ困った。遊レールパスは当日発券の出来ない企画切符なのである。今日一日普通運賃を払い続けたら、とんでもない金額になる。

 改札係に呼び出された駅員は、僕が明日名古屋に戻る特急券を持っていたことから、誤発券説を信じてくれたらしい。「ちょっと待ってくださいね」と僕に2度も3度も断りながらあちらこちらと駆け回り、ああ有難い事に、訂正印を押して6日発と書き換えてくれたのである。

「いや、すみません…」
「いえいえ、こちらのミスですから。」確かに発券したのは傍系の代理店だが、名古屋駅に非が無いのは言うまでもない。

 恐縮しながらロングシートの中川行急行に乗り込む。電車はゆっくりと地上に出た。隣に座った登山客から、「いい天気だなあ」と感嘆の声が上がった。

3/6 湯の山線より>近鉄四日市 10:21 −普通− 10:26 塩浜 10:39 −急行− 10:45 伊勢若松>鈴鹿線へ

 特急を見送って四日市を出た普通電車は、すぐ先の塩浜で早くも後続特急の退避に入る。ちょっとホームを離れていた間にこの電車出発してしまったので、次の急行に乗り込むとこれも若松で特急退避。ああ、なんか露骨なダイヤだ(苦笑)。

3/6 鈴鹿線より>伊勢若松 11:28 −急行− 11:57 伊勢中川>大阪線へ

 この電車も待避線から発車。しかも江戸橋でアーバンライナーに追い抜かれる。今度の急行はL/Cカーで、クロスシートで運用されている。転換クロス車に比べると安っぽいつくりだし、窓割りと座席配置が合わないから外も見えない。面白くないので寝る。嫌いなんだ、この車両。

3/7 大阪線より>伊勢中川 19:37 −特急− 20:38 近鉄名古屋

 中川で名伊特急に乗り継ぎ。あとは終着名古屋まで眠るのみである。長い長い旅が、どうやら無事に終わりそうであった。

◆奈良線  布施−生駒は1996年に乗車済。

3/6 京都線より>−急行− 17:30 近鉄奈良 20:02 −準急− 20:22 生駒>東大阪線へ

 京都から急行に揺られ、奈良地下駅に到着。奈良公園目指して歩く。興福寺の前に似顔絵屋さんがいたのだが、商品見本に描かれた芸能人が宮川大助・花子、というのがいかにも関西である。奈良公園が近づくと、沿道に通行人がどっと増えだす。大仏殿も閉まっている時間なのに、この人出。そう、東大寺二月堂のお水取りである。

 人波とかき分けて二月堂へ登る。群集を、鹿が不思議そうに眺めている。。開始1時間前でお堂全体を見渡せるポイントを確保でき、首尾は上々。退屈な待ち時間が過ぎて、午後7時、明かりが消えた。瞬間、感嘆とも失笑ともつかないどよめきが起こる。あたり一面、白く四角い光の洪水。携帯電話の液晶画面であった。

「蛍みたい」−隣のオバサンがそう言った。

 お水取りは大いに盛り上がった。豪快に舞い散った火の粉に歓声が上がり、うまく松明を操れない僧には不満のため息が漏れた。群衆は容赦が無い。

  松明に 個性のありて 御水取

 帰り道は押し合いへし合いで難儀したが、観光バスの客が大半だったらしく、電車は空いていた。

◇難波線  1996年に乗車済。

◇八王子線  1997年に乗車済。

◆東大阪線
3/6 奈良線より>生駒 20:30 −普通−(20:42 長田)〜地下鉄〜>大阪線へ

 基本的には、日が暮れたら乗りつぶしはしない。今日の宿は上本町にとってあるから、このまま乗車済の奈良線で直行するのが妥当なところである。が、そうすると生駒界隈で、東大阪線だけがぽつんと未乗のまま残ってしまう。どのみち地下鉄同然の線であるから、この際乗ってしまおうと思う。

 生駒駅コンコースのパン屋さんに人だかりが出来ていたので、もそもそと食べながら出発を待つ。発車するとすぐに長い長いトンネルに入り、大阪府へ抜ける。新石切からしばらくは高架線。なんだ。全線地下じゃなかったのか。やはり昼間に乗るべきだったかもしれない。

 地下にもぐり、長田が近づくと広告放送が流れる。直通相手の大阪市交通局と歩調を揃えたのだろうか。轟々とトンネルばかりで距離感覚のつかめないまま大阪までやって来て、大阪城がビルの影から半分見える部屋で就寝。

