中国・近畿テツの旅


▼第3部 全部に乗りたい

 で、ゴールデンウィーク。僕はこの春3度目の下り「ひかり」に乗っていた。小田原7時10分発の361号、鳥取行きと同じ列車である。

 微妙に飛び石気味な今年の連休、1泊2日の日程しか組めなかった。東北・北陸・四国と候補地は幾つもあったけれど、納得する行 程はどうやっても出来なかった。それでもどこかへ行きたい。ならばいっそと、またしても中国地方へと僕は出かけることにした。残存する未乗線区を、いっそ一思いに全滅させてしまおう。残る路線は倉敷から岩国まで瀬戸内沿いに並んでおり、プランは簡単に出来上がった。

***

 2005年5月3日(火)8時22分、「ひかり」361号は名古屋駅に滑り込んだ。今日はここで乗り換えである。ホームの電光掲示を見上げる と、先発も次発も向かい側のホームも、全て黄文字の「のぞみ」ばかりである。時代が変わったなあ、と思う。

 8時33分発「のぞみ」173号博多行は300系である。今や「のぞみ」で300系が来ると随分損した気分にさせられるが、臨時便であるから やむを得ない。むしろ連休真っ只中に指定席が取れただけありがたい。B席でも我慢するほか無い。

 それにしても、今日の新幹線は随分と揺れる。300系「のぞみ」が揺れるのは登場当時から指摘されていた事で、今更言うまでもないのだが、時に脱線するんじゃないかと怖くなるほどの横揺れに襲われる。尼崎事故の影響だろう、我ながら随分過敏になっている。

 新大阪到着時、事務的かつ簡潔に福知山線不通の放送が流れる。帰路のJR西日本による案内は、振替輸送まで含めもう少し丁寧だったのだが。JR東海、他人事と思っているのだろうか。山陽区間に入り、不謹慎にも海側の車窓にきょろきょろと目を凝らしたが、件のマンションは判別できなかった。

 10時58分広島着。「こだま」637号に乗り継ぐ。100系の4両編成という、2〜3段ほど格落ちしたような列車だがそれでも空いている。 210km/h(220km/hか?)での走行は実に安定してて、ほとんど揺れる事はない。子供の頃よく乗った東海道の0系「こだま」も、この程度の乗り 心地だったはずだ。新幹線はこの程度の速度の方がいいなあと思う。無論感傷に過ぎないのだが。

 11時37分徳山着。古びた在来線ホームでは色とりどりの列車が客を待っていて、ああ遠くに来たなと思う。本日最初の未乗線区・岩徳線岩国行は2両の黄色いディーゼルカーだった。山陽本線から分岐すると、特にどうと言うこともない田舎の風景が続く。ぼうっとしている内にお客さんが増えてきた。左手の山あいから錦川鉄道が合流し、トンネルを1つくぐると川西である。終点岩国まであと2つだが、ここで下車。築堤上に片面ホームがあるだけの小駅である。

 30分ほど待ち合わせ時間があるので急ぎ足で錦帯橋の見える地点まで往復し、13時20分、岩国からやって来た錦川鉄道の列車に乗る。単行の、それも割と小柄なタイプのレールバスである。席はそれなりにふさがっている。

 岩徳線上をしばらく逆走し、トンネルをくぐるとごとりと分岐する。前方の谷間を新幹線の新岩国駅が、まるでダムのようにふさいでいる。ここがちょうど岩国市街の北端のようで、新幹線をくぐるとたちまち錦川が寄ってきた。あとは川を見下ろしながら、緑の中を淡々と走る。水は澄みわたり、「錦川清流線」という愛称が実態に適ったものである事を知る。河原にはテントが張られ、親子がレールバスに向かって手を振っている。

きらら夢トンネル 車内には、「とことこトレイン」なる乗物のポスターが貼ってある。清流線(旧・国鉄岩日線)の終点は岩国から1時間弱の錦町 だが、当初は山口線の日原に通じる予定だった。途中まで建設された路盤は国鉄再建のあおりで放棄されていたが、最近地元の手で観光用の"列車"が走るようになったのである。そんな雑誌記事を読んだ記憶はあったが、現地に来るまですっかり忘れていた。錦町に着いたらすぐ引き返すつもりだったが、乗ってみようかと思う。

