TOKYOちかてつWALKER・第9回



降り続く雨浅草線

泉岳寺〜戸越(港区・品川区)




浅草線路線図

  今回は久しぶりに山手線の内側を歩く。が、どうもこの浅草線、泉岳寺以南の影がめっぽう薄い。かつては「西馬込」というどこだか分からないような行先の電車が京成線内から頻繁に乗り入れていたが、いつの間にか大部分は羽田空港行に取って代わられた。それに昨今の京成電車には、「印旛日本医大」とか「芝山千代田」といった正体不明な行先が増えすぎて、もう西馬込くらいでは全然驚かない。泉岳寺で分岐する京急線は毎年内容盛りだくさんなダイヤ改正を繰り返し、相対的に泉岳寺−西馬込の地位は低下の一途を辿っている。

 ようするに今回の紀行も、マイナー区間の探訪になる点はなんら変わらないのであった。


 2003年8月17日(日)、京急の韋駄天快特で10時15分泉岳寺着。地上への階段へ差し掛かると、冷たい風が吹き降ろしてくる。炎天の南北線紀行とはまるっきり状況が違う。今日も気温は上がりそうにない。空からは細かい雨が降り注ぎ始めていた。

 浅草線は新橋から国道15号線(第一京浜)の下を走っており、駅出口は泉岳寺交差点の前に作られている。無人のオフィス街の裏手を、山手線の205系が疾走している。そうかと思えば古い木造のいかにも老舗の佇まいをかもし出す蕎麦屋がある。コンビニもどこか古びている。こういった昭和末期から時が止まり朽ち果てたかのような雰囲気が、品川界隈にはそこかしこに漂っているような気が僕はしている。

 駅前の案内板を、関西弁の女の子たちが覗き込んでいる。「東京の人は、いつまで経っても都内の観光地には行かない」と言われるが、僕も泉岳寺に詣でたことはない。泉岳寺交差点から分岐する上り坂を入れば、すぐに立派な構えの門が見えてくる。早速カメラを取り出すと、電池が切れている。今日に限って予備は持ってきておらず、どうにも間が悪い。古びたコンビニのお世話になる。
泉岳寺
 門前には討入り太鼓やその他義士グッズを並べた土産物屋が固まっている。「創業明治20年」の看板を掲げた店もあった。東京観光の定番スポットの伝統が感じられるし、忠臣蔵と何も関連がないただの休日にしては参拝客も多い。ただし、肝心の本堂はごく普通の構えでパッとせず、境内が駐車場と化していたのにも興ざめした。むしろ、傍らの庫裏らしき建物の和洋折衷な建築様式に大いに惹かれた。

 雨と混じりながら、ミンミンゼミの鳴き声が境内に降りしきっている。赤穂浪士の墓所は、堂宇左手の緩い坂を登ったところにあった。15m四方ほどの区画に、石碑のような小さな墓石が並べられている。大石親子だけは屋根つきである。ちょうど高台にあたる場所で、かつては東京湾が一望できたことであろう。今は小区画にびっしり立てられた住宅の裏窓やマンションが見えるのみだ。

 入口で線香を一束100円で売っており、参拝者が皆買っているので従う。1本ずつ墓前に供えていくが、47本使っても余ってしまいどうにも処理に困った。何より、全員の墓の前で立ったり座ったりのスクワット運動を繰り返したが為に、翌日ひどい筋肉痛に悩まされることとなった。

 これで今日東京へやってきた目的はほぼ果たしたようなものであるが、それでは地下鉄紀行にならないから15号線へ戻り品川方面へ向かう。片側3車線の道路を走り抜けるのは、小型車ばかりだ。地下鉄の排気口から、生暖かい風が吹き抜けてくる。海側には品川の電車区が広がり、湘南カラーの185系がゆっくりと動いている。

 この先で浅草線は15号線から外れるが、真上を辿る道はないので高輪2丁目交差点を右折する。桂坂と名のついた上り坂だ。石垣の両側には、名のある企業の厚生施設やお屋敷、高級マンションがこれでもかと現れる。しかし目を転じると、桂坂から分岐する路地の先にはすり鉢状の低地があり、びっしりと小住宅が並んでいる。落差の激しい眺めではある。

