しもうさ数え歌 前編 


 千葉県に転居して1年をとうに経過したが、いまだに地名にはピンと来ない。八街と八日市場ってどっちが東だっけ、佐原市って無くなったの!?、緑区と若葉区の区別が付かないよー、等々いまだに外来者っぷりを遺憾なく発揮している。

 そんな千葉県だが、地図を見渡すと数字を冠した地名がやたらと多い事に気づく。これは明治期に開墾を行った際、その順番に数字を振った地名をつけたためらしい。明治も遠くなりにけり、開墾地の"今"がどうなっているのか、ちょっと探訪してみたくなった。

(本稿は単純に「現地に行ってみました〜」という報告記であり、小金牧開墾について考察したり、史跡を巡ったりといった高尚なことは何もしていないので、念のため)

初富
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
京成津田沼→初富
新京成電鉄
千葉中央→松戸
12:23
12:45

 2011年1月9日(日)、スタートは京成津田沼駅。5番線に滑り込んできた新京成の電車は、1本きり(当時)のN800形である。こいつは最初から縁起が宜しい。基本的には親会社の京成3000形と同一設計のこの車、窓に貼り付けられた注意書きや柄の入ったロールカーテン、出口案内の出る車内スクロール、そして自動放送と仔細に見れば見るほど違いがあって面白い。一見京成っぽいけど全然京成じゃない、この中途半端さ加減が新京成をマニアックに楽しむポイントだと思う。

 カーブがやたらと多い事でも知られる新京成線だが、最徐行でやっとこさすり抜けるほどの曲線は最初のひと駅くらいで、新津田沼を出ると意外な程快調に飛ばしていく。高根公団を出た辺りから、車窓には畑が広がり始めた。直線距離なら東京までそう遠くは無いエリアだが、津田沼や新鎌ヶ谷での乗換えの手間を考えると都市化の流れもそれほど強くは無いらしい。もっとも、多摩や神奈川ならとっくに隅々まで開発し尽くされていただろうが。

 船橋市を抜け鎌ヶ谷市に入ると、再び住宅が建て込み始める。最初の駅が鎌ヶ谷大仏、次が初富である。この後新鎌ヶ谷・北初富と続き、鎌ヶ谷と初富、どっちなんだよ!とツッコミたくなるエリアではある。


初富   <はつとみ/鎌ヶ谷市>
  初富駅のホームは小ぢんまりとした島式1面で、振り返れば駅舎との間には構内踏切が残されている。親会社の京成では今でも普通に見かける設備だが、新京成線では珍しい気がする。ここだけかもしれない。

 設備が古いのは改良工事の真っ只中のせいで、すぐ隣で高架化工事が行われている。タクシーさえ乗り入れられそうに無い小さな駅前広場には、工事のPR看板が2枚も設置されていた。

 どこか田舎びた印象の駅とは対照的に、はす向かいにはヨーカドーが鎮座している。昨日今日の開店とは思えぬ風情で、「ここが鎌ヶ谷の中心部なんだぞ」と主張しているかのようだが、初富駅の乗降人員は新京成線24駅中下から3番目である。

 ヨーカドーの向こうには往来の激しい道路があり、その真上を一足先に高架化された東武野田線の線路が通じている。左右を見渡すが東武線の駅は見当たらない。桐生や海老名と並んで、鎌ヶ谷は鉄道路線がやたら複雑に入り組んでいる町である。

 駅前通りを東武線と逆に進んでみる。辺りは昔ながらの住宅街で、東京が膨張するずっと前から一定規模の町だったのだと窺い知れる。直交したはずの新京成の線路が、住宅の裏を並行している。やはりこの路線曲がりくねっていて、地図を見ればこの道路とは4回も交差している。


初富 二和
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
初富→二和向台
新京成電鉄 松戸→千葉中央
13:05
13:09

 次に目指すのは二和で、南隣の船橋市にある。何のことは無い、津田沼から初富に至る途中で通過しているのだ。非効率極まりないが、数字順通りに辿ろうと決めているので止むを得ない。そのものズバリ「二和駅」は無いので、二和向台駅で代用する。


