完乗へのファイナルラン 


−  2008.5.3朝現在  未乗線区数 9本  残存距離 181.5km  −
西日本旅客鉄道おおさか東線 放出−久宝寺 9.2km(2008.3.15開通)を含む

▼ 第4回 北陸地方(2008.5.3-5)

 3月30日には、東京圏に2つの新線が開通した。横浜市交通局(市営地下鉄)グリーンラインと、東京都交通局日暮里・舎人ライナーである。ただしこのうち未乗路線としてカウントされるのは、前者の13.1kmのみだ。

 一口に乗りつぶしと言っても、どこまでをその対象とするかは人それぞれである。通説判例は鉄道事業法が規定する鉄道事業と軌道法の枠内、つまりケーブルカーや新交通システムは含まれるが、ロープウェーは除くらしい。これを含めてしまうと、同じ索道に分類されるスキー場のリフトはどうするんだという問題にぶち当たるらしい。

  では僕はどうしているかと言えば、ケーブルカーはおろか、路面電車さえ記録の対象外である。これは相当にアバウトで、邪道と言う向きもあろう。何故にそんな事になってしまったかと問われれば、これは東洋信託銀行のせいなのである。乗りつぶしを始めた頃に使っていた同行販促品の鉄道路線図が、コンパクトで使いやすかったけれども省略が利きすぎていたのだ。どこかで、遅くとも使用地図を「旅と鉄道」誌の乗りつぶしマップに切り替えた2004年には対象路線の洗い直しをするべきであったのだが、ズルズルここまで来てしまった。一応現時点では、

 ・記録はつけないが乗りつぶしておくもの … 路面電車、モノレール、新交通システム、リニアモーターカー
 ・とりあえず無かった事にしておくもの … ケーブルカー、トロリーバス、ガイドウェイバス(及びロープウェイ)

という事にしてある。

 もっとも、どの線に乗るかとどの線が面白いかは全く別の問題であって、上記2路線に早速乗りに出かけた所、楽しかったのはやはり舎人ライナーであった。

***

 さて、そんな僕を長年悩ましているのが立山黒部アルペンルートである。

 黒部ダムにはかれこれ15年程前にパックツアーで行った事がある。黒部ダムに行っていれば普通はアルペンルートを走破できてしまうものなのだが、僕の場合は黒部湖と美女平の間が未乗のままである。富山側から立山ケーブルで美女平まで登ったところ、その先の黒部ケーブルが故障運休していたのだ。復旧の目途は立たず、やむなく僕達は立山駅まで引き返した。

 ところが、ツアーバスは長野側の扇沢で僕達を迎えるべく、既に立山を後にしていた。まだ携帯電話など普及していなかった時代である。添乗員さんは道路公団に連絡を取り、一大捜索網が敷かれた。バスは北陸道糸魚川インターで発見され、料金所係員からの伝言で急遽立山へ引き返し、僕達を白馬のペンションまで運んだのである。

 しかし、黒部ダムはツアー最大の目玉である。何とかならないのか、という声は当然一同から上がり、翌日は安曇野行きをキャンセルして扇沢からダムまで往復した。豪快な観光放流は見ごたえ充分だったが、かような事情で険しい山中に未乗区間が発生した。

 残存路線はいずれも乗りつぶしの対象ではないのだが、乗り物好きとしてアルペンルートが未踏破のままなのはどうにも気になる。しかし日程上1泊2日では厳しく、最低でも3連休が必要である。日本屈指の観光地、ハイシーズンの混雑はとんでもないだろう。それでずるずると先送りをしてきたのだが、日本完乗が近づいており、そろそろ片付け時と判断する他はなかった。

***

 5月3日(土)、新幹線で正午ジャストに長野に着き、季節を間違えたかのような猛暑の中、長野電鉄の撮影に励む。翌5月4日、オリンピックから10年も経つのに未だ真新しいコンコースを抜けて裏口のバス乗り場へ向かう。扇沢まで直通バスが出ており、大糸線よりよほど便利である。GW真っ只中だが、乗車待ちの列は覚悟したほど長くない。が、案内の係員は恐るべき事を叫んでいる。

