シベリア鉄道・大遅延




▼第5部 帰国まで

 9月22日(土)、日本を旅立ってから7日目となる。念願のシベリア鉄道に乗った、バイカル湖も見た、あとは日本へ帰るだけなのだが東京へたどり着くのは明日の夜である。つくづく遠くまで来たものだと思う。

 超高級ホテルのバイカルビジネスセンターにも1つだけ欠点がある。イルクーツク市街から遠く離れているのだ。今日は12時に空港への送迎車が来る。昨日車で瞥見しただけの市街地を歩いてみたいが、グズグズしているうちに時間が無くなってしまった。

イルクーツクのトラム という訳でホテルより徒歩5分、トラムの折り返し場を見に行く。またそんなのかと突っ込まれそうだが、鉄道マニアとマニア一歩手前の2人組だから当然そうなる。 むしろ言い出しっぺはひさめ氏である。

 次にホテル前のショッピングセンターに入る。体育館のような巨大かつ大雑把な建物の中に、個人商店風のブースがびっしり並んでいる。どの店にもモノが満ち溢れており、客の出入りも絶える事が無い。本当にここは物不足が喧伝されたロシアなのだろうか、と改めて目を見張る。借り物の眼鏡が合わないので、ひさめ氏に値札を読んでもらいながら土産を物色する。海外に行くと日本のコミックの翻訳版が無いか探す習性が身についてしまったが、残念ながら見つける事は出来なかった。わずかにピカチューの小さなぬいぐるみを見かけたのみである

 送迎はドライバーだけかと思いきや、すらりとしたロシア人女性が一緒であった。これから搭乗するウラジオストック行の飛行機は、日程表によればH8346便である。便名からは如何なる飛行機なのかさっぱり想像がつかない。新潟から乗ったウラジオストック航空(XF)ではなさそうだが。

 10分も走らないうちに駐機場の脇に出て、やがてターミナルらしき黒ずんだ建物が見えてくる。ロシア語は相変わらず読めないが、゛AIRPORT"っぽいアルファベットが屋上に掲げられている。しかし車はその前を通り過ぎ、隣の瀟洒な、しかし古びた建物の前で止まった。入口には英露併記で゛International Airlines"とある。いつの間にイルクーツクとウラジオストックは別の国になったのだろうか。

 「国際線」ターミナルの中は重厚な作りで、冷たい石の床に白熱灯がほんのりと映りこんでいる。共産時代から使い込んできた建物である事が一目で分かる。送迎の女性の後ろについてチェックインカウンターへ。しかし妙に人気が無い。出発時刻の14時10分まで2時間近くあるとはいえ、閑散とし過ぎてはいないか。女性はカウンターの職員と何事か話し込んでいる。嫌な予感。 ものすごく嫌な予感。

 はたしてH8346便の出発は遅れていた。それも出発時刻不明ときた。こうなってくると、新潟からの飛行機が定刻どおり飛んだのが奇跡に思えてくる。 送迎の女性は僕達を待合室へと連れて行き、チェックイン開始の放送があるまでここで待つようにと告げた。僕達がうなずくと彼女はきびすを返し、靴音を響かせながら帰っていった。「$5で市内観光」とは言わなかった。

 待合室へ通じる廊下には゛VIP"の表記があったが、ここが賓客用のエリアかどうかは疑わしい。広さはかなりのものだが、くたびれた椅子に柔らかな陽が差し込むのみで、他に誰もいない。時折掃除のオバサンが通り抜けるのみである。

 暇なので外に出て、隣の゛AIRPORT"的建物を見に行ってみる。続々と人が詰め掛けており、やはりこちらが本来の空港ビルディングと思われる。中に入ろうとすると、突如腕をつかまれた。見ると 老婆が腕時計を外そうとしているではないか。「No,No!ニエット!」慌てて振りほどく。「カペイカ、カペイカ」なおも彼女は食い下がる。カペイカはルーブルの補助通貨単位である。「ニエット!ニエット!」こちらも連呼しながら後退する。入口からこれでは、中にはどんな輩が潜んでいるか分かったものではない。すごすごと元の建物へ引き返すと、ちょうど放送がウラジオストック行のチェックイン時刻を告げていた。

 宮脇俊三『古代史紀行』の続きを読み、外の売店で惣菜パンを買い、また本読みに耽る。どやどやと中国人の団体が入ってきて、そして出て行って、日差しだけが変わらず柔らかくて、そうして怠惰な時間が過ぎていった。

