今度の旅はレアバスで・第16回



本命バスでたどる道

相模神奈交バス 淵24 登戸→淵野辺駅北口




 相模神奈交バス(神奈中子会社)、淵24。数あるレアバスでもその知名度は(多分)群を抜く、淵野辺(相模原市)と登戸(川崎市多摩区)を週1度往復する長距離路線である。前々から存在自体は気になっており、事実3年前に一度乗りに出かけているのだが、ダイヤ改正を知らず空振りになってしまった。

 満を持して、あるいはついにネタの枯渇か、今回はとうとう淵24に乗る。2004年11月7日、日曜の割に早起きした僕は、朝の気配漂う登戸駅前に立った。
淵24

 登戸駅前は狭く、バスはおろか一般車の進入もそれなりに困難である。したがって淵24の乗り場は、駅前右手の路地を抜けた先、道幅が広くなった東京三菱銀行の前にある。ちなみにバス停の名は「登戸」ではなく「登戸」 で、駅に横付けできない故の遠慮と言うか、こだわりが感じられる。

 登戸バス停には既に神奈中カラーの小型車が到着していて、乗務員が2人歩道に出て談笑している。神奈中と並んで川崎市交通局のポールが立っていたのでどこに行く路線かなと見上げてみる。

 市バスの停留所名は「登戸駅」 …神奈中の気遣い、台無しであった。

 バス停は屋根を備えた存外立派なものだったが、ベンチには川崎市交の文字があり、いかにも神奈中は部外者であった。ポールは一部損傷し、ドア口の真ん前にはゴミ箱が居座っていた。背後に3線化工事中の小田急高架橋が聳えていて、頻繁に通過する電車がきらりと朝日を反射させている。

 8時15分、「お待たせしました」と肉声案内があってバスは出発した。定刻より5分の遅れである。乗務員たちの世間話が長引いたのか、それともダイヤに余裕がありすぎて定刻発では早着してしまうのか。乗客は僕のほかに1名。風貌からして明らかに趣味人である。

 線路沿いにしばし進んだバスは、向ヶ丘遊園駅東側の踏切脇まで来るとウインカーを出した。え、こんな細い踏切渡るの?と少々驚く。5000系10連の急行新宿行(余談だが、急行電車はやはり5000×10が正調だと思う)を見送って踏切を渡り、稲田農業不動産(またも余談だが、この線路端の不動産屋の名は前々から気になって仕方がない。多摩川梨の農園でも売っているのだろうか)脇の路地へと入ってゆく。一方通行の狭い道である。

 住宅街の中を左折すると、古びた商店が増えてきて向ヶ丘遊園の駅前に出る。登戸−向ヶ丘両駅は駅間距離0.6kmと小田急全線で最短のはずだが、微妙な遠回りをして時間がかかった。創業当時からの古い駅舎をかすめて、広場の片隅に停車しドアが開く。しかしそこにあったのは「タクシー乗り場」の標識。バス停は何処だろうと見回すが見つからないまま、そして誰も乗らないままバスは出発した。

 狭い街中を2度右折すると、突然道が立派になり多摩区役所の前にさしかかる。区役所を過ぎた途端に道幅はまた狭くなり、今度は左折。片側2車線の大通りに入った。これが津久井道で、この先は延々とこの街道を行く。ほどなく県道13号線と立体交差し、車線数が減る。にわかに風景がローカルなものとなり、立ち並ぶ個人商店の隙間から生田駅が顔をのぞかせた。

 徐々に交通量が増えてきて、小田急バス生田営業所、読売ランド駅前を通り過ぎる。小田急の線路がぴったり寄り添ってきて、バスは西生田中学校入口停留所に停車した。驚いた事に、ここで乗客がある。淵24系統の乗車記は幾 つも読んだ事があるが、鶴川以東の途中停留所でお客さんが乗ってきたという話は聞いた事がない。若い男性だが同好者だろうか。良く分からない。

 客扱い中に追い抜かれた30000系特急電車を、バスは猛然と抜き返す。バスが速いのではなく、特急が遅いのである。新百合ヶ丘で追い抜く各停に追いついてしまったのだろう。昔ながらの丸板バス停の百合ヶ丘駅入口を過ぎると、次が新百合ヶ丘駅入口。ただでさえ線路にぴったり沿っているのに、駅間にバス停がないのでは利用客なぞいるわけがない。

