木曽路・伊那路・大鈍行


 2001年ゴールデンウィークの旅行案はすっかり暗礁に乗り上げてしまった。

 最初は5月に北海道へ行くつもりだったのである。春まだ浅い根室へ飛び、襟裳の何もない春を経て、日高は静内の二十間道路で満開の桜を愛でる、という北国の春を満喫するプランも出来ていたのである。ところがどっこい、静内町観光課に電話すると、役場のおっさんは日曜の昼休みだったにもかかわらず親切に「桜はGW中はまだだろうなぁ」と教えてくれちゃたのだ。静内の桜が駄目なら、このプランはおじゃんになったも同然である。

 他にとり立てて行きたい所も見つからず、途方に暮れていたまさにその夜、ひさめ氏のホームページに懐かしい旅行記が掲載された。「飯田線のバラード」。1997年に僕と2人で出かけた飯田線乗車記であり、僕にとってはこれに触発されて紀行文に手を染めたメモリアルな文章である。そうだ、飯田線があったじゃないか。即断なのかただ流されただけなのか、ともあれ今度の旅行は中央西線の初乗車と2度目の飯田線と決まった。もうちょっとまともな言い方をすれば木曾谷と伊那谷を巡る旅である。

 4月28日(土)の夜が明けた。ムーンライトながらの下り列車に乗るのはこれが3度目だが、毎度の事ながら眠れなかった。そして何故か、豊橋を出て各駅停車に変じてから必ず眠くなる。どうも「朝の通勤電車」なら眠れる体質らしい。

 6時02分着の金山で降りる。名古屋と言えばきしめん・味噌カツの食の都だと僕は思っているが、ホームのスタンドは閉まっており、駅前に出てもミスドしか営業していない。名古屋まで行けば開いているスタンドがあることは知っているのだが、接続を考えると金山で降りざるをえなかった。結局何も食べずに、6時22分発中央西線普通列車中津川行に乗り込む。関西本線用の211系2扉車とローカル区間用の313系ボックスシート車の併結という、なんとも雑多な編成である。

 うとうとしているうちに名古屋市内を抜け、多治見に到着する。多治見と言えば思い出すのは、5年前の夏。太多線を撮影してから駅前のロッテリアに入ったところ、店内がものの見事に女子高生で埋め尽くされていて、唖然としたのである。それがどうしたと言われてもそれだけなのだが、おかげで僕の中で多治見という街の名は燦然と輝いているのである。

 それはともかく、中央本線はここ多治見から辰野までが未乗区間となっている。その距離156.8km、本州では山田線(岩手県)に次いで第2位の長大区間である。従ってここで改めて襟でも正さねばならないところなのだが、どうにも眠い。駅前広場をちらっと眺めて再び寝に入る。

 薄目で眺める車窓はすっかり鄙びてきた。旧家の面した街道に石灯籠が立っている。ああ、旅をしているなぁ、とそこで初めて感慨に浸る。やがて行く手に人家の固まった盆地が現れて、7時33分中津川着。駅ソバでもあればと思ったが何もなく、サンドイッチとなぜか岐阜県まで来て静岡茶を買い込む。

 7時41分発普通列車松本行は2両編成で、車内はハイキングの装いの中年女性を中心にほぼ満席である。中津川から先の普通列車は極端に少なく、今乗っている列車を逃すと次は2時間後のホリデー快速、定期列車に至っては10時16分までない。そういう貴重な鈍行にムーンライトから絶妙の接続が取られているのだから、良く出来たダイヤではある。

 2つ目くらいの駅で高校生が盛大に乗り込む。今日は第4土曜のはずだが部活だろうか。それにしてもこの高校生、「田舎の純朴な子供たち」という図式そのままの風貌である。茶髪が1人もいないのはさすがに不自然だから、校則が厳しいとかそれなりな苦労はあるのだろうが、それにしても彼らを渋谷にでも連れて行ったらどうなってしまうのだろう、と心配しなくていい心配をする。もっとも僕自身偉そうな事を言える立場ではない。センター街が駅のどっち側にあるのかいまだに分かっていないのだ。

