北海道東・大誤算



 大抵の鉄道マニアは、紀行作家・宮脇俊三氏のファンである。僕もその1人である。

 ファンをやっていると、何かと氏の行動様式を真似たがる。日が暮れてから乗りつぶしをするのは邪道、冬の味覚と言えば松葉ガニ、鶴見線こそローカル線の中のローカル線、と固く信じるようになってくる。

 そんな"宮脇パターン"の一つに、「冬こそ北海道」というのがある。雪と氷、とりわけ流氷に閉ざされる冬の北海道には超然とした美しさと厳しさがある。冬を知らずに北海道を語るのはまかりならん、という発想である。

 かく言う僕も北海道は4度行ったが、いずれも晩夏〜秋に集中している。ここは一つ氏の教えに従い、厳しい寒さに浸りながら流氷を眺めることにしよう。

***

 2002年2月8日(金)、会社を後半休にして羽田空港へ向かう。本当は定時まで働いてから意気揚揚と旅立つつもりであった(これもまた宮脇氏が愛用したパターンだ)が、遅い時間の飛行機が取れなかったのでやむを得ない。僕は流氷が眺められればそれでいいのだが、不運な事に雪まつりの開催とかちあってしまい、札幌便は混雑を極めている。

 そうでなくても連休前日であり、羽田空港は雑踏していた。手荷物検査も長蛇の列である。と言っても、とりわけ検査が厳しいわけではなく、搭乗者の名前を確認する程度で、はたしてこれでテロ対策といえるのかどうかは定かでない。

 今回はJASを利用する。ANA・JALに比べ席がとりやすかった事もさることながら、曜日配列の良さにもかかわらず往復38000円で済む点が大きい。ちなみに道営航空ことエア・ドゥは片道で27000円もしており、まったく旗色が悪い。「手荷物検査場の混雑により…」とお詫びの放送があり、5分遅れの17時05分に機は動き出した。

 機材は初体験のレインボー777機。シート毎にTV画面が付いているのが目新しい。飛行機に乗るたびに愛聴するJ-POPのチャンネルも当然画像付きである(画像なしのメニューもあり)。選曲は玉石混交の感があったが、鬼束ちひろ「流星群」は凄かった。1番のサビに入る瞬間、身の毛が逆立つような感覚を覚える。これ、映画とかゲームのクライマックスに持ってこられたら泣くなあ。

 定刻(18時30分)よりやや遅れて千歳空港着。当然だが暖房がかかっているから寒さは実感できない。あれだけ混んでいた羽田が嘘のように、ロビーは閑散としている。

 地下駅の窓口で「まるごと道東フリーきっぷ」を購入、19800円也。窓口氏はもっと安い切符がある事を親切に教えてくれたが、「流氷・湿原パスポート」(16800円)は周遊区間が微妙に異なり適さない。それにしても飛行機も、そして場合によってはユースホステル(YH)でさえネットで予約できるこの時代に、このフリーきっぷが道内でしか買えないのは如何なものかと思う。

 新千歳空港19時03分発の快速「エアポート191号」 小樽行は混んでおり、最後部のデッキに立つ。地上に出て南千歳を過ぎると、並行道路のロードサイド店舗群を見下ろしながら高架線に上がる。地方色の薄い、居酒屋チェーン等の立て看板の中に、「ようこそ雪印のふるさと 北海道へ」と書かれた照明つきの大ボードがある。今となってはそんな会社に北海道の代表みたいな顔をされても困るが、それが実態だったのであろう。

 降り出した雪が、駅構内のオレンジ色の明かりに静かに照らされている。いつしか某ゲームの「赤い雪…」の一節を連想し、「約束」が頭の中でかかりだす。

 札幌まで乗り通さずに19時30分着の新札幌で下車。屋根の切れたホームに、雪がしんしんと降り注いでいた。暖房のかかった電車に30分も揺られたせいだろうか。寒さよりもまず、僕はその光景をただ美しいと思った。

