中国・近畿テツの旅


▼第1部 しまった 連休だからテツが多い

 近いのになかなか足が向かない所、がいくつかある。

 代表格は群馬県で、吾妻線・上信電鉄・わたらせ渓谷鐵道と未乗線区が数多いのにいつまでたっても行かない。日帰りしようと思えばうんと早起きして小田急に乗り、新宿か赤羽から延々と高崎線に乗らねばならない。この高崎線がタルい。東海道線なら静岡まで乗っても山あり海ありで退屈しないが、高崎線は桶川辺りでもうアクビが出てきそうだ。かと言って、上越新幹線はちと高い。日帰り圏の未乗線区も随分少なくなってきたから、温存しておきたい本心もある。

 要するに日帰りではヘビィだが1泊する気も起きないのが群馬と言う土地なのだが、一方で1泊ではキツイけど2泊するのは勿体無い、という良く似た環境にあるのが鳥取県である。未乗線区は智頭急行と若桜鉄道のわずか2本。特急「スーパーはくと」3号に乗れば若桜鉄道との接続も良く、翌日は最長距離未乗線区の姫新線の全線走破が可能である。1泊2日でプランニングするのは、一見容易である。

 ところが、この「スーパーはくと」3号が曲者なのだ。僕の新幹線最寄り駅は小田原である。2003年10月のダイヤ改正で8時台の「ひかり」 停車がなくなり、朝イチに西へ旅立とうとすれば7時10分発の「ひかり」301号しか選択肢は無くなった。「ひかり」と「はくと」の接続駅は姫路、「ひかり」は10時14分に到着する。ところが「はくと」の姫路発は10時16分。2分ではもちろん間に合わない。隣駅の相生なら両列車の間隔は開くだろうが、「はくと」は相生には止まらない。名古屋で「のぞみ」3号に乗り換え先行しても、「のぞみ」は姫路に止まらない。

 とにかくほんのちょっとの差なのである。これだけにために夜行急行「銀河」を使う気はさすがに起きない。それで鳥取行きは先送りされ続けてきたわけだが、04年秋頃に時刻表を眺めていたら光明が灯った。「スーパーはくと」3号が相生に停車(臨時扱い)しているのである。発車時刻は10時29分。「ひかり」301号の相生発は10時30分だが、「のぞみ」退避があるから到着時刻は10時24分頃と思われる。相生で5分なら小走りすれば間に合うだろう。

 喜び勇んで米子で1泊するプランを作成したが、有休を取り損ねたりして04年には行くことが出来なかった。それで3月の3連休を使う事にしたのだが、3月1日のダイヤ改正で波乱が起こる。「ひかり」301号改め361号の「のぞみ」退避駅が相生から姫路に変更され、相生着が10時29分まで遅れてしまったのである。「スーパーはくと」のダイヤは改定されず、プランは見事瓦解した。

 さて困った、とりあえず姫新線は見送って播但線にでも乗るか…時刻表をめくりなおして僕は仰天した。智頭急行・姫新線そして播但線と3路線全て乗れるプランが出来てしまったのである。これなら原案よりよほど良い。すっかり調子に乗った僕は「こんなプランが出来たんだけど」と自慢に走り、ひさめ氏が引っかかった。

***

 2005年3月19日(土)、連休初日の小田原7時10分発「ひかり」361号は案の定満席だった。「のぞみ」へ乗り換えられる名古屋まで混 むのかな、と思っていたが、案外降りない。北陸特急へ接続のある米原でも動きはなく、皆どこまで行くんじゃいなと首をかしげていると京都で3分の2程がどっと降りた。さすが京都、並の観光地とは集客力のケタが違う。

 新大阪を過ぎると回送列車同然となり、10時16分姫路着。連絡改札脇の駅弁売場に並ぶ。姫路はあなごが名物らしい。「あなご寿司」が売り切れ、1人前の客が代わりに「あなご弁当」を買っていく。やっと順番が回ってきた。

「あなご弁当、1つ。」

「ごめんなさい。今売れ切れちゃったのよ。」

 まさしく大人気なのである。

キハ181 高架工事で一部仮設の連絡通路を辿り、在来線ホームに降りる。乗り継ぐのは大阪始発播但線経由の特急「はまかぜ」だが、接続は30分以上あり(と言うより、接続していないと言った方が正しいのだろう)まだ入線していない。それどころか、先発する「スーパーはくと」3号が遅れているとホームの放送は告げている。散々頭を悩ませた「スーパーはくと」に、いざ現地に着てみれば間に合ってしまっているというのは、なんとも皮肉である。後続の「ひかり」で、ひさめ氏がやって来た。

