神奈川外周気まぐれ!?列車(&バス)


▼第7回(最終回) 三崎口駅(三浦市) → 横浜駅(横浜市西区) 2007年9月9日(日)

 とうとう、と言うかようやく最終回。夏の間ずっと体調が冴えなかったのだが、もう我慢できないから出かけてしまおう。三浦半島からゴールの横浜まで、一路北上の一日である。

三崎口−三崎港
(1)〈通算69〉 三崎口駅 9:05→ 三崎港 9:23
  京浜急行バス 三9系統 [三崎口駅→城ヶ島]
 三崎口 駅は文字通り三崎の町の「入口」に過ぎず、電車が通じてから相当の年月が経つ今でも周りには何も無い。駅舎の屋根には昔の京急の社章が掲げられていて、時が止まったかのようだ。

 町までは城ヶ島行を中心として、6本/h程度のバスが設定されている。もっとも休日の下り便だから、車内は地元客ではなくリュックを背負って城ヶ島を目指す中高年達で満席である。

 駅を出たバスは国道134号へ入る。今日も前回に引き続き、この国道を辿る事から始まるわけだ。緩やかな丘の上は一面の畑で、北海道の美瑛のような眺めである。

 程なく国道は三浦海岸方面に不自然に左折するが、我がバスは直進して半島南端を目指す。この辺りから沿道が建て込み始めるが、マックは10時〜20時の営業で、東京とは無縁の地に来た感がある。行くほどに道は狭く、曲がりくねるようになる。下り坂の中腹に据えられた東岡バスターミナルを過ぎると、バスは海に突き当たった。

三崎港−三浦海岸 (2) 三崎港 9:50 → 三浦海岸駅 10:27
  京浜急行バス 海35系統 [三崎東岡→三浦海岸駅(剱崎経由)]
 この旅での南端に近い三崎港バス停は、まさに漁港の脇にある。市場は静かだが岸壁では釣り人が糸を垂れている。鮪料理の店が多いのは当然として、喫茶店が随分目に付く。

 次に乗るのは三浦半島東南端をぐるりと回り込む海35系統で、1本/hしか運転されないローカル線である。1つ手前の東岡が始発だが、けしからぬ事に小型バスが現れたのは定刻を10分も過ぎてからだった。お客さんはゼロである。

 バスは港を湾の対岸に望み、もう1つ裏手の入り江を巡り、城ヶ島大橋をくぐって急坂を登ると畑の中に出る。霧が湧いてきて、丘の上を這っている。トラクターが乳白色の景色の中に沈もうとしている。本当にここは神奈川県だろうか。

 それにしてもこのバスは最高にのろく、自転車に毛の生えたような速度でゆるゆると走っている。30km/h制限を忠実に守っているようだ。じりじりしていると制限速度が40km/hに上がったが、途端に旧道へ踏み入ってしまう。路面が茶色に染まっている。先日の台風では、川と化したのだろうか。

 やがてバスは集落へと入る。センターラインは消え、軽トラとやっとの事ですれ違う。成程、小型車で運転されるのも道理である。バイパスとの合流点では、対向バスがこのバスの通過を待っていた。干潟をちらりと眺めてもう1度坂を上れば剱崎で、ここから本数は倍になる。

 風景が変わった。霧も雲も掻き消え、陽光がバスに降り注ぐ。白砂の海岸が弧を描き、リゾート地のような趣が漂ってきた。何かイベントがあるらしく、浜に随分人が出ている。

 すっかり賑やかになった海岸からちょっと入ると、三浦海岸駅である。あんなにゆっくり走ったのに早着気味だった。出だしが遅れたのも、時間調整を兼ねていたのだろう。

三浦海岸−久里浜 (3) 三浦海岸 10:32 → 京急久里浜 10:44
  京浜急行電鉄 久里浜線 快特 [三崎口→青砥]
 三浦海岸からしばらく、海沿いのバス路線は無くなる。やって来た電車は1500系8連で、遠く海を見下ろしながら淡々と走る。車内は至って静かである。