 その時確かに僕は耳にした。「Last regrets」のイントロが流れ出すのを。 たとえそれが幻聴であったとしても。

 市営地下鉄東西線の車内は空いていた。ぱらぱらと座る乗客の格好は、首都圏と大差がない。今回の旅行のためにわざわざ毛糸の帽子を買ったが、そんなものをかぶっている人は1人もいない。しかし靴には皆注意を払っているようで、正面に座っている女子高生はルーズソックス並に膨れ上がった暖かそうなブーツを履いている。きっと彼女のナマ足が太いのも、冬ごもりに備える生活の知恵なんだろう(失礼)。

 大通で南北線に乗り換え、すすき野で下車する。札幌に来るたびに同じ場所(ラーメン横丁)でラーメンを食すのは芸がないので、反対側の狸小路へ。しかし目をつけていたラーメン屋は見つからなかった。そもそも入居しているはずのビル自体が閉鎖されていた。まぁ、事前に調べたガイドブックが95年版では止むを得ない。少し先にあった店に入るが、さしたる味ではなかった。
雪まつり
 今宵は23時の夜行列車に乗る事にしている。目が覚めたら道東の大地、という演出もまた宮脇氏好みのものである。まだ21時前で時間があるので、雪まつり会場の大通公園に向かう。不幸にしてかちあった、と思っているが、札幌まで来たからにはやはり見に行く。

 狸小路から北上し、大通に出る。ちょうど「千と千尋の神隠し」の大雪像の前であったが、細部は無残に溶けかかっている。ここ数日北海道は異例の暖冬で、雪まつりも大変なことになっている。ラーメンで温まった体も冷えることなく、寒さは感じない。0℃を超えているのではないだろうか。

 会場を1丁目までくまなく歩き、なおも時間が余ったので地下鉄東豊線の栄町までを乗りつぶす。飲み会帰りの客で雑踏するJR札幌駅ホームの光景は首都圏と何ら変わらないが、やはり寒く紅茶缶で一憩する。

 やがて釧路行夜行特急「まりも」が入線してくる。雪よけの屋根がかかる駅構内に、ディーゼルのエンジン音が響き渡る。座席車は気動車、寝台車は客車という珍編成で、僕は寝台車を奮発したが、塗装は剥げ落ち、内外装とも激しく老朽化している。それでも満席である。東海道筋の夜行の惨状を知っている身からすれば信じがたい。

 23時丁度、「まりも」は定刻通り札幌を発車した。 南千歳まで先程たどった線路を戻り、ここから石勝線に入る。この先終着釧路までの304.5kmは全くの未乗区間であり、夜行で通過してしまうのは甚だ遺憾である。夜行でしか通過した事のない区間は小牛田古川(陸羽東線)、西小倉博多(鹿児島本線)等いくつかあるが、これまで最長だった伯備線全線(141.4km)の倍以上の区間が発生してしまった。

 それにしても暑い。一般に北海道では外が寒い分暖房が強いと聞いてはいたが、あまりにも暑い。暖冬にもかかわらず、厳冬期の温度設定のままにしてあるに違いない。おかげで殆ど眠れなかったのは言うまでもない。

***

 2月9日(土)5時50分、釧路着。夜明けが早い道東でもさすがにまだ真っ暗である。2・3番線では5時55分発快速「はなさき」根室行と5時59分発普通列車網走行がエンジンを震わせている。双方とも国鉄末期に製造されたステンレス製気動車キハ54のワンマン単行列車で、兄弟のごとく良く似ている。しかし 根室行と網走行だから乗り間違えれば大変な事になる。

 「はなさき」は定刻通り発車し、釧路川を渡る。車内は特急車からお下がりのシート、つまり定員が少ないからほぼ満席である。しかし時間的にもスジ的にも「まりも」の延長のようなものであるから、いたって静かである。かく言う僕もまずは寝る。数時間後に同じ線路を戻ってくるのだから、無理に車窓を眺める事もない。

 うつらうつらするうちに列車は太平洋岸に出た。続いて集落が現れるが人気はなく、ただ鳥が舞うのみである。厚岸で交換待ちの停車。乗客はぱらぱらとホームに降りて写真を撮ったりしている。どうやら皆根室までの観光客のようである。真っ赤な太陽が昇りだした。

 6時47分厚岸発。朝日に照らされた海面に氷片が浮かびだし、やがて真っ白に結氷した。海と繋がった厚岸湖であることは後で気がついたが、その凛とした光景に、北国へ来た実感が込み上げる。

