TOKYOちかてつWALKER・第17回



いっぽん裏道副都心線

西早稲田〜北参道(新宿区・渋谷区)




副都心線路線図

 2010年1月13日(水)、本八幡から都営新宿線で新宿三丁目駅にやって来た。時刻は8時25分、船堀辺りで早くも満員だった車内はひと寝した間に空いてしまったが、メトロ改札口の方向からは通勤客がひっきりなしに流れてくる。逆走するように連絡通路を300m歩いて、副都心線和光市行に乗り換える。通勤急行の退避をするスジだから、車内は駅構内と打って変わってガラガラである。

 西早稲田駅に到着すると、「早稲田大学理工は後より階段」と放送が流れる。戸山キャンパスも近いらしく、「早大前」とでも改名したらとつい考えてしまうが、メインキャンパスは東西線早稲田駅の向こう側だから、かような名前にしては学生や受験生を惑わすに違いない。第一、地上に出てセブンイレブンに入れば、そこは「女子学習院店」であった。どうやら早稲田より学習院の方がブランド力があるらしい。時刻は午前9時。

 セブンイレブン前の太い道路は明治通で、副都心線はほぼ全線その地下を走っている。今日はずっとこの通りと付き合うわけだ。鉄道路線図上から言えば、山手線の内側をひたすら南下する事になる。鉄道趣味者にはやや縁の薄いエリアではある。
大久保2丁目
 駅の周囲にはマンションが幾つも建っている。消防署や郵便局も目に付く。いずれも古びており、地下鉄が通じるずっと前から栄えている町だった事が見て取れる。高層ビルは皆無で、青空がことのほか広い。東側エリアには学校が集中しており、信号名は「戸山高校前」、バス停は「女子学習院前」と東京都が双方に配慮した節がうかがえる。明治通は都道、バスは都バスである。

 早大西早稲田キャンパス(理工学部)はと言えば明治通の西側、戸山高校のはす向かいに建っている。いかにも理系らしく近代的なビルが林立し、大隈重信像が道路に背を向けて(つまり、学内を向いて)鎮座している。道路を隔てた正面には、ビックボーイにユニクロにマックと、いかにも学生向けのチェーン店が並んでいる。

 早大を過ぎると辺りはごく普通のマンション・ビル街となるが、程なくフィリピンパブやハングル文字の看板が目に付いてくる。いかにも大久保らしい、と思っているとまさに大久保通が現れ、JR新大久保駅の方向に繁華街が続いている気配がある。交差点は拡幅工事中だが、古びたビルが1軒、角で踏ん張っている。緩やかに坂を下ると、9時20分東新宿駅着。

 「新宿」の賑わいとは無縁(ただし駅の東側は新宿区新宿であるから、駅名は詐称でも誇張でもない)、としばしば形容される東新宿だが、決して閑散としている訳では無かった。飲食店やコンビニがやたら目に付く。マックもタリーズも本日2度目、セブンイレブンに至っては3度目の出会いである。振り返ればホスト募集の看板が建っているあたり、新宿らしいと言えなくもない。ただ、一角のビジネスホテルチェーンのビルはちょっと場違いに大きすぎると思う。この立地で商売になるのだろうか。

 東新宿駅を越えると、明治通西側の地名は大久保から歌舞伎町に変わる。おお、椎名林檎の世界だ、とおののくが、街並みが一変する訳ではない。ビルのショーウィンドウに並べられた日本人形や、教会から厳かに出てきた黒塗りの車を眺めながらタラタラ歩くうちに、左手に日清食品本社ビルが現れる。CMで見た事のあるお馴染みの丸っこい建物だが、こんな所にあったのか、と驚く。

 日清前から新宿駅の方向へ折れてみる。コンビニや飲食店が並ぶ、一見普通の道路であるが、入口には何人も警察官が詰めている。やがて左右の路地にホテルが並び、ホストクラブの派手派手しい看板が嫌でも目に入る。平日の朝っぱらだが、周囲にはホストもしくはホステスと思しき金髪の兄ちゃん姉ちゃんがたむろし、どこからか怒号も聞こえてくる。行くほどに道は細くなってくる。やはり僕にとっては、生涯縁の無さそうな町である。程々で切り上げて靖国通方向へ退散する。新宿区役所の堅牢なコンクリート建築が、周囲の空気からいかにも浮いている。
歌舞伎町
 靖国通に出れば、右手には大ガードが見える。新宿駅はすぐそこだが、我が副都心線は新宿駅をスルーして淡々と南下するので明治通へ戻らねばならない。が、その前に花園神社に寄ってみよう。ビル街の中にポツンと現れる参道はどこか異世界の空気を纏っていて、以前から気になっていた。

