TOKYOちかてつWALKER・第14回



見知らぬ町へ埼玉高速線

戸塚安行〜鳩ヶ谷(埼玉県川口市・鳩ヶ谷市)




埼玉高速線路線図

 埼玉県の市の数は、四十…えーと、いくつだっけ。

 少なくとも僕が子供の頃、埼玉県は市の数が最も多い都道府県だった。全国各地で合併新市が誕生した今でも、多分日本一だろう。それなりに地名に強いと自覚はしているけれど、これだけあるとさすがに把握しきれるものではない。特に東上線沿線が怪しい。上福岡と富士見はどちらが池袋に近いのか。永遠の謎である。

 それでも鉄道が通じていれば、まだいい。八潮と言えば品川の団地が思い浮かぶし、鳩ヶ谷にいたっては存在さえすぐに忘れる。

 その鳩ヶ谷に4年前、鉄道が通じた。しかも地下鉄が。まだ見知らぬ鳩ヶ谷とはどんな町なのか。2005年5月28日(土)、とりあえず僕は武蔵野線に乗った。


 東川口の埼玉高速線へ通じる階段には、まったくひと気が無かった。エスカレーターは停止し(近づいたら動くタイプではなく、完全に動かしていない)、改札階へたどり着くまで誰ともすれ違わない。売店もシャッターを閉ざしている。苦境に陥っている鉄道だとは聞いていたが、想像以上のようだ。駅員の愛想だけが良い。

 それにしても、浦和のさらに東側のこの辺りが川口市、というのはどうにもピンと来ない。埼玉県、全くもって奥が深い。
スキー板
 ホーム柵に掲げられた「スキー等立てかけないでください」との表示に、はてスキー客がどれほど乗るだろうかと考え込む。空っぽに近い電車がようやく入ってきて、14時20分、次駅戸塚安行で下車。

 で、ここはどこだろう。

 通りの向かいにスーパーが一軒。それ以外にめぼしい物件は何も無い駅である。目の前を普段は決して見かけることの無い、東武や国際興業のバスが行きかっている。そこそこに住宅が建て込んでいて、田舎ではない。だけどこの風景は、どう見ても地下鉄の駅前のそれではない。随分と異世界に来てしまったような気がする。

 ともあれ目の前の道を南下すると、花山下東交差点へ差し掛かる。右折車がバスの行く手を強引に塞いだりして、4方向全部渋滞している困った交差点である。右へ曲がれば、続いて花山下交差点が現れ、県道吉場安行東京線(「場」だけ貼り直した跡があった。間違えたのだろうか)と交差する。左に曲がり、これで地下鉄の真上を歩く事になったはずである。

 県道は歩道は無く幅は狭く、そこを大型トラックがびゅんびゅんやって来る。物影にへばりついて何度かやり過ごしているうちに、周囲の緑が濃くなってきた。右も左も造園業者ばかりなのである。玄関先に大石がごろごろしている。夏の、草いきれが鼻腔をくすぐる。

 それにしても地下鉄「らしさ」の全く感じられないローカルな道路で、果たしてこの道で正しいのかどうか不安になる。やがて前方に東京外環自動車道と側道(国道298号)が現れた。交差点の名は「植物振興センター」。いかにもこの地らしいネーミングだが、地図と照らし合わせるとやはり違っている。「東京」線の文字につられてこの道に入ったのは間違いだったらしい。

 正しいルートへ戻るべく、国道を辿る。車道との間にしっかりとした壁が設けられており、臭気は感じないがやはりうるさい。側道を跨ぎ高速をくぐる橋を渡れば、畑と雑木と古い家が混在した小さな集落の中を抜ける。道の真ん中でオオスズメバチがぶんぶんと唸りをあげて周回している。生垣の向こうへ引っ込んだのを見計らって、大急ぎですり抜ける。

 ほどなく県道161号(越谷鳩ヶ谷線)にぶつかる。今度こそ地下鉄の真上を通じる道路だが、歩道がついている他は、先ほどの県道とさしたる差はなかった。園芸店の前を通り過ぎると、緑の中から角ばった構築物が姿を現した。換気塔である。向かいは真新しい墓地だ。