 南木曽で高校生が降りると、線路は中山道に沿う。時折現れる集落にも、それとなく旧街道のたたずまいが感じられる。名勝(にうまい物なし)寝覚ノ床をちらりと眺めて、そんな宿場町の一つ上松で下車。まだ8時45分である。

 上松に降りた理由はただ一つ、赤沢自然休養林で保存運転されている森林鉄道に乗る為である。駅前の観光案内所でバスの切符を買う。カウンターのおばちゃんは「今日のが第1便だからね」と嬉しそうにバス会社に電話を掛け、バスがちゃんと駅に向かっているのをわざわざ確認した。それからパンフレットを次々と僕に渡して、バスが赤沢に着いたら真っ直ぐにイベント広場を目指すと良い、多分まだオープニングコンサートは終わってないはずだから、と教えてくれた。赤沢自然休養林は、GWの始まる今日が今年のオープン日である。

 そういうわけで本年第1便の9時25分発赤沢行のバスに乗り込む。おばちゃんは気合が入っていたが、残念ながら客は2人しかいない。バスは沢に沿って登り、道は途中から驚異的に狭まっていく。水がエメラルドグリーンに染まってきた。

 前方やや開けたところにレストハウスが見えてきた。そこが終点の赤沢で、駐車場の片隅にバスは止まった。時刻は9時55分。公共交通第1便で間に合わないのなら誰の為のイベントか、との念が去来するがともあれ開園式会場に向かう。ところが幸か不幸か進行が遅れたらしく、「上松美香アルパコンサート」はちょうど始まらんとするところであった。

 入口でもらったパンフによると、アルパとは別名インディアンハープと呼ばれる南米系の楽器で、実際普通のハープよりだいぶ野性的な音色をしている。奏者の上松美香さんはこの業界では著名な人らしく、パンフには13歳で弾きはじめたとか何とかコンクールで優勝したとか、要するに彼女が天才少女である旨が誇らしげに書いてある。

 木曾ヒノキに囲まれたステージで聴くアルパ、実に良い。川のせせらぎが一緒に耳に入るのが尚良い。実際のところは、彼女の苗字と町の名前が同一であると言う理由だけで毎年招かれているらしいが、まあそれはいい。観客のほとんどが町関係者をはじめとした身内じゃないか、とか何で木曾の森の中でタイタニックのテーマなんじゃい、とかツッコミたい事はあったがそれも我慢しよう。しかし、上松美香さん本人のアニメ的な声にはやはり驚かずにはいられなかった。

森林鉄道  さて、肝心の森林鉄道であるが、これは土休日のみながら30分ヘッドの高密度運転となっている。かつて木材切り出しの為に木曾山中を縦横に走っていた軽便軌道を復活させたもので、自然休養林内を往復2.2km、25分かけて行ったり来たりしている。小さなディーゼル機関車がトロッコ5両を引く編成で、アルパから一転して家族連れが多い。他に鉄道マニアはいないものかと周囲を見渡すと、線路際にカメラ小僧発見。その風貌はあからさまに浮いているが、お互い様である

 タータラッター・タララ〜とインディー・ジョーンズのテーマでも流れてきそうな木造りの橋を渡り、木立に囲まれた折返し場に到着。機関車をつなぎ直す間、乗客は川面に下りたりして思い思いの時を過ごす。まだ木陰に雪が残っているが、日差しは柔らかに降りそそいでいる。標高1000m、木曾の春はようやく始まったところなのだ。

 何人かの客が次の列車まで付近を散策したいと言い出し、復路は歩こうとする人も現れた。僕もそうしたいところなのだが、折り返しの列車に乗らないと後の行程がガタガタになる。アルパを堪能して時間がおした為だが、いつもながらタイトなスケージュールである。

 11時55分に公園入口まで戻ってきて、昼食もとらず12時05分発のバスで赤沢を後にする。なんとピカピカのワンステップ車だが、客は僕1人である。

 上松12時35分着。50分発の普通列車でまどろむうちに13時20分、奈良井着。馬籠・妻籠に次いで著名な宿場町である。次の(と言っても2時間半後だが)列車まで散策してみようと小さな駅舎を出て、何はともあれまずは隣の蕎麦屋に入る。

