今度の旅はレアバスで・第22回



希望の轍

小田急シティバス 歳22 千歳船橋駅→千歳船橋駅(循環)




 希望ヶ丘−一昨年まで住んでいた町の名前である。○○台、○○が丘といった地名は新興住宅地の定番だが、それにしても随分ストレートなネーミングである。戦後すぐに開発に着手した町で、未来に希望を託して、といった意味合いで付けられたものらしい。こんなキテレツな名の町は全国でここだけ、と思っていたのだがそうでも無いらしい。近い所では東京都世田谷区に、同じ名前の団地がある。

 世田谷の希望ヶ丘には、小田急線千歳船橋駅から小田急バスが通じている。さほど駅から離れていない割には、水道道路経由(歳25系統)と西寄りの環八経由(経01系統他)の2種類が並存している。そして仔細に見れば、経01系統よりさらに北側を循環して千歳船橋駅に戻ってくる系統を発見することができる。運行本数は1日1本。しかも休日のみである。循環便だから、入出庫とも絡んではいなさそうだ。神奈中ならともかく、小田急バスでここまであからさまな免許維持路線は珍しい。


 2011年2月20日(日)の夕刻、千歳船橋駅に降り立つ。複々線の高架下空間をフルに使ったコンコースは広大で、箱根そばの明かりがまばゆい。相鉄から京成とマイナー私鉄沿線での暮らしに馴染んできた身ではあるが、各停のみの停車駅でもこうなってしまう小田急の実力には改めて感嘆する他ない。もっとも、駅前は高架化以前の風情をほのかに残していて、広場は真新しいがごく小さく、接続する道路は農道が化けたとしか思えない路地ばかりである。
千歳船橋駅
 線路沿いの細道を西へ進むと、千歳通りにぶつかる。街頭には「祝・森繁通り」と垂れ幕が下がっているが、良く分からない。両側にバス停がずらりと並んでいて、TSUTAYAの脇に転回場がしつらえてある。本日のターゲット、歳22系統のバスは、京王バスの後ろで時間調整中のようでまだ横付けされていない。実質週1便しかないのに、停留所のバスロケーションシステムはこのバスの発車時刻をしっかり表示している。

 16時05分、目の前から小田急バス経01系統経堂駅行が発車すると、いつの間にか京王バスは姿を消していて、するすると歳22系統が入ってきた。乗り込んだのは僕の他に親子一組のみ。希望ヶ丘団地までの経路は経01系統と同一だから、乗客が少ないのは当然である。「循環バスですが」と運転手から声がかかる。16時08分発車。

 目指す希望ヶ丘は駅の北側にあるのだが、停留所は南行きの車線に立っている。バスはそのまま小田急線をくぐって南口に出る。こちらは東急バスの縄張りのようだ。銀色のバスを何台か追い抜くと、右折で小学校裏の一方通行路に無理矢理突っ込んで、線路際の道路に合流する。桜丘5丁目バス停が現れるが、これは東急専用のようで通過。すぐに環八の砧二丁目交差点にさしかかるが当然信号待ちが長い。3分前に出た経01系統が4台前でまだ止まっている。

 ようやく右折して環八に入ると線路を再度くぐり、千歳通りとX字状に交差する。千歳船橋駅行の京王バスが幅の広い環八を轟然と渡っていく。どうやら駅から北へ向かうバスはこの交差点を起点に駅前(といっても駅からやや歩いたが)を時計回りに一周しているらしい。そのまま環八を進むと成城警察前で、小田急バスにとってはようやく1つ目のバス停である。今日の環八は空いていて流れが速く、止まるのも動き出すのも難儀そうな停留所だが通過。

 成城警察の先でバスは左折し、ちょっと走って信号の無い交差点を右折する。建売住宅と畑が混在していて、バブルをくぐり抜けた23区内にしてはのどかな光景が展開する。千歳台3丁目、廻沢(めぐりさわ)、希望ヶ丘地域公園と、バス停名もニュータウン風と土着の香りが交じり合っている。

 再び右折すると環八と直交する。これでようやくバスは希望ヶ丘団地方向を目指すらしい。千歳台地区を迂回したのは、環八から団地へ直接右折するのが厳しいと判断したのだろうか。通りの名は「希望丘通り」。"ヶ"が抜けている。表記が一致しないのはこの地名の宿命で、我が旧宅の周辺でも「希望ヶ丘」と「希望が丘」が混在していた。環八を越えてすぐ、宝性寺で親子連れが降りて乗客は僕だけになる。

 程なく左折するといかにもUR的なコンクリート団地群が左右に現れ、希望ヶ丘団地着。千歳船橋・経堂・八幡山からのバスの結節点で、小ぶりながらもバスターミナルがあってタクシーが3台客待ちをしている。ただし乗降はゼロ。循環系統だからすぐに発車する。すぐ先の建物脇に、鳩小屋がある。てっきり小学校かと思ったが、なんと朝日新聞である。よもや未だに伝書鳩を使っているわけではあるまい。

 経堂駅行が右折する朝日新聞社前を左折、次の角を八幡山駅行が左折すると、我が歳22系統の単独経路となる。温水プールといういかにもバスの需要がありそうな施設の前を通過するが、週1便では利用者があるはずも無い。プールがあるという事は当然隣にはゴミ焼却場があるわけで、要するに小田急線と京王線の中間に位置するこの辺りは、世田谷でも屈指の田舎だったという事なのだろう。
千歳台5丁目
 清掃工場の先で再び環八を渡り、千歳台に舞い戻る。環八を境に西側が千歳台、東側が希望ヶ丘団地、というくくりで概ね合っていそうな印象だが、希望ヶ丘地域公園停留所だけは環八の西側にありいささか腑に落ちない。界隈で「希望ヶ丘」を名乗るのはUR団地くらいで、東側の民間マンションの大半は駅名を冠して「○○千歳船橋」などと称している。東側の現在の住居表示は船橋だから、希望ヶ丘は本来、千歳台も船橋も含めた広域地名だったのだろうか。

 バスは左折し、千歳台5丁目停留所にさしかかる。この先は往路と重複するので、下車ボタンを押した。16時25分下車。このまま駅まで乗り通しても所要30分程度のミニ路線であった。5丁目も週1本しかバスが来ない。逆周りの循環バスは無いから、1"往復"ですらない。往路は基幹系統と同一経路、復路は独自経路を辿った格好だが、徹頭徹尾閑散としていたのはいささか侘しかった。

 電信柱1本分歩けば、先ほど右折した希望丘通りとの交差点に戻ってくる。傍らには住宅が建設中で、若夫婦が不動産屋と連れ立っている。あの物件の紹介資料には「千歳台5丁目バス停から徒歩1分!」なんてまさか書いてはないだろう。入居してからバス停を見つけ、「なんだ、バスあるじゃないの」と気づき、時刻表を覗き込んで仰天するに違いない。



(つづく)


2011.5.20
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