 坂を上りきると警察署と消防の出張所が現れる。警察署は普通のビルだが、消防署の方は丸みを帯びた尖塔をもつ洋風建築である。多少ゴテゴテした印象がなくもないが、高輪らしい建築ではあった。再開発待ちの空地の向こうに、消防署以上に立派な(そしてゴテゴテしていない)洋館が見える。地図によれば明治学院大学の校舎らしい。

 警察署前を左折すると、平坦な道のりとなる。時折大型マンションが現れるが、通りに面した建屋の大半は間口の狭い商店で、桂坂から一転して庶民的だ。やがて品川プリンスホテルの敷地裏側へとさしかかるが、高層ビルはこちら側からは見えずひっそり閑としている。同じホテルでも品川駅前から見上げるのとは随分印象が違う。

 高輪3丁目交差点を右折すると、すぐに片側4車線の大通りにぶつかる。天下の国道1号線(第二京浜)だが今日は車が極端に少ない。ここに高輪台駅があり11時15分着。浅草線はこの先港区から品川区に入り、終点西馬込までずっと1号線の下を走る。

 沿道には無機質なマンションとオフィスビルが連なっている。ショーウィンドウの前で、浴衣姿の女性が着付けを確認している。道は緩やかな下り坂(相生坂)で、沿道には神社が立て続けに現れる。ビルの隙間に縮こまった小さな社もあれば、ビルのエントランスホールに堂々と鎮座する神社もある。しまいには幸福の科学までが登場する。

 カーブの向こうに、高架の山手線ホームが現れた。坂を下りきって11時30分五反田着。にわかに周囲には雑居ビルと、原色に彩られたサイン類が増えてきた。裏通りには「有楽街」と書かれたネオン看板が立っているが、ほとんど朽ち果てている。夜になれば一転して賑わう…かどうかは定かではない。

 山手線駅の中でもその野暮ったさは屈指と思われる五反田だが、駅前広場は広々としている。そしてさすが国道1号線に面しているだけあり、各方面へバスが通じている。だが、その広場に鎮座しているのが東急ストア(百貨店ではない)という時点で、やっぱり五反田は五反田だ。きっぱり言ってしまえばわが伊勢原の駅前と大差はない。
目黒川
 JRをくぐると目黒川を渡る。護岸に「地下鉄地下水」と書かれた排水管があり、川面に向け水が勢いよく噴き出している。総武快速線かどこかのトンネルで生じた地下水を川へ流し水を浄化するという話を聞いた事があるが、これも似たようなものなのかもしれない。もっとも、噴出している水はあまりキレイには見えないのだが。

 山手通を越えると繁華街は終了する。1号線の交通量は高輪あたりより多いように思える。地下の排気口から、浅草線の走行音が聞こえてくる。駅からさほど離れていないはずなのだが、加速が鋭いのか相当に速い。

 中原街道と複雑に絡み合う交差点付近より上り坂になる。右手より首都高速の高架が現れて頭上をふさぐ。にわかに排ガスの匂いが濃くなってきたので、裏道へと逃れる。途端に喧騒は遠ざかり、代わりに蝉時雨に包まれる。東急池上線をまたぐ陸橋の上にたたずむと、夏草に囲まれたカーブの向こうから愛らしい3両編成の小さな電車が姿を現した。

 老婆と子供がにこやかにすれ違い、猫が目の前を横切る。道はますます狭くなり、幅2〜3mほどになった。やがて階段に突き当たり、ここを降りると1号線に戻る。今回の終着点、戸越駅はそこからすぐであった。12時着。

 浅草線で五反田へ戻っても良かったのだが、久々に池上線に揺られたくなった僕は戸越銀座駅へと続く商店街に足を踏み入れた。戸越銀座商店街は、今日歩いてきた街の中で際立って活気あふれていた。


(つづく)

2003.9.14
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