TOKYOちかてつWALKER・第7回



水の都と半蔵門線

住吉〜水天宮前(江東区・中央区)




半蔵門線路線図

 2003年3月19日(水)、半蔵門線は水天宮前から押上(墨田区)まで延長開業した。同時に東武伊勢崎線との直通運転も開始され、この線は渋谷と押上の両端から私鉄に乗り入れる一大通勤幹線となった。長い間、「銀座線のおまけ」とか「田園都市線ユーザー専用」程度の扱いしか受けてこなかった半蔵門線に日の当たる時代が来たことは極めて喜ばしい。もっとも、我々小田急ユーザー御用達の千代田線より運転間隔が密になったのは、ちょぴり、いやかなり悔しいのだが。

 今回はその新規開業区間のうち、住吉以南の2駅分を歩いてみたい。たった2駅、と言うなかれ。水天宮前から次の清澄白河までは1.4km、清澄白河から住吉に至っては1.9kmもある。荒川以西の駅間としては異様に長い。新規開業区間に半蔵門線の単独駅はなく、従って今回鉄道空白地帯から脱したエリアもない。随分と思い切った駅配置をしたものではある。


 3月23日(日)12時25分、都営新宿線で住吉着。岩本町で急行退避があったとはいえ、新宿から実に25分。これだけ乗ってまだ江東区なのだから東京は広い。コンコースは新宿線のエリアも含めて真新しく、飾り付けこそ少なめだがどこか華やぎも感じられ、半蔵門線初乗りと思われるお客さん(鉄道ファンのみでなく)で賑わっている。双方の乗り換え距離が短いのも良い。が、1フロア上がると、そこが元の新宿線改札だったらしく、蓋をされた券売機や無人の駅務室跡の荒れ具合が痛々しい。

 駅前の地図を見ると、住吉駅は四辺を川に囲まれたエリアのちょうど中央に位置している。川も街路もきっちりと碁盤目に仕切られており、シムシティのゲーム画面のようだ。
猿江公園の猫
 駅の東側には猿江恩賜公園が広がっている。案内板によれば、この地は元は江戸幕府の、後に皇室御用材の貯木場で、払い下げをうけ昭和7年に公園としてオープンしたのだそうだ。入口の門構えは立派でそれらしき風格を感じさせるが、中は普通の公園で、周りの小住宅と対照的な広い敷地に水路があったり野球場があったりする。花は咲き乱れ、グランドからは掛け声が響き、鳩が餌をついばみ猫は昼寝で丸くなる。平和だ、と思う。そしてかの国を思い胸が痛む。

 公園を出て四ツ目通を南下する。片側2車線の広い通りで、半蔵門線工事が終わり打ち直したばかりの舗装が美しい。雑踏するショッピングセンターの前を過ぎると道は上りとなり、小名木川を渡る。川とは言っても、旧中川と隅田川を結んで海岸線と平行にまっすぐ流れており、むしろ運河と言ったほうが正しい気がする。

 川に面して石柱が立っており、「五百羅かん」の文字が読み取れる。傍らの案内板によれば江戸時代の道標らしい。さらにこの地が「五本松」と呼ばれた景勝の地であったことも、この案内板から分かる。東京を歩いていると、しばしばこういった些細な史跡をしっかり説明した案内に出会う。

 橋を渡ると扇橋2丁目交差点で、半蔵門線はここで右折し清洲橋通の下に入る。交差点の周囲には商店が並んでいる。しかし背丈の低いビルが多いから、片道2車線の車道の太さと比較して閑散として見える。

 今日はなかなかに暖かい。風邪気味とはいえコートを持ってきたのは完全に失敗だった。お茶を買おうとセブンイレブンに入ると、「母の日ギフト」と大書した張り紙がある。もうそんな季節かと思う。