 意識定まらぬまま根釧原野を眺めるうちに日は高く上り、列車は市街地へと入る。前方にホーム片面の小さな駅が見えてきた。8時12分、根室着。

 異常高温は続いているようで、やはり寒さはさほどではない。積雪も大した事はない。しかし氷は要注意だ。いったん溶けだしたところが再凍結して、滑りやすい。

 ところで朝食がまだである。釧路では乗り継ぎ時間が短かったし、途中駅でもキオスクなんてなかった。根室にはさすがに売店があったが、菓子パンの類がほんの少し置いてあるだけだ。納沙布まで行けば観光客相手のレストランか何かあるだろうから、それまで我慢する。

 8時20分発の納沙布岬行根室交通バスには、「太平洋回り」という注記が掲げられている。オホーツク海との間に突き出した根室半島の、両岸を通る系統があるためだが、それにしても「太平洋回り」とは豪快である。

 根室市街は意外と建てこんでいて、100円ショップダイソーまである。 それにしても北方領土返還を求める看板が多い。「返せ!」とか表現も直接的で、4島返還がない限りはロシアとは一切交流しないぞ、と取れるほどの意気込みである。

 バスはいくつもの丘を上り下りする。市街地を出れば一面の草原が、うっすらと雪化粧をしている。木は殆どない。思い出したように集落と、「返せ!」の看板が現れる。遠く近くに海が臨まれる。太平洋側だから流氷はなく、暖かな日差しにきらめき春のようである。
納沙布岬
 前方に巨大なタワーがそびえ立っている。周囲の景観から明らかに浮いており、あそこが岬だと分かるがなかなか近づかない。ようやく道は左へとカーブし(つまりそこから先は何もないから)、 納沙布岬のバス停に到着する。8時55分。羽田空港から16時間、飛行機・列車・バスと乗り継いでとうとう最果てまでやって来た。

 バスから降りたのは7人。みな10〜20代男性で1人旅が殆どのようだ。岬は男の浪漫なのだろうか。 金を取るタワーには目もくれず、まっすぐに岬の先端を目指すのも漢気である。

 拳のように海に向かって突き出した岬の上に、ぱらぱらと土産物屋が立っている。皆「花咲がに」の看板を出しているが、それはまあいい。軽めの食事くらいは何か用意してあるものである。問題は、建ち並ぶ土産物屋が1軒も開いていない、ということである。そりゃあ観光客が7人しかいないのでは商売にならないだろう。朝食は…根室に戻ったらパン買うか。

 海を見下ろす突端に「納沙布岬」の標柱が立っている。無論「返せ北方領土」の文字もちゃんと彫りこまれている。お互いに写真を取り合う観光客一同。皆デジタルカメラである。35mmフィルムの終焉は、案外すぐそこまで来ているのかもしれない。

 それにしても海は穏やかで、冬の厳しさは微塵も感じられない。北方領土の島影も春のごとく霞んで定かではなかった。いつの間にか土産物屋が一軒開いていたので、とりあえずポッキーを買って帰りのバス車中でぽりぽり食す。

 10時20分根室着。昨夜の札幌発以来、各駅での接続は異様なまでに良かったが、ここで45分の待ち時間が生じる。そこで一計を案じ(たのは出発前だが)、タクシーに乗る。それにしてもタクシーに乗ると、にわかに世間話をしたくなるのはどうしたことだろう。

「寒くない、ですよね。プラスいってるんじゃないですか。」

「そうですねぇ、5〜6℃位ですかねぇ。異常ですよ。」

「普段はこんなもんじゃあないんですよね?」

「そりゃそうです。今時分ならマイナス10℃か15℃か…流氷だって行っちゃったしね」

「え、根室も流氷来るんですか?」

「来ますよー。でも今年は1月下旬には去っちゃいましたねぇ」

 車は根室本線の線路とからむように市街地をくねくねと進み、宅地の切れ目の狭い空き地で止まった。

「ここが東根室。最東端の駅」

 やはり根室まで来た以上、この駅に降り立たないわけには行かない。

 板張りのホームに立つ。周囲は人家が多く、最南端駅の西大山よりはよっぽど拓けているが、駅自体の質素さは例を見ない。北海道だというのに待合室もない。ちょうど丘の淵に面しており、吹き付ける風が冷たい。