◆南大阪線南大阪線 尺土
3/7 御所線より>尺土 18:09 −準急− 18:20 橿原神宮前>橿原線へ

 尺土、と言われても、今自分が大阪奈良のどの辺にいるのか判然としない。この2日間、随分とうろうろしたものである。再び激しく降り始めた雪の中、準急、そして特急が前面を真っ白にしてやって来た。

 わずか3両と、大阪圏の幹線優等列車(この辺まで来ると各駅に停まるが)と思えない短編成の準急は、時折空転を起こしながら雪の中を必死に走った。

◇山田線 2002年に乗車済。

◆湯の山線
3/6 名古屋線より>近鉄四日市 9:19 −普通− 9:44 湯の山温泉 9:49−普通− 10:14 近鉄四日市>名古屋線へ

 3両ワンマンのローカル列車は、けたたましくドアブザーを鳴らして発車した。高架を降り、住宅街の軒先をごとごとと進んでいく。細かいカーブがやたらと多い。もとは軽便鉄道か何かだったのだろうか。標準軌の大型車体が通ってよい線路ではない気がする。

 平野が尽きかけ登りにかかると、空はにわかに掻き曇り、小雪がちらつきだした。車内の中学生たちから、歓声が上がる。部活動、めでたく荒天中止のようだ。彼らが降りた後、雪はますます激しくなり湯の山温泉着。折り返し電車に乗ればみるみる晴れていき、四日市は1時間前と何ら変わらない快晴だった。

◇養老線 2001年に乗車済。

◆吉野線
3/7 橿原線より>橿原神宮前 13:59 −急行− 14:53 吉野 16:38 −急行− 17:11 吉野口>〜JR線〜御所線へ

 橿原神宮前の乗換通路を歩きながら、あべの橋に出てアーバンライナーで帰ろうかとぼんやり考えていると、「吉野行お乗換えのお客様はお急ぎ下さい」とアナウンスが響いた。反射的に4両編成の急行に飛び込む。車内はガラガラであった。

 飛鳥地区を過ぎると線路は登りにかかる。森に、畑に、雪が静かに降り注ぐ。天理で乗り遅れてよかった。そう思わせる光景であった。

 単線だが片道4本/hも走っているから頻繁に行き違いがある。急行も空いているが、特急はなお空いている。わずか2両、古色蒼然としたデッキもない旧型特急で、南大阪線系統は冷遇されてるなあと思う。冷遇されてるから空いてるのか空いてるから冷遇されているのかは定かではない。

 幾度か小さく峠越えをし、下市口着。TSUTAYAもあるちょっとした町で、ここから線路は川(紀ノ川か)に添う。南海高野線のような登山鉄道かと想像していたのだが、案外人里を走る。大和上市で高々と川を渡るとようやく本格的な登りにかかり、橿原から1時間もかかってようやく吉野着。

 「ケーブルのりば」の標識に従ってロープウェイ(ケーブルカーではない)の乗り場を目指す。ホームには人っ子一人いなかったが、小屋で暖を取っていたオバチャンが出てきて切符を手売りする。曰く「個人の経営だから」近鉄の遊レールパスは使えない。

吉野ケーブル  発車間際に元気なおっさんと若いオンナノコの2人連れがやってくる。親子には見えないが、その正体は不明。3人並んで座っていたら、おっさんだけ反対側に移される。そうしないとゴンドラが傾くらしい。昭和一桁開業の年代物ロープウェイなのである。

 吉野といえば桜、であるらしいのだが、今は何もかもが雪に覆われている。金剛峰寺のお堂の中から、降りしきる雪を見上げてため息をつく。

 帰りのケーブルは、堺から来た女性と僕の2人しか乗っていなかった。吉野駅に戻れば、虎の子の看板特急「さくらライナー」と急行が並んで止まっている。特急に乗ったのは件の女性1人だけ、寒いからと車掌室脇の以外のドアを全部締め切った急行も、乗客は数えるほどであった。

***

 これで近鉄の未乗線区は、南大阪線系統の尺土以西と鳥羽・志摩線だけになった。賢島に行けなかったのは痛恨だが、雪の吉野が想像以上に良かったので満足しようと思う。

 小田原への最終新幹線は、ほぼ満席の盛況であった。


(終)

2004.4.25
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