大韓民国・大混雑


▼第1部 ソウルへ

 旅行地としての韓国は、なかなかに人気がある。何しろ博多港から船に乗れば2時間でプサン(釜山)に着いてしまうし、成田からソウルだって2時間半である。これほどお手軽に海外旅行ができる地は他にない。

 が、旅行先としての韓国ではなく、「韓国人」に対する感情となると、どうもこれが一筋縄ではない。W杯共催を契機にマスコミは韓国を大々的に、そして概ね好意的に取り上げた。韓国に対する感情は過去の経緯からすれば信じられないほどに好転している。しかし、それでも両国民の間にはしっくりと来ない何かが残っている。韓国人をどうしても好きになれない日本人の数は意外に多い。逆もまた然りである。

 なぜ、日韓はいつまでたっても「近くて遠い国」なのか。アタマでいくら考えても分からなかった。ここは現地に飛んでみて、かの国の空気を肌で感じてみるほか無さそうである。


 …と大上段に振りかぶってはみたものの、所詮はただの鉄道ファン。言うまでもなく本心は「韓国の鉄道に乗ってみたい!」の一念でしかない。今回は同行者がおらず、初めての海外一人旅になる。この際、1人参加料金をふんだくられるパックツアーではなく、勝手気ままな個人旅行をしてみようと思う。ソウルだけではなく、地方都市へと足を伸ばすオリジナルな旅をしてみたい。無論列車で。

 そう思って2002年9月19日(金)発・24日(火)帰着の航空券を手配してから、ガイドブックを開いて驚いた。韓国のお盆はチュソク(秋夕)と言うのだが、こともあろうに今年のチュソクは9月20〜22日なのである。僕の日程とドンピシャで重なる。この期間は日本の8月15日前後と同様、帰省ラッシュが発生する。ソウルに滞在するだけの一般のツアーなら、空いてていいやという考え方もある。が、僕は地方への列車に乗りたいのだ。立ちづめではかなわない。

 しかし、暇人な僕でも、それなりに仕事を休めない日というのがある。手帳とにらめっこしても、1日後ろにずらすのが精一杯だった。せめて帰省ピークは避けようとの思惑であるが、焼け石に水だろう。

 まあ良い。大混雑に巻き込まれれば、それはそれとして一つの経験だ。そう開き直って僕は成田空港へと向かった。多難な旅を暗示するかのように、京成特急は浅草線の人身事故で遅れた。


 9月20日(金)、3連休の前日だというのに成田空港第1ターミナルは空いていた。電車は遅れたが大勢に影響なく、首尾よく窓際席を確保する。

 ロビーの千葉興銀でウォンに両替。5万円を差し出し、しばし待つ。奥のブースで、係員が緑色の札束を扇の如く広げて数えている。…ちょっと待て。あれがウォン札なのか?

 差し出されたのは42万ウォン。ウォンの最高額紙幣は1万なので、当然ながら42枚にもなる。話には聞いていたが、問答無用な分厚さである。レートは1ウォン=0.1167円。ゼロをひとつ取れば概ねウォンから円になるので、換算は楽でいい。
UA837便
 空が茜色に染まる頃、スポットにグレーのB747が近づいてきた。18時丁度発のユナイテッド航空(UA)837便である。頻発するソウル行の航空便の中では時刻の悪い方に属するが、その代わり往復3.1万円となかなかに安い。経営危機が言われているUAだが、当日まで潰れなかったのはやれやれである。

 18時09分、飛行機は静かに動き出した。定刻から少々遅れたが、チケットを手配したHISはなぜか18時15分発と案内していたので、それよりは早い。機内は意外にも空いており、7割程度の席しか埋まっていない。数年前に韓国へ行こうとした時には飛行機が取れず断念したのだが、どうやら事情が変わったらしい。成田の並行滑走路完成による増便や、アジア旅行者のトレンドが韓国からベトナムに移りつつあることが要因だろうか。

 離陸してほどなく、顧客満足度のアンケートが配られる。経営危機を何とか乗り越えようとする姿勢は伝わってくるが、英語版しかないので大いに苦労する。機内のインテリアはまあまあ、スタッフはフレンドリー、しかし夕食時に飛ぶ路線であるのに軽食しか出なかったのはいただけない。

 アンケートは英語でもオーディオには日本語プログラムがある(ちなみに韓国語版はない)。どこの航空会社でも、J-POPの音楽プログラムは選考者の好みが強く出ていて興味深い。UAの場合も、東儀秀樹から始まり高橋真理子を2曲続けて終わるという、なかなかに偏った選曲であった。ちなみにUA(ウーア)の曲は入っていなかった。やっぱりそういうオチを狙わないと、ねえ(笑)。

