TOKYOちかてつWALKER・第4回



新旧交錯東西線

行徳〜原木中山(千葉県市川市・船橋市)




東西線路線図

 もう10年くらいは昔の話になるが、葛西(江戸川区)の地下鉄博物館で東西線東陽町−西船橋間建設工事の記録フィルムを見たことがある。開通直後に制作されたと思われるその古いフィルムは、最後に「このあたりは野鳥の楽園と言われてきましたが、それも過去のものとなるでしょう」とのナレーションで締めくくられていた。西船橋開業は昭和44年、当時の環境に対する無関心ぶりがうかがえるナレーションではある。

 今回は、その元・野鳥の楽園を歩いてみようと思う。開業からはや30年、埋め立ては沖へ沖へと進行し、JR京葉線まで開通していつの間にか内陸部になってしまった沿線の今を瞥見してみたい。


 南砂町を発車した05系電車は、勾配を駆け上り高架線へと踊り出た。2002年10月13日(日)、天気は快晴。葛西で快速を退避、浦安・南行徳と同じようなデザインのホームと街並みを通り抜けて12時03分着の行徳で下車する。

 ホームは実にあっけからんとしている。西船橋方を見渡せば、高架線がどこまでも真っ直ぐに続いてゆく。改札を出れば、正面には営団直営のショッピングセンター、そして駅前には小公園とマクドナルド。どこにでもある駅前風景で、行徳という街の個性を見出すのは難しい。「行徳塩浜の道」と書かれた案内板が、かろうじて"らしさ"をかもしだしている。一体は塩田だったらしい。

 文教堂と100円ショップのキャン・ドゥが入居した西友の前を抜け、線路のやや北を並行する行徳街道へと出る。正面に建っているマンションはレトロの域に片足を踏み込もうかというような古さを漂わせている。行徳駅開設直後に建てられたのであろう。行徳街道は片側2車線の広い道路で、海側は整然と区画された住宅街となっている。市川市役所の支所も本庁の如く立派で、東西線開業により形成された街が既に成熟しきっていることがうかがわれた。

 このままこの道を進めば次の妙典駅まではすぐであるが、それではつまらないのでam/pmの角を左折する。1ブロックほど進んだところで街の雰囲気が変わる。柳の大木があり、古びた材木店がある。道は緩やかに右左とカーブし、民家の軒先には「御祭禮」と書かれた提灯が下がっている。地図を見るとこの辺り、神社仏閣が集中している。北側の旧江戸川まで、旧来からの行徳の集落が広がっているらしい。

 さらに山側、つまり旧江戸川の方向へと進むと、道は車が通るにも難儀するほど狭まってきた。どこへ向かっているのかも分からないまま迷い道を進むと、不意に神社の裏手へと出た。細長い敷地に窮屈そうに建っているが、風格は備えている。社殿の中を覗き込むと、野菜や酒が供えられている。先ほどの「御祭禮」の提灯は、ここの神社のものであるらしい。覗き込むだけでは失礼なので、賽銭を放り込み一礼。通りかかったおばさん2人組が、「若いのに感心ねえ」とささやき合っているのが耳に入る。

 神明神社というその社の正面には、行徳街道の旧道と思しき街道が通じている。細い道の両側には旧家や商店が建ち並んでいたが、それは行徳駅前の賑わいとは別世界のように感じられた。

 再び迷い道をさまよい、行徳街道を横断して東西線高架下の道を歩く。住宅やイタリア料理店に混じって「東京とび高等訓練校」という建物があり、珍しげに眺めたりしているうちに12時50分妙典駅着。

 妙典は2年程前に開設された駅で、改札口周りもまだピカピカであった。高架下は営団系のショッピングモールで、マックやコージコーナーといった新駅にふさわしいナウなテナントが入っている。

 周囲には新築マンションが建ち並んでいる。えてして新駅は、開設後数年は周りに何も建っていなかったりするものだが、都心まで30分という好立地だから開発ペースが速い。駅前にはこれでもかと言うくらい巨大なSATYがそびえている。明らかに行徳西友より大きい。こんな場所に巨艦店を作るから潰れるんだ、とは言ってはいけないお約束である。

 なおも線路に沿って進む。子供や親子連れが実に多い。街に若々しさを感じる。小学校も真新しく瀟洒である。行徳からずっと平坦だった道が、上り坂に転じた。東西線の車庫への分岐線を横目に眺めつつ上りきると、そこは江戸川の堤防であった。水色のトラス橋が、真一文字に対岸へ通じている。

 江戸川の川面には小船が幾艘も浮かんでいた。「ハゼつり」の看板が見える。こんな都市環境の中で、大挙して客が押し寄せるほど魚が釣れるとは驚きである(余談だが、翌週にNHK「ひるどき日本列島」でも紹介されていた)。川原では家族連れがバーベキューに興じている。川原中いたるところでバーベキュー大会である。妙典に引っ越してきたニューファミリーが、隣近所競い合ってアウトドア用品を買ったようにも思えるが、とにかく賑やかである。

 対岸から05系電車が鉄橋に進入してきた。10両繋いでいるのだが川幅が大きいから、ずいぶん短編成に見える。かように広い広い江戸川をこれから渡らねばならないのだが、橋がない。上流には行徳街道が通じているが、いつの間にか線路から遠く離れている。1kmくらいあるかもしれない。しからば下流はといえば、遠く霞む湾岸道路まで道路橋は1本もない。水道橋ならば線路沿いに2本もかかっているのだが。

 上流側へ少し歩き堤防を降りると、そこは旧家の密集する一角であった。瓦屋根に板塀を備えた黒光りする邸宅が並んでいる。妙典駅ができるずっと前、ひょっとすると東西線の開通前から栄えていた集落なのかもしれない。今は河川敷の賑わいと裏腹に静まり返っている。

 行徳街道の新行徳橋は大いに遠かったが、眺めはなかなかのものだった。市川市街から臨海部の人工スキー場まで見渡せたし、上流に架かる旧道の行徳橋の、堰を兼ねたデザインも美しかった。

 対岸は妙典側とは違い静かで、工場や空地が多く殺風景でさえあった。橋の下を直交する道路へ出て、しばらく進むと住宅街の中へ入る。しかし区画整理のされた形跡はなく、歩道もなく狭い通りの両側に家々が軒を連ねている。丸看板のバス停があるが、1時間に1本しか運転されていない。川を境ににわかに田舎じみてきた。この企画、「東京を歩く」がコンセプトだったはずなのだが。

 どこまでも続いていくかのような取り留めのない街並みに歩き疲れた頃、カーブの先から不意に高架のホームが姿を現した。13時45分、今回のゴールである原木中山駅着。周りに繁華街らしき賑わいは全く感じられない。例によって高架下には店舗が並んでいるが、どの店も活気があるとは言えなかった。総じて古びているのである。

 行徳の駅前と旧街道沿い、妙典と原木中山。同じ住宅街でもこれだけ新旧の差が出るのだから、「野鳥の楽園」なんて遠い昔の話には違いなかった。


(つづく)

2002.11.09
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