 親切な事に運転手は、バス停の存在を教えてくれた。しかしまもなく根室行の普通列車がやってくる。これが折り返して、釧路へと戻る快速になる(東根室は普通列車のみ停車)。我ながら完璧なスケジュールである。このプランが出来たからこそ根室までやって来たと言っても過言ではない。

 10時33分、キハ54単行が定刻通りやって来て、根室10時36分着。駅前をうろうろしてスーパーを見つけ、朝食兼昼食にかにめしとザンギを購入。後者は初めて聞いた名前だが、食べてみれば外見通りの鶏のから揚げであった。

 11時05分発快速「はなさき」釧路行はほぼ満席。観光客やちょっとした旅行に出かけるような人で賑わっており、ローカル線の定番、病院帰りのお年寄りはむしろ目立たない。鈍行よりは特急に近い客層だ。根釧間は上下通じてこの快速が最速列車で、所要は2時間02分。根室も釧路も似たり寄ったりだとつい考えてしまうが、実は東京沼津よりも離れている。

 胃が満たされるや眠くなり、帰路もしっかり寝る。車窓は帰りに見ればいいやと往路も寝ていたのだから呆れるほかないが、眠いものはしょうがない。それでも後ろの席の子供が景色のいい地点に差し掛かるたびに大声を挙げるので、多少は堪能できたつもりではある。釧路の手前にちょっとした峠越えがあるのにも往きは気がつかなかった。

 13時07分釧路着。待ち時間があるので街に出る。釧路といえば今話題のあの人の地盤である。事務所はともかく、ポスターの1枚くらいはないものかときょろきょろしていると、凍結した路面に足を取られ派手に転ぶ。 ムネオ氏の呪いだろうか(結局見つからず)。

 駅に程近い和商市場へ。2時間前にカニを食べたばかりなのに海鮮丼に手を出す。ご飯を買ってから、あちこちのお店を回って具を載せていくやり方が人気を呼んでいるらしいが、見たところ中にいるのは観光客ばかりのように思われた。

 13時50分発の釧網本線普通列車摩周行に乗る。都市近郊の平平凡凡としたところをしばらく走ると、突如として人家が消えて14時11分釧路湿原着。その名の通り湿原の一角に設置された、観光客向けの駅である。

 駅に程近い踏切で上り「SL冬の湿原号」を撮影し、凍結した坂道を登って細岡展望台へたどり着く。ここからの光景は圧巻の一言に尽きる。見渡す限り人跡未踏の大地である。展望台を訪れる人も殆どなく、しばし絶景を1人占めする。

 16時05分発の普通列車網走行は混んでいて、運転席後ろに立つ。潅木が茶色く枯れた原野の中を、か細いレールが延びていく。と、はるか前方の線路敷に鹿が飛び出した。運転手は大きく警笛を鳴らし、常用最大ブレーキをかける。しかし鹿は動じる事がない。それどころかさらに1頭が現れ、列車が接触しそうなほどに近づいてからようやくのそりと道を開けた。珍しい事とこちらは思わずカメラを取り出したが、同じような事が以後2度3度と立て続けに起こる。そのたびに急ブレーキがかかり、最徐行や一旦停止を繰り返す。これは運転士が大変だ。一瞬足りとも気が抜けず、後ろでかぶりつく方もはらはらする。

 16時24分、茅沼に差し掛かる。丹頂鶴が現れる駅として有名だが、えてして実際に行ってみると何もなかったりする。期待せずに窓外に目を凝らすと2羽3羽と線路際に姿が認められた。ここで席が空き、座るやたちまち眠気を催す。沿線屈指の観光地・摩周川湯温泉もうつらうつらと過ぎ、いつしか日はとっぷりと暮れた。峠越えのエンジン音が高らかにこだましている。

 今宵の宿泊地、清里町には定刻17時49分より5分ほど遅れて到着。清里イーハトーヴYHの迎えの車に乗る。同じ列車から降りてきたホステラーが2人ほどいて、「運転士が手洗いに行って到着が遅れた」とか話している。爆睡している間にそういう楽しいイベントもあったらしい。

 車は町を出ると、轟然と坂を登り始める。前方の闇の中に、丘の斜面が屏風のような姿で浮かび上がっている。道はアイスバーン化しているのに、アクセルベタ踏みで80km/h近く出すから結構怖い。

