福井〜新潟右往 左往


 北陸へ行くために、5時半起きをした。ちなみに睡眠時間は4時間。

 出雲 昨夏に横浜に引っ越したとはいえ、我が家から新横浜はずいぶん遠い。加えて相鉄が各駅停車オンリー、横浜線は東神奈川始発の早朝ともなれば、 所要時間は実に40分以上!新幹線そのものは自宅から5分も歩けば見えるのだから歯がゆい限りだが、手を上げれば止まってくれる乗り物ではないから止むを得ない。

 6時26分横浜着。JR線の発車案内にはひときわ赤く「特急 出雲」の文字が輝いている。今日は「出雲」が廃止されるダイヤ改正初日の2006年3月18日(土)。まったくの偶然だが、昨夜出雲市を発った上り最終便の到着時刻に当たったようだ。東海道線ホームにファンが零れ落ちんばかりの勢いで集結しているのを眺めつつ、東神奈川へ。横浜線への乗り継ぎ待ちの間に、上手い具合にホームから撮影できた。

 6時53分発「ひかり」361号で一路西へ。平塚付近からの富士山が実に美しい。元・地元の小田急線からだと、丹沢や足柄の山々と被ってしまいこうは見えない。やがて前面に箱根の山々が割り込んできて小田原着。あとは昔から良く知っている車窓だからぐうぐう寝る。

 8時50分、米原着。名古屋始発の特急「しらさぎ」1号に乗換える。車内放送が米原始発であるかの如く丁寧に、そして延々と長浜通過の頃まで続く。敦賀では上り線に583系の姿が。団臨かと思って行先表示を見ると急行「きたぐに」である。4時間半近く遅れている。心なしか乗客もぐったりしているように見えたが、「しらさぎ」に乗るつもりが思いもかけず安い急行が来て喜んでいるかもしれない。

 9時48分、武生で下車。本日最初の未乗線区は、武生と福井を結ぶ福井鉄道である。味のある旧型車が集結したローカル私鉄だが、近日中にも名鉄岐阜市内線から譲受した路面電車に置き換えられるらしい。LRVも悪くはないが、ローカル臭漂う今のうちに一度乗っておかねばならない。

 福鉄の武生新駅はJR武生駅から微妙に遠く、人気の無い通りを黙々と歩く。両駅の間には巨大な再開発ビルが立ちふさがっており、ビルを建てる時にJR駅まで延伸すれば良かったのにと思う。

 福井鉄道の特色は、一般の鉄道車両にもかかわらず福井寄りで道路上を走ることにある。そのためドア部分には可動式のステップが付いていて、軌道上の電停だけでパタパタと飛び出してくる仕掛けになっている。初めて見た時には「サンダーバードだっ!」とよく分からない感動を覚えたものである。ところが改札を入ってみれば、ここは武生だというのにステップが出ている。低床車両導入に備え、全駅でホームが掘り下げられたらしい。

 2両編成の電車は、私鉄には珍しくクロスシートだった。だが朽ち果てかけているのはそのシートだけで、車体そのものは思ったほどボロくはない。銘盤を見ると「昭和42年STK長沼工場」とある。この程度の年式の車両なら、つい最近まで小田急線でも走っていた。「長沼」とは静岡鉄道の長沼に間違いなく、元・静鉄(バス)愛用者として少々懐かしい地名である。静鉄にクロスシート車が走っていたとは思えないから、座席だけ取り替えたのだろう。廃車発生品かもしれない。

 10時ちょうど、武生新発。ガッタンゴットンとのんびりとした揺れ方をする電車である。JR西日本のダイヤ改正ポスターには「ゆとりダイヤ」と書いてあったけど、こういう走り方のほうが「ゆとり」なんじゃないかと思う。駅毎に乗客があり、やがて満席になる。盛況は喜ばしいが、路面電車だと運びきれないのではなかろうか。

 福井新を出ると、随分長い信号待ちがあってから道路上へと歩みだす。途中、対向車線を2度またいで川を渡るような無理な配線もあり、速度はとんでもなく遅い。はたして市役所前には5分以上遅れて到着した。運転士は慌てる風も無く、のんびりと後部運転台へ向かう。

 福鉄の運転系統はどうにも複雑である。データイムは各駅停車が武生新をきっかり20分おきに発車するのだが、2本が本線の田原町行、残る1本は市役所前でスイッチバックして福井駅前行となる。しからば折り返し福井駅前から武生新へは1時間に1本しか電車が無いのかというと、3本ある。どうもよく分からない。(旅行後、ダイヤ改正で運転系統が変わった模様)

