今度の旅はレアバスで・第5回


トンネルの向こうは…

神奈川中央交通 伊58 伊勢原駅北口→善波





 気がついたら小田急バスに乗って新宿へ行ってから3ヶ月も経ってしまった。不定期な企画とは言え、ちょっとサボりが過ぎたようである。

 この間何もしなかったわけではなく、2001年8月5日にはJR・東急・横浜高速長津田駅(横浜市緑区)と小田急鶴間駅(大和市)を結ぶ神奈中バスの間06系統(休日1本のみ運行)に乗りに出かけている。が、長津田駅に降りた僕は、そのまま東急田園都市線の隣駅である田奈を目指した。7月末の落雷で配電盤がダウンし、朝ラッシュ時の臨時ダイヤ運行を招いた田奈変電所を一度見ておきたかったのである。

 田奈から戻った頃には、間06の発車時刻はとうに過ぎていた。国道246号を走るバスである事は見当がついていたので、2駅先のすずかけ台駅まで東急線で追いかけたが結局乗れなかった。そうして8月も何も成果の無いまま終わったのであった。

 ところで、レアバスには幾つかの種類がある。小田急沿線に最も多いのは、路線免許保持のために1日もしくは週1〜2便程度走らせている系統で、特に神奈中には無数に存在する。第2回で扱った川崎市バスも似たようなものであろう。

 2つ目は特定の施設への旅客輸送に特化した系統で、前回乗ったよみうりランドへの小田急バスや、小田急新松田駅(足柄上郡)と富士霊園(静岡県駿東郡)を結ぶ富士急バス(3往復)がこれに相当する。

 そして、数は少ないが「本物」のレアバスもある。人口希薄地帯へのローカルバスである。免許保持の為ではなく、利用者数を勘案したうえでそれでもなお1日数本しか運転されないバス。どこまで乗っても混んでいる、と評される小田急線の沿線でそんなバスが発着する駅は、相当な田舎だと言って良いだろう。

 今回はそんなローカルバスに乗ってみる。スタートとなる田舎駅は伊勢原駅(伊勢原市)。思いっきり地元である。


 9月1日(土)、昼下がりのローカルバスには思いの他乗客がいた。数えてみると15名を越えており、レアバス紀行史上最も混んでいる。老人と始業式帰りの高校生が半々くらいであった。今回乗車する善波(ぜんば)行のバスは1日3本(毎日運行)、しかし道中半ばまでは伊勢原車庫行(伊43・46)が同じ経路を走るので、とりあえず伊勢原駅側では1時間に3〜4本という比較的密な運転状況となっている。

 12時50分、定刻に発車する。伊勢原市街、特に北口側の街並は再開発もされず沈滞している印象を抱いてたが、こうしてバスから改めて眺めていると、シャッターを下ろした店は少なく、案外活気を感じる。

 5分ほどで国道246号線にぶつかり左折する。終点の善波は伊勢原市のいちばん西側、秦野盆地外縁部の山麓にある集落で、246号はここをトンネルで越えて秦野市街へと下っていく。

 いつもの事だが246号は混んでいる。のろのろと徐行し、歩道の自転車と抜きつ抜かれつの不毛なレースを展開する。厚木以西の246号は交通量が多いのに片側一車線しかないうえ、伊勢原市内では目抜き通りから農道までありとあらゆる道路と平面交差するので始末が悪い(秦野市に入ると立体交差が多くなる)。ちょっと動いては信号機に引っかかる。

 よく買物に来るダイエー(旧忠実屋)の前、白根で6人降りる。すぐ先の白根公民館前(我が家御用達のファミレスとAOKIと文教堂書店前でもある)でさらに2人降り、お客さんの数は半減する。ここで伊勢原車庫行のバスは246号をはずれるが、引き続き鶴巻温泉駅方面(伊56・59)へのバスが246号を走る。この先の運転本数は善波行と合わせて30分に1本程度である。

 そういえばこの先の246号を通るのは久しぶりで、いつのまにかbook off風の古本屋やバーミヤン、すみや等見覚えのないロードサイド店舗が増えている。こまめに設置されたバス停でお客さんが降りていき、残ったのは伊勢原駅を出てからおしゃべりが止まる事のないおばあさん3人連れだけになった。

 伊勢原市街を離れ、周囲が鄙びてきた。ロードサイドのお店も「精米工場直営店」という看板を掲げた市場など、田舎臭いものになってきた。やがて前方の交差点に「鶴巻温泉」と大書した看板が現れる。交差点の名は「桜坂」。福山雅治は鶴巻の湯に浸かりながら、かの名曲「桜坂」を作ったとか(嘘です。福山の桜坂は東京都大田区にあります)。