 北海道のYHは概してレベルが高い。ここは食事非提供だが、代わりに地元の名店や温泉会館へと車を出してくれる。オリジナルのイベントも豊富で、明日は熱気球フライトを実施するという。僕自身もフライトがあるのを知っていてこのYHへとやって来た。しかし、明日は12時26分発の列車に乗らなくてはならない。お昼過ぎの発なら参加できるだろうと見込んでいたのだが、どうやら考えが甘かったようだ。帰りの飛行機を 女満別発に変更するとか色々考えたが、結局熱気球はあきらめる。

 しからば明日は思う存分流氷を堪能、という手はずとなるのだが、同宿者の情報によれば、なんとまぁ 暖冬で流氷は既に離岸してしまったという。それでははるばる冬の道東へ来た意味がない。誤算どころの話ではない。

羅臼はまだ接岸してますね」

 知床半島まで足を伸ばす時間はもちろんない。

***

 2月10日(日)。空は薄曇りだが、熱気球フライト一行は朝早くから嬉々としてYHを出て行った。閑散とした食堂から、頂を雲に隠した斜里岳を寂しく眺める。

 8時に送迎車でYHを後にする。町は白く凍てついている。交差点の温度計が、マイナス12度との表示を出している。ようやく冬らしい寒さが戻ってきたようだ。

「でもこっちに住んでいる人にとっては、暖かい方がありがたいですよねぇ。」

「うーん、一日中ほとんどYHの建物の中にいるから、実感湧かないんですよ。」

 そういうものらしい。

 釧網本線清里町駅は無人駅だが、誰が管理しているのかストーブに火が入っていた。しばし暖を取り、跨線橋を渡る。雪のうっすら積もったホームに立ち、入線する列車を撮るべくカメラを構える。到着時刻が迫っても誰も現れない。はて、と振り返ると、他の乗客は皆風を避けて跨線橋に固まっていた。しかしそれほどの寒さとは僕には感じられない。スキー場のてっぺんと大差ない感じだ。この程度で「しばれる」なのかと思う。

 8時18分発普通列車網走行は、釧路を早朝5時59分に出てきた長距離鈍行である。昨日の朝釧路で見たときはキハ54単行だったが、今日はこの辺りでは珍しい国鉄型のキハ40と54の2両編成となっている。しかし2両目は締め切り。どうも北海道の列車には空車回送が多い。満席だった「まりも」なんて、空車に人を入れるだけで収入増になったろうに勿体無い。

 8時31分、知床斜里に到着。駅の手前に「祝・農林水産大臣就任 武部勤先生」と横断幕を発見。北海道の政治家はこんなのばっかりか。

 羅臼行のバスがないことを確認し、8時55分発「流氷ノロッコ2号」 網走行に乗り込む。見えないと分かっていてもやはり一応目指すは流氷である。ノロッコ号は観光客向けのトロッコ列車で、指定席車両はJTBのツアー客が占領している。自由席の乗車率は50%強で、どうやらこちらの方が居心地がよさそうだ。

 トロッコ列車(とは言っても吹きっさらしではない。寒いから)はゆっくりと知床斜里を後にし、鉄橋を渡る。海面に氷片が浮かんでいるのがちらりと見え、どうやら昨日の納沙布岬よりは冬らしい景観の模様。

 やがて列車はオホーツク海岸に出た。どんよりと曇った空の下、灰色の海にぽつりぽつりと氷片が浮かんでいる。まぎれもなく流氷ではある。これがあのバイカル湖を源とするアムール川から流れてきたことを思えば感慨も湧くが、やはり今ひとつ物足りない。案内テープが「1月末から2月には完全に海が凍りつきます」と言っている。どこがやねん。

 しかし続いてマイクを取った車掌は「昨晩の風で大分吹き戻されたようです」と語った。これでも昨日に比べれば多少は「らしい」光景のようだ。

 列車は砂丘の上をゆっくりと走る。並行する国道は丘の山側、斜面の下を通っているから、鉄道だけが海の眺めを独占しており気分が良い。
北浜駅にて
 9時35分頃、北浜に到着。オホーツク海を一望できる事で全国的な知名度を誇るローカル駅である。駅舎内の喫茶店でコーヒーを飲みながら流氷を眺める、というのが通、もといミーハーな行動パターンである。しかしこの日、 喫茶店は臨時休業。ほとほと恵まれていない。