 横須賀市に入り京急長沢を出ると、線路は単線になる。YRP野比では対向列車待ち。韋駄天走りが売りの京急だが、これではまるっきりローカル線である。この電車だって横浜を越えれば120km/h出すのだが、全くもって信じがたい。

 野比からは外周側にバス路線があるが、線路にほぼ平行しているのでカットする。トンネルを出ると世界が変わったかのように、びっしりと建物が並んでいた。久里浜市街である。

久里浜−浦賀 (4) 京急久里浜駅 11:20 → 浦賀駅 11:40
  京浜急行バス 久19系統 [京急久里浜駅→浦賀駅(千代ヶ崎経由)]
 久里浜から浦賀は案外近く、京急バスの久10系統に乗れば10分ちょっとで着くし本数も多い。が、海岸沿いを迂回する久19系統という便が1本/hだけ走っており、外周旅行者としてはそちらに乗らねばならない。

 モスバーガーを出て駅に戻ると、「American Bus」と書かれた白いバスが止まっていた。基地の町ではあるけれど、如何なる経緯でこのバスがアメリカなのかは良く分からない。

 10名弱の客を乗せたバスは中心部の外縁を川沿いに下り海岸に出る。また雲が垂れ込めて、火力発電所の煙突が半分隠れている。工場や研究所の並ぶ寂しい街並みの中を走り、消防学校の前を右折。東京湾フェリーが港を出て行くのが見える。

 やがて道は少年院にぶち当たって行き止まりになる。ここが千代ヶ崎で、いかにも隔離された立地である。バスは少年院の前庭で転回して今来た道を戻る。官舎で子供達が無心に遊んでいる。

 消防学校まで戻ると左折してトンネルをくぐる。マリーナ、渡し舟、そしてドックと海べりらしい物件が次々現れると浦賀である。

浦賀−汐入 (5) 浦賀駅 12:01 → 汐入駅 12:45
  京浜急行バス 急行 [浦賀駅→汐入駅]
 浦賀から横須賀市街までは観音崎で乗り継いで行くものと思っていたのだが、調べてみると臨時急行バスが運転されているらしい。横須賀美術館開館を記念して9月末まで限定運行されている、汐入駅行である。横須賀中央駅でもJR横須賀駅でもなく汐入とは妙な行先だが、市街地の渋滞を避ける目的もあるのだろう。既存路 線の通らない海岸沿いを抜けるのだから、これに乗らない手は無い。

 この手のバスは、得てしてPR不足で空気輸送になるものだが、この急行便には5名の乗客があった。もっとも、観音崎行に乗るつもりがたまたま急行が来た、という乗客が大半であろう。観音崎行の浦3系統は20分毎、こちらは1時間に1本である。

 入り江から山越えへと、車窓は目まぐるしく変化する。今度こそ天気が回復して来て、車内に陽光が降り注ぐ。やがて現れた観音崎バス停はバスも人も多くて賑やかだが、急行バスは平然と通過する。観音崎を通過するとは何事かと思う。逆方向の浦賀駅行だと停車するのだが、代わりに美術館を通過してしまう。美術館開館記念のバスなのに、である。良く分からない。

 どの道、美術館は観音崎からさして離れていなかった。海に面した広大な敷地に、白亜の建物が聳えている。数年前来た時には工事中だった記憶があり、ここが美術館だったのかと得心する。美術館で他の客は全員降りてしまった。5分停車の間に、親子連れが1組乗る。

 バス通りはやがて、国道16号と称するようになる。全国屈指の交通量を誇る道路だが、いまはまだ普通の田舎道である。走水地区を抜けて、一般のバス路線が内陸側にそれると、4車線に広がって「よこすか海岸通り」と愛称が付いた。気持ちの良い直線道路で、東京湾を隔て房総半島が見える。陸側は、同じ間取りの低層住宅がずっと続いている。

 やがて16号と海岸の間に、ロードサイドショップが建ち並ぶようになる。PCデポが「ヤマダさんコジマさんに徹底対抗します」と威勢のいい看板を掲げている。すぐにヤマダが現れるが、この大きさではちょっと勝てない。リヴィンという大きなSCの前で親子連れは降りたが、代わりに男の2人組が乗ってきた。見るからにバカっぽ、もとい、溌剌とした面相である。海に出るしかやる事がなさそうな顔をしている。