 善波峠は直進だが、バスは桜坂交差点を左折し新興住宅地の大住台を一回りする。この辺りは鶴巻温泉駅まで徒歩圏である。鶴巻も温泉旅館が潰れて跡地に高層マンションが建つなど、徐々に東京に飲み込まれつつある。

 大住台の外れでおばあさんの1人が降り、乗客は僕を含め3人となって246号線に戻る。ここからいよいよ1日3本の善波行だけが走る区間、と思いきや、鶴巻温泉駅と秦野駅を結ぶ秦24系統も通っているようである。

 道がにわかに上り坂となってきた。善波の峠越えに差し掛かったのである。がくんとスピードが落ち、見ると数台前でタンクローリーがもうもうと排煙を上げている。ほどなく登坂車線が現れるが、もちろんバスもそちらに入る。

 善波西玉(さいたま)で残ったおばあさん2人が下車する。よっこらしょとゆっくり立ち上がり、「あんがとね」と運転手に話し掛けながら降りていく様はもう完全に田舎バスの趣である。次は終着、善波。最後のひと踏ん張りとバスはエンジンをうならせる。

 13時11分、善波到着。集落の路地に入るか、簡素な折り返し場でも設置されているのかと思っていたが、246号線上にぽつんとポールが立っているだけの終着点である。バス停の前は重機置き場、ホテルの看板、放置された廃車、それだけである。ここまで何もないバス停も珍しいと思う。眼下の谷間に水田が見えるが、降りていく道はない。善波集落に行くには、先ほどのおばあさん達のように手前の西玉で下車するのが正しかったようだ。

 この先へは前述の秦野駅行のバスが通じているが、1日5本しかなく次のバスは1時間以上後である。さてどうしようかと思っていると、バスはそのまま秦野方向へと走り去っていった。どこで折り返すのか気になるので、そちらへ歩いてみる事にする。

 246号は峠に向けだらだらと登っていく。谷間の水田はやがて尽き、屏風のように秦野盆地の縁が立ちふさがる。振り返ると、市街地がパノラマの如く広がっている。先ほど通ったダイエーから、東名厚木IC近くの高層ビルまでが望遠レンズで凝縮したようにすぐ近くに見える。遠くまできたなぁ、と思う。

 と、国道から右手に折れる小道があり、先ほどまで乗っていたバスが止まっている。しかし辺りには店を閉じたままのカラオケスナックと、閉鎖して更地になった出光のガソリンスタンド跡しかない。どうやって折り返すのか、と不思議に思っているとバスはゆっくりと走り出した。そのまま山の中にでも入ってしまうのかと思いきや、この小道すぐ先で再び246号と合流していたのであった。合流地点は善波トンネルのすぐ脇、まさに伊勢原市のどん詰まりである。「ここから先はウチの営業所の管轄じゃありません」と言うかの如く、バスはトンネル前でくるりと反転し伊勢原方面へと戻っていった。

 善波トンネルは約200m、直線なので向こう側の明かりが見えているが、僕はトンネルに入らず、山肌に沿って登る脇道へと入った。坂の上に建物が固まっている気配があったからである。

 しかし坂の上に民家は1軒も無かった。そこはホテルの密集地帯であった。無論昼間なので誰もいない。インターの脇ならともかく、亜幹線国道の脇にあるホテルなんて大抵は寂れているものだが、ここは最近建てたとおぼしき新しいホテルもあり、それなりな来客があるものと思われた。246号の交通量がそれだけ多いのだろう、と適当な分析をしておく。

 ホテル街のどん詰まりまで歩くと、トンネルが現れた。「善波随道」という石版がかかっている。246号の旧トンネルなのだろうか。うっそうとした緑に覆われたトンネルを眺めていると、この夏あまりに有名になったあのフレーズ「トンネルの向こうは、不思議の町でした」が浮かんでくる。

 トンネルに足を踏み入れる。照明は全くないが、出口は見えている。と、後ろからミキサー車が唸りをあげて進入してきた。1人ぼっちのトンネルで、背後から迫る大型車、これ結構怖い。なんだか車が生き物のように思えてきたりする。壁にぴったり身を寄せてやり過ごし、また歩き出す。

 トンネルを出る。当然秦野市に入る。そこは伊勢原側以上にうっそうとした緑の只中であった。道端にお約束?のH本が捨てられていることに目をつむれば、気持ちのいい散歩道である。

 後ろを振り返る。トンネルの向こうに、ホテルのけばけばしいオレンジ色の壁が見えた。どちらかというと向こう側のほうが「不思議の町」のようであった。


(つづく)


2001.9.9
on line 2002.9.1
Copyright(C)tko.m 2002

第4回へ   第6回へ    お散歩ジャーナルへ   MENUへ

inserted by FC2 system