北欧のカケラ

ベルゲン ケーブルカーチケット

▼第3部 フィヨルド紀行


1996年8月12日(月) トロムソ→ナルビク→ファウスケ→

 目の前には、川のように細い海峡が横たわっている。対岸の白い三角屋根、トロムソダーレン教会を見晴るかしていると、バスがやって来た。10時15分トロムソ発。1週間前の車窓をくるくると巻き戻して14時55分ナルビク着。

 ナルビクの鉄道はスウェーデン方面にのみ通じており、首都オスロへ向かうにはさらにバスで南下しなくてはならない。しかしナルビク駅はノルウェー国鉄(NSB)の管轄だから、今宵の列車のチケットを買う事は出来る。寝台車は既に満席で、やむなく2等座席車の指定券を購入。ヨーロッパ最北駅到達の記念乗車券の発売告知が窓口にあったと記憶しているが、今僕の手元にはない。失くしたのか売り切れだったのか。

 ホームに出てみると、目の前を長大な貨物列車が横切っていく。キルナ鉱山からの鉄鉱石積出列車である。先頭に立つのは3両連接12軸と言う超大型の電気機関車で、あまりのスケールにカメラを取り出すのも忘れて立ち尽くしてしまった。

 16時15分発のボードー行バスは2台続行でやって来た。大荷物のバックパッカー達を詰め込んで出発。市街地を出れば、あとは清涼な森の中をひたすらに走る。淡い緑と灰色の岩山が現れては右へ左へ遠ざかっていく。カーブに向こうに水面が現れるとバスは止まり、するするとファリーの中に吸い込まれた。フィヨルドの対岸へと渡り、また森の中を行き、さらにもう1度フィヨルドを渡る。異郷の地を流離っている実感がじわじわと涌いてきた。

NSB 夜行列車  21時20分、ファウスケでバスを降りる。あたりにはようやく夕闇の気配が漂ってきた。クイズ王はここで泊まるが、僕は夜行列車に乗り継いで先を急ぎ、オスロ市内観光の時間を捻出する。

「じゃ、15日にスタヴァンゲルYHで」

 ノルウェー南部のスタヴァンゲルには、是非行こうと出発前から決めていた。もっとも、ここまでの自分の頼りなさを考えれば、果たして1人できちんとスタヴァンゲルまで行けるかどうかは怪しかった。

「ま、会えなきゃ会えないでストックホルムの空港で落ち合えばいいじゃん」

 精一杯の強がりを言って、ボードーからやって来た夜行列車に乗り込んだ。

 21時48分、456列車トロンハイム行はファウスケを後にした。随分と高い座席車の天井が、ことさら孤独感を煽った。


1996年8月13日(火) →トロンハイム→オスロ

 どこかで増結したのだろう。夜が明けると列車は随分と長い編成になっていた。蛇のような客車の列が、ゆっくりと右へ左へカーブを切る。8時ちょうど、トロンハイム着。定刻よりも20分も遅れていた。

 駆け足で隣に止まっているEt42列車オスロ行に乗り換える。「Et」はいわば急行列車である。ボンネット型の古びたディーゼル機関車が先頭に立った夜行列車に対して、Etを牽引するのは角ばった電気機関車だ。客車はTGVのような直線的なサイドビューで、シンプルながらもなかなかに格好いい。やはり首都へ通ずる列車は雰囲気が違う。

 8時05分トロンハイム発。一路オスロへ、とは言ってもその「一路」に7時間近くかかる。昨日来乗りづめの疲れがじわじわと染み出てきた。車内にどんよりとした空気がこもっているような気がする。急行列車の窓は開かない。

オスロ中央駅  12時24分リレハンメル着。ここがあのオリンピックの舞台か、とドアから身を乗り出してきょろきょろする。ごく普通のリゾート風の田舎町であった。

 早くオスロへ、との願いをあざ笑うかのごとく、列車は徐行を繰り返すようになる。工事現場のような荒地の中、ごとりごとりとポイントを渡ったりする。これは相当に遅れているのかもしれないな、と思ったがオスロ中央駅着は15時ジャスト、わずか5分の遅れであった。幾本ものホームが並び、ガラス張りのコンコースも随分と広いが、広場から振り返れば駅舎そのものは随分と小さい。

