北欧のカケラ


▼第2部 ミッドナイト・サン


1996年8月5日(月) (承前)

 両側に切り立った岩山がそびえている。BU455便はその間をすり抜けるようにそろりそろりと高度を落とし、ロングイヤービーエン空港に着陸した。ぐるりと見渡す。森も、木さえもそこにはなかった。物凄い所に来てしまった、との思いがこみ上げた。

 駐機場からターミナルビルまでてくてく歩き、荷物を受け取る。市街地行のバスを見て、クイズ王が「案外普通だなあ」とガッカリした声を上げる。少々くたびれてはいるが、どこにでも走っている普通のバスである。

ロングイヤービーエン内  左手に入り江を眺めつつ、バスは1本道を行く。1軒、2軒、ときおり思い出したように小さな建築物が現れる。10分も走った頃だろうか、TOYOTAの看板を掲げた修理工場が現れて「こんな所にまで日本企業が」とびっくりする。ここからがロングイヤービーエンの集落で、バスは右折して大きなホテルの前で客を降ろし、U字谷の底を登っていく。一旦家並みが途切れるが、はるか前方にアパート風の数軒の建屋が見えてくる。僕達の泊まるホテル(YH併設)であった。

 荷物を置いて、中心部まで歩いてみる。石と苔に覆われた大地の上に、カラフルに彩られた家が立ち並び、街は存外に賑やかであった。


1996年8月6日(火) スピッツベルゲン島

 ロングイヤービーエンの集落は、入り江から南に向かって細長く続いている。YHはその最奥に位置していて、道はまだ続いているが人家は見当たらない。見渡す限りの岩、そしてその向こうに氷河が顔をのぞかせている。あそこまで登ってみようと思う。

 真冬仕様のセーターの上にコートを着込む。最果てだからと一応厚着をしているのだが、実はさほど寒くはない。穏やかな日差しが降り注いでいる。

 砂利道を進む。初めは緩く、やがて急な上り坂となってきた。ぽつんぽつんと電柱が立っているから、この先に何かはあるのだろうと信じて歩く。数棟のビニールハウス風の小屋を発見。中で何をやっているかは定かではない。随分と大きな糞が転がっている。ホッキョクグマかもしれない。

氷河への道  なおも登ると、前方に巨大な滝が立ちふさがった。入り江から延びてきたU字型の平地はここまで。滝を越えれば氷河に触れそうである。しかし、か細く続いていた道はとうとうここで途切れてしまった。随分手前に川の対岸へ渡れる箇所があったことを思い出し、引き返してまた登る。今度は滝を迂回する道(というより、もはや"踏み跡")がある。

 しかし、滝を越えても氷河はまだ遠かった。道はますます細くなり、激流が岩を噛む脇を残雪を踏みしめ通り過ぎなくてはならない場所もあった。転べば滝までまっ逆さまだなと思ったそばから、凍りついた雪に足を取られる。辛うじて踏みとどまったが、危ないところであった。

 たっぷり1時間以上は歩いたように思う。ようやく氷河までたどり着いた。見渡す限り、青く輝く大氷原が広がっている。僅かな氷の凹凸の中を縫うようにして、清冽な流れが幾筋も出来上がっている。はるか上流側、隊列を組んで黙々と歩く一団が見える。登山ツアーの客だろうか。

氷河  オンボロ靴の隙間から、水がしみこんできた。あまりの冷たさにビニール袋を取り出して足に巻いてみるが、効果はない。にわかに空が掻き曇ってきた。霧が立ち込め、ツアー客の姿が消える。薄ら寒い。誰もいない世界−なんだか怖くなってきた。帰り道を見失うかもしれない。熊が出るかもしれない。ツアー客はライフル銃を持っているだろうが、勝手に登ってきた僕達は対処する術がない。

「もう帰ろう」 −たまらず僕はそう叫んだ。

 滝まで戻る途中、イタリア人の老夫婦と会う。地面を熱心に見回しているので何かと思えば、そこらじゅうに化石が転がっているのであった。


1996年8月7日(水) スピッツベルゲン島

 おいおいと分かってきた事であるが、スヴァルバール諸島は炭鉱の島であった。「あった」と過去形で書いたのは、ロングイヤービーエンを歩き回ってもそれらしい活気が感じられないからである。ホテルに貼ってある昔の(といっても10年程度)写真と比べても建物の数は明らかに減っている。衰退した石炭産業に変わって観光業で生きていこう、というのが今のスヴァルバールの姿であるように僕には思えた。

