ロンドン6日間・大特急 〜後編


▼ 9月24日(日) 弁当忘れても傘忘れるな

 わずか3日強の滞在とはいえ、折角イギリスまできたのだから一度はロンドンの外へ出てみたい。これは僕の言い出したことで、その裏にはもちろん地下鉄以外の鉄道にも乗ってみたいという野望が潜んでいる。候補地はドーヴァー Doverやケンブリッジ Cambridgeなど百出したが、カーディフ Cardiffを目指すことにした。この街の名はガイドブックを開いて初めて知ったが、ウェールズの首都なのだそうだ。異国情緒のかけらでも感じられればと思う。

 さて、ラッセル・スクエア駅へ行くと、張り紙が出ていて"How about walk to King's Cross?"とある。要するにここの券売機は混むから隣の駅まで歩けという事らしい。昨日はHISがフリーパスを支給してくれたが、今日は自腹で買わねばならない。巨大ホテル前の駅に券売機を2台しか置いていないのがそもそもの誤りだと思うのだが、まあ先を急ぐわけではないので歩くことにする。

 アパートの並ぶ閑静な小道を歩いていくと、やがて大通りにぶつかる。眼前にキングス・クロス King's Cross駅の駅舎が聳え立っている。ロンドンでも屈指の巨大ターミナル駅で、まるで宮殿のような荘厳さである。

 地下鉄サークル Circle線のホームへ降りる。昨日利用した各線のホームとは異なり、壁が垂直である。天井は丸いが、どうも後から改造したような感じがする。おそらくこの線は「地表線」なのであろう。地表線とは地下鉄の中でもごく初期に建設された路線のことを指し、浅いところを走るためそう呼ばれる。信じられない話だが当初の地下鉄は蒸気機関車による運転であった。駅部には天井を設けず、機関車は排煙をトンネル内では出来るだけ抑え、駅に入ると一気に吐き出したのだそうだ。天井は電化後雨をしのぐために取り付けられたのではないだろうか。緩くカーブを描いているのはチューブの伝統ゆえであろう。車両も他線より大型だが、やはり少し丸い。

 地表線にふさわしく、時おり地上に出ながら走る。地下駅は煉瓦造りで、オレンジ色の灯火がレトロな雰囲気を醸し出している。これは是非とも後で撮影しなくてはならぬ。

 ウェールズへのターミナル駅となるパディントン Paddington駅で下車。行き止まりのくし型ホームの上に巨大なドームが覆いかぶさっている、いかにもな大ターミナルである。大した下調べもせずにやってきたが、1時間ごとにインターシティ(IC。特急に相当するが料金不要)が出ていることが分かる。ガイドブックを見ると色々な割引切符があるが、どれがカーディフまで適用されるのか分からないので、正規運賃を取られるのを覚悟で"Cardiff Central, Roundtrip. Two person!"とだけ叫ぶ。アラブ系の窓口氏は今日中にロンドンに戻ってくることを確認し、手早くテレホンカード大の切符を発行した。見ると"Ticket type SUPERSAVER RTN"とあり、ちゃんと割引切符にしてくれたようだ。

IC125  カーディフへのICは、緑の車体にゴールドの帯が入ったGreat Western Trains社の車両であった。正確な年月は知らないが、英国鉄は近年、列車運行会社だけでも25、他に施設管理や保線分野も細分化したうえで民営に移管した。パディントンから出るICは大部分がGW社の車両で、他に一部Virgin Trains社の車両も見られる。航空機飛ばしたりCD売ったり正体不明なあの会社である。

 しかし車両の形式自体はどれも同一で、鉄道雑誌等で日本でもお馴染みの、あの丸みを帯びたディーゼル特急IC125ばかりである。仏TGVが登場する前からイギリスの看板列車であるから、結構年代物である。高速化が急速に進むヨーロッパ各国の鉄道の中で、イギリスだけが停滞してきたのが良く分かる。IC125の最高速度は125マイル、200km/hで、今となっては速い方ではない。改良型のIC225もバーミンガム Birmingham方面に走っているが、最高速度は225マイルではなく、225km/h。上げ底である。