二和向台 和向台  <ふたわむこうだい/船橋市>
 初富と同様、駅舎は地上にあるが、こちらはホームとの間に跨線橋が渡されている。駅舎に密接して小さな駅ビルが建っており、電車を降りた客はこのビルを通り抜けて駅前に出る仕掛けとなっている。逆にこのビルに塞がれる格好となり、駅舎は表から全く見えない。

 周囲は絵に描いたような住宅街で、駅前通りを南へ向かえばすぐに箱型の団地群へ突き当たる。北側には軒の低い商店が連なり、リチャード・クレイダーマン「渚のアデリーヌ」が静かに流れている。老若男女人通りは多いが、幹線筋から外れるらしく、車はあまり見当たらない。ノスタルジーと評するほどでは無いのだが、80年代から時が止まったかのような街並みである。


初富 二和向台 三咲
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
二和向台→三咲
新京成電鉄
松戸→千葉中央
13:29
13:30

 再び新京成線で津田沼方向に戻る。走り出したと思ったらすぐに停車。わずか800mの旅であった。


三咲   <みさき/船橋市>
 ホームに降りた第1印象は、二和向台とほとんど変わらない。カラフルに塗られた壁にどうにも見覚えがあると思い巡らせて、東武伊勢崎線の駅に雰囲気が似ているのだと気が付く。京成系のサイン類とはややミスマッチだ。

 改札口は橋上にあって、コンコースにはテナントも出店している。つくり自体は主要駅だが、人影はまばらでどこか寒々しい。階段を下りると広い割に雑然とした駅前広場があって、見慣れない色のバスにお客さんが吸い込まれていく。裏手には、細長い遊休地でどうにか建ててみましたといった風情の新京成電鉄の寮がへばりついている。

 津田沼寄りで平面交差する道路が界隈の目抜き通りのようだが、商店街らしきものはないし、建売住宅やマンションが並んでいるわけでもない。交差点脇には庚申塚が残っていて、昔ながらの街道筋といった風情だ。元は園芸店か何かだったらしい、ガラス張りの古民家が目に付く。ちょっと旅行気分になってきた。

 5分も歩くとバス停を発見。「二和町入口」とある。本当に隣町なのだ。


二和向台 三咲 豊四季
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
三咲→新鎌ヶ谷
新京成電鉄
京成津田沼→松戸
13:49
13:57
新鎌ヶ谷→柏
東武鉄道 野田線
船橋→大宮
14:17
14:34
柏→豊四季
東武鉄道 野田線
柏→大宮
14:36
14:39

 新京成線を再び北上。本日3度目の二和、2度目の初富を過ぎるとキリキリと左へカーブして北総鉄道にへばりつき、新鎌ヶ谷に到着する。狭い階段を下りて工事中の新京成の高架橋をくぐり、北総線の脇にオマケのように設置された改札口を出る。こんなに歩かされる駅だっただろうか。新京成・北総のコンコースが同一平面に並んでいた記憶があるのだが。もっとも、以前この駅で降りた際には東武野田線の駅は設置されていなかった。もう10年以上も昔の話である。

 地元の要望で後から設置された東武の駅までは、北総線の薄暗い高架下をトボトボ歩かねばならない。東武の管轄エリアに入ったとたんに辺りはぱっと明るくなり、真っ白なコンコースが広がっている。イヤイヤ作った駅だが、開設する以上は京成系中小私鉄ごときに負けてはいられない、という東武の気合の入れ方が良く分かる。野田線は柏で運行系統が分断されているが、2台目の電車が珍しく大宮まで直通している。ならばコレに乗ろうと、駅前のマックで大急ぎで昼食。

 やって来たのは8000系6両編成、というか野田線は全部この車両である。ついこの前まで釣掛車が走っていた事を考えれば大きな進歩だが、成田スカイアクセス開業で準新幹線級に躍り出た北総や、親会社より車両が良い新京成と比べるとはっきりと見劣りがする。なまじっか駅が綺麗で、たいそうな発車メロディまで鳴るものだから、一層侘しい。

