完乗へのファイナルラン 


−  2008.2.9朝現在  未乗線区数 19本   残存距離 322.1km  −
京都市交通局東西線 二条−太秦天神川 2.4km(2008.1.16開通)を含む

▼ 第2回 東北地方(2008.2.9-10)

 続く2月の連休には、東北地方に出かけた。

 自宅から至近距離で、首都圏と同じJR東日本のエリアゆえ割引切符の情報も入りやすい東北地方は、特に就職して以降急激に乗りつぶしが進んだ。2003年の年末には秋田・青森両県に5本の未乗線区を残すだけとなり、完乗は間近と思ったものだったが、そこからが長かった。1泊2日ではどこか1線があぶれ、さりとて2泊にするほどのボリュームではない。結局青森だけ乗りつぶしが先行し、秋田はこの時期までほったらかしとなってしまった。

 自宅を8時過ぎにのんびりと出て、東京9時24分発「Maxやまびこ」109号で仙台を目指す。「はやて」の方が抜群に速いのだが、9時56分発の13号では仙台での乗り継ぎがわずか5分となってしまう。間を埋める9時36分発「やまびこ」47号でも良かったのだが、109号は「やまびこ」にしては珍しく、上野・宇都宮・郡山を通過する。こういうスジを見つけると、乗りたくなってしまうのはファンの性である。

 考えてみると、上野を通過する列車に乗るのは初めてである。人波を2F席から見下ろして悠然と通過するのは気分が良い。うつらうつらしつつ宇都宮を見送り、郡山通過時にはぐうぐう寝ていた。満席だった車内は、福島で一気に空いた。
仙台空港鉄道
 11時24分仙台着。2月だと言うのに、雪は全く見当たらない。駅弁を選り好みしてから、11時42分発快速仙台空港行に乗り込む。2007年3月に開業した仙台空港鉄道の初乗りである。車両は新鋭SAT721系でインバータモーターのサウンドをバックに、英語アナウンスが車内に響く。仙台にもようやく都市圏らしい電車が入るようになったか、と感心する。

 名取を出ると、快速電車は高架線に駆け上がる。市街地は小さく、あっという間に周りは一面田園風景となるが、防音壁は高めである。突然変異のようにイオンが現れると杜せきのした、区画整備中の一角を過ぎれば美田園を通過、滑走路の下をくぐるとだいぶ無理な右カーブがあって仙台空港11時59分着。仙台からわずか17分、あっけないと言えばあっけなかった。

 連絡橋を渡ればすぐにターミナルビルで、那覇空港駅を髣髴とさせる便利な構造である。地方空港にしては意外な程(失礼)賑わっていたが、関東に住んでいる以上、ここから飛行機に乗る事は永遠に無いはずである。

 帰路の普通列車は空港発車時点で座れず、駅毎に乗客があってそれなりに混雑した。一旦仙台に戻ってから気仙沼線を回り、盛岡駅前のホテルに投宿。

***

 生来の寝坊癖は、旅に出ても治らない。2月10日(日)、駅地下道をダッシュして7時58分発JR田沢湖線(秋田新幹線)「こまち」95号に乗り込む。仙台始発だからか、空いている。盛岡では歩道に残る程度だった雪の嵩が、見る見るうちに上がる。ひと気の無い無人駅で東京行と交換し、峠を越えると田沢湖、里に下りた気配が漂い始めると角館である。

 ここから次の停車駅、大曲までが今日最初の未乗区間である。なんとも妙な所が残ってしまったものだとは思う。秋田新幹線には2度乗ったが、いずれも秋田内陸縦貫鉄道でやって来て、そのまま東京に帰ってしまったのである。ようやくやって来た、という感慨はあるものの、肝心の車窓に目を引くものはなく、あっさりと所要14分で大曲着。進行方向が変わって、秋田9時32分着。

 これで早くも、残るは秋田近郊の2本となった。いずれもそこそこの本数が運転されているのだが、問題は羽後本荘までを繋ぐ羽越本線で、特急を含めても列車間隔はやたらと粗い。青森方面の奥羽本線も負けず劣らずで、その辺がこの界隈の乗りつぶしが延々と後回しになった要因でもある。

 9時47分発普通列車酒田行は、701系の2連だった。とかく鉄道ファンに嫌われがちな701系だが、ロングシートの車内はある意味開放的だし、モーター音の轟然とした唸りも印象的で、空いてさえいればそれなりな車両である。需要量を無視した短編成で座れない事が問題なのであり、車両そのものが悪いわけではない。

 今日の酒田行は座席がさらりと埋まる程度の乗りで、日本海を樹幹越しに眺めながら疾走する。岩城みなとの駅前に風力発電機が聳え立っていて驚く。どれほど環境に優しいのかは知らないが、景観を乱すのだって環境破壊の一種のような気はする。

