九州上陸・大長文 〜後編

第5章 ノルウェーを行く  97年12月19日(金) 指宿→鹿児島→隼人→熊本

 目が覚めると部屋の中が明るかった。九州では、これは寝坊を意味する。慌てて時計を見ると8時前。徒歩15分の指宿駅を8時52分に出る快速に乗るつもりだから少し急がねばならない。にもかかわらず朝食を食べながら思わず「甘辛しゃん」※21を見たりする。駅に着いたのは発車1分前。これまたO先生似の駅員は僕を見てギョッとした顔付きをし「西鹿児島行ですか?急いで下さい」とせき立てた。ホームに上がると誰もいなかったがドアはまだ開いていた。

灰置き場 指宿枕崎線は指宿(正確には山川)を境に運転形態が大きく異なっている。超閑散線区の枕崎側に比べ、鹿児島・指宿間では快 速・普通がそれぞれ1時間ごとに走りなかなかの高密度であった。ここで過去形なのは11月のダイヤ改正で快速が大幅削減され、しかも停車駅が増えスピードが落ちたからである。さらにワンマン化も行われた。僕が今乗っているなのはな2号はかろうじて残った列車だが結構混んでいる。何でこんな改悪が行われたのか不可解というほかない。しかも数少ない快速なのに旧型車である。

 鹿児島市内を一周する。西郷隆盛と大久保利通の家は驚くほどに近い。こんな隣近所で日本史が作られていいのだろうか。あちこちに「宅地内降灰指定置場」という看板があるのが面白い。天気予報によれば今日は鹿児島市とは反対側で灰が降る。

 12時50分発の宮崎行特急きりしま8号は旧型車両である(485系)。外装が緑色になったほかはあまり手が入っていない。厚化粧よりはこの 位の方がよい。無理によく見せようとするとほら、そこのつばめレディと同じ服を着た車販のおばさんみたいに…。城山の下をくぐると鹿児島駅。評判通り何もなく、なぜここが「鹿児島」を名乗るのか不思議である(市役所に近いから?)。列車は錦江湾を隔て桜島を望みながら走る。海側は美しいが山側は急峻な断崖で少し怖い(実際数年前に崩れた)。

 隼人駅1番線に止まっている旧型DCは分割作業中であった。前2両が日豊本線の国分行、後1両が肥薩線経由都城行である。都城行に乗り込むと運転士が「これ、肥薩線ですよ」と言う。肥薩線の存在感はその程度らしい。それでも13時43分に発車した時には1ボックスに1人位の乗車があった。列車はいきなり急勾配に突入。あれよあれよと隼人市街が眼下に遠ざかる。もとは鹿児島本線だったが急勾配が嫌われ、海沿いに別線が建設された歴史を持つ。沿線の各駅はいずれも幹線に相応しい立派な駅舎を持つが、どこも閑散としており、悲哀が漂う。天気までが落ちぶれた肥薩線らしい曇天になった。14時53分、乗換え駅の吉松に到着。駅裏の広大な空き地が枯れ草で覆われている。人家は見えない。僕は突然、北極圏の離島の空港に降り立った日の事を思い出した。

 人吉行普通列車には「いさぶろう」というニックネームが付いている。車内には畳もあるがボックスシート間に取り付けた不細工なもので、そこが一番最後に埋まった。ホームを駅弁屋が行ったり来たりしている。単行の列車になぜか乗務員が3人もいる。人員が余っているなら指宿に行けば…と思っていたら一人が沿線ガイドを配り始めた。吉松から人吉までは日本屈指の山岳路線。車内では盛んにテープによる案内がされ、乗務員も解説に忙しい。先程の駅弁屋も観光客向けの演出という要素が強いと思われる。乗客は皆観光客だ。一眼レフや、TVカメラのような大型カメラを持った人までいる。

 吉松の次はスイッチバック駅の真幸。宮脇俊三氏はここで枯山水模様の砂利のホームを見て「暇があるんだなあとも思う」などと書いている。現在は無人駅だが枯山水は健在。ただし目玉商品は「幸福の鐘」であるらしい。全員が鐘を突くのを列車は待つ。次の矢岳までは日本3大車窓とも言われる絶景らしい。乗客一同カメラ用意。霧島連山と、麓の京町温泉を見下ろすポイントで列車は止まった。しかし「3大」というほどの光景ではなかった。「30分前には桜島も見えてたんだけど」と青年が隣の老夫婦に語る。何だか旅行サークルの貸切バスに乗りあわせた様な気分である。矢岳では静態保存のSLを見るためしばし停車。大畑へのループ線の入口でまた止まり、それから時計回りに下り、さらにスイッチバックで折り返す。乗務員は多いが一応ワンマン運転なので運転手は忙しい。大畑で降りたのは僕1人。