 新鎌ヶ谷以北では新京成より外縁側を走る事になる野田線は、先へ進むほどに風景が鄙びてくる。単線となって高柳駅に着く頃には、東京の空気などあらかた消えてしまった。もっとも、次の逆井から常磐線圏に入ったようで再び家が建て込み始め、やがて大都会となると柏に着く。ここでわが大宮行は時間調整をして、その間に柏始発の大宮行が先発する。大宮への直通運転はあくまで運用の都合であって、利便を図ったものではないらしい。もっとも、電車は大宮方面のホームに直接着いてくれたから、階段の上り下りはしなくて済んだ。

 柏を出た電車は、住宅街を横目にびゅんびゅん飛ばす。間に駅を作っても良かったのではないかと思えるほど走って、次が豊四季である。


豊四季
  <とよしき/柏市>
 千葉県で4のつく地名と言えば真っ先に浮かぶのは四街道で、正直豊四季と言うのは意外な解であった。と言うか、まずどこにあるか調べる事から始めなくてはならなかった。一連の地名は単に番号を冠するだけではなく「富」「咲」といった縁起の良い字を組み合わせる工夫をしてあるが、豊四季は特に傑作で明治の人が考えたとはとても思えない。バブル期のニュータウンのような名前である。

 ホームの駅名標は、昨今流行っている薄型のLED照明タイプである。支線の野田線でもその程度の投資はされているわけで、さすが東武と頷きながら後ろを振り向いて、そこで思わず「えっ」と声が上がった。

 駅舎、渋いぞ。

 跨線橋の向こうに建つ地上駅舎は、昔ながらの瓦屋根。自動改札に違和感さえ覚えるほどに古びている。「今年もよう来たねー」と出札口でおばあちゃんがニコニコ出迎えてくれそうな懐かしさすら感じる。

 駅頭の雰囲気は妙と言えば妙で、広場に面して最も目立つのはスポーツジムである。コレだけ見れば今時の新興住宅街だが、駅前通りにはコンビニこそあるものの、若作りした雰囲気は微塵も無い。さりとて「三丁目の夕日」の世界かと言えばそうでもなく、中途半端に近代的な中層建築が建ち並んでいる。どうやら同じオーナーが設計したらしく、エキゾチックというか、ちょっと毛色の変わった建物ばかりである。

 駅前を外れると、広がるのは普通の田舎の風景。常磐線屈指の繁華街を擁する、柏の隣駅とはとても思えない眺めである。もっとも、駅裏に目を向ければ、現代的な広場に大規模マンションが接しているのが見える。要するに、表側はバブルのずっと前からひとかどの町だったという事なのだろう。

 なお、地図を見れば周囲はぐるりと流山市で、豊四季だけが柏市として半島の如く出っ張っている。あるいは開墾当時の名残かも、と妄想できなくは無い形状である。


三咲 豊四季 五香
利用区間
路線
種別
始発→終着
発時刻
着時刻
豊四季→流山おおたかの森
東武鉄道 野田線

柏→大宮
14:59
15:01
流山おおたかの森→南流山
つくばエクスプレス
普通
守谷→秋葉原
15:04
15:08
南流山→新八柱
JR東日本 武蔵野線
快速
府中本町→東京
15:20
15:26
八柱→五香
新京成電鉄

松戸→京成津田沼
15:31
15:35

 次の五香へは野田線を新鎌ヶ谷まで戻るほうが早いのだが、行ったり来たりもつまらないので逆側から回り込んでみる。おおたか・南流山とTXが絡む町だけが不自然に明るい。武蔵野線への接続が悪く、思いのほか時間を食ってしまった。冬の陽が、はや暮れかかってきた。


五香    <ごこう/松戸市>
 橋上駅舎の改札口は、下車客・乗車客双方で随分混みあっている。買物帰りの時間帯とかぶったせい、ばかりでは無さそうである。一気に東京近郊まで戻ってきたかのような賑わいだ。