 トロッコ列車はここで10分ほど止まる。乗客は皆外に出て、鉄骨作りの展望台に上ったり線路をまたいで海岸へ下りる。やがて発車予告の汽笛が響いても、僕の他何人かはこの駅に留まった。

 海岸から何メートルかは、流氷が岸へとへばりつき、陸地と一体化している。しかしその先には海面が覗き、ぎしぎしと音を立てながら氷辺が揺らめいている。それは一面に流氷が広がる本来の冬の厳しさではなく、どこか春の訪れさえ思わせるあたたかな光景であった。天気も好転し、ぽかぽかしてきた。

 折り返し列車で一駅浜小清水へ戻り、もう1度海をぼおっと眺める。駅へ戻ると何やら騒々しい。どうやら団体客ご一行が列車に乗るようだ。しかし案の定、やって来た11時42分発快速「しれとこ」 網走行はキハ54単行である。乗降に大いに時間がかかった上に超満員、こうなると誰も車外の流氷など見てはいない。

 喧騒は次の北浜までだったが、数分の遅れはそのまま持ち越して網走着。接続が5分しかなく少々あせったが、無事12時09分発石北本線普通列車遠軽行には間に合った。こんどは2両ともきちんと営業運転しているが空いている。斜め前のボックス席の網棚に、大きなカニの箱が載っている。

 網走湖が真っ白に結氷しているのを眺めたりしながらうとうとしていると、線路は高架に上がった。中々大きな街だなと思っていると地平に下って13時15分北見着。ちなみにこの先で石北本線は市街地の下へ潜って"地下鉄"になる。観光資源に乏しいため知名度は低いが、実はこの北見こそが道東最大の都市である。

 駅前広場は完全に凍結していて、何度か足をとられそうになる。気温もオホーツク沿岸より低いようだ。目指したのは駅前の東急百貨店だが、予想と裏腹に本屋がなく、またそろりそろりと駅へ戻って観光案内所の扉を開け、昨日YHの同室者から聞いた回転寿司の名店の場所を尋ねる。しかし店は駅から少々離れている事が判明、またしても、ああまたしても時間がないのであった。

 北見で降りた目的はもう1つ、CDショップを訪ねることである。これは駅近くにすぐ見つかった。しかし品揃えは首都圏と何ら変わる事はなく、北見出身のあのバンドはフューチャーされているどころかCD1枚すら置いていないのであった。 もう過去のアーティストとされてしまったのだろうか、Whiteberry。

 駅弁を片手に14時20分発特急「オホーツク6号」札幌行に乗り込む。札幌までは4時間23分もかかるから改めて北海道の大きさが実感されるが、これは「オホーツク」が旧型車両であるという要素も大きい。函館へも釧路へも、そして稚内へさえ新型車両が投入された北海道の特急群の中で、北見網走方面だけがいまだ全車両国鉄時代のものを使っている。座席のリクライニングもしっかり固定せず落ち着かない。

 雪原の中を走り、遠軽に15時14分着。宮脇氏も言っている事だが、遠軽、実に響きの良い町である。ついでにうちの会社のお偉いさんの故郷だったりもする。そのせいかは知らないが、町並みにはことさら旅情が感じられる。しかしもちろん降りる時間はない。

 15時52分白滝発。すぐに廃屋のような上白滝駅舎をかすめる。ここから隣駅上川までは44kmもある。小田急ならば 新宿厚木間32駅に相当する。

 列車はにわかに登りにかかり、人家は途絶え、空まで暗くなってきた。エンジンは轟然とうなり、列車風によって舞い上がった雪で車外は真っ白になった。やがて舞い落ちる雪がその中に混ざり、吹雪の中を突き進むような壮絶な様相となってきた。

 ああ、これが冬の北海道だ、と僕は思った。これこそが旅なのだと。しかし僕は札幌行特急の車中にあり、あとは千歳空港に直行し、鬼束ちひろを聴きながらJASで東京へ戻るしか選択肢はないのであった。


(終)
2002.1.20
on line 2002.9.1
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