大畑駅 大畑は日本で唯一ループとスイッチバック両方を持つ駅だが、そのような地理的条件により設置された駅なので周囲には何もな い。次の列車まで近所を散歩第2弾である。駅構内は動輪や噴水など謎のアイテムが多い。駅舎は少し荒れていたが壁には来訪者の名刺や定期券が一面張られている。どっちも持ってないのであかつきの特急券にサインして貼る。駅を出るといきなり崖。左に行くと小高い丘の上に梅園と神社。右に行くと家が2軒。集落はかなり遠そう。線路上にウサギ発見。

 16時34分には上下列車が行き違うのだが誰もやってこない。1人急行えびの4号に乗り込む。坂を下り球磨川を渡るといきなり市街地になり人吉に着く。ここでも駅弁立ち売りがある。お客もだいぶ乗った気がしたのだがそれでも半分も埋まらない。

 2つ目の渡で行き違いのため運転停車。なぜかホームに老人がおり運転士と話している。押し問答らしきものが数分続き、根負けしたのか運転士はドアを開け老人を乗せた。これは明確なルール違反である。緊急の所用だったのかもしれないが、何か老人の顔が「しめしめ」という感じで不快。車掌にお小言を食らうが素知らぬ顔である。

 球磨川に沿って闇の中を淡々と走る。たまに止まるが誰も乗らず寂しい。客室の扉には「SSL」の文字が。まさか快速シーサイドライナーのお古か?ますますわびしい。平行する(いや、向こうは真っ直ぐ)高速道路の明かりが眩しい。18時20分熊本着。

 2度目の水前寺YHの同室者は名古屋の大学生と大阪の高校生(関西では公立でもテスト休みがある)。今回初めての同世代であり、鉄道と漫画と野球の話で大いに盛り上がる。

【脚注(2005年版)】
※21 朝の連ドラ。内容は何も覚えていません。タイトルだってこの原稿見て思い出した。

第6章 水の生まれる里  12月20日(土) 熊本→立野→高森→高千穂

   熊本駅の豊肥本線ホームには「祝・熊本−肥後大津電化決定」の横断幕が出ている。この区間はパターンダイヤではないものの、列車本数は1時間に2本程度とかなり多い。しかし電化されると転換クロスシートのキハ200から鹿児島本線の国鉄型に車両がレベルダウンしないのだろうかといらぬ心配をする。※22 それにしても指宿枕崎線や佐世保線、大村線など非幹線系統に次々と転換 クロス車をいれるのだからJR九州とは恐ろしい会社である。地方に103形をたらい回しするJR西日本とはえらい違いである。

 10時06分発宮地行はそのキハ200で運転される。しかも普段の赤一色の塗装に白いイラストが加わり「クリスマス仕様車」となっている。 ラッキー!市街地を半周して阿蘇に向かう。残念ながら雨で何も見えない。

みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげん 立野で降り、階段からスイッチバックを見渡す。今降りた列車が1km程バックし、折り返して駅の遥か上方を宮地に向け走って 行くのが良く見えた。南阿蘇鉄道に乗り換える。全長17kmのミニ第3セクター鉄道である。車両もミニで、文字通りのレールバスであった。11時08分立野を発車。すぐに白川を高い鉄橋でこえる。白川の谷に沿って阿蘇カルデラ内に入る。川と平行していないJRはスイッチバックで外輪山を越えねばならない。カルデラに入ると後は淡々とした田園風景である。4つ目の駅で下車。南阿蘇水の生まれる里白水高原。日本一長い名前の駅である。

 1時間ほど御近所散歩第3弾を楽しむ。駅名は大げさだが別に「白水高原リゾート」の最寄り駅、というわけではなくただの小駅である。北側の国道に沿って集落が存在する。狭い道路を延岡行の大型バスが轟音をあげ走っていった。国道と線路の間にお寺があり、線路の下にお清めのための湧き水がある。湧き出た水は南側の田んぼに流れていく。驚くほど透き通っている。雨は降り続いている。まるでこの世が水に支配されてしまったかのごとく静かで美しい光景であった。心の隙間に 優しい雨が降る−※23

 雲が薄くなり北側に阿蘇山、南側に外輪山の山容が姿を現した。

 高森行は当分来ないので阿蘇下田城ふれあい温泉駅まで1駅折り返す。駅の中に温泉が併設されている。一旦正面に出て写真を撮る。入口を入り左に行けば駅、右側が温泉である。温泉について種村氏のような知識はないので「気持ちいい」としか表現できない。ホームに入ってくる高森行に向けカメラを構える。列車のワイパーが動いているのを見た瞬間、入口に傘を置いてきたことに気付く。幸い下車客が多かったので乗り遅れずにすんだ。3回乗ったレールバス、すべて同じ車輛で同じ運転士であった。