 そのような島であるから、観光客向けのツアーは実に豊富に用意されている。その中から1つだけ、今日はロシア人コロニー探訪ツアーに参加してみることにする。

 YHに迎えの車が来て、漁船のような小さな船に乗る。ツアー参加者は約30名となかなか多いが、日本人は僕達だけであった。空はどんより曇り、甲板に立てばさすがに寒い。コートのフードをすっぽりとかぶる。船は岩山の間を北へ進んでいく。

バス  ロシア人コロニーの船着場は、工場の只中のような殺風景な所であった。迎えのバスが2台止まっていて、クイズ王が「これこれ!こういうのを期待してたんだ」と喜びの声を上げる。2台ともなかなか年季の入ったボディで、特に黄色い小型バスははたしてちゃんと動くのかどうか心配になるほどぼろっちい。勿論僕達は黄色い方に乗った。

 バスはまず、町を見下ろす高台まで僕達を運んでいった。ガラス瓶を積上げて出来た小屋が、ぽつんと建っている。英語で案内があったがさっぱり理解できない。分からないまま坂道を降りて、バスは集落へと差し掛かる。スピッツベルゲンとは趣が大きく違う。茶褐色の建物群が、どんより灰色の空の下眠っている。

 ひときわ大きな建物前でバスは止まった。前庭にはレーニン像、ロビーにはプロパガンタの壁画が架かっている。体育館のような広間で説明を受けたが、ここがレジャーセンターである旨くらいしか理解できなかった。土産物屋を冷やかすと、中ではポップス風の曲が大音量でかかっていて、ダスビダーニャ・ダスビダーニャと悲壮な歌声が繰り返される。

氷河2  帰路の船は往路で遠く眺めた氷河の目前まで立ち寄った。眼前に青白く輝く断崖絶壁が広がる。操舵手が網を持ち出し、海面を漂う氷片をすくい上げた。がりがりと砕いてプラカップに放り込み、甲板で一同乾杯する。

 記憶を元に調べてみると、この時訪れたロシア人コロニーはPyramidenという場所のようである。この2年後採炭は終了し、町はやがて閉鎖される運命にあるらしい。


1996年8月8日(木) スピッツベルゲン島

 YHで自転車を借り、緩い坂道を海岸線に向かって下る。ロングイヤービーエン中心部を抜け入り江沿いの道にぶつかり、ここを右折。この先に何があるかは知らない。知らないけど時間はたっぷりあるからとりあえず行ってみる。

 ロングイヤービーエンの街並みが後方へ遠ざかる。未舗装の一本道。2分おきぐらいに、向こうから豪快に砂ぼこりを上げてダンプカーがやって来る。

サイクリング  一本道をひたすら進む。わずかばかりの草地で、トナカイが3頭食事に勤しんでいる。遠く内陸に工場のような施設を見遣ると、あとはもうダンプもやってこない。薄茶色の風景の中、無心で自転車をこぐ。

 眼前に岩山が迫ってきた。ずっと平坦だった道はその岩山に取り付き、つづら折の急な上り坂に変じる。4回、5回、なんどカーブを折り返しても延々と坂が続く。やがて道は、低く垂れ込めた雲の中に入った。なお数回折り返せば、どうやら岩山のてっぺんまで来たようだ。乳白色の世界の中、道が幾筋にも分かれている。クイズ王は道を知っているかのように、どんどん先へと進む。このまま進んでもいいのだろうか。根拠のない不安に襲われ帰りたくなったその時の事だった。

 目の前に、「何か」がある。

 霧の中から、巨大な影が浮かび上がった。恐る恐る近づくと、「何か」はブーンと低い唸り声を上げていた。だだっ広い空間に、少しく前に僕達を追い抜いていった車が止まっている。しかし人気はない。そっと裏手に回る。荒地の上にすっくと立っていたもの、それは巨大なパラボラアンテナであった。