 10時34分羽後本荘着。目指す由利高原鉄道のホームはJRと共用だが、切符売場は独立していた。声をかけると、改札に立っていた初老の駅員が飛び戻ってきて硬券の切符を作り、再び改札に立つ。1人で全部こなさねばならず大変だが、そこまで人員を絞るのも道理、車内にお客さんは2人しかいなかった。しかも1名は、運転士との会話から察するに関係者である。

 10時50分、真新しいレールバスはわずかな客を乗せて動き出した。どうもイベント対応車に当たったらしく、車内はロングシートに長机が据え付けられた妙なつくりである。これでは立客スペースが狭くなるが、問題になどならないのだろう。

矢島駅  列車は雪原の中を淡々と走る。平行する院内への国道はしっかり除雪されているが、農道は放置され踏切も閉鎖されている。道も田んぼも区別が付かず、突き出た道路標識だけが四つ辻の場所を示している。鮎川でただ1人のまともな客だった女子高生が降りてしまう。この線、大丈夫だろうか。

 前郷に着くとスタフの交換があり、なおも奥へと進めば終点の矢島である。第3セクター鉄道にありがちな、公共施設と同居したログハウス風駅舎を出ると、すぐ脇に旧駅舎らしき建物がある。どうやら物置として使われているようだが、内部にはまだ看板類も残されており侘しさが漂っている。雪を踏みしめつつ周囲を歩いた所、かつては殷賑を極めたのだろうな、と思える程度に商店が散在していた。

 折り返しは24分後の11時52分発だが、往路のイベント車は車庫に引っ込み、旧型車がホームに横付けされていた。黄色と水色、というよく分からないツートンカラーに塗り分けられている。車内は姉弟が1組だけで、貸切のつもりでいた所へ妙なオッサンが乗ってきたから、どうにも気になるらしくチラチラこちらを伺う。前郷でまとまった乗客があって、どうにか営業列車らしくなった。

 秋田まで戻り、待ち時間が20分程あるので駅前に出る。新幹線開通を機にお色直しされたと思われるデッキを渡るとそのまま繁華街の中に突っ込む、便利なつくりをしている。もっとも、駅前に聳えるのは高島屋でも丸井でもなく、イトーヨーカドーである。これでは私鉄近郊駅のようだが、県庁所在地でも、東北だとこうなってしまうのだろうか。

 さて、東北地方最後の一線、そしてJR東日本の最後の一線となったのはJR男鹿線である。13時48分発男鹿行はキハ40系列を3両繋いでいて、座席がほぼ全部埋まると言う活況を呈している。ただし、発車時刻を過ぎても動く気配を見せない。12時11分着の羽越本線特急「いなほ」1号が、あつみ温泉付近の停電の影響とかでまだ姿を現していないのである。折り返し12時49分発の「いなほ」8号新潟行も車両が無いので運転のしようがなく、乗客や駅弁屋さんが途方に暮れている。

男鹿駅
 1時間以上遅れて「いなほ」が到着すると、男鹿行はようやくエンジンを噴かして秋田を後にした。折角接続をとったのに、乗継客は少なくとも僕が乗った車両には1人もいなかった。次の土崎でどっと降車があり、追分を過ぎて肝心の男鹿線に入る頃には乗車率は半分程度になっていた。

 それにしても駅の多いローカル線で、ディーゼルカーはちょっと走ってはすぐ停まる。どの駅でも降車客があって三々五々と家並の中に消えていく。ゲタ電同然に気楽に使われているようである。八郎潟への水路を渡ると、軽い山越えがあって羽立着。ここが男鹿市の中心らしく、ぱらぱら残ったお客さんはどっと降りてしまう。

 にわかに寥々とした列車は、埋立地然とした殺風景な場所をゆるゆると暫く走って停まった。男鹿到着である。

 男鹿駅前には観光案内板やセクハラ大魔神なまはげの人形が設置されて、観光客の受け入れに余念がなかった。もっとも、「なまはげ柴灯まつり」なる祭事の真っ最中であるにもかかわらず、列車から降りたのは地元客ばかりのようだった。かく言う僕も、あとは真っ直ぐ帰宅するのみだ。

 帰りの列車はずいぶんと生気の無い走り方をした。そうとは思っていなかったが、往路は随分回復運転を心がけていたものらしかった。


*今回の乗車路線*

会社名
路線名
区間
距離
1
東日本旅客鉄道

田沢湖線
角館−大曲
16.8km
2
男鹿線
全線
26.6km
3
仙台空港鉄道
仙台空港鉄道線
全線
7.1km
4
由利高原鉄道
鳥海山ろく線
全線
23.0km

−  2008.2.10夜現在  未乗線区数 15本   残存距離 248.6km  −

(つづく)

2008.7.12
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