 14時09分錦町着。改札脇の観光案内所らしい一角に切符売場があり、観光客でごった返している。見ると、次の便は往路に空席があるものの、折り返しは売り切れとある。この便が最終だから山中に取り残されかねないところだが、ほぼ同時刻に錦町駅に戻る路線バスがあるらしい。ならば帰りはバスにするか、と思いつつ係員に声を掛けると、「1人?まあ大丈夫でしょ」とか何とか言いながら復路の切符まで売ってくれた。

 「とことこトレイン」の乗り場は錦町駅の周囲ぐるりと回った、錦川鉄道の車庫の先にある。アスファルト敷きの広場に、水色とオレンジ色の"列車"が2編成縦列に停まっている。1編成あたり機関車+客車3両の4両編成で、自動車と同様のゴムタイヤを履いていた。「山口きらら博」(2001年)で使用していた遊覧車両のお古だそうで、なるほど、いかにも地方博会場に走っていそうなミニトレインである。車内は親子連れを中心にほぼ満席。清流線より混んでおり駅前の駐車場を使っているらしかった。

 14時17分の定刻より少々遅れて出発。ゴムタイヤだからスムースな滑り出しである。すぐにトンネルに入ると、一斉に歓声が上がった。壁面や天井にブラックライトで照らされた装飾が施されているのである。プロの手によるものと思われる見事な壁画もあれば、地元の幼稚園児が作った微笑ましい飾りもある。「未成線保存」としては邪道のような気もするが、観光資源としては非常に良く出来ていて感心した。

 トンネルを出ると、高架橋の上を"列車"はゆっくりと進んでいく。路盤の継ぎ目ごとにごとごとと固い感触が伝わってきて、ローカル線に揺られている気分に浸るのも不可能ではない。作りかけの駅予定地を通過するが、さして大きな集落ではない。仮に開業させても、到底採算は合わなかっただろうなあと思う。

未成線 もう1度長めのトンネルに突入する。こちらには飾りつけはなく、「コウモリが住んでいます」と案内が流れる。よくよく目を凝らすと天井にそれらしき固まりがあり、時に小さな影がライトに照らされる。「いた、いた」と車内のあちこちから子供達の声が上がった。昔はもっと多かったそうだが、近年随分減ったらしい。それはそうだろう、真下をこんな車がごうごうと通るのでは、落ち着かないこと甚だしい。元が人工トンネルだから、「生環境の破壊」とは呼べないだろうが。

 やがて木々の間から、温泉旅館が見えてきた。錦町から40分かかって終点・雙津峡温泉着。前方にはぽっかりと次のトンネルが口をあけているが、ここで折り返しとなる。つり橋と国道を渡ると温泉旅館があるが、残念ながら湯に浸かる時間はない。森の中をちょっと散策して復路の"列車"に乗り込む、積み残しは出なかった。

 16時20分錦町着、47分発の清流線に乗り継ぐ。川西からそのまま岩徳線に乗り入れて、17時47分岩国着。これで山口県内は完乗となっ た。山陽本線に揺られ18時36分西広島着。ここで広島電鉄に乗り換えて袋町からホテルまで平和大通りをてくてく歩いた。

 これで本日の行程は終了だが、もう1本気になる路線がある。ホテルを抜け出して繁華街へ向かうと、どうも界隈は風俗街らしく雰囲気は極めて宜しくない。平和大通りもお祭りをやっていたせいかヤンキーばかりで、どうにもガラの悪い街である。広島なんて2度と泊まるものかと思う。

 ともあれ八丁堀電停から、広電9系統白鳥行に乗る。広電は広島港へ向かう系統が未乗である事は間違いないのだが、この八丁堀−白鳥がどうにもはっきりしない。前回(02年秋)広島に来た時に乗ったように思うのだが、どうも確信が持てない。ここはもう1度乗ってしまおう。