 「はまかぜ」1号浜坂行は、定刻の10時41分から少しく遅れて姿を現した。全国でただ一系統、ここだけに残った国鉄型特急気動車・キハ181である。残ったからにはそれなりの理由、つまり乗車率が悪いのだろうと思い込んでいたのだが、どっこい混んでいて僕達の指定券は喫煙車のものである。そもそも時刻表の編成図では、「はまかぜ」に喫煙車指定席の設定は無い。増結されているのである。

 満席のローカル特急は、重々しげな唸りを上げて動き始めた。柔らかなシートは掛け心地上々だが、ただの経年劣化のような気もする。しばし高架線を走り、地平に降りた後も住宅ばかりのパッとしない光景が続く。寺前で電化区間が終わると、ようやくあたりは田舎の気配となった。寺前駅には電化区間の延伸を求める横断幕が掲げられていたけれど、やはり差は歴然で、寺前以北のてこ入れは難しそうに思える。

 途中の踏切で急停止があり、遅れを回復できないまま和田山到着。ここからは山陰本線だが、「偉大なるローカル線」などと言われたのも今は昔、いまや京都大阪から電車特急がばんばん走ってくる。「はまかぜ」は一気に速度を上げた。播但線内での乗降はほとんど無く、皆どこまで行くのだろうと思っていたら城崎温泉でどっと降りた。大阪からなら「北近畿」を使うだろうから、皆三ノ宮辺りから乗ったのだろうか。

 ぐっと空いた「はまかぜ」は餘部鉄橋を渡る。真下の公園にオバチャンの集団がいて、こちらに手を振っている。

 終着浜坂には、定刻13時12分より数分遅れて到着した。普通列車鳥取行はわずか2分の接続だが、もちろん「はまかぜ」の到着を待っている。新車のキハ121だったのは結構だが、単行だからさすがに席がふさがる。

 ふと目を開けると列車は福部に着いていた。次が鳥取だが、県庁所在地駅の隣とは思えないほど辺りは鄙びている。福部−鳥取は11.2kmもある。列車は田園と森の中を淡々と走り、スイッチバック式の信号所をかすめ、まだまだ走り続け、ぱっと丘の裾から平野に躍り出た。高架線から眺める鳥取市は、住宅と工場に埋め尽くされた大都会に見える。間に2駅ほど作れそうな距離をさらに走って、ようやく鳥取着。

 次に目指すのは若桜鉄道だが、接続は全く悪い。今乗ってきた鈍行の鳥取着は13時57分、しかし若桜行は13時50分に出たばかりで次は16時29分ま で無い。若桜での折り返し時間が長いようだからと並行バス路線まで調べてみたが、これが間に合いそうで間に合わない。仕方ないので時間をつぶそうと改札を出る。高架下のコンコースはマックが入ったりして一見近代的ではあったが、東京近郊の駅に比べればやっぱりどこか泥臭かった。

 さて、観光するとすればまずは鳥取砂丘である。…と僕は思っていたのだが、ひさめ氏(浜松在住)が「中田島砂丘で見飽きた」という素敵な理由で反対したので街歩きと相成る。駅前から伸びる道は静かで、人通りもまばらだ。ひさめ氏が盛んに、どこそこの街と雰囲気が似ていると感想を漏 らす。しかし彼が挙げた街は、どこもさびれた所ばかりだ(さしさわりがあるので一々書かないが、一例を示すと御殿場駅周辺)。

 鳥取城まで往復してから高架線路下のbook offを冷やかし(こういう行動に付き合ってくれるからこの人はありがたい)、16時29分発の若桜行に乗る。しばらくは因美線を走るが、京阪神へのバイパスルートなだけに路盤は良好で、2両編成のレールバスはスイスイ飛ばす。

 程なく郡家に着き、ここから未乗の若桜鉄道へと入っていく。地方都市近郊の、田んぼの中に旧家がポツリポツリと混じるだけの風景が続く。しかしこういう車窓、嫌いではない。むしろ大好きである。

 最後の一駅でぐっと山の雰囲気が迫ってきて、残り雪をちらほら眺めるうちに17時19分若桜着。目の前に山が迫り、どこまで敷くつもりだった路線だったかは知らないが、まあここいらが限度だろうと実感させられる終着駅であった。駅周辺には人権擁護の張り紙やら標柱やらがやたら目に付く。かえって何かあったのかと疑いたくなってくる。