 手打ちのざるを賞味していると、向かいの椅子におじさんが座った。東京からバイクで気ままに九州を目指している途中で、奈良井宿には絵を寄贈した喫茶店があるなど何かと縁があるらしい。「後で寄ってよ」と一緒に店を出て、旧家の並ぶ街道筋をバイクで駆けていった。…か、かっこいい…(うんうん)。

奈良井にて  奈良井は木曽川と信濃川水系の分水嶺のお膝元で、「奈良井千軒」と謳われた大きな宿場町である。旧道沿いに復元された木造家屋が見事なまでに連なっている。が、いかにもな渋さがいけないのかGWなのに空いている。僕にとってはありがたいが。一軒の旧家の前であのおじさんがこっちを見ている。そこが件の喫茶店で、雰囲気の良さそうな店なので一回りしたら寄る事にする。

 しかし、一往復して裏手の公園で小休止した頃にはもう列車の時間が迫ってきた。それほどに奈良井は大きい、と言いたいがやはり小さな集落だからまたおじさんに会う。時間がないのを詫びてから駅に戻り、満開のソメイヨシノとこいのぼりを眺めて15時51分発の松本行に乗る。

 16時17分塩尻着。今日の宿は飯田線の伊那市に近い(はずだったが、徒歩10分もかかった)ビジネスホテルである。とすれば接続は42分発の快速みすず岡谷経由飯田行だがこれには乗らない。中央本線旧線区間、いわゆる大八回りのうち塩尻辰野が未乗の為である。この区間を走る列車は17時16分までないので街に出る。

 塩尻は列車運転上の都合から昭和50年代(多分)に駅を移転している。そのせいか駅前には見事に何もない。コンビニもファーストフードも本当に何もない。ど田舎ならともかく、ある程度の規模の街の中心駅でこれほどまでに何もない駅を僕は他に知らない。

 怠惰な1時間が過ぎて辰野行に乗る。大糸線からの直通で、車両はJR東日本E127系(701系直流版)である。最近投入されたばかりで綺麗だし、東北とちがってクロスシートも設けられているが、今日1日JR東海313系に揺られてきた身からするとやはり安っぽい車両だ。

 17時36分辰野着。飯田線の発車まで30分あるので隣の宮木まで歩く。時間が余ると隣まで歩いて下車駅を増殖する、なんていう行動はもうどっぷりとタネムラ先生的である。

 18時07分発の普通列車平岡行(変な行先だ)に無事間に合う。いよいよ2度目の飯田線である。前回乗ったときは天竜峡以北をほとんど寝て過ごしてしまったが、今回もしっかり寝る。

 18時38分伊那市着。改札を出ようとすると呼び止められ、珍しい事に途中下車印をきちんと捺してくれる。かの宮脇俊三氏は昔飯田で、下車印が多すぎて券面記載事項が見えなくなった切符を取り上げられかけている。作中で「学校の勉強をちゃんとやる子が多いのだろう」とさらりと毒を吐いているが、いまでもこの地域の人は生真面目に働いているようである。

 夕食は名物料理のローメン(汁焼きソバ。なかなか美味)とする。入った店は普通の居酒屋風だったので、知ったような顔をして注文をする。が、トーシロとしっかりばれていて、食べ方のガイドを手渡された。

 ホテルでカメラバックの中を整理していて、捨てたと思っていた昨年9月の富山→羽田の搭乗券が出てくる。マイレージ登録はもう期限切れである。

 で、翌4月29日(日)。

 胃がおかしい。ローメンなどと言う怪しげなモノを食べたためか、あるいは朝食用にサークルKでサラダを買ったのに部屋に冷蔵庫がなくて、満腹なのにその夜のうちに全部食べてしまったためか。どちらかというと後者のような気がする(じゃかりこも食べたし)。おかげでテンションが上がらない。

 7時45分発普通列車天竜峡行の中でノビているうちに何とか持ち直す。やがて伊那福岡を発車、次は田切である。かの「究極超人あ〜る」OVA版舞台として、知っている人は良く知っている駅である(ちなみに伊那市も登場している)。4年前のひさめ氏との旅は、この駅を訪れることが主目的であった。