 車両は古くとも各民営会社が独自の塗装でサービス向上に努めているのは、JR発足当初を彷彿とさせる。じきに画期的な新車が出てくるであろう。

 12時ちょうど、ICは定刻に発車した。雨が本降りになってきたが、それもまた英国らしい、と割り切ることにしてサンドイッチをほおばる。近郊電車が並走している間は市街地が続くが、郊外のターミナル駅を発車すると田園風景が広がり始めた。北海道的な牧草地と原野が広がる。時折羊や馬を見かける。今この列車を降りて写真を撮りたい、という思いに駆られるが、列車は200km/hで快走を続ける。風景が大きい割にはスピード感がある。

 幾つかの駅を過ぎて、やがて列車は長いトンネルに入る。セバーン Severn川の河口をくぐるトンネルで、これを抜ければウェールズである。しかし抜けたところで風景には大差なく、草原が続く。

 トンネルから2つ目の停車駅がカーディフである。ロンドンからちょうど2時間。ホームに立ちまず目に付くのはウェールズ語標記である。全ての看板に英語と2ヶ国語が記されている(ただし2ヶ国語標記が見られたのは駅構内くらいで、街中でウェールズ語を見かけることはあまり無かった)。駅前を見渡し、ああ地方に来たなと思う。そしてひさめ氏が決定的なことに気がつく。バスが赤くない。

 商店の立ち並ぶ通りを歩き、突き当たりのカーディフ城を目指す。現存する建物は19世紀の建築、そして起源はローマ時代にまで遡る古城である。見事に残った城壁をくぐり入場料を払う。財布を落っことし、拾おうとかがむと肩にかけたカメラがずり落ちる。慌てたところにさしたる風も吹いていないのに傘が吹っ飛ぶ。ひさめ氏はただあきれている。

カーディフ城  城内をめぐるツアーに参加する。ガイドの英語はほとんど理解できなかったが、思いのほか豪華絢爛な城であり驚かされた。わざわざロンドンから出てきた甲斐があった。中庭に残る古い砦に立つと、雨雲が途切れているのが見えた。切れ間は見る間にこちらまで延びてきて、雨上がりの芝生に日差しが輝いた。

 石造りのシティ・センターを眺めてから、繁華街のクィーン通りを歩く。新しい建物が多く、人通りも家族連れをはじめとして実に多い。ウェールズは英国の中では辺境に属するが、建築中の建物も多く、これから伸びてゆく若々しさを感じた。もっともカーディフはウェールズの中では際立った大都市である上にロンドンから近い。スノウドン Snowdonあたりの最果てで大自然に接すればまた印象は違っただろう。

 16時半頃のICでロンドンへ帰る。トンネルを抜けイングランドへ戻ると、雨雲が近づき、見る見るうちに大雨になった。雨の止みかたも降り出しかたも極端である。

 夕食はひさめ氏オススメの韓国料理店「新羅 Shinra」とする。最寄りは初日のツアー集合に使ったオックスフォード・サーカス駅なので、地下鉄サークル線に乗りノッティン・ヒル・ゲート Notting Hill Gate駅でセントラル線に乗換える。ロンドンの地下鉄は、路線数は多いが路線網は東京に比べれば分かりやすい。ただサークル線は、複数の系統(ディストリクト District線メトロポリタン Metropolitan線が同じ線路を走ってくるので、注意が必要である(後で気がついたが、大阪の地下鉄と環状線を合わせると、ロンドンに近い形態になると思う)。うむ、もうUndergroundは見切ったぞ、と自惚れたが、路線図を良く見るとパディントンからオックスフォードへはベイカールー線が直通していて、そっちの方が早く着くことに気がついた。まだまだである。