 ようやく手続開始の案内放送があってチェックインカウンターへ。質の悪い紙っぺらの搭乗券を渡される。席番は書いていない。ついたての裏からTVの音が消えて係員が現れ、金属探知ゲートをくぐる。客は僕達の他に中国人風の若い男が1人いるだけである。薄々気が付いていたが、どうやら国内航空線でも外国人だけは国際線ターミナルへ隔離されているらしい。

 預け荷物が小型トラックに積まれて出て行き、女性職員が何人かで僕達を呼びに来た。広い駐機場の中を一団に固まって歩く。バスはない。学生のようなこざっぱりした服装の職員がたどたどしい日本語で、機内に入ったら空いている席に座るようにと告げる。なるほど、座席定員制らしい。

 空港内にはボーイング777の広告看板も立っていたが、案内された機体はやっぱりツポレフ。搭乗券は回収され、機体に書かれたアルファベットを判読する間もなくタラップを上ってしまったから、どの会社の飛行機に乗せられたのか今もって分からない。

 ロシア人旅客の搭乗はすでに終わっていて、空いた席にひさめ氏と離れて座る。ほぼ満席でビジネスマン風の男性が多い。飛行機が動き出したのは16時20分、 2時間10分の遅れであった。がたがたと大いに揺れつつ離陸。

 機内ではとり立ててする事が無い。『古代史紀行』を読み進めるのみである。機内食が出て、僕はそれなりに満足したがひさめ氏の口には合わなかった事を覚えている。

 列車で74時間かかった道のりをわずか4時間で引き返す。22時35分(イルクーツク・日本時間20時35分)、またもがたがたと揺れながらウラジオストック空港に着陸。日本へ戻るのにいったん日本時間でなくなるのだからややこしい。

 さて降りようと出口へ向かうと、一緒に乗った中国人が制服職員に足止めされている。ははあと思い当たりパスポートを彼に見せると一瞥して降機を許される。「なんか中国人捕まってたな」と僕。「彼日本人だね、パスポートが。」とひさめ氏が的確な指摘をする。

 駐機場は真っ暗だがバスはなく、ロシア人と混じってぞろぞろ歩いていく。フェンスの切れ目を通り抜けると、 そこは空港の外。

「え…外に出ちゃった…んだよね?」「預けた荷物、どこで受け取るんかいね」

 周りのロシア人客は、迎えの人と笑顔で握手を交わしており、あとは家に帰るだけ、といった雰囲気である。預け荷物のある人は別の出口だったのだろうか。一団になって歩いてきたはずだが。まさか降りた場所に留まってそこで渡したりするのだろうか。しかも迎えの一団の中に、ホテルへの送迎ドライバーが見当たらない。はっきり言ってピンチである。

 まずは迎えより荷物を探さねばと、隣接するターミナルビルへ。カウンターは皆閉じており人気が無い。すると、先ほどの中国人風バックパッカーが地下へ降りていくのが見えた。゛baggage"の表示がそこにある。しめた、と駆け下りるがそこは預け場で、受け取っている人はいない。

 いよいよ途方に暮れていると、学生かと思うほど若いロシア人男性が僕達を呼び止めた。見るとひさめ氏の名前が書かれた紙を持っている。迎えのドライバーだ。早口の英語で遅刻の言い訳をまくし立てようとする彼を制し、僕は荷物のありかを尋ねた。

 ドライバーの後について階段を上り始めると、と件のバックパッカーが話し掛けてきた。

「荷物どこで受け取るか分かります?」

「彼(ドライバー)が分かってるみたいだから付いていきましょう。案内表示なんかどこにもなかったですよねぇ。」と僕。

「散々ですよ。飛行機降りる時なんか、警察官に気付かないでそのまま降りようとしたら、パスポート取り上げられちゃうし。」

「ええっ。…そ、それは難儀ですね。」

「いや、この国ではそんな事日常茶飯事ですから。」と彼は平然としていたが、こっちは逆にびびった。

 荷物の受取場は、先ほど空港の外に出た一角にあった。粗末な小屋があって、中に入るとターンテーブルが回っている。分かってみればなーんだ、という場所であるがロシア語を解さない僕達に到底たどり着けるわけはなかった。