 が、田切といえば一般的には(何が一般なのか分かったもんじゃないが)「田切のΩカーブ」で有名である。前回は田切下車後の興奮のまま良く見ないで通り過ぎてしまったので、窓外に集中する。列車は段丘の淵に踊り出て、中田切川沿いを上流方向へ坂を下り、川面すれすれを渡るや反対側の段丘を登っていく。

 8時51分、田切で下車。残念ながら待合室のノートは消えていた。Ωカーブまで歩く。中田切川の鉄橋は、その地形もさることながら、飯田線屈指の撮影名所としても名高い。5月には鯉のぼりが渡される事も良く知られている。全くの偶然だが、この日はちょうどその鯉のぼりをセッティングするところであった。近所のおばさんが総出で堤防に鯉のぼりを並べていき、おじさんは総出で松の大木にロープを結びつけている。がきんちょは総出で河原で遊んでいる。手伝えよ。

田切にて  1時間もした頃、中田切川には見事な鯉のぼりの列がかかっていた。地元の人たちは集会所へ宴会に消え、ケーブルTVのカメラもいなくなった。乗るはずだった快速みすずを撮影し、さらに1時間思う存分写真を撮る。

 さて、10時45分発普通列車豊橋行に乗る。本当は天竜峡からこの列車に乗るはずだったが、長居をしたためにここから3時間43分の乗り詰めとなる。やって来たのは飯田線オリジナル119系ではなく、113系3連であった。1両数人程度で、実に空いている。

 昨日来気になっていたのだが、飯田線は駅に停まってからドアが開くまで異様に時間がかかる。それは113系でも変わらない。運転士がドア扱いをしている為らしい。しからば車掌は何をしているのかと言うと、乗るや否やオレンジカードを売りに来る。風貌と田切というマニアックな乗車駅から鉄と判断したのだろう。しかし僕は収集欲はないし、最近イオカードユーザーになったのでオレカは買わない。イオカやスイカ、Jスルーの浸透で、オレカもテレカと同様にコレクター専用のアイテムとなってしまうのかもしれない。

 畑と住宅が交互に展開し、退屈になった頃元善光寺に到着。ここで対向列車待ち合わせとなる。駅前に酒屋があるのを見つけて駆け出す。田切の商店は閉まっていたし、この先長時間停車の駅はない。胃は依然万全ではないが、食いはぐれてはかえって悪くなる。

 幸い店は開いていた。が、この酒屋、文字通り酒しかなかった。14時半までの欠食が確定。

 飯田を過ぎ、護岸工事で線路が付け替えられた川路付近の変貌に目を見張るうち天竜峡到着。乗務員も客も入れ替わる。乗客は中京エリアからと思われる日帰り、1泊の観光客が多い。名古屋圏に突入したようだ。

 天竜峡から中部天竜までは人跡稀な「秘境」を行く。飯田線のハイライトである。なかでも秘境の度合いが濃い駅は田本で、断崖絶壁の中腹にホームがあるだけで、人家は全く見えない。当然ながら利用客はゼロ…と思いきや子供が4、5人も乗ってくる。一体どこから湧いて出たんだろうと思う。

 小雨が降り出したが、それはそれで新緑が美しい。時折思い出すように駅と集落が現れ、幾つめかの小駅鶯巣田本からの子供たちが降りる。田本から鶯巣とはなんともマニアックな利用区間である。車掌に切符を渡すと、1人は脇に抱えたキックボードを広げてホーム上を軽やかに走り去っていった。…か、かっこいい…(そうかぁ?)。

 次の伊那小沢で遅れている対向列車を待つ。もちろん食料を仕入れられるお店はない。聴こえるのは鶯の鳴き声。静かに降り注ぐ雨。時が止まったかのようだ。

 やがて風景が開け、12時少し前に中部天竜到着。そこで車内の乗客は一様に驚きの声を上げた。駅前の佐久間レールパークが物凄い人並みで埋まっている。赤沢も奈良井も閑散としていたのに、ここだけが一級観光地の如く混雑している。ブラスバンドまで駆り出されて、「TSUNAMI」やら「慎吾ママのおはロック」やらが響き渡っている。どうやらオープン10周年であるらしいが、いや凄い人出だ。