 市庁舎の前を過ぎて、インフォメーションセンターまで歩く。インフォメーションセンターの建物は元・オスロ西駅舎らしいのだが、内部は綺麗に改装されている。"Take care your baggage!"と係員に指差され、都会に来た事を実感する。インフォメーション前の広場は海に面して明るく、若者のグループがスケボーに興じている。スヴァルバール諸島とは別の国に来たような気がした。

 トラムに乗ってYHへ向かう。水色2両編成の電車はさして広くない通りの真ん中をぐいいぐいと上り、道路工事に付き合って単線になり、そのうち専用軌道に乗り入れた。閑散とした電停で降りると、芝生の丘のてっぺんにYHの建物が見えた。


1996年8月14日(水) オスロ→ミュルダール→フロム

 オスロの人口は50万に満たない。東京圏のちょっとした町、例えば相模原(60万)よりも小さい。しかしオスロには、活気がある。人ごみに揉まれる程ではないにせよ、どこにかしこも人々で賑わっているのである。「この街は若い。」目抜き通りのカールヨハンスガーデ通りを王宮に向けて歩きながら、僕はそんな事を考えていた。気温は30℃、数日前までコートを着ていたのが嘘のようである。しかし湿度が低いのか、暑さはさほど感じない。

オスロの登山電車  市電に乗り観光名所を渡り歩く。フログネル公園で奇怪な彫刻群を眺め、国立美術館でムンクの「叫び」と向き合う。鑑賞眼など無い割には随分と芸術づいているが、オスロへ立ち寄ったのは「叫び」を見たい一心に他ならない。絵筆を握るムンクにいかなる心の闇があったのかと、じっと考える。

 郊外のホルメンコッレンへは、古風な登山電車が走っている。地下鉄で始発駅まで行ってみると、赤いメトロがひっきりなしに発着する中、片隅の切り欠きホームに木造の単行電車が停まっていた。写真を撮っていると中から女性ガイドが出てきて、絵葉書を頂戴する。ホームにも車内にも乗客の姿は無く、今日は運休なのかなと思っているとゴトリと動き出した。

 名残惜しい気もするが、わずか1泊でオスロはおしまいである。中央駅14時55分発のベルゲン行603列車に乗車する。オスロからソグネフィヨルドを経由してベルゲンに至るルートはノルウェー随一の観光コースであるはずだが、列車はガラガラである。1等車のためかもしれない。ファウスケ−トロンハイムと同じ形式と思われる丸天井の客車だが、3列シートだから尚更ゆったりとしている。と言うか、身に余る。

 列車は森と泉の交錯する中を淡々と走っていたが、19時25分発のフィンセ辺りから車窓が荒涼としたものに変わってきた。低木の茂み、岩山、そして残雪や氷河を望みながら、標高を稼いでいく。

 19時52分ミュルダール着。ここでフロム鉄道に乗り換える。標高866mのミュルダールからフィヨルドに面した(つまり、ほぼ0m)のフロムまで、延長20kmを一気に駆け下りる登山電車である。隣のホームに停まっていた2両編成の電車は、片側3扉・セミクロスシートに素っ気ない内装となんだか通勤電車っぽい。帰国後写真を見返せば、スウェーデン国鉄(SJ)の国電と同型であった。多客期対応でSJから借り出したのかなと首を捻る(後に知ったのだが、中古車を譲り受けたらしい)。

フロム鉄道車窓  20時ちょうどミュルダール発。夏のシーズンとは言え、さすがにこの時刻ではガラガラである。車両は味気ないが車窓は豪快で、ループ線を回ったり崖にへばりついたりしながらぐいぐいと下っていく。水しぶきがかかるほど滝に接近し、観光停車する。やがて行く手が少しずつ広がってきて、水面に突っ込むようにして電車は停まった。20時45分、フロム到着である。