 駅を出ると、驚くほど人が少ない。新羅のある裏通りなど、無人くん同然である。ロンドンの繁華街にいるのが信じがたいが、日曜の夜ともなると皆家にこもっているのだろうか。

 心配はしたが幸い新羅は開いていた。店内はアジア系ばかり、それもどうやらほとんど日本人のようだ。味はまあまあ、値段ちょい高、ウェイトレスは人によっては美人、というところであった。ところが勘定の段になってお札を渡すと、いつまでたってもつり銭を持ってこない。元々食事から精算まで何かと時間のかかるきらいはあったが、それにしてもいつまでも持ってこない。10分以上は待ったところで"Are you waiting change?"と聞いてきて慌てて持ってくる。あるいはチップを弾んだと思われたのかもしれないが、そんな金額ではなかったし店員一同恐縮していたので多分忘れていただけなのだろう。


▼ 9月25日(月) 芸術の秋・芸術の飽き

 テレビをつける。オリンピックはボートの中継ばっかりである。マラソンはどうなったのか、サッカーも全く分からない。本当にボートしかやらない。まあイギリス人から見れば、日本のオリンピック中継だって柔道ばかりであろうが。

 10時のオープンにあわせて大英博物館 The British Museumへ行く。徒歩10分だから楽なものである。ひさめ氏にとってはホームズと並ぶ目玉であるらしい。最初はひさめ氏の後ろについていたが、どうもこれは自分のペースで回った方がいいと気付いて、ガイドを購入して一人歩きする。ロゼッタ・ストーンを見られたことに満足。

 12時までの予定であったが、途中でばったり出くわしたひさめ氏の希望で1時間延長する。正直に告白するとこの日、自分が芸術鑑賞に向いていないことを痛感してしまった。それよりも感心したのは、博物館のあちこちで見かけた小学生の集団である。どの子も展示物のスケッチ等を課せられたレポートの束を持っている。通路上に座り込んで写生していても周りの大人たちは寛容で、日本との教育理念の違いが垣間見られた。

 ホルボーン駅からピカデリー線に乗る。途中、エスカレータの故障というとんでもない理由で閉鎖中の駅をゆっくりと通過する。Undergroundにはこの種のちょっとした理由で閉鎖されている駅が幾つもある。ちなみにこの駅の近くには有名デパートのハロッズHarrodsがある。営業妨害同然である。

 サウス・ケンジントン South Kensington駅でサークル線に乗換え、次のスローン・スクエア Sloane Sq.駅で下車。町の中心からはやや外れたが、若者向きな小奇麗なお店が軒を連ねている。東京で言えば原宿辺りだろうか、と思ったが実は竹下通りを歩いたことは無い。ここで降りたのは、チェルシー・キッチン The Chelsea Kitchen Restaurant という有名な大衆レストランに入る、ただそれだけの理由による。

 再びサークル線に乗り、ウエストミンスター Westminster駅でジュビリー Jubilee線に乗換える。ホームドアのついた新しい路線であった。次のウォータールー Waterloo駅で下車。これはどこかターミナル駅で写真を撮りたいという僕の希望である。しかしユーロスターのホームは隔離されていて、撮影することは出来なかった。隣の駅に行けば走行写真が撮れることが分かっているのだが、雨も降ってきたので今日はあきらめる。

 ベイカールー線ノーザン Northern線のどちらか(思い出せん)でエンバンクメント Embankment駅へ行き、サークル線でタワー・ヒル Tower Hill駅下車。テムズ下流側のこのあたりは、HISの半日観光で来ていない。駅の正面にロンドン塔 Tower of Londonの裏側が見えている。ぐるりと回って入口ゲートでセキュリティチェック。金属探知機を手にしたおっさんが僕のリュックを開け"PiPiPiPi..."と叫んでおどける。

 城の中を宝石館から外側の城壁に至るまでくまなく歩く。まったく毎日良く歩く。そしてよく地下鉄に乗る。超有名なタワー・ブリッジを型どおり写真に収め、タワー・ヒル駅からサークル線、リヴァプール・ストリート Liverpool St.駅からセントラル線、ホルボーン駅からピカデリー線と乗り継いでラッセル・スクエア駅で下車し、いったんホテルに戻る。

