今度の旅はレアバスで・第11回



哀しき小田原町

神奈川中央交通 平45 平塚駅→小田原町





 平塚駅(平塚市)北口13番乗り場からは、国府津駅(小田原市)行のバスがきっかり20分ヘッド運転されている(平日・土曜は運転間隔にややばらつきあり)。そのうちわずか1本だけが、国府津から酒匂川を越えて小田原市街まで足を伸ばす。箱根登山・伊豆箱根・富士急行3社のバスがしのぎを削る小田原で、わずかながらも命脈を保とうとする、典型的な免許維持路線である。

 ところがこの路線、一風変わった設定がされている。平日・土曜は素直に小田原駅へ乗り入れる(平44系統)のに、休日になると駅へ寄らず、「小田原町」というなんとも大雑把なバス停が終点となるのである。しかもこの小田原町行のバス、実際には小田原町へ向かわず駅に行ってしまうという話さえ伝え聞く。果たして小田原町とはいかなる場所なのか。それ以前に存在しているのか。実際に行ってみるほか無さそうである。


 2002年9月15日(日)、平塚駅北口13番乗り場に立った僕は、いきなり先制パンチを食らった。小田原町行のバスが、ない。
平塚駅時刻表
 小田原方面へのバスは、国府津駅行と同じ時刻表に記載されている。平日・土曜は8時05分発に「小」の文字が、そして休日には12時40分発の所に小田原町を示す「町」の注記がついているはずである。ところがそこにあったのは「小」、つまり小田原駅行である。しかも「町」文字の上に手書きで修正してある。

 小田原町行はもうなくなってしまったのだろうか。よく分からないまま駅正面に戻り、バス案内システムを操作すると、12時40分発は小田原町行と出た。これはどういう事なのだろう。

 やって来たバスは「平44 小田原駅」の表示を掲げていた。放送も「小田原駅行です」と告げている。果たして小田原町はどうなってしまったのか。皆目見当がつかない。が、小田原に着けば明らかになる事だから、とにかく乗り込む。乗客は僕を含めて14人。よく乗っているが無論小田原までの客ではないだろう。

 12時40分、行先不明のバスは定刻通り平塚駅を発車した。次の角を左折し、銀座通りを西進する。ベタな名前の通りだが、アーケードのかかった商店街は実に活気がある。東海道筋の町は内陸の小田急沿線とは格が違うなぁと、平塚に来るたびいつも思う。

 駅を出てから7分、古花水で最初の1人が下車する。ここで銀座通りは国道1号線に合流、早くも平塚市から中郡大磯町へと入る。左に相模貨物駅を眺めつつ花水川を渡ると、天下の国道1号線は片側1車線となり、ただの田舎道になってしまった。

 東海道線をくぐって線路の南側に出ると、大磯市街にさしかかる。バス停ごとに1人2人と、買い物帰りの客が降りていく。大磯駅最寄の消防署前バス停を過ぎると、さヾれ石、統監道と由緒ありげな名の停留所が続く。

 沿道には家並みが途切れることなく続いている。新建築よりも瓦屋根の旧家が多く、さすが大磯と思わせる風格が漂っている。大磯駅の徒歩圏を外れると、再び平塚からの客が降りていく。

 バスは湘南海岸の砂丘のへりを上り下りする。ふと沿道の宅地開発現場を覗いてみると、重機が掘り返しているのは一面の砂地である。こんな所に家を建てても大丈夫なのだろうか。

 相変わらず家並みは途切れず、そして川を渡ることもなく、なんとなく二宮町へと入る。13時10分、二宮駅南口に到着。小さいロータリーをくるりとまわって1号線に戻る。二宮駅からの乗車もあったが、乗客は5人にまで減った。

 わずか10分で二宮町を通り抜け、小田原市へと入る。とは言っても道は混んでおり、バスはとろとろとしか走れない。海側の西湘バイパスはがらがらだが、渋滞表示によれば早川-石橋間はいつも通り詰まっているらしい。にわかに上り坂になり、サミットから相模灘を一望する。どこかの神社で祭礼があるらしく、注連飾りが沿道にずっと続いている。