 行くほどに加速度的に交通量が増え、バスはクラクションを何度か鳴らす。中心部に近い小川町の交差点では渋滞した。

汐留−田浦郵便局 (6) 汐留 12:56 → 田浦郵便局 13:04
  湘南京急バス 八31系統 [安浦2丁目→内川橋]
 快特が止まらない割にはやたらと開けた汐入駅前に降り立つ。田浦方面に向かうには、目の前の汐留と言う駅名と混同しかねない停留所から八31系統に乗るか、JR横須賀駅まで歩いてスカ線に乗るかである。後者にするつもりだったが、念のためバスの時刻を調べてみると、次のバスが間も無くやって来る。しかもバス停にいたおばあさんが、「あなたが居るから助かるわ」と日陰の方へ行ってしまった。これではバスを待つほか無い。

 八31系統は始発も終着も駅ではないという変わった路線だが、横須賀中央・汐入・横須賀・田浦・追浜と5つもの駅を経由する。横須賀市街を縦貫するのがその役割のようで、20分毎とそれなりな本数が走っている。「八」は金沢八景だろうが、八景駅まで行かない事の方が奇異かもしれない。湘南京急バスという会社名も馴染みが無い。

 バスはそれなりに混んでいた。乗降の無いまま横須賀駅を過ぎると、にわかに山中の雰囲気が漂ってくる。道幅が4車線から2車線に狭まるが、2車線とも北行である。南行の車線はもう少し低い辺りに別に通じている。なんだか妙に落ち着かない眺めである。

 田浦駅バス停を通過するが、電車は見えない。駅は南行道路のさらに海側にある。峠を越えて4車線に復した田浦郵便局前で下車。

田浦郵便局−日産自動車前 (7) 田浦郵便局 13:22 → 日産自動車前 13:38
  横浜京急バス 田17系統 [田浦駅→追浜駅]
 今乗ってきた八31系統ならば、このまま国道16号を真っ直ぐ走って追浜駅を通過するのだが、海側をぐるりと迂回するのが田17系統である。休日は30分に1本程度の運転で乗客は僕を含め5名。うち1名は京急田浦駅に行くつもりが誤乗したようで、16号から右折した直後の東芝前で降りていった。

 国道を外れたバスは入口をレンガで覆われたトンネルをくぐり、工業団地の中を周回した後、追浜駅に通じる広い道路へ出る。直後の東京ファイン前で下車する予定だったのだが、あろうことか放送がかからないままバスは平然と通過してしまった。今までのバス停でそんな事はなかったから、狙いすまされたような気分だが、次の日産自動車前で降りても同じ事なので、慌てる必要は無い。

日産自動車前−帰帆橋 (8) 日産自動車前 13:47 → 帰帆橋 13:54
  横浜京急バス 文15系統 [追浜車庫前→金沢文庫駅]
 本日だけで7度目、通算では11回もお世話になった京急バスも、これで最後である。この会社は1日乗車券が無いので、随分と出費をしてしまった。(ちなみに最多は神奈中グループで、なんと22回利用)

 ラストランナーの文15系統こそが京急バス最難関で、1日7本(土休日)しか運転されておらず、間隔もバラバラである。典型的な入出庫路線、といった所だろうか。磯子駅行と続行してやって来たが、車内は無人だった。車庫を出たばかりで、冷房が効いておらず暑い。

 工業団地を抜け巨大マンションの前を過ぎると、バスは追浜駅を無視するかのように右折して住宅街の中へ突っ込む。先ほど渡った川がもう一度寄り添い、内海が現れると人工島の野島へと渡る。随分水っぽいエリアだが、それはともかく、この辺りから横浜市内である。ついに戻ってきた。