 さて、僕にとってはウェールズと並ぶ目玉であった、ミュージカル鑑賞に出発する。劇場はおなじみホルボーン駅が最寄りのニュー・ロンドン・シアター、演目は"CATS"である。切符は23日に本屋に寄ったついでに購入した。ひさめ氏は「オペラ座の怪人」を観たがっていたが、件の本屋からニュー・ロンドン・シアターが近かったこと、そしてどうせ英語が分からないならストーリー性の薄そうな"CATS"の方が良かろうという思惑から、無理に押し切った。

 劇場を決めたのは僕でも食事の決定権はひさめ氏にある。これは「地球の歩き方」の方が僕のガイドよりレストラン情報に詳しいという点が大きい。そして僕の方が味覚に疎いのも確かである。この日入ったのは劇場前のインド料理店で、お客さんは他に誰もいなかったが非常に美味しかった。僕が頼んだカレーはメニューに「マイルドな…」と書いていただけあって、なんとも甘かった。しかし甘いのにカレーの味がしているのが何とも不思議で印象に残っている。それにしても英国での夕食は全てアジア料理である。

 さて、劇場に入る。観客はがきんちょと、日本人が多い。ほぼ満席である。僕達の席は舞台から2列目となかなかの好位置である。しかし劇が始まるや否や、円形の舞台はくるりと回転して、僕達の席はかなり袖の方になってしまった。

 しかしそんな事はどうでもよかった。とにかく面白かった。趣向を凝らした舞台装置、緻密に計算された演出、そして圧倒的な歌の素晴らしさ。終幕の頃には僕は相当ハイテンションになっていた。帰り道でもいまだ興奮さめやらない。

「いやぁ、面白かったわ。CATSにしてよかった」「んー、そうかね」

ひさめ氏は反応今ひとつである。ノリが悪いなぁ。アレだけ面白かったのに、マッタク。

「あれ、駅こっちに曲がるんじゃ?」「いや、右だったでしょ」

おいおい、道も忘れたんかい、しょうがねぇなぁ、と内心あきれつつ約5分。

「…あれ、この道、違うな」地図を開く。駅は先ほどひさめ氏が指摘した方角である。こういう失敗はフォローのしようがない上に落ち込む。


▼ 9月26日(火) 悪あがき、収穫なし

 ロンドンとも今日でお別れであるが、やり残したことが山ほどある。飛行機の出発時刻は15時45分、その前にいろいろと片付けることにしたい。ところがHISの車がホテルに迎えに来るのは11時40分。4時間も前に迎えに来るとは、困ったものである。ヒースローまではパディントン駅からヒースロー・エクスプレスに乗れば15分、ラッセル・スクエアからの地下鉄でも1時間とかからない。自力で行くから迎えは不要、と言いたいところであるがまあ我慢する他ない。

 さて、積み残しの第1はルイ・ヴィトンである。「歩き方」で調べたところ、やはり僕のガイドに記された位置は誤りであった。しっかりしろ、昭文社。おかげで時間もないのに朝から1人でブランドショッピングである。

 ラッセル・スクエア駅からピカデリー線、ホルボーン駅でセントラル線に乗換えボンド・ストリート駅で下車。たどり着いたのは先日迷った場所から目と鼻の先である。あの時も一応周りを見回したはずだが、どうして見つけられなかったのかと馬鹿馬鹿しく思う。開店時刻より早く来てしまったのでしばし待つ。やがて店の周りに、日本人女性がぱらぱらと現れた。どの娘もそれなりなおしゃれに身を固めており、はっきり言って僕は場違いである。恥ずかしいので少し離れて待つ。