 鳥取まで戻り、駅前のホテルにチェックイン。街は昼とは随分雰囲気を変えて、歓楽街風となっていた。回ってない寿司屋(ひさめ氏はこの手の店に随分入り慣れている様子であった)で、僕らを千葉県民と誤解した(五井の岡本真夜ライヴに行く話が契機だったらしい)大将の握りに舌鼓を打つ。その足で温泉に向かい、脱衣場の「白薔薇牛乳」の表示におもわずカタカナでルビを振りそうになった。(ネタだよ)

 寿司屋で醤油がこぼれていたのに気付かず、セーターに盛大に染みたのでホテルで必死に洗った。

***

モノレール跡 翌3月20日(日)、鳥取7時17分発の特急「スーパーはくと」2号に乗る。この旅行3度目の因美線に乗り入れると、DC特急はグイグイ飛ばす。昨日の若桜鉄道のレールバスでも結構速く感じたのだが、やはりレベルが違う。智頭急行線に乗り入れるとさらに速度は上がり、女性車掌の検札を受けている間に小駅を2つすっ飛ばしてトンネルに入る。これで山陰地方に未乗線区は無くなった。少し大きな町が現れ佐用、ビルが見え出すと上郡、あっという間に8時48分姫路着。

 次の目標はいよいよ姫新線。2003年9月に日豊本線の未乗区間を南宮崎−隼人に縮めて以来、最長未乗線区の座に君臨し続けているローカル線である。全線を走り通す列車は皆無で、特に津山での接続が悪い。下りなら姫路10時05分発に乗るしか、効率的な行路は無い。

 この10時05分という時刻がなんとも曲者で、小田原からの朝イチ「ひかり」361号の姫路着はその11分後である。鳥取に前泊して乗りに来るという今回のプランは我ながら妙案だが、これとて早起きした挙句、姫路での乗継時間は1時間17分と誉められたものではない。後続の鳥取8時16分発「スーパーいなば」2号と山陽本線を乗り継ぐと、姫路着は10時14分。実にうまくない。

 しからば姫路での1時間17分を(乗りつぶし的に)有効に使えないかと、手近な山陽網干線のダイヤを当ってみると、これが実に乗れそうで乗れない。JR網干駅からの姫路市営バスの時刻まで調べたのに、徒労に終わった。とにもかくにも改札口を出ると、低く雲の垂れ込めた姫路は山陰より寒かった。

 仕方なく歩き出した姫路の街だが、行ってみたい場所はある。山陽電車とJRの間を歩いていくと、裏町の家並みの中からすっくと煙突のようなコンクリ柱が突き出ている。1966年から74年まで営業していた、モノレールの廃線跡である。桁の上には鉄レールが残っている。姫路と小田急モノレール線の2つしかなかった、ロッキード式の軌道である。

大将軍駅 線路の真下に、細く長く2階建ての店舗が続いている。橋脚が建物の内部にめり込んでいるから、撤去のしようも無いのだろう。界隈の(失礼ながら)廃れた 雰囲気とあいまって、何とも言えないシュールな空気が辺りを包んでいる。モノレールが走っていれば、それはそれで物凄い光景ではある。

 やがて線路は大将軍駅(スゴイ駅名だ)跡に吸い込まれる。マンションの中をモノレールが貫通している。当時はさぞ斬新であったのだろうが、今と なっては、いやはや如何とも表現しがたい。低層部のビジネスホテルは廃業していた。この先JR線を越えて手柄山まで点々と痕跡が残るらしいが、この辺りで引き返すことにした。

 姫路駅1番線の長い長いホーム、その中央付近に異様なまでの人だかりがしている。姫新線普通列車佐用行は旧式なキハ47の2両編成で、あっという間に座席が埋まる。10時05分姫路発。辺りはまだ都市近郊の風景で、姫路方面行は駅も列車も乗客で溢れている。ローカル線扱いされるのがかわいそうなエリアで、新快速直通は無理としても、せめて電化して播但線と同列程度の扱いにならないものかと思う。

 播磨新宮を過ぎる辺りでようやく車内にも車窓にもゆとりが出てきて、11時19分佐用着。15分も待たされて津山行に乗り継ぐ。キハ40系列との予想に反してキハ120が単行でやって来て、立客が発生する。