 元・大阪市電の茶色い路面電車は、これといった特徴のない大通りを淡々と走っていく。あっという間に終点が近づいてきた。案内放送が淡々と電停名を告げる。

「次は、ハクシマ、ハクシマ−」

 白鳥ではなく、白島なのであった。そして思い出した。この線、乗車済だ。前も同じ勘違いをして、放送を聞いてビックリしたの である。ビックリしただけで、勘違いはそのままになっていたらしい。我ながら馬鹿馬鹿しい限りである。

***

 明けて5月4日(水)、広電で広島港へ行ってから広島9時53分発の山陽本線快速「シティライナー」に乗り、10時06分瀬野着。かつては峠越えの要衝として名を馳せたはずの駅だが、橋上駅舎に建てかえられ、ごく普通の都市郊外の駅にしか見えない。

スカイレール この瀬野駅と隣接して、スカイレールのみどり口駅はある。スカイレールは瀬野駅と丘の上の新興住宅街を結ぶ乗り物で、見かけはロープーウェーのようだが、レールは懸垂式モノレールのように見える。コイツを「鉄道」と呼んでいいかどうかは極めて疑わしいが、珍妙な乗り物には違いない。傾斜地の住宅街にエスカレーターや斜行エレベータを作るならまだしも、ここまで本格的な輸送手段は他に例がない。

 運転間隔は10分毎で、驚くほどの高頻度運転である。駅の掲示によれば、朝ラッシュ時は小学生専用車も存在するらしい。しかし僕が乗ったゴンドラには、他にハイキングの格好をした老夫婦しかいなかった。

 発車するとすぐに急坂となり、物凄い勾配で標高を稼いでいく。なるほど、これでは宅地造成と同時に輸送手段が整備されたのは当然だ。しかし眼下には、早くも住宅街が広がっている。次の駅はだいぶ先だから、この辺りの住民はゴンドラを横目に、瀬野駅まで急坂を歩いて上り下りしなくてはならないわけだ。

 上っても上っても、追いかけるように周りの住宅も標高を上げてくる。湘南モノレールの片瀬山辺りにちょっと似ているな、と思ううちに終点・みどり中央着。駅の地図によれば周囲はぐるりとショッピングエリアのはずだが、コンビニ1軒無い。学校と記された場所も、まだ空き地だ。小鳥のさえずりが辺りを包んでいる。

 帰りは一方的な下り坂だから歩く。こんな場所によくもこれだけ、と驚くばかりの大規模なニュータウンだが、人影は疎らだ。頭上からスカイレールの駆動音が、案外大きく響いてくる。10分毎で所要約5分だから、一日の約半分はこの音が響き渡っているわけだ。乗るのは楽しいが、この音の下で日々暮らすのはちょっと考え物だなあと思う。山陽本線の電車が、眼下の瀬野駅からゆっくり広島へと去っていった。

 瀬野11時05分発の快速は115系だが最末期に製造された転換クロスシート車だった。この辺り、峠越えの割に車窓はパッとしないのだが、それでも旅の気分は出る。山から下りて久々に都会が現れると三原だが、ここはまだ広島県。観光客が尾道でごっそり降りる。12時31分、福山で下車。

 次に乗るのは福塩線である。専用ホームに上がり時刻表を眺めると、途中の万能倉(まなぐら、と読むらしい)まではデータイム毎時17・42分発のパターンダイヤになってる。このエリアの基幹列車である山陽本線の快速「サンライナー」の到着時刻が11・41分着だから、接続を考慮した良く出来たダイヤである。しかし1分乗り継ぎは厳しいなあ、と思っていると隣のホームにその「サンライナー」が到着。次の瞬間、あろうことかわが福塩線はドアをぴしゃりと閉めた。ゆっくりと動き出す窓の向こう、階段を上ってきた乗り継ぎ客が呆然とホームに立ち尽くしていた。