 パスポートを取り返してくるというバックパッカーと別れ、送迎車に乗る。明らかに日本製と分かる中古の乗用車である。ドライバーは盛んに英語で話し掛けてくる。最初はさっぱり分からず、「学校で英語習わなかったのか?」とシビアな質問も飛び出したが、やがて何とか意が通じるようになってきた。

 市街地への道は真っ暗で、他車の尾灯のみが頼りである。ドライバーの一方的にまくし立てる英語をBGMに、車はがんがん飛ばす。と、前を行く尾灯の流れがすっと右へ消えた。というより、僕達の車だけが分かれ道を左へ進んだ。おかしいなと思ううちに車は止まり、ドライバーが苦笑いを浮かべた。

「君らとのおしゃべりに夢中で、道間違えちゃったよ。」 …しっかりしろ。

 木立の向こうに赤いネオンサインが見える。飲み屋なのかモーテルなのか、ともあれ彼は道を聞きに車を降りた。シベリアの暗闇に置き去りにされる2人。静かだ。こういう待ち時間はとても長く感じられる。

 車はUターンし、ウラジオストック市街を目指す。どうやらウスリースクへ向かうルートに入ってしまったらしい。ウスリースクはあのシベリア号でウラジオストックから2つ目、距離にして112kmにある街だ。

 懲りないドライバーは盛んに話し掛けてくる。「警察はずるい。森の陰に隠れてネズミ捕りをやる。日本もそうか?」「旅行者も気をつけた方がいい。パスポート不携帯だと罰金取られる」「君らが泊まるホテルって幾らぐらいなんだ?結構高いと思うが…」半分くらいは分かるからそれなりに会話は成立する。ただしひさめ氏は殆ど黙っている。

 「ユーなんたらかんたら…」「ん?」「今まで会った日本人で一番英語上手いってさ」とこれはひさめ氏が通訳してくれる。しかし せっかくのお世辞が理解出来なかったのだから皮肉である。それにしても、先ほど逆の事を言われたような気がするのは錯覚だろうか。彼の英語に1人で応対するのは結構大変だったのだよ、ひさめさん。

 ともあれ無事?にウラジオストックホテルに到着。数日前と同じホテルで懐かしいが、部屋は前回より少しだけ高級であった。壁紙は綺麗だし、お湯もちゃんと出る。そう言えば初日は部屋に入った途端に電話が鳴り、恐る恐る取ると「マッさージはイかが…」と胡散臭い日本語が聞こえてきたのだが、それもない。僕達もロシア慣れしてきて、早々に窓をぴっちり閉めたから蚊に悩まされる事もなかった。

***

 9月23日(日)、いよいよロシア旅行も最終日となった。12時に迎えの車が来る。それで終わりだ。残された半日をフルに遊び倒したいところであるが、名所の類はあのD氏父娘が余すところなく案内してくれたので、今日は街歩きに徹する。
ウラジオストック近郊電車

 が、その前にひさめ氏がパニクっている。鞄に油がべっとりと付着していて、中の衣服も壊滅している。昨日の飛行機か送迎車の中でやられてしまったのだろうか。僕の荷物は何ともない。相当しつこい汚れのようで、よく見ればホテルの床やベッドシーツにまで染み込んでしまっている。変なオチがついたものである(帰国後、損害保険金が下りる)。

 まずは駅へ。電光掲示板には、僕達が乗った列車と対になる下りのシベリア号が11時間遅れている という恐るべき情報が表示されている。跨線橋に立ち、近郊電車や機関車の写真を撮る。とは言っても現場職員や警察官に見つかるとうるさそうなので、人通りの途切れた隙にこそこそとシャッターを押す。かえって胡散臭い。無関係を装いたいのか、ひさめ氏はずっと向こうに行ってしまうが、連行されるとすれば2人一緒だろう。

 それにしてもソ連製近郊電車のデザインの美しさはどうだろう。老朽化が激しいとはいえ、丸みを帯びたフロントデザインは実に優美だ。天気の良い6日前に思う存分撮っておけば良かったといまさら後悔する。

 街中には映画や公演のポスターがベタベタと貼られている。なかに猫と犬がにらみ合って火花を散らしているものがあって、猫対犬か、安っぽい話だなぁ、さすがロシア、と妙に感心する。実はハリウッド特撮映画の゛CATS & DOGS"で、日本に先駆けて公開していたと知るのは帰国してからである。