 やがて前方に、再度高架道路が現れる。首都高速川口線である。地下鉄と首都高の交差など東京界隈には幾らでもあるが、ここまで鄙びた地点は他に無いだろうと、失礼な感想を抱く。

 首都高をくぐると園芸業の集積エリアは終わったらしく、沿道は住宅が固まる風景に変わった。安楽亭・GEO・西友・ENEOSと、普通に人が集まりそうな施設がようやく目に付いてくる。そうかと思えば「学用品季節販売所」などという妙なお店を見つける。しかも、掲げられた営業期間(10月下旬〜4月下旬)は終わっているのに、店を開けている。
記念碑
 そんなものを見遣りつつ歩を進めると、道端に大きな石碑が建っている。近寄ってみれば「摂政宮殿下御小憩所」とだけある。裏側に回ると由来が旧仮名遣いで細かく書かれており、どうやら大正11年に後の昭和天皇が越谷まで鴨狩に行った際、ここで馬を下りて休憩したという事らしい。下馬しただけで記念碑が建つのか、と驚いたが、よく見ると「紀元二千六百年記念 昭和十五年二月建之 神根村」とある。「小憩」から18年も経って建てられたのだ。

 皇紀2600年という狂気の中、この小さな農村は必死で昭和天皇との繋がりを探し出し、これ見よがしな大石碑を建てたのだ。二昔近い過去の話でも、ほんの些細な出来事でも、それを誇りとせねばならぬ時代だったのだ。敷地はわずか5m四方。周囲三方は駐車場と化し、残る右隣には自動販売機が背を向けて鎮座している。戦後60年、よくぞ撤去されなかったものだ。もはや歴史的遺産、大切に保存される事を切に願う。

 記念碑の少し先で、道幅は急に広がる。手持ちの区分地図はこの4月に発行された最新版だが、左手に消えていく旧道しか描かれていない。地下鉄建設に伴って建設された道路に違いなく、この真下が新井宿駅だ。15時20分着。駅前には農園が広がっていて、アメリカ西部のような風車が建てられている。それでも新築住宅が目に付くし、真新しい駅前広場には国際興業バスとタクシーが2台停まっている。

 ほどなく医療センター入口交差点に差し掛かる。クロスする大通りは国道122号線で、埼玉高速・東京メトロ南北線はこの先王子の飛鳥山までほぼこの道路の下を行く。炎天下、王子神谷まで歩いたのはもう2年も前だ。一方ここを右に折れれば、国道 122号は東北自動車道の側道となってひたすら北上する。区分地図を順繰りにめくっていくと、羽生で利根川を渡って群馬県に入ってしまった。長い長い道のりである。

 122号線は片側4車線の立派な道路で、両側にはカーコンビニ倶楽部やドンキといった、いかにもそれっぽい物件が並んでいる。この道路、どうも通ったことがあるような気もするが、国道の沿道風景なんてどこも似たようなものだろう。

 5分ほどすると歩道橋が現れ、ここをくぐるといよいよ鳩ヶ谷市となる。川口市に三方ぐるりと取り囲まれたこの小さな市には、埼玉高速線開通直後に地下を通り抜けたことがあるだけである。東北自動車道もまるでこの町を避けるかのように川口市内を通過してしまうから、地上に足を踏み入れるのは多分初めてだ。

 にわかに眺望が開けた。緩やかなカーブを描きながら、国道が鳩ヶ谷市街に向かって下っていく。見事なダウンヒルだ。見渡す限りに住宅・住宅…。唖然とするほどにびっしり建っている。畑も、雑木林も全く無い。鉄道の通じるずっと前から、鳩ヶ谷はとっくにベットタウン化していたのである。オオスズメバチと遭遇するほどの里を、つい先ほどまで歩いていたはずなのだが。

 住宅街の向こうにはマンション群が見える。あれは川口駅前か、それとも荒川の対岸・東京か。一棟抜きん出て高いのは、川口市内にあると言う日本一の高層マンションだろう。

 両側の住宅との高低差が無くなって、荒川へ続く平野へと降り立つ。国道は排ガスまみれで、歩いていてあまり楽しい道ではない。路地へと逃げ込もうかとも思ったが、前方にドームをかぶった奇怪な建物がもう見えている。予想通りそれが鳩ヶ谷駅で、15時45分着。


(つづく)

2005.6.12
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