 再び道は上りとなり、大横川を跨ぐ扇橋に差し掛かる。碁盤の目を南北方向に仕切る川である。橋の前後で清洲橋通は湾曲している。架け替え工事の最中のようで、事業者は帝都高速度交通営団とある。その先の歩道は未だに舗装が終了していない。地下鉄工事はまだ続いているのだ。

 右手少し離れた所に小名木川が平行している。わが清洲橋通と直行する道路は皆、美しい鉄橋でこの橋を跨いでくる。三ツ目通を業平橋発新橋行の都バスが南下してきた。このバスには数年前の夕方、新橋から吾妻橋まで乗ったことがあるが、どこをどう走っているのかさっぱり分からなかった。こんな場所でばったり「再会」するのも縁というものなのだろうか。

 一本裏道に入ってみると、小住宅がびっしりと立ち並んでいる。高級車が、天井を擦りそうな狭い車庫に押し込められている。町工場の片隅にソメイヨシノとは違うのかもう桜が咲き、路地の入口にお地蔵さんが立つ。いい気分で歩いていくと、突然全てをぶち壊すかのごとく、広大なマンション建設現場にぶち当たる。どこの輩が、と企業名を確かめると、あろうことかウチの親会社であった。

 13時20分、清澄白河着。目の前の元加賀小学校の門前には「干鰮場跡」と記した石柱と案内板があり、向かい側には黄土色に塗られた4階建ての古風な寮が建っている。街の歴史は相当に古そうだが、半蔵門線開通にあわせ増設されたらしい駅入口はピカピカである。しかし、その真正面には救急車が止まり、担架までセッティングされている。

 駅周囲には飲食店を中心に、多くの店舗が立ち並んでいる。先刻通過した扇橋の商店街よりはるかに活気があるのは、やはり駅の有無により生じた差なのだろうか。半蔵門線はこのあたりで清澄橋通からはずれ、箱崎へと南下を始める。手持ちの区分地図にはこの新線は未掲載だが、この辺かなと見当をつけてデニーズの角を左に入る。

 細い道を辿るとすぐに緑地にあたる。向かって左手が入園有料の清澄庭園、右手が無料開放の清澄公園である。無論「公園」に入る。園内は家族連れで賑わい、名も知らぬ木に花が咲き、小鳥がついばむ。平和である。

 公園を出ると、目の前の川になにやら機械が取り付けられている。「清澄排水機場」とあり、江東ゼロメートル地帯の洪水を防ぐ装置らしい。小河川と路地とに囲まれたこの地域、非常に住みやすそうな環境に思えていたのだが、ひとたび大雨でも来れば枕を高くして眠れない場所でもあるのだ。
箱崎JCT
 清川橋で仙台掘川を渡ると、住宅は途切れ倉庫街となった。続いて豊島橋を渡り福住ランプ前交差点を右折し人形町通へ続く道へと入ると、雰囲気は一変した。頭上を首都高速深川線に押さえられた通りは薄暗く、人通りがなく、そして排ガス臭い。花粉症向けのマスクのありがたみを感じる。

 まもなく道は高速と2階建てのまま隅田川を渡る。さすがに橋から川面を見渡せば気分は良い。が、相変わらず頭上は狭苦しく、大型トラックが通るたびに歩道も揺れる。上流には清洲橋が鉄骨トラスの優美な姿を見せている。なるべく地下鉄路線に忠実に、との原則に従いこの隅田川大橋を選んだのだが、あっちの方が気分よかっただろうなぁ、と思う。

 対岸の中央区に入ると、首都高速は幾本にも枝分かれして幾何学模様を描き始めた。ここは鉄道ファンにはピンとこないがドライバーなら誰でもその名を知っている街、箱崎である。相乗的に高速道路下、つまり僕が歩いているあたりはますます暗くなる。こんな場所でも東京だから、全く日が差さないのにマンションが建っていたりする。

 薄暗く埃っぽい歩道の先に、TCATが見え出した。時刻は14時。一角に水天宮前駅の入口を見つけると、逃げるように僕は階段を下りた。


(つづく)


2003.4.12
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