 ようやく9時半になり店内へ。しかし店員はにこやかに、僕が頼まれていたバッグは売切れだと即答した。どうもここはあなたのようなブ男が来るような所ではありませんよ、と丁重に追い返されたような気がしてならないが、たぶん被害妄想である。

 ピカデリー・サーカスまで歩き、街の風景を写真に収める。次の残務事項はビッグ・ベンをバックにしたユーロスターの走行写真を撮ることである。ウォーター・ルーの隣の駅から撮影できることもちゃんと日本で調べてきた。

チューブ  しかしどうにも時間がない。無い知恵いくら絞ってももう写真を撮るのは不可能である。泣く泣くユーロスターはあきらめてベイカールー線ベイカー・ストリート駅に行き、サークル線のレトロなホームで地下鉄の撮影をする。しかしこちらとてほとんど撮影時間は確保できず、何とも中途半端な結果に終わった。

 ベイカールー線でオックスフォード・サーカス駅、セントラル線でホルボーン駅へと乗り継ぎ、ピカデリー線ラッセル・スクエア駅へ戻る。ホテルの部屋にはもうひさめ氏が戻っていた。その辺を歩き回っていたらしい。はや集合時刻が迫ってきたのでチェックアウト。4晩も過ごすとDランクの部屋にもすっかり慣れてしまった。しかしあんな部屋に定住はしたくない、というのは2人一致した感想である。土産物屋を冷やかしていると迎えのバスがきてしまい、結局何も買えない。まったく中途半端である。

 バスは遅刻者を待ち、ロンドン中のホテルを市内観光よろしく巡回し、さらに渋滞にはまって空港に着いた時には出発まで2時間を切っていた。やたらと早い集合時刻の設定は間違っていなかったことになる。

 チェックインカウンターで窓際を頼むがさすがに埋まっており、後でどうにかこうにか云々と言われる。「何だって?」とひさめ氏。「中で適当に変えろだってさ」「よく分かるなぁ」確かに英語をしゃべる機会は僕の方が多かったように思うが、それは僕の方がでしゃばりだというだけで、語学力の堪能さを示すものではない。事実座席は機内ではなく、搭乗時に手書きで窓際に変更されたのである。

 BA007便。番号はなにやら凄いが特に意味はなさそうである。朝は晴れていたのに外では何時の間にか雨が降り出している。英国の天気は変わりやすい、という俗説を改めて噛み締める。定刻15時45分よりやや遅れたものの、飛行機は水滴を猛然と後方へ流しつつ離陸した。


▼ 9月27日(水) 続きは通勤電車で

 夜行便であったためか、往路ほど退屈さを感じることなく日本が近づいてきた。折角持ってきた「平安鎌倉史紀行」(宮脇俊三 講談社文庫)もとても読破できそうにない。

 飛行機は関東平野上空に差しかかった。ちょうど文庫本は平将門の章である。古につわものたちが駆け抜けた大地を一望しつつ、飛行機はさらに高度を下げ始めた。どうやら定刻の11時30分(グリニッジ標準時同日3時30分)には着陸できそうである。

(終)



∵あとがき(2003年版)

 2000年にロンドンへの6日間ツアー(ほぼ現地フリー)に参加した時の旅行記です。といっても、友人向けに執筆を開始した時にはすでに世紀が変わっていたので(笑)、記憶が曖昧なまま綴ってしまった部分がないとも言えません。

 会社勤めを始めた後初の海外旅行だったのですが、社会人になってもヨーロッパ旅行ができる環境にある、ということが実証されたのは大きな収穫でした。とは言え、6日間という日数はなかなかにハードで、やり残したことが色々あり悔しい思いをした事をよく覚えています。鉄道写真も、"らしい"ショットがほとんど撮れなかったし…。

 もう少し小さい都市、例えばリスボン辺りでのんびりするのならば6日間でもそれなりに楽しめるでしょうね、きっと。この旅行以来欧州はご無沙汰なのですが、そろそろどうでしょう、ひさめさん(と、ご指名してみたり)。


2001.1.14
on line 2003.3.2
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