 福井鉄道 ともあれ僕が乗っているのは福井駅前行である。歩道にアーケードのかかった商店街に分け入り、突き当りが福井駅前電停。残るは田原町方面だが、折り返しを待つと後のスケジュールがガタガタになるから、市役所前まで歩いて戻る。駅前着が随分遅れたから少々焦ったが、何のことは無い、田原町行も定刻にはやって来なかった。先に福井駅前からの電車が戻ってくる始末である。

 ようやく現れた田原町行だが、乗客は皆市役所前で降りてしまう。利用の流れは駅前志向のようだ。ガラガラのままゴロゴロと道路上を走り、えちぜん鉄道の踏切の手前で左折、田原町に到着する。ここの接続も短めで焦っていたのだが、どうやら間に合った。

 続いて乗るのはえちぜん鉄道。相次ぐ衝突事故で経営を放り投げた京福電鉄の路線を引き継いだ、3セク鉄道である。福鉄の田原町は無人駅だが、木柵1つ隔てたえちぜん側には女性職員がいて、運行状況を知らせる手書きのホワイトボードもある。…って運行状況?

「永平寺口−勝山間は沿線火災のため運転を見合わせています。」

 慌てて職員に尋ねれば、未明に火事があり復旧の見込みは立ってないらしい。信号ケーブルが焼けてしまったとの由。手間し良く代行バスが運転されているが、勿論バスでは乗りつぶした事にはならない。

 ともあれやって来た三国港行の電車に乗り込む。職員が親切にも「(勝山と逆方向の)三国行ですよ」と忠告してくれるが、いずれにせよ三国芦原線から乗ってしまうつもりであり、乗り違えたのではない。

 電車は単行だが、座席はすべて埋まっている。愛知環状鉄道の譲受車だが、中古と思えぬほど綺麗に整備されており、田んぼの中をすいすいと飛ばしていく。同じローカル私鉄でも、福鉄とはだいぶ雰囲気が違う。運転席から漏れ聞こえる無線が、勝山線の運転再開を告げている。どうやら代替案は考えなくて良さそうである。

 お客さんの大部分は三国まで乗り通した。都市間電車として十分機能しているようで何よりである。もう1駅走って、終点三国港に着いたのが11時52分。辺りは古びた家屋が連なる、いかにも由緒ありげな港町である。「めんどり屋」と看板を出した古風な煙草屋の前に、丸型ポストが鎮座している。

 折り返しの電車で田原町を通り過ぎ、福井口で下車。待つほども無く勝山行の電車がやって来た。こちらも満席だが、一駅毎に少しずつ客が降りていく。かつて永平寺線が分岐していた永平寺口(旧・東古市)へは、小さな下り坂になっている。暴走して本線に進入した永平寺線電車が衝突事故を起こしたのはこの辺りのはずだから、上り坂を逆走した事になる。とすれば、東古市通過時点では相当な速度が出ていたはずで、乗り合わせた人達の心中は如何ばかりであったかと思う。

 永平寺口を出ると、線路は再び上り坂となる。にわかにブレーキがかかると、火災現場の脇を徐行で通過。ものの見事に全焼で、現場検証がまだ続いている。電車が止まるのも当然の大火事だったのだ。

 物陰に、そして畑に雪が見られるようになって来た。徐々に山々が迫ってきた頃、比島駅を通過。えちぜん鉄道は全線で30分ヘッドなのに、ここだけ半数の電車に通過されてしまう気の毒な駅である。次が終点勝山で13時39分着。折返し電車はわずか1分後だが、さすがにそれには乗らない。勝山行に乗っていたオバサンが1人、フリー切符をかざして折返しの電車に駆け込む。まさか乗りつぶしマニアではないだろう。比島駅に戻る客かもしれない。

 勝山の町は、駅から九頭竜川をはさんだ対岸にある。九頭竜川の豊かな水量には目を見張ったが、勝山の町には見事に何も無かった。30分後の福井行電車は比島通過便のはずなのに、なぜか停車。運転士も火事で仕業が変わって、混乱していたのかもしれない。

 福井まで単純往復では芸が無いので、永平寺口で下車。東尋坊行の京福バスに乗る。乗客は3人のみ。しかもうち2人は、永平寺行と間違えたと降りてしまった。芦原方面へのバスは鈍行・快速便合わせて2本/hという高頻度運転だが、利用はほとんど無いようであった。JR芦原温泉駅で下車、特急「サンダーバード」25号で金沢16時23分着。

 すでに夕刻だし小雨もぱらついてきた。くたびれたし金沢で泊まりたい気分だがスケジュールがそれを許さず、今日はこれから北陸鉄道石川線に乗って富山泊となる。富山駅への到着予定は19時38分。先は長い。