 釣船店が並ぶ野島の先、平潟湾をシーサイドラインが雄大に渡っていくのが見える。本土へ戻る手前のバス停で下車。「きはんばし」と読むのだと、現地に来て初めて知った。

野島公園−新杉田 (9) 野島公園 14:04 → 新杉田 14:31
  横浜新都市交通 シーサイドライン [金沢八景→新杉田]
 橋を渡れば野島公園駅はすぐである。勝負は終わった。ここから横浜駅までの交通機関は、いずれも本数の多い路線ばかりだ。信号機故障でJRが止まったりしない限り、何も心配は要らない。

 新交通システムの中でも全国屈指のマイナー路線ではと思われるシーサイドラインだが、こんな端っこでもさすがは横浜市で、7分半間隔の高頻度運転をしている。もっとも、両端で接続する根岸線も京急も10分間隔だから、かえって不便なダイヤになっている気はする。

 車内は程よい乗りで、皆観光客である。青々と茂った海の公園の森をかすめ、八景島に着くと全員が降りてしまった。軌道は島の外周に沿ってカーブを描き、この辺に駅を作った方が便利なんじゃないかと思うほど走ってからぷいと海岸から離れる。途端に両側は倉庫街に変じる。たちまち観光臭が消えた。

 並木付近から海側に首都高速が並行し、何も見えなくなった。レースのカーテンがひらひらそよぐのを眺めるうちに新杉田着。

新杉田−根岸 (10) 新杉田 14:36 → 根岸 14:41
  JR東日本 根岸線 快速 [大船→南浦和]
 乗り慣れた209系がやって来る。どうでもいい話だが、まだ14時台にもかかわらず、この電車が快速最終便だ。

 路線は変わったが、海側の車窓はシーサイドラインと大差がなく、首都高速の高架が続くばかりである。線路が地平に降りてくるとようやく、橋脚の隙間から色々なものが見えてくる。工場、建売住宅、マリーナに火力発電所と、存外何でも揃っている。それにしても、線路と高速道路と工場に囲まれたここに住むのはちょっと御免蒙りたい。

 タンク車がごろごろ並ぶのが見えてくると根岸である。このまま乗り続ければ横浜駅はすぐだが、本牧地区をぐるりと回るためここで下車。

根岸−本牧ポートハイツ前 (11) 根岸駅前 15:00 → 本牧ポートハイツ前 15:19
  横浜市交通局(バス) 97系統 [根岸駅前→根岸駅前(内回り)]
 次に乗るのは市バスの97系統で、本牧の臨海エリアを奥まで走って戻ってくる循環系統である。土休日は30分毎の運転(16時の便から逆回りになる)なので、ちょっと間が開いている。たまらなく暑い。本当に9月 だろうか。

 15時の便の乗客は4名。運賃は中心部と同じ前払い均一料金で、ゴールが近いことを実感する。海側には貨物線が並行し、巨大な石油コンビナートが続いている。間門交差点を過ぎると頭上に首都高速が覆いかぶさるが、鉄骨が真っ白いせいか存外明るい雰囲気である。しかし殺風景には違いなく、三渓園が明らかに浮いている。かつては風光明媚の地だったのだ。

 市民公園を過ぎると陸橋で海側に出る。工業団地内の6車線道路を行くが、車はまばらで、ひと気は全く無い。コの字型に一周するともとの高架下道路には戻らず、一本海側の狭い道を走る。貨物線の踏切には「使用停止」の札がかかっているが、その先にはディーゼル機関車と、銀色の真新しい電車が何両も止まっている。市営地下鉄グリーンライン用の新車だ。

 古びた団地が現れると道は尽き、港湾道路に合流してバスは止まった。

本牧ポートハイツ前−マリンタワー前 (12) 本牧ポートハイツ前 15:35 → マリンタワー前 15:50
  横浜市交通局(バス) 26系統 [海づり桟橋→横浜駅前]
 ポートハイツ前バス停はその名の通り南側に団地を背負っているが、幅広の道路の向こう側は殺伐とした港湾地区の風景が広がっている。26系統は横浜駅からウチの会社の近所を通り、山下公園辺りのいかにもヨコハマ的な街並みの中を走るバスである。最近はパスポートを取るために大桟橋まで良く利用していたのだが、こんな所まで来るバスだったのかと思う。