 石畳の参道の両脇は雑居ビルで、空調機の排気が参拝者にもろに吹きかかる。無礼極まりないが、境内に入ってみれば、靖国通側はいわば裏参道であって、社殿は明治通を向いて建っていたのであった。浅田次郎「角筈にて」にも出てくるこの神社、新宿の変遷を見つめてきたであろう社殿には確かに風格が漂っている。出勤途中なのか、コート姿のサラリーマンが三々五々とやって来ては手を合わせていく。傍らには芸能浅間神社なる社があって、入口に芸能人の名を記した石柱がずらりと並んでいる。誰が一番上座かと、名前を辿れば八代亜紀であった。

 明治通に戻ったのが9時35分、すぐに新宿三丁目駅の入口が現れる。伊勢丹の前には、10時の開店を待つ客が早くも散見される。3丁目交差点を挟んだマルイはひっそりとしていて、開店時刻を確かめれば11時とある。

 マルイの先が甲州街道で、正面にはタカシマヤがどどんと立ち塞がっている。新宿の隆盛振りを示すかのように人通りも多いが、左手の一角に「ビジネス旅館街」という古ぼけた看板が見え、細い道筋が奥へと続いている。いかなる一角なのかと足を踏み入れてみれば、2〜5F建ての旅館やホテルが軒を連ねている。1泊2〜4,000円、時が止まったかのような街並みである。反対側は墓地で、その向こうに聳える代々木のNTTタワーが何だか別世界の物に思えてくる。高度成長期にはその名の通り、地方から上京したビジネスマンが毎朝勇躍と飛び出していったのだろうか。あるいは今も多くの利用客を掴んでいるのかもしれないが、見当は付かない。一角にユースホステルの看板を掲げた建物もあったが、僕が入会した平成初頭の頃には、既にここにYHは無かったはずである。

 明治通に戻ると、渋谷区境を示す看板が現れる。向かい側のタカシマヤには、新宿三丁目駅の入口が併設されている。歌舞伎町付近から渋谷区内まで、やたらと大きな駅である。もはや三丁目でもなんでもない。相変わらず車は多いが、人通りはめっきり減った。無機質なビルが建ち並び、どこか裏通りの風情が漂う。それらのビルはと言えば「新宿パークホテル」「全農新宿ビル」と、ここが渋谷区千駄ヶ谷である事などキッパリ無視した名を掲げている。

 街並みの向こうには、新宿御苑の緑がちらほらと見えている。繁華街の雰囲気がすっかり消え失せた頃、通りに沿ったビルの名は「代々木」を冠したものが多くなった。あくまでも千駄ヶ谷はスルーらしい。歩道に設置された住居表示図は相当な年代もので、副都心線はおろか大江戸線の姿も無く、タカシマヤの辺りには貨物ヤードが広がっている。

 代々木駅へ続く道を見送り、JR中央線をくぐり、共産党本部の前を過ぎると右手にJR山手線が見える。一応はライバル関係にある副都心線と山手線、池袋・渋谷両駅を別にすれば最も接近するのはこの辺りだろうか。山手線の向こう側には明治神宮の森が鬱蒼と生い茂っている。次の北参道駅の名の由来となった参道は、その木立の中にある。ちょっと離れていて、苦しい名づけのような気がする。

 と、そこまで考えて初めて気が付いた。明治通の「明治」って、明治神宮に由来しているのだろうか。激しく今更ではある。

 道は緩やかな下りとなり、右側には警察署だったらしい廃建物が現れる。紋章にテープがベタベタ貼ってあるさまは何とも侘しい。北参道駅はそのすぐ先、本当に何でもない街並みの中にひょっこり現れた。10時25分着。いかなる事情なのか、入口は全て道の向こう側にあり、電車に乗るにはまず信号を渡らねばならなかった。


(つづく)

2010.2.17
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