 13時23分国府津駅着。駅舎は立派なコンクリート造で4階まであり、東海道線の運転上は非常に重要な駅であるのだが、駅前広場は驚くほど小さくひっそりとしている。渋滞に巻き込まれたにもかかわらずダイヤに余裕があるらしく、バスはエンジンを切った。お客が1人乗ってくるが、平塚行と間違えたらしく降りてしまう。ここからが1日1本運行の過疎区間である。

 3分停車の後、いよいよ国府津駅を後にする。乗客は4人。運転本数から考えると驚くほど多い。引き続き国道1号線を西へ走るが、停留所に神奈中に加え箱根登山鉄道のポールが立っている。神奈中にとっては過疎区間でも、箱根登山は1時間あたり4本ものバスを設定している。

 次々と乗客が乗りこむ。箱根登山となんら区別される事なく利用されているようだ。いつの間にか初乗り運賃が160円になっている。神奈中は170円のはずだから、箱根登山の水準に合わせたに違いない。それにしても箱根登山より高いのか、神奈中。

 13時37分、酒匂川を渡る。ずっと並行していたはずの東海道線が、いつの間にかはるか上流に遠ざかっている。川を渡ると道は片側2車線に拡がった。いよいよ小田原の市街地である。5分後、市民会館前の交差点を右折し、長らく付き合った国道1号線に別れを告げる。

 古風な日本料理屋に行列が出来ている。東京とは違う、なんとはなしの地方の香りが漂う小田原という街が、実は結構好きである。
小田原「駅」
 ともあれ終点が近づいてきた。平塚駅のバス案内システムが示したように小田原町へ行くならば、郵便局前の先の交差点を右折するはずである。が、バスは交差点を直通し、平45系統が本来通らない緑町バス停に停まった。いつのまにか乗客数は17名と、平塚口よりも良く乗っていたが、ここで6名が下車。「次は小田原駅、終点です」とテープが流れ、バスは駅前の降車場に着いた。やはり終点は、小田原「駅」であった。

 時刻は13時45分。平塚駅から実に1時間05分の長旅であり、運賃も660円に達したが、たどり着いたのは目指す小田原町ではなかった。降り際に運転手に「小田原町へは行かなくなったのですか?」と尋ねてみたところ、彼は快活にこう言った。「小田原町は帰りー」と。

 果たして小田原町バス停はどこにあるのだろうか。駅から戻る事約5分、緑町-郵便局前間の交差点を折れてすぐの場所にそれはあった。商店街のアーケードの下にぽつんとポールが立っている、ただそれだけの場所だった。折り返しはおろか、バスが停車するスペースすらそこにはなかった。

 時刻表を見れば、休日に1本、僕が乗ってきたバスの折り返し便の時刻が確かに記載されていた。が、それを確かめるには、バス停に覆い被さるように置かれた商店の幟をどかさなくてはならなかった。目の前の道路には箱根登山の路線バスも通っているのに、そこには神奈中のポールしかなかった。ここにバス停がある事を、果たして小田原市民の何人が知っているのだろう。しかもそれは「小田原町」という、街を代表するかのような名の停留所であるのに。

 後で小田原駅の平塚駅行バス停の時刻表を確認すると、「休日は小田原町経由です」との注意書きがあった。どうやら、小田原へのバス便は以下のような運転形態であるらしかった(あくまでも推測)。

 平日・土曜
  往路:平44 平塚駅→浜町→郵便局前→緑町→小田原駅
  復路:平44 小田原駅→緑町→郵便局前→浜町→平塚駅
 休日
  往路:平45 平塚駅→浜町→郵便局前→小田原町
   …のはずだが実態は、平44 平塚駅→浜町→郵便局前→緑町→小田原駅
  復路:平45 小田原町→浜町→平塚駅
   …のはずだが実態は、平45 小田原駅→緑町→小田原町→浜町→平塚駅

 小田原口の乗客は皆緑町と小田原駅で降りたのだから、実質駅発着になっているのは理にかなっている。が、これがオフィシャルな取り扱いであるかどうかは現地に行った今でも良く分からない。確かなのは、小田原町バス停自体はターミナルとしての機能を全く持っていない、その惨めな一点だけである。


(つづく)


2002.10.6
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