今度の旅はレアバスで・第8回



大井町の真実

富士急行 松76 新松田駅→篠窪






 小田急線に乗って鶴川(東京都町田市)を出ると、路線バスは神奈中系ばかりになる。相鉄バスが乗り入れる海老名(神奈川県海老名市)を別にすれば、どの駅で降りても黄色いバスの群れがロータリーを埋め尽くしている。この状態は県西部の渋沢(秦野市)まで続くが、トンネルをくぐり酒匂川流域の新松田(足柄上郡松田町)へ至ると様相は一変する。駅前でエンジンを震わせているのは箱根登山鉄道と富士急行のバスで、にわかに田舎の香りと山の嵐気が漂ってくる。

 新松田から出る富士急行のバスには、レアバス、というより純粋にローカルバスと呼べるような過疎路線がいくつかある。今回乗る篠窪(しのくぼ)行は1日2本の運転、「湘光中休校日は運休」とある。山間の小さな中学への通学バスかと推測される。

 ところが地図を開いて驚いた。湘光中は松田町の隣、足柄上郡大井町の市街地の中にある。JR御殿場線上大井駅からも徒歩圏内で、どうしてこの立地でバスが必要なのかと思う。ともあれ、乗ってみれば分かる事ではある。


 2002年3月2日(土)、何年かぶりに新松田駅で下車。篠窪行の接続は良く、すぐに発車時刻の12時25分となる。箱根登山バスの関本(大雄山駅・南足柄市)行・富士急行の寄(やどろぎ・松田町)行と競うように駅前を出る。前の2台は御殿場線の低いガードをくぐるが、こちらはすぐ右折して小田急の踏切でロマンスカーを見送る。

 篠窪行バスは丈の短い小型車だった。導入間もないと見られピカピカである。しかし両替機は新500円硬貨に対応しておらず、車内には共通バスカード導入延期の張り紙がしてあるなど、どうもいまいち元気がない。ワンコイン区間設定の案内放送があるが、運賃表示機は150円の文字を点灯させている。

 バスは余り道幅のない商店街を進んでいく。いかにも田舎の町並みで、やはり酒匂川流域ともなると東京の毒気が大分薄らいでいる。100円区間が終わる頃、町並みは住宅へと変わり、いつしか田畑が混じるようになる。

 新松田駅から10分ほど走った、大井幼稚園前でおばさんが1人下車。客は僕だけになる。程なく左折すると、バスはひときわ大きくクラクションを鳴らした。飛び出しでもあったのかと思ったが、そうでもないようだ。次のバス停は「湘光中学校グランド前」、どうやら中学生に帰宅バスの接近を知らせたようだ。親切だが近所迷惑ではある。

 しかし肝心の中学校バス停には誰もいなかった。この学校が休校か否かでバスの運行が決まるにもかかわらず、である。運転手はいぶかしげにグランドを振り返ったが、部活動に励む生徒達はバスに見向きもしなかった。しかし何故か、1つ先のバス停から女子中学生が2人乗る。

 御殿場線の小さな踏切を渡ると、古くからの往来と思われる通りにぶつかる。正面に「第一生命本社」の立派な看板が掲げられている。本社はすでに東京へ戻ったはずだが、看板だけは残されている。青山学院大学の厚木撤退といい、やはり神奈川県西部は「東京圏」と言うには遠すぎるのだろうか。

 JR上大井駅に寄るが、誰も降りなかった。誰も乗らなかった。もとより、小さな駅前広場には誰もいなかった。関東の在来線では御殿場線だけのJR東海仕様の駅名標が、ことさらローカルな雰囲気をかきたてる。

 駅を出るとバスは、街道から外れて急坂を登り始めた。ハイキングコースの標識が立っている。篠窪がいかなる地か、湘光中からどのくらい離れているのか僕は知らないが、どうやら山間に分け入っていくようだ。なるほど、このバスは「山間の中学校の通学の足」ではなくて、「山間の中学生が町の中学校に通う足」だったのだ。よく考えてみればごくあたりまえの事ではあるのだが、少し虚をつかれた思いだ。松田−大井間で通学とは無関係な客がいたのも発見である。

 坂を登りきると、突然に眺望が開けた。思いのほか大きな集落が眼下に広がっている。大井町といえば、酒匂川沿いに広がる平地に展開した町、という印象をもっていたが、どうやらそれは勘違いだったようだ。 川沿いの御殿場線にしか乗っていないから、そうなる。

 集落を進むうちに中学生は2人とも降りてしまい、もう乗ってくる客もいない。場違いに立派な東名高速の下をくぐると、同じ色のバスとすれ違う。よく見ると向こうも同じ新松田駅から出た便である。中学校に寄ったために大回りの経路を取っているようだ。

 再びバスは急坂を登り始める。眼下に大井松田インターと第一生命ビルがジオラマのごとく並び、遠く松田の市街が望まれる。酒匂平野にうららかな春の日差しが降り注いでいる。

 真新しいトンネルをくぐると道は下りに転じ、次の集落へと入っていく。ゆるくカーブした道路をしばらくたどり、立派な門構えのお寺の前を過ぎると、農家の前庭のような空地に乗り上げた。そこが終点の篠窪バス停であった。12時50分着、運賃は490円。転回場の草地に面して古い木造家屋が建っている。公民館かと思ったが洗濯物が揺れており、誰か住んでいるらしい。

 バス停の時刻表をしげしげと眺める。篠窪より先に行くバスはなく、ここがどん詰まりである。折り返しは新松田駅行が4本(平日)あるが、経路は1種類ではない。小学生と中学生が別のバスで登校しているのだろう。傍らに「篠窪班集合所 7時45分」と書かれた小学校の集団登校向けの掲示がある。7時48分に今日乗ったバスとは別経路の便が出るから、これが小学生用なのだろう。

 完全に通学に特化したダイヤであり、昼〜夕方に下校生を乗せてきたバスは平日の1本を除いて回送で折り返してしまう。つまり土曜の今日はもう松田へ戻るバスはない。 地図を広げると道は篠窪からさらに峠を超えて、渋沢(秦野市)へ通じている。歩くほかはなさそうだ。

 集落を外れると道は登りとなり、ヘアピンカーブを描き出す。急斜面に張り付いた道だが、段々畑が尾根まで続いている。ときに竹林が現れる。梅が咲いている。

 何度目かのカーブを曲がると、思いのほか広い空間が飛び込んできた。尾根上の緩やかな起伏は一面の畑で、八ヶ岳山麓のような清々しささえあった。振り返れば山々に囲まれた篠窪の家々が小ぢんまりと肩を寄せ合っていた。反対側の丘の頂上に菜の花畑があって、その一角が黄色く華やいでいる。

 −桃源郷。そんな言葉を思い浮かべつつ秦野市境を示す標識の下をくぐる。細い道を下ると「峠」という゛まんま"なバス停があり、運のいいことに13時30分発の湘南神奈交バス(神奈中の子会社)が止まっていた。古ぼけたトンネルをくぐると住宅街の真ん中に出て、程なく小田急渋沢駅の大きな橋上駅舎の前に到着した。

 足柄上郡大井町。山間の小さなふるさと。


(つづく)


2002.3.18
on line 2002.9.15
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