 姫路を出た頃の都市住民風のお客さんはあらかた消え、車内はハイキング風の中年客や独特の雰囲気の若者ばかりだ。つまり、連休だからテツが多い。乗りつぶしに便利な列車は少ないから、どうしてもこういう事態になってしまう。東津山での対向待ちの間に、テツ達は一斉に外に出てカメラを構えたりする。確実に二桁は乗っている。

 12時37分津山着。新見行に乗り継いだ顔ぶれは、まあ、なんだ、いかにもな顔ぶれである。向かい側のボックスシートでは、若いおばあさんと孫が今か今かと発車を待っている。この2人は津山行に乗っていなかった。岡山から津山線でやって来たのだろう。同席したオジサンと、どこそこの線に乗っただとかNHKの鉄道番組がどうだとか話が咲いている。

オジサン「新見まで行ったら、伯備線で岡山まで?」
おばあさん「いえ、総社で吉備線に乗り換えるんですよ」

 ひさめ氏が、ふっとニヒルな笑みを浮かべた。

 それにしても姫新線というのは事前の予想通りぱっとしない線で、山峡とも町なかとも言い切れないはっきりしない風景の中を右へ左へとさ迷っている。ひどく眠い。お隣はと見ればおばあさんの姿は無く、先頭に陣取っている。孫に連れまわされるうちに、自分の方が旅行づいてしまったように見受けられる。

 14時14分新見着。伯備線の接続は6分と絶妙だが、周遊きっぷを持っているこんな時に限って特急退避の無い普通列車があるとは皮肉である。

 14時20分、115系電車は勢いよく動き出した。人それぞれだろうが、僕にとってはローカルDCより、この程度の速さで走ってくれる亜幹線の普通電車の方が性に合う。薄暗い渓谷の対岸には、どうやってたどり着けばいいのか、山深い集落が息を潜めて固まっている。目玉だったはずの姫新線より、よほど面白い。

 総社で後ろの方のボックスから「どうもどうも」と声が聞こえておばあさんが降りていく。まもなく山陽本線と合流し倉敷。水島臨海鉄道のホームがちらりと見えて、あれに乗れるのはいつの事だろうな、と思う。終着・三菱自工前まで行く列車が少なく、今回は試乗する時間を捻出できなかった。

 ここまで来れば岡山はすぐなのにまた熟睡して、目が覚めると貨物駅の脇を電車は走っている。ぼんやりと乗り換え案内を聞き流していると、ひさめ氏が「地震で新幹線止まってるとか言ってたけど」ととんでもないことを言う。福岡県西方沖地震の発生を知った瞬間であった。15時51分岡山着。
mono
 新幹線コンコースに上がると、すでに広島以東は運転を再開している。改札の向こうの案内板に目を凝らすと、無ダイヤ状態になっているわけではなさそうだ。まっすぐ浜松へ帰るひさめ氏と別れ、岡山市電の乗り場へ向かった。monoで東山まで行ってから、西大寺の商店街を早歩きして清輝橋方面も乗りつぶしてしまう。

 それにしても、岡山の路線バスは何故にどの会社も屋根の電飾が賑やかなのだろう。これじゃあまるでトラック野郎だ。

 岡山駅まで戻ると、新幹線ホームは思いのほか混乱していた。僕が持っているのは16時27分発「のぞみ」22号の指定券だが、所定では博多始発のためか随分遅れているらしい。名古屋で乗り継ぐ「ひかり」382号は岡山始発だから、既に定刻通り出てしまった。もちろん名古屋での接続待ちは無いだろう。駅員に確認してみたい気もするが、他の乗客の案内でてんてこ舞いだ。

 気長に待つか、と諦めているとヘッドマークに装飾をした原色0系がやって来た。開通何周年だかのイベントに使われていたはずだが、運用が乱れて「こだま」に入ったらしい。こんな時でもテツがわっと群がるが、人のことは言えない。

 「のぞみ」22号は結局30分ほど遅れてやって来た。車掌は丁寧にも各停車駅への到着予定時刻を案内してくれたし、随分回復運転をしたように思うが、新大阪の手前で信号待ちがあって結局遅れは縮まらなかった。JR東海エリアに入ると「到着時刻は定時で案内させていただきます」と放送が入る。それは全然意味が無い。自社の責めによる遅れではないせいか(それはその通りだが)、東海は随分と冷淡だ。

 もちろん名古屋での接続待ちは無く、後続の「こだま」550号を待つ。岐阜羽島で臨時の通過待ちをしたらしく5分少し遅れてきたが、三河安城で早くも定時に戻したようだ。

 21時47分小田原着。

(つづく)

2005.05.29
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