 駅に程近いYHへ行くと、掘っ立て小屋のようなベッドルームの中はすでに満室だった。物置としか思えない、窓際の狭い空間に身体をねじ込んで横になる。腹は減ったが、飯のあてはない。自炊と言うクイズ王のセリフを信じて(それは高いレストランに入らない、という程度の意思表明であったらしい)鍋だの野菜炒めソース(@スーパーもちづき小鹿店)だの持ってはいるのだが、肝心のコンロはクイズ王の荷物の中だ。

 充実した一日だったけれど、最後は随分ミジメな思いをした。


1996年8月15日(木) フロム→グドヴァンゲン→ヴォス→ベルゲン→スタヴァンゲル

ソグネフィヨルド  どこだったかのYHで番号を聞いておいた、スタヴァンゲルYHにダイヤルする。女性が出るが、英語がサッパリ通じない。おかしいなと掛け直すと、同じ女性が出て、ノルウェー語で猛然とまくし立ててガチャンと電話を切る。メモした番号が違っていたらしいが、北欧で英語が露ほども通じなかったのはこの1度きりであった。

 今日はまず、世界最大のフィヨルドと言われるソグネフィヨルドを辿る。船着場に行き、学割の切符をくれと言う。係の女性は学生証を丹念に眺めた後、「申し訳ないけど、貴方が学生だとどうやって判断すればいいのかしら」とため息をついた。それはそうだ。差し出したのは国際学生証ではなく大学の学生証である。表も裏も日本語オンリー、ご丁寧な事に年号は和暦である。困った大学である。

 正規の船賃を払って、9時ちょうどフロム出航。観光船は世界中の旅行客を満載している。切り立った崖の間、青く澄み切った水面が静かに広がっている。時に滝があり、メルヘンチックな色合いの村がある。少々出来すぎの嫌いはあり、それゆえかえって風景を平凡なものにしているような気もした。「フィヨルドなんてただの水溜り。」口の悪い人はそう言うらしいが、ここソグネフィヨルドに関する限り、ある意味それは正しい指摘かもしれなかった。

 11時05分グドヴァンゲン着。土産物屋を冷やかして11時35分発のバスに乗る。U字型の谷が尽きると、道はにわかに急勾配となる。グドヴァンゲンの谷底が、ぐいぐいと下へ遠ざかる。

 12時45分ヴォス着。オスロからやって来る「ベルゲン急行」に乗り換える。NSBの看板列車であるはずだが、取り立ててどうという事はない普通の急行列車であったように思う。ヴォス発は遅れたはずだが、終点ベルゲンには定刻通り14時20分着。ホームは2本程度しかない中規模クラスの駅だが、丸屋根の向こうに建つ石造りの駅舎はなかなかに風格がある。

フロイエン山より  ベルゲンは中世ハンザ同盟時代の面影が残る港町である。入り江の向こう岸からブリッゲン埠頭を遠望したり、ケーブルカーに乗ってフロイエン山に登ったりする。ケーブルカーはよくよく見れば、はるか昔祖母から貰ったヨーロッパ土産の小皿に写っている車両である。欧州なんて随分遠い所と思っていたけれど、その遠い所まで来てしまったんだなあと感慨にふける。頂上の土産物屋が驚くほど安く、スプーンを買う。

 さて、クイズ王と落ち合うべくスタヴァンゲルに向かうことにする。ベルゲンからスタヴァンゲルまでは高速艇で4時間の道のりである。切符を買って、ターミナルの公衆電話から自宅へ、そして(番号を調べなおした)スタヴァンゲルYHに電話する。

「今日は満員です。」

 げ。

 受話器を握り締めたまま絶句する。YHが満員ではクイズ王と再会できないではないか。ヤバイ。これはマジでヤバイ。何とかならないかと考えをめぐらしてみたところで、満員のベッドに空きが出来るわけでもないからどうしようもない。(当時の僕に、「YHがダメならホテル泊まり」という思考は存在しなかった。新潟県長岡市でビジネスホテルを初体験したのは、これより2年半後のことである。)

 頭まっしろのまま船に乗り込む。景色は何も覚えていない。

 21時30分、薄暮のスタヴァンゲルに到着。駅に行って再びYHに電話をする。これでダメなら22時の夜行列車で1人オスロへ戻り、スウェーデンのヨーテボリに向かおうと思ったのである。

"Are you クイズ王's friend?" "Yes." "OK."

