TOKYOちかてつWALKER・第 12回



工事中だよ大江戸線

中野坂上〜落合南長崎(中野区・新宿区)




大江戸線路線図

 12号線(現・大江戸線)が新宿までやって来た時、これで練馬の祖父母の家に行くのが便利になると僕は大喜びした。ところが、出来上がった新宿駅はこれ でもかと言うほど深く遠い位置にあり、駅数もカーブも多い故に電車の速度は芳しいものではなかった。わずか数度の利用で、僕の足は大江戸線から遠 ざかった。

 そういう経緯で今日(2004年9月19日・日)は久しぶりの大江戸線乗車、と言いたい所ではあるが、実は中野坂上までは丸ノ内線でやって来た。


 時刻は11時。中野坂上に降りたのは12年振りである。煤けきっていたホームは改装され、駅周辺には再開発ビルが立ち並んでいる。その機能的な駅前に、 ずらり水色のはっぴを着た東京メトロの職員が集まっている。今日はどこかでお祭りらしい。

 クロスする2つの道路は、いずれも往来が激しい。丸ノ内線に沿うのが青梅街道、わが大江戸線は山手通をゆく。山手通は仮設の状態で雑然としており、 大江戸線の残工事はまだ終わっていないのかと驚きかけたが、首都高速の建設工事であった。それにしても、既に地下鉄が通じている道路の下に、もう1本高速 道路を敷くとは大仕事である。

 会館か何かの入口に神輿がしつらえられ、オバサン方は炊き出しに忙しい。殺風景な山手通であるが、人の姿があるのは良い。緩やかな坂道を下り、宮下交差 点を過ぎると今度は上り坂となる。沿道のマンションや学校が適度な古び方をしている。地下鉄の通じるずっと前から、街がここにあったことを実感させる佇ま いである。

氷川神社 それにしてもアホのような暑さである。本当 に9月下旬なのだろうか、今日は。おばあさんが1人、日差しを避けて木陰で じっとバスを待っている。

 そんな山手通に接して氷川神社があり、祭りの幟が立っている。参道には色とりどりの屋台が、まだ準備中の所が多いもののずらりと並んでいる。お好み焼 き・射的・ミドリガメ…。ここで風船屋をつい探してしまう僕はやはり病気だと思う(※ネタです)。どん詰まりの舞台では能が披露されており、しばし見物。

 大通りの埃と喧騒の中、しかし祭りの雰囲気は確実に漂っている。仮設覆いに囲まれた首都高速の工事事務所も、今日は神輿の子供等の待機所だ。祭囃子に混 じって、電車の音が聞こえ始めた。11時30分、東中野着。

 中央線の乗り場に近づくにつれ、どっと往来が増す。その中にあって大江戸線の入口階段は、動線をばっちり塞いで邪魔以外の何物でもない。どっこいしょと 迂回して小さな繁華街を抜けると会館があり、「境界鑑定指導者養成講座会場」 と看板が立ててある。色々な仕事があるんだなあと思う。のどが渇いてそば茶を 購入。

 ずっと仮設状態だった歩道が、カラータイル張りに変じた。ようやく工事区間終了か、と思っていると100mほどでまた殺風景な状態に逆戻り。いい加減飽 きたので、東西線落合駅前(上落合2丁目交差点/この地点、大江戸線には駅が無い)を右折し早稲田通に逃れる。ちなみにここから北は新宿区。新宿駅から練 馬方向へ向かっているはずなのに、妙な区割りではある。

 ラーメン屋や美容室が"いかにも"な雰囲気を漂わす早稲田通を少し歩いて、左手の路地へ。細い下り坂がほぼ直線に通じていて、両側には古びた家々がぎっ しり立ち並ぶ。ピアノ教室の札を玄関にかけた家があり、伊勢丹の袋をぶら下げたオバサンが通りかかる。この空気、郷里の練馬よりもやや建て込んではいるか ら、さしずめ「豊島的」とでも表現すれば良いだろうか。僕は大好きである。

 相変わらず工事中の山手通に戻り、11時50分中井着。TSUTAYAが入居した地下鉄駅舎には、「六本木まで19分」と大書してある。この界隈で六本 木に用がある人がどの程度いるのかしらん、と失礼な事を考える(もちろん僕も、六本木なぞ用は無い)。

 道は仮設の高架橋に変じた。中井の町を見下ろし、サンシャイン60を見晴るかし、妙正寺川と西武線を渡る。駅前の踏切が鳴りだした。分かる人にしか分か らないだろうが、西武線の踏切は他の鉄道と違った、哀愁のある音を奏でだす。あの音だけでご飯3杯は楽にいける。

野上給水塔 カルピスの洗練された全面広告をまとった西武バス(しかしやはり西武バスは、あの野暮ったい緑色が良い)に追い抜かれたり しながら、山手通をとぼとぼ歩 く。大江戸線はこの先、中落合2丁目交差点付近を左カーブして新目白通の下に取り付くはずである。大通りの交差点を眺めても意味が無いので、手前で路地に 折れる。

 ようやく工事中の山手通の喧騒から離れてほっとする。界隈は一見して分かる高級住宅街で、立派な竹垣に囲まれた家や、庭に五輪塔を立てた家や、勝手口に と表札をつけた(つまり玄関までやたらと遠い)家がずらりと並ぶ。その辺から伊藤博文でも姿を現しそうな、古 びかつ落ち着いた一角である。白髪のおじさまおばさまが、貰い物の ナツメを囲んで談笑している。

  徐々に家々の佇まいは「普通」になってきて、最後には凄まじく古びたアパートが姿を現して新目白通に合流。前方にマックが見えてきた。そう 言えば今日の 沿道にはやたらとマックが多かった。交差点の向こうに落合南長崎駅、12時10分着。

 これで今日の紀行はオシマイだが、ついでとばかり新青梅街道から路地に折れる。住宅街と町工場の中、唐突に京浜急行の赤い電車が姿を現す。ここが鉄道模 型メーカーとして著名な関水金属(KATO)の本社で、ショールームを冷やかす。近年のストラクチャーの充実ぶりに改めて感心。相模線カラーのキハ30 (他社製品)にぐらりと心が揺らぐが、ここは我慢。

 KATOからさらに先へと歩めば、哲学堂公園にぶつかる。藤子不二雄「まんが道」で、トキワ荘の仲間が野球に興じた公園である。一画に給水塔があるはず (泉麻人氏の出身がこのあたりで、界隈の雰囲気を良く伝えている)と随分うろうろする。結局給水塔は、公園内ではなく北隣の住宅街にあった。優美なその姿 に向けて、シャッターを切る。


(つづく?)

2004.10.24
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