 その音楽プログラムが一回りしないうちに、早くも飛行機はインチョン(仁川)空港への着陸態勢に入る。まだ20時にもなっておらず早着かと喜んだが、着陸した後が長く、ごとごとと走り回ってようやく止まった時には20時半が近かった。

 それでも成田から2時間半である。むしろ自宅から成田までの方が時間がかかっている。時差もないし、今ひとつ韓国に着いたという実感が湧かなかった。しかしその思いは一歩機外に出て吹き飛んだ。通路に立つ警備員の顔つきの厳しいこと!ちょっとでも近づけば殴りかかられそうな危険さえ覚える。日本ではこんなピリピリした警備員にはそうお目にかかれない。確かにここは異国だ。

 入国審査はあっさり通過。税関も問題なく…と思ったら係員に呼び止められる。彼はまず腕時計を手にとり、それから僕の頭からつま先までをしげしげと眺めた後、行っていいとの仕草をした。どうも良くわからない。課税対象品でも持っているように見えたのだろうか。とても金持ちとは思えない風貌と自覚しているのだが。

 到着ロビーは閑散としていた。案内板を眺めていると"TAXI?"と声をかけてくる男がいたが、それとて一度きりだった。TVの前には韓国人が何人か腰掛けていたが、21時前になりドラマが終わるとそこも誰もいなくなった。ミニストップに入り、明日の朝食用に菓子パンとポカリスウェットを買う。行動パターンが日本にいる時と変わらない。

 ツアーではないから、ホテルまでは自力でたどり着かねばならない。インチョン空港には鉄道は通じておらず、ソウル市内へのアクセスはバスに頼るほかない。運賃は6000ウォン。1時間も乗る事を思えばまぁ安いのだろう。切符売場のおっさんに英語で乗り場を教えてもらい、デウーの大型バスに乗り込む。念のため運転手に"YMCA hotel,ガヨ(行く)?"と尋ねると、チョンロなんとかで降りろという。果たしてそのチョンロなんとか(鍾路2街)でちゃんと降りられるかどうか不安だ。

 発車すると韓国語と、聞き取りづらい(本人の能力の問題)英語で案内放送があり、それから交響曲が流れだした。車内は既に深夜バスの気配が漂っていたのに、ファンファーレが鳴り響く。連絡橋を渡って朝鮮半島本土へ上陸し、高速道路の本線と合流すると交通量が激増した。バスは隙間を見つけては車線変更を繰り返す。

 すでに22時、沿道風景はさっぱり分からない。どこをどう走ったかも見当がつかぬまま、道はやがて巨大な水路に沿う。ハンガン(漢江)だろうか。川をまたぐ道路橋はどれもライトアップされている。どの橋も一様に美しい。

 やがてバスは一般道へと降りた。交差点に接して地下鉄の駅がある。駅番号(韓国の地下鉄駅には番号が振ってある)をガイドブックと照らし合わせると、2・6号線のハッチョン(合弁)駅と判明する。ハンガン沿岸を離れ、西側のシンチョン(新村)地区で客を降ろしながらソウル中心部へと入るらしい。鉄道さえ通じていれば、かように方向が掴める。

 ところが、シンチョンの先で立体交差を分岐したあたりから、地図を見てもどこをどう走っているのか分からなくなった。まごついているうちに案内放送が"…YMCA…"と告げているのが聞こえ、降車ボタンを押す。ホテル名が英語で助かった。

 降ろされた場所は、YMCAホテルから1ブロック離れていた。路傍の街路地図を頼りにホテルを目指す。オフィスビルが立ち並んでいるが、チュソク(お盆)のためだろうか、人影はない。ホテルに近づくにつれ商業地区となり、ようやく若者がたむろしているのを見かける。

 前評判どおりホテルは老朽化が激しかったが、清掃が行き届いており居心地は悪くない。館内では日本語が通じた。ガードマンでさえ、フロントの場所が分からずまごつく僕に「6階」と教えてくれた。TVを付ければいきなり日本語が流れてきて驚いた。NHK-BSが見られるのである。

 チャンネルを回して、韓国の音楽番組を見てみる。言葉は分からないがステージの演出方法は日本と全く変わらず、なんだか外国にいる気がちっともしなかった。自宅でごろ寝でもしているような気分だった。


(つづく)

2002.10.14
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