 だいたい3〜4本/h程度の運転がある路線で、発車時刻が近づくと三々五々と人が集まって来る。やって来たバスは無人だったが、ここから5名乗車。

 バスはしばらく港湾地帯を走ったが、小港橋で和田山方面からやって来る道と合流すると、にわかに住宅が増えてきた。「貯木場前」といういかにも海べりな名のバス停の前に、新築マンションが鎮座している。

 山下橋を渡ると山下公園である。風景は一変し、にわかに馴染みのあるものになった。

マリンタワー前−クイーンズスクエア (13) マリンタワー前 15:59 → クイーンズスクエア 16:30
  横浜市交通局(バス) あかいくつ [港の見える丘公園→桜木町駅前]
 マリンタワーは休業中だが、それでも界隈は賑やかである。何のイベントなのか、道の向こうで小学生らしき女の子達がダンスの練習に励んでいる。

 あかいくつ号は桜木町駅を起点に、みなとみらい・赤レンガ倉庫・中華街(下りのみ)・山下公園・元町を回り港の見える丘公園に至る100円バスである。ヨコハマの観光スポットの大半をカバーする便利なバスなのだが、便利すぎるきらいがあっていつも混んでいる。20分間隔で、専用のバスは中型車とくればいかにも輸送力不足だ。

 案の定、やって来たバスは満員である。次の大桟橋ではとうとう前ドアから乗り切れず、後ドアが開いた。前払いだから無賃乗車になりかねないが、ほとんどの乗客の手には1日乗車券が握られているから問題は無いのだろう。それにしてもこんなに混んだ交通機関は、この企画では初めてだ。

 屋形船が舫うのを見て、赤レンガ倉庫前を一周するとワールドポーターズに着く。「この先渋滞しているので、桜木町駅へはここから歩く方が早く着きます」と放送がかかる。その通りなのだが、外周旅行者としては汽車道を歩くわけには行かない。

 ここから国際橋を渡ってパシフィコに至るまでの渋滞は壮絶で、2本の道路が合する脇からコスモワールドの駐車場を出てくる車が割り込んでくるのだから進むわけが無い。やっとの思いでみなとみらい中央地区に入って、みなとみらいホールの横で下車。西日があかあかとバスを照らしていた。

みなとみらい−横浜
(14)〈通算82〉 みなとみらい 16:38 → 横浜 16:40
  横浜高速鉄道 みなとみらい線 特急 [元町・中華街→渋谷]
 クイーンズスクエアに入ってどーんと長いエスカレーターでみなとみらい駅に降りる。この1年、仕事中に「外周紀行でこの辺を通るのはいつの日になるかなあ」と思っていたのだが、とうとう最終ランナーまでたどり着いた。

 やって来た特急は5050系であった。JR程でないにせよ、東急も随分急に新車が増えた。良く混んでいて結構な事である。

 轟々と闇の中を走り、空っぽの新高島駅を通過すると車輪がキイキイときしみだす。電車はゆっくりと横浜駅に滑り込んだ。

 という訳で、足掛け1年と2ヶ月で神奈川県を一周してみました。2006年7月に始まったこの企画、本当は年内で終わらせる短期集中企画のはずだったのですが…あれ?おかしいなあ…(苦笑)。

 地元神奈川とは言っても、勿論未訪地も多いわけで、それらの場所と馴染みのエリアを線で繋ぐ旅は中々に面白いものでした。実際の旅行もそうですし、プランニングにも随分熱中しました。あちこちで本数極少の路線バスに泣かされましたが。

 印象深いのはやはり、津久井の青根(東野)地区でしょうか。都市の匂いとも無縁で観光化もされていない山里の空気を、存分に味わう事が出来ました。多分、この企画を思い付かなかったら一生行かなかった場所でしょうね。三浦海岸のように、案外手の届く場所でローカルな風景に接することが出来たのも新鮮でした。

 さて、次はどんな旅に出たものか。東京メトロ全線乗車紀行でもやりましょうかね。(やりません)


(おわり)

2007.12.30
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