「扇沢のトロリーバスは3時間待ちでーす」

 このバスが扇沢に着くのは10時15分。3時間待ったらアルペンルートに入る前に午後になってしまう。辺りからええーっ、というため息が上がり、列を離れる人も居た。僕とてそうしたいが、それでは何のためにやって来たのか分からなくなる。

 8時30分に長野駅を出たバスは、どこをどう走ったか分からぬまま山間に入り、長いトンネルを抜ける。前方には白銀の山々が聳え、手前には穏やかな山村風景が広がる。菜の花が一斉に咲いている。渥美半島で菜の花を見たのは1月だから、日本の気候は多彩である。アルペンルートなんか放っておいて、このままこのバスで3時間ほど揺られたい気分になってくる。

 大町温泉を過ぎると道はぐっと険しくなるが、時折駐車場や電光掲示板といった山間らしくない物件が現れる。駐車場は満車、しかも「只今の時間から、富山側には抜けられません」と恐るべき張り紙がしてあるではないか。何も見なかったかのようになおもバスは登り、ほぼ定刻通り扇沢着。見渡す限り車の山である。

 ドキドキしながら切符売場に向かうと、意外な事に列は出来ていない。富山までのチケットもちゃんと売っていた。指定されたトロリーバスの乗車時刻は12時で、待ち時間は約1時間半。覚悟していた程ではなかった。

 改札口周りは狭く大混雑だが、駅員はさすがに手馴れているらしく、大声で観光客を誘導している。「10時30分発のお客様、こちら側にも並べまーす。チョロQいかがですかーっ」「11時のお客様はその後ろへ、限定品ですよー」どうあってもチョロQを売りたいらしい。

 予定の1本前(11時30分発)の便に若干の空きが出て、前倒しで乗せてもらえる。当然座れないが、どのみちトンネルの壁が見えるばかりである。11時46分黒部ダム着。長い階段を登り展望台に立つ。2度目だし今日は観光放流もしていないが、それでも圧巻の眺めである。

 ダムサイト上の道路は、そのまま山肌の中へトンネルで突っ込んでいく。この中に、前回からの因縁である立山黒部貫光鋼索線(黒部ケーブルカー/対象外)の黒部湖駅がある。ダム上まで行列が伸びているが、念のため奥まで歩いてみるとこれは団体客専用の列だった。個人客の待機場所は別のトンネルであり分かりづらい。内部はひんやりと冷え込んでいる。
立山ロープウェイ
 並んだ場所は改札口に近く、さほど待たないかなと期待していたのだが、コンコースがやたらと広くぎっしりと観光客が詰まっている。外は見えずイライラが募りかねないがそこは良くしたもので、年配の駅員が演台に立って観光案内を行っている。軽妙な語り口で観客、もとい乗客がどっかんどっかん沸く。

 結局1時間待って、13時35分黒部湖発。全線トンネル内のケーブルカーなので何も見えず、その代わり一種異様な雰囲気をまとってぐいぐいと登っていく。所要5分で黒部平着。

 次の乗り物は立山ロープウェイだが、これが曲者でアルペンルートのボトルネックとなっている。箱根でもそうだが、ロープウェイというのはどうも大量輸送に適さないようだ。あちらは近年大型ゴンドラに更新されたが、地勢の険しい黒部では置き換えもままならない。果たせるかな、改札口には「まち時間は2時間です」との恐るべき表示が出ている。

 黒部平は、立山の急斜面が黒部湖へと落ち込む途中にたんこぶ状にへばり付いている。眼下には黒部湖、そして仰ぎ見ればロープウェイがさらなる高みを目指していくのが見える。目指す大観峰駅が斜面上に危うく張り出している。周囲一面に雪が残り、山肌にはスキーヤーの姿も見える。どこから降りて、どこ向かうのだろう。

 それにしても物凄い人出である。整理券を貰ったので並ぶ必要こそ無いが、土産物店は立錐の余地も無いし、屋外は雪面なのでどうにも座りにくい。駅舎の外階段は待ち人でぎっしり埋まり、登りきった屋上にようやく腰を下ろす隙間を見つける。周りは白銀の世界なのに、ぎらぎらと日差しが降り注ぐ屋上にいると鉄板焼きにされている気分だ。