 仏作って魂入れずとはこの事で、せっかくの接続ダイヤも乗り継ぎ客を置いてきぼりにするのでは何の意味もない。次の福塩線は30分後、井原鉄道まで乗り継ぐ客なら1時間待ちぼうけだ。こんな走り方が日常なら、僕だって車の運転を必死に練習する。むかむかと腹が立ってきた。猫も杓子もJR西日本を叩きまくっている昨今、僕までもが便乗するのはよろしくないが、これは一言言ってやらねばならぬ。

 12時55分神辺着。乗換駅なのに無人扱いで、運転席脇のドアだけが開く。乗り越し運賃を精算して、運転手をどやしつけ…るはずだったのに、そのままホームに出てしまった。後ろに他の下車客がつかえていたから、と自分に言い訳する。情けない。

 気を取り直して、13時01分発の井原鉄道清音行に乗り込む。井原鉄道は国鉄再建のあおりで建設が中止され、その後第3セクター鉄道として建設が再開されたローカル線のうち、最後に開通した鉄道である。山陽本線のちょっと北側を並行して走る路線で、地図を見ても、何故ここに、いかなる需要で新線が必要なのかさっぱり分からない。時間帯のせいもあるが、1両のDCはガラガラである。

 神辺を出るとすぐに高架となり、国道と並行しながら淡々と走る。どこが県境か判然としないまま岡山県に入ったが、車窓は何も変わらない。ここまで何も感じるものが無い路線も珍しい。結局そのまま、13時51分清音着。結局乗ってみても、存在意義は分からないままだった。

 伯備線に乗り換え、14時01分倉敷着。いよいよ中国地方最後の一線、水島臨海鉄道に乗る。伯備線の車内から臨海鉄道のホームを眺めて、「あれに乗れるのはいつの事だろうな」と思ったのはつい1ヶ月半前だ。まったく、世の中何が起こるか分からないものである。と言うより無節操である。

 倉敷の駅前広場はよく整備されていて、左手には巨大な百貨店がどーんと建っている。しかしこれは三越で、閉店セールの真っ最中である。臨海鉄道の倉敷市駅は広場の右手、パチンコ屋(このビルがまた、テナントがロクに入っていなかった)の脇の小道を入るとひっそりと建っている。場末っぽさが漂う上に、自転車置き場の真下と言う妙な立地である。それでも閉店セール帰りのオバサンが次々に現れて、座席は程よく埋まった。

 14時31分倉敷市発。しばらく山陽本線と併走してから、ゆるゆると分かれる。ほどなく高架線に上って、市街地を見渡しながら走る。びっしりと住宅で埋まっており、これならば都市近郊路線としてやっていけそうな感じである。スピードは上がらないが駅がやたらと多く、ちょこちょこ停まるたびにオバサン達が降りていく。

三菱自工前 14時55分、高架駅の水島に到着。駅前には大きなマンションが建っている。お客さんは皆降りてしまい、残るは僕だけになってしまう。水島までは2〜3本/h運転されているのだが、最後の1駅だけは朝晩のみの運転である。これが午後の一番列車だ。

 水島を発車するとすぐ、線路は港に突き当たる。高架は左右二股に分かれて、それぞれ地上へと降りてゆく。どちらも同じような路線に見えるが、旅客営業しているのは右へ向かう線路だけである。ちらりと水面が見えるが、すぐに工業地帯の中へと突っ込む。道幅の広い踏切を渡って、片面の細いホームに列車は横付けされた。14時57分、三菱自工前着。

 まさに名が体を表す駅で、右も左も三菱系の工場である。当然今日は人影も無い。鶴見線の大川支線を思い出す、生活の匂いのしない終着駅である。しばらくアイドリングしていたDCはやがてゆっくりと、さらに先へと動き出した。どこまで行くのかと眺めていると、豆粒みたいになりかけたところでふっと左に消えた。その辺に車庫があるらしかった。

 これで中国地方に未乗線区は無くなった。完乗間近な東北や、地元関東よりも先に終えてしまったのは我ながら意外だが、ともあれ、乗るべきものは全て乗った。僕は晴れ晴れと倉敷へ戻り、風致地区をゆっくり観光した。


(おわり)

2005.11.19
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