 ホームにも人があふれていて、たちまち座席が全部埋まる。「JR東海さわやかウォーキングにご参加いただきましてありがとうございます。この列車は…」と車内放送が流れる。そーいうイベントもあったらしい。しかし礼を言われた所で、僕はそんなものに参加した覚えはさっぱりない。

 天竜川と豊川の分水嶺を越え、14時28分三河槙原着。何の変哲もない無人駅だが、ここで下車する。本降りになった雨に集落が濡れているが、商店は皆無。昼食の事は忘れよう。

 豊橋方面へ下っていくと板敷川渓谷となる。1枚岩の川底が美しいが、ここに来た目的は当然の如く列車撮影である。30分後にやってきたEF58牽引のトロッコファミリー号と後続の特急伊那路2号を撮影し撤収。撮影名所であるのに、同好の士は僕のほかに1人しかいない。雨降りとはいえ、どうも今回の旅行は人込みと無縁だ。レールパークだけが異世界と化している。

 待合室でぼんやりしていると、車が次々とやってきて学生が降りてくる。どこかでバーベキューでもやった帰りらしく、お揃いのジャケットで愛知大学吹奏楽団の一行と分かる。駅をバックに写真を撮り合って騒がしい。嗚呼若いって素晴らしい(遠い眼)。

 15時48分発普通列車豊橋行は、4両という飯田線にしては驚異的に長い編成でやってきたが、レールパーク帰りの家族連れで満席であった。ボックスの片隅にかろうじて座る。この後鳥居で降りて後続の臨時快速を撮影するつもりだったが、天気も回復しそうにないのでこのまま豊川まで乗り通すことにした。そう決めた途端に熟睡する。

 目が覚めると豊川は近く、窓外には畑と真新しい住宅が入り混じった都市近郊の風景が広がる。小田急線の座間辺りの景観と似ており、これはもうローカル線ではない。

 16時39分、豊川で下車。自動改札を出て駅前広場に下りる。ファーストフードも駅ソバもないのでミニストップでおにぎりを買い、豊川稲荷17時発の名鉄豊川線急行新岐阜行パノラマカーに乗る。飯田線で豊橋に直行すると、今日は未乗線区に全く手をつけない事になってしまう。少しでも残存距離を減らしておこうというマニア的発想の寄り道である。

 国府で名古屋本線特急に乗り換えて17時26分豊橋到着。帰りの新幹線は18時27分発のこだま482号と決め、それまで駅前の大きな本屋を探訪する。つい長居してしまい、少々慌てつつ駅へ走る。豊橋駅はやたらでかい。そして新幹線ホームはやたら遠い。改札にたどり着く前に100系が到着してるのを視認し、乗車を諦める。気にする事はない。わずか20分後には後続のこだま428号がやってくる。当初のプラン通り鳥居で途中下車していればこの列車のはずだったから、元に戻っただけである。

 何も買わずに本屋を飛び出した事が気になっていたので、もう1度戻る。そしてまたも長居する。コンコースを走る。とにかく走る。再び乗り遅れたのでは笑い話にしかならない。眼下のホームにこだま428号が到着済みであることを確認。しかし発車案内にはまだ「こだま」の文字が残っている。間に合う!階段を駆け下りる。しかし無常にもベルが響き、ドアは閉まった。

 息を弾ませ、呆然とホームに立ち尽くす。次のこだま484号は40分も後、もう改札を入ってしまったからここで待つしかない。ほどなく18時52分発ひかり168号が入線してくる。豊橋にひかりとは珍しいが、下車駅の小田原には停まらないから乗りようがない(と思ったら静岡で乗り遅れたこだま428号に乗り継げた事が帰宅後判明し、唖然とする)。

 30分後、通過線を300系が轟と走りぬける。小田原に停車するひかり252号だが、もちろん乗りようがない。背中の汗がようやく引いて、続いてやって来た19時27分発こだま484号に乗り込む。何だかぐったり疲れ、そして帰宅後僕は風邪を引いた。5連休をほとんど床に臥して過ごした。いーです、どーぞ笑ってくださいな(やけっぱち)。


(終)

2001.6.17
on line 2002.12.22
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