 北鉄石川線の始発駅は金沢ではなく、野町という他線と接していない妙なところにある。JRの普通列車で一駅西金沢まで戻る手もあるのだが、それでは野町−西金沢間が復路の夜間乗車になり何も見えない。幸いにして、金沢駅から野町までは路線バスがある。

 16時半過ぎに金沢駅前を発車したバスはだがしかし、武蔵が辻の交差点手前で早くも渋滞にはまってしまった。その気になれば歩けるはずの、香林坊が一向に近づかない。にっちもさっちも行かない状態が30分続き、ようやく中心街を抜けた頃には発車時刻の16時59分をとうに過ぎていた。

 野町駅は表通りから引っ込んだ、何の変哲も無い住宅街の中にひっそり建っていた。次の電車は17時33分、しかし途中の鶴来止まりである。加賀一の宮行は18時台まで無い。もちろんとっぷり日は暮れる。空いてるベンチにぐったり腰を下ろす。頭が痛い。気持ち悪い。全部放り投げて、すぐそこのビジネスホテ ルに倒れこみたくなってきた。

 しかしここで泊まってしまえば、明日は野町6時33分発の初電に乗らなくてはならない(そういう事を調べる気力はある)。勿論、明日乗る予定の未乗線区のどれかを捨てればいいのだが、それはなんとも癪だ。ぐっと堪えて17時33分発の準急鶴来行に乗る。

 全国各地で見かける元・東急7000系の鶴来行は、家々の裏手をすり抜けるように、しかし存外快調に走る。座席はほぼ埋まっているが、金沢の都市規模と時間帯を考えれば、盛況とは言いがたい。ダイヤは準急・各停合わせて約30分毎と至って寂しいものである。野町から地下に潜って香林坊辺りまで通じていれば、活気がまるで違うだろうにと夢想する。

 18時ちょうど鶴来着。体調は持ち直したが日も暮れた。駅前の地図を見ると、隣の中鶴来駅まではさして離れていないようだ。ここで30分待つよりも、せめて乗降駅を1つ増やそうと思う。

北陸鉄道 鶴来駅から右手、加賀一の宮方向に向かう道は商店街になっていて、徐々に中心街らしき雰囲気となってくる。地方の商店街はどこへ行っても「シャッ ター通り」と化してしまった昨今だが、鶴来の商店街は違った。雨の土曜の夜、当然のように人通りは無い。だけどどのお店からも灯りが漏れ、印章店のカウンターに爺さんが腰かけ、パン屋のおばさんは商品の整理に忙しい。この時間に誰もが働いているということは、ちゃんと客が来るのである。

 じんわりと気持ちが温かくなってきた。野町で乗り遅れてよかった。スケジュール通り加賀一の宮行電車で素通りしたなら、僕はこの小さな商店街を生涯知ることは無かっただろう。

 中鶴来駅へ折れる交差点を通り過ぎ、結局そのまま加賀一の宮まで歩く。静かな町、見上げる峰の上にスキー場らしき灯りが見える。突如足元に、水力発電所のものらしき排水管が現れ、暗闇の中ごうごうと不気味な音を立てる。白山比盗_社の入口には、見るものを圧するような杉並木。何かが出てきそうだ。

 18時47分、無人の電車で加賀一の宮を後にする。西金沢で北陸本線の普通列車に乗換え、20時32分富山着。

***

 翌3月19日(日)。小雨が降りしきる中、まずは市内電車で南富山へ。地鉄電車(富山地方鉄道)で一旦電鉄富山駅へ出ると、9時44分発特急「うなづき」1号が発車を待っている。元・西武5000系レッドアロー車が使われるものと期待していたのだが、グレーの旧地鉄カラーを纏った在来車であった。これから目指すのはまさに「うなづき」の行先である宇奈月温泉だが、改札を出てJR富山駅に向かい、9時50分発特急「はくたか」7号越後湯沢行に乗る。乗車券は横浜からぐるりと北陸を1周するように買ってあるから、こっちの方が安上がりなのである。

 乗るたびに感心することだが、北陸特急は快適で、そして速い。わずか15分で魚津着。地鉄の「うなづき」号はここまで37分を要するから、追い抜いたばかりか、ぼろっちい待合室でしばし待ちぼうけとなる。