 麻生川沿いの桜並木が、綺麗に紅く染まっている。ちょっと前まで向こう岸の線路からも良く見えたが、マンションが建ち並んで視界をふさいでしまった。程なく柿生駅北口にたどり着くが、バスは駅前広場に入らず津久井道をスルーする。新百合から柿生まではこの系統しか走らないのにバス停は小田急バスタイプ、柿生からは小田急のポールが神奈中と別に立っているが何も書かれていない。謎である。夜中にねこバスでもやって来るのだろうか。

 左側を9000系6連の各停相模大野行が追い抜いていく。先ほど特急を足止めさせていた電車だろう。今度は、すれ違う上り急行が徐行して いる。まったく過密ダイヤだ。

 バスは鶴川駅東口の信号に差し掛かる。向こうから神奈中バスがやって来た。登戸を出て以来、このバス以外の神奈中車を見たのは初めてである。8時43分鶴川駅着。広い駅前広場には、小田急バスと神奈中が半々ずつ停まっている。この駅が事実上神奈中エリアの東端で、わが淵24はここでようやくホームグランドへ足を踏み入れるわけだ(逆に、小田急エリアに無理やり走らせているところにこのバスの存在意義があるわけだが)。

 とすればここからはマトモな客がいてもいいはずだが、バスは広場をぐるりと出口まで走りきって、停留所に車を寄せる事さえせずに一瞬ドアを開け閉めするとすぐに出発した。あー…、ここからも一般客を相手にしないのね、このバス…。

 バスは再び津久井道に戻る。次の上能ヶ谷で降車ボタンが押され、西生田で乗った青年が降りる。なんだ同好者じゃなかったのかと姿を追うと、すぐ後ろを走る鶴川始発町田行のバスを止めて乗り込んでいく。良く分からない。

 鶴川から運賃制度が変わったらしく、初乗り額は川崎市定額の200円から距離制の170円に変わっている。鶴川郵便局前で今度こそ一般人と思われる女性2人組が乗り込んだが、見慣れない行先だったのか少々不安げである。次の大蔵で「郵便局はこのバス停をご利用下さい」とアナウンスが流れ、建て替えらしい真新しい郵便局の前を通過する。親切なアナウンスだが、郵便局前停留所を過ぎてから言われても困る。

 鶴川街道(都道57号線/全く念頭になかったが、このバス東京都内も走るのである)を分岐する頃、ずっと並行していた小田急線は影も形もなくなってしまった。玉川学園へトンネルで抜ける電車に対し、バスは地形に逆らわず淡々と西北へ向かう。犬の散歩、畑、柿の木。車窓に目新しい変化はないが、少しだけ鄙びてきた気もする。

 野津田車庫で女性客が1人降りる。神奈中屈指の大拠点・町田営業所に併設された車庫だから恐ろしく大きい。しかも、小田急バスの車庫まで隣接していた。町田行のバスを頻繁に見かけるようになる。しかしわが淵24は、我関せず横浜線の淵野辺を目指している。

 神学校という意味ありげな名の停留所で爺さんが1人乗る。蔵を備えた屋敷がある。見覚えのある交差点、第10回の紀行で町田から日大三高に向かうバスが通った道に違いない。馬駈というローカルなバス停が現れて、1人下車1人乗車。次の根岸は、これまた町田駅からバスに乗って来たことがある。就職活動を始めたばかりの頃だった。市街地外周をぐるりと周回、既知の場所を串刺しにしていく、まるで町田の武蔵野線だなと思う。

 バスは境川を渡って神奈川県に舞い戻る。9時05分、淵野辺本町2丁目交差点を左折。ずっと真っ直ぐ走ってきたから、角を曲がっただけで珍しい事のように思ってしまう。次の交差点を右折すると、バスは津久井道についに別れを告げた。

 街並みの雰囲気が変わってきた。100円ショップや小さなベーカリーが建ち並び、郊外駅近傍の雰囲気が漂ってくる。建物の並び方に、幾分の余裕が感じられる気もする。ここは既に多摩ではない。ずーっと走ってきて、とうとう相模までやって来たのだ。小学校の前を左折すれば、商店街の向こうに見覚えあるぺデストリアンデッキが見えてきた。

 9時10分、淵野辺駅北口着。所要55分のバス旅は上々の出来栄えであった。これで320円なら極め付きに安いと思うが、いかがであろう。


(つづく)



2004.12.26
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