 西口側には小ぶりながらも駅ビルが建っていて、本屋や飲食店が並んでいる。駅前広場に出て振り返ると、どこかで見たようなビルである。色といい形といい、京成津田沼駅のそっくりさんだ。もっとも、あちらはこんなに賑わってはいないのだが。五香が都会だ、というよりも京成津田沼がいやはや何ともし難い。

 西側一体は昭和40年代あたりにでも開発されたと思われる閑静な住宅街で、しずかに夕焼け色に染まっている。一方で東側は昔からの町らしく、狭いバス乗り場のまわりに個人商店や雑居ビルがゴテゴテと並んでいた。いずれにしても、東京圏のどこにでもありそうな駅前風景である。


豊四季 五香 六実
利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
五香駅→六実駅
ちばレインボーバス 鎌ヶ谷線
五香駅→六実駅
16:07
16:19

 次の目的地は再び東武野田線で、六実。豊四季に向かう途中で一度通過している。鉄道路線図を眺める限り最短コースは新鎌ヶ谷乗り継ぎだが、じつは六実は五香のすぐ東に位置しており、直通するバスもある。

 そこまでは調べてあったのだが、六実行のバス乗り場が見当たらないのはどうした事か。東口のみならず、西口を一回りしてみても乗り場が見つからない。駅や駅前の案内表示は松戸新京成バスの乗り場や経路を懇切丁寧大きな字で案内しているのに、他社のバスには関心を払っていないらしい。六実行が東武バスならばまだしも、同じ京成系のちばレインボーバスである。もうちょっと何とかして頂きたい。

 結局レインボーバスの乗り場は、東口駅前広場からはずれた、京葉銀行前の路地にあった。六実の北隣の高柳駅に向かうバスが出て行くと、ほどなく高柳からのバスが到着してこれが六実駅行に化ける。上手くパターンが組んであるらしい。

 数人のお客を乗せたバスは、幾度か辻を曲がると県道281号に出た。この道を真っ直ぐ走れば六実はすぐだが、途中で北側の新興住宅街を迂回する。元の県道に戻れば野田線の踏切が前方に迫り、バスは駅に向かうべく右折したが、広場には入らずまた中途半端な路上で止まった。レインボーバス、つくづく報われない。五香側でも六実側でもそれなりな利用はあったが、10分ちょっとの道のりを乗り通したのは僕だけだった。


六実
  <むつみ/松戸市>
 呉服屋・靴屋・飲み屋。六実駅前の商店はことごとく年季が入っている。駅舎も小さな平屋建てで、傍らのパン屋の明かりばかりが目立つ。今日は新京成を4駅、東武を2駅訪ねたが、駅どころか周囲の街並みまで雰囲気はまるで違う。現代において、町のカラーを決定付けるのは鉄道なのだろうか。

 六実駅は2面3線、駅裏には留置線らしき線路もある。しばしば国鉄に近い雰囲気を持つと評される東武だが、ものの見事に「国鉄型配線」の駅である。船橋発の終電は六実止まりだから、夜間滞泊があるのだろう。

 もっとも、六実の町が終着駅らしい賑わいを呈しているようには見えない。当地の人には悪いが、恐らく鎌ヶ谷でも新鎌ヶ谷でも折り返せないためにここまで来ているだけだろう。北総線の高運賃と都営浅草線の立地の悪さを考えれば、鎌ヶ谷−東京間の流動は船橋経由が主流なのではないか、という気がする。

 折りしも16時30分、街角のスピーカーから「良い子の住んでる良い町は〜」のメロディーと共に「おうちに帰りましょう」とアナウンスが流れ始めた。その間延びっぷりは如何にも、この静かな田舎町に相応しかった。


利用区間
路線
始発→終着
発時刻
着時刻
六実→船橋
東武鉄道 野田線
柏→船橋
16:45
16:59

 7が七光台(野田市)ならばこのまま旅を続けてもいいのだが、全くの逆方向なので今日はここまで。バリアフリー工事中の跨線橋を上り、野田線で帰路につく。新鎌ヶ谷を出ると、電車は轟然と高架橋に駆け上った。眼下に初富の小さな駅舎が、ちらりと見えた。


(つづく)

2011.3.7
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