 13時27分高森着。高千穂行宮崎交通バスに乗り込むとラジオがついている。ラジオをかけるのは九州独特のサービスなのかもしれない、と思っていると発車する前に切った。高千穂方面へは川はないので峠越えになる。立派なバイパスができているがバスは時々旧道に入る。そこは「秘境」であった。恐ろしく曲がりくねった道を走り、一・二軒だけの集落を通りまた曲がりくねりつつバイパスに向かう。丹念なルート設定である。やがて作りかけの高架橋が見える。建設が中断された高森−高千穂間の鉄道である。あと少しで完成するように見えるのだが最近撤去が決まった。15時過ぎにベスト電器の前の高千穂BTに到着。

 荷物を置こうと思い大和屋YH(旅館兼業)※24 へ行く。「すみませーん」返事がない。「こんにちはー」返事がない。「すみませーーん」返事がない。ただのしかばねのようだ。仕方無く荷物を抱えたまま(BTまで戻るのも億劫だったので)市内観光へ。神話の里の高千穂神社は鳥居も杉並木も立派で少し偉そうだった。高千穂峡は遠く、雨の中荷物を持って歩く距離ではなかった(止せばいいのにその後遊歩道も歩いた)。情緒ある笛の音が流れてきたと思ったら、駐車場から流れる「ひまわり」※25のイントロだった。 旅館兼業のYHは本来相部屋だから安いのだが、オフシーズンのためシングル状態。しかもTVつきという豪華版であった。夕方なのにラブジェネ※26をやっていた。ただ食事はやはり差があるようで、旅館料金の夫婦との間にはついたてが立てられていた。

 食事後、神社に夜神楽を見に行く。高千穂中の観光客が集結しているのでオフの割には賑やかであった。国産み神話などもとより信じていないが、民間伝承として見る分にはとても面白かった。毎日上演とはご苦労さまである。

【脚注(2005年版)】
※22 いらぬ心配で、新車が入りました。ロングシートですが。
※23 小泉今日子のシングル曲。今でもしとしと雨が降ると、この曲が思い浮かびます。もう少し強いと「雨に濡れて」(ZARD)、土砂降りだと 「THUNDERBIRD」(T.M..Revolution)。
※24 2005年6月現在、ユースホステルとしての営業は行っていません。
※25 長渕剛の新曲(当時)。あまり好きではないんですが。
※26 当時放送されてた月9ドラマ。木村拓哉・松たか子主演…って解説不要か。

第7章 則巻アラレ、山陽路を走 る  12月21日(日) 高千穂→大分→小倉→静岡

 いよいよ最終日である。京阪電車でため息をついていたことなど遠い昔(多分20ページくらい前※27)の話である。こんな異国の大地の山奥から1日でわがアパートに帰れるとは信じられないが、それでも夜には静岡に着く。

 最終日の朝は霧であった。いかにも神話の里に相応しい。駅に続く坂道を歩いていると、向こうから女子高生がやってくる。なんだか機嫌が悪そうな顔をしているが僕を見ると「おはようございます」と言った。田舎で小学生やお年寄りに声を掛けられることはままあるが、女子高生に挨拶されるなんて初めてである。 しばし呆然とする(オジサンくさー…)。

 9時09分発の高千穂鉄道には指定席車が連結されているが、無視して一番前の席に座る。今回の旅行、やたら先頭の席に座ることが多い。ほんとバカだよね。日本一高い高千穂橋梁を渡るが、霧で何も見えない。トンネルを抜けると晴れ、高千穂橋梁より高い国道の西海橋がはっきりと見える。指定席車にいた女性車掌がワゴンを押して車内を巡回し、運転士と地元のなまりで世間話を始めた。山を下りるにつれ乗客が増え、一般車は最後は立ち客ぎっしりになった(指定席車乗客ゼロ)。途中駅折り返し列車の設定が必要だろう。10時46分延岡到着。

 九州各地で見掛けた「NICE GOING FUKUOKA」のポスターをここでも発見。藤井フミヤを起用したJRのキャンペーンである。「え?パリ行くの。ごくろーさん。もう何でもあるんじゃないの、福岡」…そ、それはいくらなんでも…。待合室のTVで高校駅伝を見る。埼玉栄独走。