 15時25分、ようやく黒部平を後にする。ぐんぐんと黒部湖が遠ざかり、視界が広がっていく。1時間45分の待ち時間が救われるかのような絶景である。15時32分大観峰着。下りロープウェイ待ちの長蛇の列に同情を覚えつつ、立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス/対象外)の乗り場へ。ボトルネックを越えた直後なので、さすがに空いている。15時45分発、成程電車のようなインバータ音をあげてバスは走り15時55分室堂着。

 GWのアルペンルートは、黒部ダムの観光放流が無い代わりにここ室堂の「雪の大谷」がハイライトとなる。一帯の積雪は15mを越え、その中をくり抜くかのように道路が通じている。片側1車線は歩道として開放されていて、バスの3倍はあろうかという雪の壁をあんぐり見上げる。ターミナル裏手の雪原を行けば、谷筋の向こう、茂みの中に雷鳥が見えた。

 ここからはバスで一気に下る。全員着席が原則なのは結構だが、そのぶん列は長く、団体客と入り混じって訳が分からなくなる。17時05分室堂発。右に左にせわしなくカーブを切るといつの間にか雪は消えた。約50分で美女平へ着き、これで「空白区間」がようやく埋まった。

 ある程度の感慨をもって美女平駅前に立ったが、前回の記憶とどうも合致しない。ひょっとして駅舎を建て直したのかもしれない。30分ほど待って立山ケーブルに乗り、砂防軌道のナローゲージをちらりと眺めて18時35分立山駅着。アルペンルート、どうにかこうにかコンプリートできた。まずはめでたい。

 あとは富山地方鉄道の電車で富山へ出るだけだが、1Fの乗り場には驚くほど人が居ない。1時間に1本、わずか2両の電車がガラガラなのである。あれほど居た観光客は、皆貸切バスで散ってしまったらしい。その落差はあまりに無残で、鉄道の先行きが大いに心配になった。20時15分電鉄富山着。

***
富山ライトレール
 5月5日(月)、長い長い地下道を抜けて富山駅北口に立つ。富山ライトレール(参考記録)の初乗りである。

 富山駅の北口はいかにもJR駅の裏口らしく、つい最近開発された感がある。真新しい電車はその風景にごく自然に溶け込んでいる。部活に向かうらしい学生を大勢乗せて発車、暫くは路上を走るが途中で不自然にぐいと90度曲がると専用軌道となる。ここからはJRの線路を流用している。

 JR富山港線には乗った事があり、工場と住宅の入り混じった港湾地帯を走る地味な線、という記憶がある。今日もその風景に大差は無いが、風景以外の全ての物が変わった。全ての電停には屋根がかかり、それぞれに意匠を凝らしたラッピングがされている。古い街並み等、小さな観光スポットの宣伝にも余念が無い。運転間隔は15分。概ね1時間に1本だったJRとは比べ物にならない。運賃は200円均一。ICカードを使えば160円である。

 頻繁にすれ違う富山方面への電車は、どれも満員である。昨夜の富山地鉄とは全く雰囲気が違う。久々に元気な地方鉄道を見た、と胸が熱くなる。基本的に経営母体が変わっても乗り直しは必須としない主義なのだが、ことこの路線に関する限り、完全なる変貌を遂げていた。

 LRT化から早2年が経過しており、一部の車両には記念のラッピングが施されている。幾人もの子供達の笑顔が並ぶ写真の中に、なぜか木村裕子の姿があった。

 お次は富山駅から市電に揺られ、「ブルー・トレイン」を目指す。「ブルーといえばブルー・トレインだ!」(by南田マネージャー/鉄子の旅)でお馴染みの、鉄道模型が走る喫茶店である。決して色モノではなく、本格的に珈琲を飲ませてくれるお店で驚いた。「鉄子」ご一行、うるさくて相当迷惑だったんじゃないかという気がする。

 さて、富山11時08分発の特急「しらさぎ」8号に乗り、福井12時34分着。3日間にわたったこの旅行、唯一正式に未乗路線にカウントされるのが、最後に乗るJR越美北線である。