 どうやら心配したクイズ王が、YHの人と話をつけてくれたらしい。ああありがたやとYHへ向かうバス乗り場を探す。が、乗り場は街なかのあちこちに分散しており、どこからどれに乗ればいいのか皆目分からない。

「どこ行くんだ?」 路線図の前で往生していると、おっさんが寄ってきた。

「YHだけど」「そうか。俺も行くところだ。付いて来な」

 冷静な思考を持ち合わせていれば、見知らぬ輩に黙って付いていくなど正気の沙汰ではない。が、疲れ切っていたその日の僕はふらふらとおっさんに続いてバスに乗り込んだ。降ろされたのは郊外の薄暗い一角。もし彼が強盗ならば、明日フィヨルドに物知らずな日本人学生の死体が浮かぶかもしれない。

 が、おっさんは本当にYHの宿泊客であった。真っ暗な部屋は2層になっていて、電気をつけて2Fに上がったがベッドは全てふさがっていた。1Fのソファーで泥のように眠る。


1996年8月16日(金) スタヴァンゲル→プレーケストーレン→スタヴァンゲル→クリスチャンサン→

プレーケストーレン 1  眠そうな目をして1Fに降りてきたクイズ王は、開口一番「寝てるのに電気つけないでくださいよー」と悪態をついた。

 スタヴァンゲルへやって来たのは、リーセフィヨルド探訪のためである。9時15分、小さな遊覧船は50名ほどの客を乗せ出港する。9時55分タウ着、ここで全員がバスに乗り継ぐ。10時35分、バスは小さな広場で止まった。目の前には岩山がどーんと居座っていて、ザックを背負った旅行者たちは、思い思いのペースで森の中の小道へと入って行く。そう、今日は山登りなのである。

 目的地までは片道2時間の道のり。尾瀬のような(行った事は無いのだが)湿原の中の小道もあれば、鎖を伝って岩登りをする箇所もある。泉があり、森を抜け、突き出た岩に腰かけ一休み。そしてさらに登れば、ぱっと眺望が開ける。中空に飛び出したかのような感覚。どこから来てどこへ続くのか、リーセフィヨルドの青い青い水面が眼下に細長く延びている。

 まもなく前方に、目指すプレーケストーレンが見えてくる。海面から垂直にそそり立つ、高さ600mの1枚岩である。ガイドブックの写真だけでも充分に壮観だったのだが、いざ目の前に迫ると、これはもうただただ圧倒されるほかは無い。なんという景観を自然は産み出したのだろう。

 プレーケストーレンの頂上は、50m四方程度の平面になっている。柵は無い。腹ばいになって、そっと首だけ断崖から突き出してみる。その時の感覚は、ちょっと形容のしようが無い。

プレーケストーレン 2  興奮状態のままもと来た道を下り、バスと船を乗り継いで17時55分スタヴァンゲル港に帰着。19時25分発の726列車に乗り込む。オスロまで行かないローカル列車のためか、1等2等それぞれ1両ずつの極め付きに短い編成である。

 列車は森と泉の中を淡々と走る。北海道のような爽やかな眺めで、北極圏に比べるとずいぶん"まとも"な景観になってきた。ちゃんと日も暮れてきた。日本を出て半月、ようやく旅心が涌いてきたような気がする。あの荒涼としたスヴァルバール諸島や、トロムソにいた頃は随分と余裕が無かった。この辺りで慣らしてから北極圏を目指しても良かったな、と今更ながら思った。

 22時40分クリスチャンサン着。ここからスカゲラク海峡を渡り、デンマークに向かう。ノルウェーともいよいよお別れである。ゴゴゴゴと低くエンジンを唸らせていた大型フェリーは、定刻0時30分、静かに岸壁を離れた。


(つづく)

2004.8.22
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