 11時10分発日豊本線特急にちりん12号は延岡を出ると佐伯まで1時間もノンストップである。特急は1時間に1本だが普通列車は1日数本なので通過する駅は貧相なものが多い。崩れて自然に回帰しようとしているホームさえあった。宮崎県最後の駅市棚で運転停車する。列車は国道と絡み合うように峠を越え国道をオーバークロスしたところで「さよなら−」という看板がチラリと見えた。大分県入県。これで日本本土の都道府県で行ったことのない県がなくなった。「静岡県内全線完乗」とともに、大学時代の目標を達成した。

客車鈍行 全国で佐賀と三重と滋賀と山梨に次ぐくらい影が薄い大分県だが、意外なことに工業県で、沿線には大工場が目立ち乗客も増えて きた。しかし悲しいかな単線のため下りのダイヤの乱れを受けて遅れる。13時20分頃大分着。

 大分は駅舎は平凡だが車両は意外にバラエティに富んでいる。久大本線の客車鈍行の写真を撮る。今回は乗れなかったが次に九州に来る時まで残っているだろうか。※28

 14時発特急ソニック18号は空いていた。南海電鉄の「ラピート」とともに変ちくりんな電車の双璧をなす車両である。外観は比較的ノーマルな青一色の1次車だったが、それでも運転室横に付いている「触角」の意味は良くわからない。デッキは一面ガラス張りで、画期的なまでに開放的である。ただ誰かが言っていたように思うが事故が起こった時の事は考えたくない。イスの形状は遊び心満載で楽しい。ただ1時間も乗ると飽きが来る。あまり長時間乗りたい列車ではない。その意味で宮崎行ではなく、大分止まりの運用に限定して投入した判断は正しい。ただ村山富市には悪いが「大分行」というのは地味だなあ。インパクトにかけるよ、うん。15時19分小倉着。

 夜行列車からはまばゆく見えた小倉であるが、実は駅舎工事中で雑然としている。建物はほぼ完成していて、豊橋に良く似た大きなビルである。ただ中央に巨大な穴が開いており、そこをモノレールの線路が貫通している。もう九州ともお別れである。JR西日本エリアの新幹線乗り場に行くと、こちらは静かだが薄暗い。国鉄時代から全く手を入れてないようだ。

 ホームは無人であった。やれやれ、最後までシーズンオフの旅を満喫させてくれるのか、と自嘲気味に思う。たまには人込みが恋しい。たった4両のこだま号が先発する。さすがに車内は満席。4両でガラガラなら廃止を考えた方がよい。

 のぞみ24号の発車時刻が近付くとやっと人が増える。24号は最高時速300km/h(ギネス)を誇る500系で運転される。だからこそ\8,000以上はたいて新幹線に乗るのである。※29 「今度ののぞみ号は新型車両です。東京までは4時間36分です」と駅員が誇らしげに放送する。「4時間」と聞いてホームにざわめきが起こる。カメラを手にした人が多い。15時52分発のぞみ24号は発車時刻直前に入線。先頭車両は極端な流線形。筒のような丸みを帯びた車体。これまでの鉄道車両とは違う「何か」にホームは再びどよめく。

 車内は機能本位の300系に比べ温もりが感じられた。放送が女性による肉声(英語含む)なのも良い。新関門トンネル内で緩やかに加速。新下関通過。飛ぶ鳥が止まって見える(実話)。やがてキーンという甲高い走行音が聞こえた。300km/hに達したようだ。路盤が安定しているので京浜急行の120km/hのようなスリルはないが、それでもべらぼうに速い。次の広島までも、そこから岡山までもわずか40分である。どの停車駅でもフラッシュがいくつか光る。一般客にこれ程注目される車両も珍しい。車内でも「ただ今300km/hです」という案内が何度かされる。新型車に乗る度に「PR不足だ」と怒っている種村氏もこれなら御満悦であろう。名古屋まで2時間54分。トイレにも立たず景色を食い入るように眺めていた。岡山からはずっと満席であった。

 アッという間に東海地区に戻っていまい、実感が湧かない。静岡までの0系こだまによる1時間はさながらリハビリのようなのんびりした旅であった。やはり210km/hくらいが許容の範囲内の速さでありホッとする。ローカル列車の旅もいいもんだ、僕も歳を取ったかな、と思う。…あ、でもこれ新幹線だね、一応。

 20時15分静岡着。改札で九州ワイド周遊券に無効印を押してもらい、旅は終わった。※30

【脚注(2005年版)】
※27 B5感熱紙換算。
※28 残っていませんでした。
※29 前月に東京乗り入れを果たしたばかり。ホント、別格扱いでした。あの頃は。
※30 この後抱腹絶倒のおまけ文章があったのですが(あったんだよ!)、内輪ネタなので省略。
    それにしても「大長文」と言いながら、今より簡潔な文章だなあ、と。


(おわり)
1998.2.11
on line 2005.6.19
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