 しばしアンテナを見上げて、僕達は引き返した。後で地図を見れば、ロングイヤービーエンからアンテナまでは片道12kmもあった。

「こういう曇天でさ、いきなりパラボラアンテナに出くわしたってのもそれはそれで面白いよね」
「晴れてた方がいいに決まってるじゃないですかー」

 クイズ王は容赦がないのであった。


1996年8月9日(金) スピッツベルゲン島

港の痕跡  橋を渡り、市街地へのいつもの下り坂とは反対側の道を歩く。丘の中腹のスヴァルバール博物館を見学。石炭積み出し列車が敷地の片隅に置いてある。さらに下れば世界最北の教会。とんがり屋根の小さな建屋は赤と黒に綺麗に色分けされていて、レゴブロックのような可愛らしさを醸し出している。そういえばレゴは同じ北欧・デンマークが発祥のはずである。

 さらに下れば、おなじみ入り江沿いの一本道にぶつかる。昨日は右へ行ったから今日は左へ。随分歩くと海側に埋立地が広がる。クレーンの鉄骨が海へ伸びている。石炭の積み出し港だろう。しかし辺りには何もない。土をむき出しにした敷地が、やけにだだっ広く感じる。既に打ち捨てられて久しいのだろう。

 さらに進めば空港へたどり着く。今日は発着が無いのだろう。ひっそりと静まり返っている。世界各都市への方角と距離を示した標柱が建っている。強風かあるいは横殴りの雪によるものなのか、少し曲がっている。

 東京へは6830km、北極点へは1306kmであった。


1996年8月10日(土) スピッツベルゲン島

 昨日は西へ歩いた。一昨日は東へ、4日前は南へ向かった。北には入り江が横たわる。要するに今日はもう行く所がない。ホテルの食堂で、毎朝同じ絶壁を眺めながら同じメニューのバイキングを食すのにも飽きてきた。しかし部屋でじっとしているのはなお退屈だから、町まで出かけることにする。

 町への緩い下り坂。一面の荒地の中、砂利敷きの路面がわずかに盛り上がっている。電線やパイプライン、そして細い水の流れが並行している。わずかに潤った地に、苔が唯一の彩りを添える。右手にそそり立った急斜面の中腹、工場らしき構築物がへばりついているが、稼動している気配はない。

 幅を増した平地にカラフルな住宅が立ち並ぶ頃、道は舗装路に変わる。学校らしき建物もある。しかし集落の中へ入っても人気はない。

繁華街  なおも下ってYHから約15分、ロングイヤービーエンの中心部へとたどり着く。大きなガラス窓の建物が幾つも建ち並んでいる。なかでもショッピングセンターはでかい。やたらとでかい。食料品は勿論の事、衣料品に家電製品、貴金属と何でも揃っている。ちょうど切れたところだったカメラの電池も、まず無いだろうと思ったのにレジ脇に置いてある。商圏人口を考えれば、果たして商売が成り立つのかと心配になるほどの品揃えである。

 銀行や郵便局も勿論ある。友人に「今、北極にいまーす」と絵葉書を出した…ような気がしますが、届いてます?(内輪な私信)

 繁華街のどん詰まり、一番海側には大きく立派なホテルがある。一歩足を踏み入れてみると、ガラス張りのロビーでプチお金持ちそうな人々が大勢談笑している。どうやら僕達は場違いなようなので即座に引き返した。

 わがYHへ戻り、同じ棟に泊まっている日本人のおじさんとよもやま話。聞けば出身は厚木だそうで、有隣堂の話題で盛り上がる。こんな辺境でご近所さんに出会うのだから、世の中不思議なものではある。

 空はどんよりと曇っている。ここ数日、特に午後になるとお日様を見かけない。スヴァルバール諸島での夜も今日が最後、晴れてくれないと宿願の「ミッドナイト・サン」が拝めない。

「先週はずっと晴れてたんだけどなあ」

 件のおじさんはそう言う。そういえば初日の夜は晴れていたかもしれない。いつでも見られると思って早々に寝てしまったのである。

 太陽が拝めないまでも、せめて夜中に煌々と明るい風景が広がっている事だけはこの目で確認しておこうと思う。寝静まった建物の中、僕は廊下でカメラを抱えて夜更かしをした。

 あたりに霧が立ち込め何も見えなくなった頃、日付が変わった。


1996年8月11日(日) スピッツベルゲン島→トロムソ

 長かったような、短かったような一週間が過ぎた。16時45分、BU464便はロングイヤービーエン空港を飛び立った。1時間40分後降り立ったトロムソには緑の木々があり、夜があった。


(つづく)

2004.8.8
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