 ホテル前の路上で警官の2人連れに出くわし、昨夜のドライバーの話通りパスポートの提示を求められる。外国人の出入りが多い所で張っているとはなかなか狡猾だが、罰金をせしめるようなツッコミ所が見つからなかったのか、つまらなそうに返された。

 空港まで送りにやって来たのは、その若いドライバーであった。観光案内を買って出てくれたあの親父さんにもう1度お礼を言いたかったので、正直ちょっと残念。ひさめ氏がトランクを舐めるように検分して荷物を置く。

 出国用の税関申告書を記入して、ロビーで待機する。やがてブースの扉が開き、ドライバーと握手をして別れる。いよいよ帰国である。

 まずは税関。所持金の検査が厳しいと聞いていたので緊張するが、書類を一通り眺めただけであっさり通過する。次が搭乗手続き。おかしな順番だが記憶違いではない。搭乗券はJAL様式だった新潟と違い、ウラジオストック航空のロゴが入っている。席番は手書きだ。

 そして出国審査。ここはきわめて事務的であるはずなのだが、やたら待たされる。どうもコンピューター端末の調子がおかしいらしい。無論女性係員は、しばらくお待ちくださいともすみませんとも言わない。

 待合室は満員で、行きとは違って殆どが日本人である。街中では見かけなかったのに、どこにこれだけいたのかと思う。昨日パスポートを取り上げられた中国人風バックパッカーの顔がある。初日の税関で横入りをした青学研究室の教授もいる。何もかもが懐かしい、とはこういうことを言うのだろうか。

 搭乗時刻が来てバスに乗る。動き出したと思うや目の前の飛行機に横付けされる。 その間200…いや、100m程度かもしれない。かの宮脇俊三氏が約20年前に、ナホトカ港で船から目前の税関までバスに乗せられた話を思い出す。

 XF807便新潟行は、定刻の14時50分頃、静かに動き出した。シベリア鉄道も国内航空も定時性は皆無だったが、国際線はさすがにきちんと飛ぶらしかった。無論、滑走路の舗装が悪く大きく揺れながら離陸するのは国内線と一緒である。

 機内食を取り、さっぱり分からないロシア語の新聞なぞ眺めているうちに、早くも眼下に佐渡島が見え出した。航跡白い大型フェリーは、北海道へ向かうのだろうか。右窓に新潟市街を望む。人口はウラジオストックより少ないが、高層ビルが多いから大都会に見える。

 機は日本海上でくるりと旋回し、定刻14時15分(ウラジオストック時間16時15分)新潟空港に着陸した。しっかりと舗装された滑走路の上で、ツポレフ154は揺れる事もなく逆噴射をかけた。

 売店で買った新聞は、富士山の初冠雪を報じていた。

(終)





∵あとがき

 ああーっ、終わった!!

 やっと書きあがりました、シベリア旅行記。カニオフまでには、年内には、冬休みのうちには、1月の3連休で、と目標の先延ばしを繰り返し、帰国後4ヶ月、ようやくここに完結に至りました。個人的にはなんだか感無量です(笑)。

 シベリア鉄道でイルクーツクまで行ったこの旅行、出発前は「時間があればモスクワまで行けたのに」との思いもあったのですが、ふたを開けてみればイルクーツクまででおなかいっぱいでした(爆)。いつか全線をたどってみたいとは思いますが、もうちょっと枯れてからでもいいかな、と。いや、もちろん楽しんだんですけどね。

 ほんの数年前まで激動と混乱のなかにあったロシア。豊かな社会とは言い難い面はまだありますが、それでも確実に成長の途にあるように思います。いわゆる西側諸国ばかり旅してきた僕にとって、街の眺めも、そして人々も実に新鮮な印象を与えてくれました。

 同行のひさめさんには、今回も色々とお世話になりました。特に、予備の眼鏡を快く貸して頂いた恩は一生…いや10年…うーん半年くらいは忘れないでしょう。いやマジで感謝しています。

 最後に、長年にわたりシベリアへの憧憬をかき立ててくれた、以下の2冊に感謝。
  ・近江貴治 「中国・ソ連一人旅」(『てーるらいと』第22号別冊) 小田原高校鉄道研究部 1989
  ・宮脇俊三 『シベリア鉄道9400キロ』 角川文庫 1985

 それでは、この辺で。


2002.1.20
on line 2002.8.25
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