 高架化相成った福井駅だが、越美北線のホームは階段から随分先、切り欠き状に設置されている。停車しているのは、キハ120がたった1両。3時間40分ぶりの列車で、いかにも冷遇されている。しかし車内は、買物や部活帰りの人達で満員である。ロングシートに空席を見つけたが、後から後から人が増えてくる。

 12時49分福井発。高架線を駆け下りると、いかにもJR駅の郊外らしい大雑把な都市風景が現れ、次いで貨物駅に差しかかる。南福井駅である。コンテナが消え失せると北陸本線からぐいと分かれて越前花堂の狭いホームに停車。本線との間には工場とも倉庫とも見分けのつかぬ建物が鎮座し、部品がゴロゴロと転がっている。

 越前花堂を出ると、すっかり進路を変えたディーゼルカーは田園風景の中をひた走る。田んぼの真ん中に、小さなホーム1本きりの駅が現れ、ぱらぱらとお客さんが降りていく。山が両側に迫ると一乗谷駅に着くが、ここも史跡としての知名度とは対照的に驚くほどの小駅だ。

 山間部に入った列車は、ローカル線には似合わぬ真新しい鉄橋を渡る。一乗谷から美山までは、2004年の水害で大きな被害を受けた区間である。運休は3年間にも及び、ひょっとして越美北線がJR最後の一線になるのではとも思われたが、案外乗りつぶしは進まずそうはならなかった。車外は今にも雨が降り出しそうだが、今日の川はあくまで穏やかである。

 このままどんどん山深くなって、という眺めを予想していたのだが、ちょっとまどろんで牛ヶ原辺りまで来ると、どうも雰囲気が違う。あたりには田んぼが広 がり、人家もにわかに建て込んできた。なぜ末端ではなく福井寄りの区間が災害不通となったのかかねがね不思議だったのだが、この雰囲気では路盤が流される はずも無い。

 迂闊にも後で地図を確認するまで知らなかったのだが、越美北線が大河・九頭竜川に沿うのは大野からで、美山までは足羽川流域を走っているらしい。下流域で九頭竜川に沿うのは、JRではなくえちぜん鉄道勝山永平寺線である。「九頭竜線」の愛称についうっかり騙されてしまった。

 越前大野で乗客が大きく入れ替わる。大野盆地は大きく、一旦"里"に下りた列車はなかなか山登りを再開しない。ようやく山あいの気配となったのは越前大野から5つも先の勝原(かどはら、とはとても読めない)付近からである。

越美北線  ここからは1972年の延伸区間である。発車するや列車はトンネルに突っ込み、ぐんぐん速度を上げる。窓の外は一面の闇、闇、闇…

 …っていくらにもこのトンネル、長すぎやしないだろうか。車内の観光客は皆、一変した列車の雰囲気に目を丸くしている。けたたましい走行音をコンクリ壁に反響させて、列車は次の越前下山までの9分間を轟然と走りきった。荒島トンネルの長さは、5,264m。

 見るからに秘境駅の下山を過ぎると再びトンネルを抜け、久々に集落が現れると終着九頭竜湖である。14時15分着。大いに乗りでのあるローカル線であった。九頭竜湖ははるか先でダムの壁さえ見えないが、駅舎には道の駅が併設され賑わっている。駅前に怪しげな恐竜の像があって、雄たけびを上げている。

 同じ車窓をうつらうつらしつつ眺めて、越前花堂に戻る。この越美北線、乗りつぶし派のバイブルである宮脇俊三「時刻表2万キロ」(1978年)では南福井貨物駅が起点とされているが、さて今はどうなっているのだろう。確たる答えを得ぬまま現地に着てみたが、花堂のホームには実に分かりやすい看板が立っていたのであった。

「自然あふれる九頭竜線−ここから」


*今回の乗車路線*

会社名
路線名
区間
距離
1
西日本旅客鉄道
越美北線
全線
52.5km
参考
富山ライトレール
富山港線
富山駅北−下奥井
(2.0km)
番外
立山黒部貫光
鋼索線
全線(黒部ケーブルカー)
(0.8km)
番外
無軌条電車線
全線
(3.7km)

−  2008.5.5夜現在  未乗線区数 8本  残存距離 129.0km  −

(つづく)

2008.8.17
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