 その「うなづき」は特急だがワンマン運転で、どうにも地鉄はぱっとしない。しかし、車内はおばさんや子供たちのグループでほぼ満席、賑やかなことこの上ないのであった。黒部でJR線をまたぎ北陸新幹線の工事現場をくぐると、車窓はゆっくりと山里の気配となってくる。雨に変わって小雪が舞い始め、物陰に残雪が見え隠れし、やがて横殴りに雪が吹き付ける銀世界となった。車内から歓声が上がる。3月も半ば、富山市街ではもう雪は珍しいのだろう。

富山地鉄 10時52分、宇奈月温泉着。ぞろぞろと降り立ったグループ客は皆、ハガキ大の切符を駅員に渡していく。日帰り入浴とのセットプランがあるらしい。雪が降りしきる中、温泉街は人通りこそ少ないが、屋内の足湯にはぎっしり観光客が詰まっている気配だ。駅裏では黒部峡谷鉄道のトロッコが、ブルーシートをかぶせられ冬篭りをしている。宇奈月の春は、まだ遠い。

 折返し電車で山を下れば、嘘のように雪は消え11時55分新魚津着。町へ出るがさしたる店は無く、ホカ弁を買って待合室で昼食。背後のTVから、のど自慢が聞こえてきた。

 魚津での接続時間は53分もある。しかも乗り継ぐのは鈍行である。次の目的地は柏崎とやや遠いが、ほくほく線開業後新潟方面への特急は激減してしまったから止むを得ない。もっとも魚津を出るとこの先東京までの接続はすこぶる良いし、北陸筋の鈍行は急行型や特急型車両の格下げ車ばかりで快適だから、出来が悪いプランだとは思っていない。

 12時48分発の普通列車は、金沢から直江津までをロングランする。ボックス席は旅行者たちでよく埋まっているが、なかには「カードキャプターさくら」のプリントTシャツを着て、緑茶の2リットルペットボトルとJTB大型時刻表を脇に抱えたデブヲタが…っと、目を合わせない、合わせない。

 直江津辺りまでは、3年前に鈍行で通過したことがある。富山平野が尽き、親不知・子不知の難所を北陸道と絡み合いながら越えると糸魚川、以降もトンネルと漁村が繰り返し現れるどこか素寒貧とした光景が続く。トンネル駅として知られた筒石もこの区間だが、お隣名立駅の寂しげな雰囲気の方が通るたびに印象に残っている。

 14時17分直江津着。接続良く21分に信越本線の長岡行が出る。新・新潟カラーの115系で急行型の北陸本線に比べると狭さは否めないが、車内は新車のように綺麗に整備されている。向かいのホームには長野から「妙高」号が到着した。特急型車両6連で指定席も連結しているのに各駅停車、という投げやりな列車である。かように直江津は富山・新潟・長野の3方向から様々な電車がやってくる楽しい駅なのだが、要するにどこからも遠いということなのだろう。

 直江津から2駅目、犀潟でほくほく線が分岐していくと、昼間乗るのは初めての区間になる。ホーム至近に日本海を望む青海川駅が有名だが、青海川に限らずほぼ全線が日本海に沿っている。今日はまさしく冬の日本海、暗い空の下で白波が不気味にうねっている。にわかに強く降り出した雪の中、有人の柿崎駅では改札係がじっとお客さんを待っていた。

 15時06分柏崎着。この旅最後の未乗線区、越後線のホームは構内のだいぶ外れにあり、支線の風情を漂わせている。直江津方面からの乗り継ぎ客は殆どいなかったが、やがてぽつりぽつりと利用者が乗り込んでくる。「おい、6-0だってよ」と叫びながら、高校生の集団がやって来た。もっとも彼らにとってはWBC準決勝より、商店街でオバサ ンに無理矢理押し付けられたタイヤキの処分の方が問題らしい。「うわ、いらねぇー」と頭を抱えている。

 越後線は柏崎の市街地を出ると、あとは田畑の中を淡々と走っていく。信越本線より海側を走るとはいえ、海岸は全く見えない。あまりに退屈なので運転室後ろに立ってみたが、どこまでも真っ直ぐな線路が続くのみでますます退屈した。変化を与えてくれたのは天気のみで、東進するにつれあられらしきものがひゅうひゅうと風に舞う荒れ模様となった。

 16時30分吉田着。この先は乗車済なので弥彦線に乗換え、燕三条16時56分発の上越新幹線「Maxとき」338号で帰京する。2日間でめぐったローカル線はどれも空いていたのに、どこから人が沸いたのか、新幹線は大混雑だった。

 これで北陸3県と新潟県内の未乗線区は、一部区間が災害運休中のJR越美北線だけになった(ケーブルカー・トロリーバスを除く)。越美北線はいずれ、富山ライトレール(翌4月開業)と併せ乗りに行こうと思う。

(つづく)

2006.05.28
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